「たまゆら」という言葉の出どころは、『万葉集』巻一一、柿本人麻呂歌集の歌です。
玉響 昨夕 見物 今朝 可戀物
万葉集巻一一 2391
この歌は早く平安時代から、「たまゆらに 昨日の夕 見しものを 今日の朝に 恋ふべきものか」(『古今六帖』)と読み慣わされてきました。以後「たまゆら」は『万葉集』に典拠を持つ優雅な歌語として歌人の愛好するところとなります。かれらは「たまゆら」を「しばし」の意に理解していました。
山賎の麻の狭衣ほすばかりたまゆら晴れよ五月雨の空
(『元永元年五月右近衛中将雅定歌合』)
散文の世界にも導入されて、鴨長明『方丈記』に、「たまゆら」と「しばし」を対句に配した例があります。
それにしても、『万葉集』の「たまゆら」は「しばし」の意で通じるのでしょうか。江戸時代に入って万葉学者たちは、「しばし」の意では一首が釈然としないことに気づきます。
「玉響」の二字をタマユラと読むことは、ものの揺れ動くさまを「ゆら」と心得るわれわれには違和感がありますが、古代語の「ゆら」には鈴、玉、石などの当たって発する音を写す擬音語でしたから、その点では問題はありません。
足玉も 手玉も由良(ゆら)に 織る機を
君が御衣(みけし)に 縫ひあへむかも
万葉集巻一〇 2065
これは機を織る乙女の動作と共に、足や手につけた飾りの玉が鳴る音を「ゆらに」といった例です。
初春の 初音の今日の 玉箒(たまばはき)
手に取るからに 由良久(ゆらく)玉の緒
万葉集巻二〇 4493
この「ゆらく玉の緒」も決してただ「揺れ動く」意ではありません。作者大伴家持は、天平宝字二(758)年正月三日の初子(はつね)の日に天皇から往例の玉箒を賜り、その後の祝宴で、「今日拝領した玉箒は、手に取っただけでめでたい初音をはっしました」と「初音」と「初子」の掛け言葉としてこの賀歌を詠んでいるのです。
「たまゆら」の語義を玉の音だと解釈してみたところで、「たまゆらに昨日の夕見しものを…」という歌の意味は依然として通じません。「たまゆら」を「しばし也」とする平安時代の語釈は、歌意に適合しないばかりか、なぜ「たまゆら」が「しばし」の意を持ちえたのかという疑問にも答えられません。今日では、「たまゆら」は『万葉集』り原文「玉響」の誤読から生まれた平安時代語に過ぎないのではないかと疑われているのです。
柳田国夫の弟の松岡静雄(人類学者)は「日本古語大辞典 昭.4」の中で、「古い読み方は“たまゆら”だが、木に竹を接いだような恨みがある。賀茂真淵は“ぬばたまの”と読んで夕べの枕ことばにしたが、この歌の趣から言えば、響という言葉を間違えて“たまかぎる――玉隔”と言う言葉を写し誤ったのだろう」と言っているそうです。
「たまかぎる 昨日の夕 見しものを…」 「たまかぎる」は「夕(ゆふべ)」の枕詞ですから、第二句への続きに支障はありません。
「たまかぎる」と言う言葉が「夕べ」の枕詞に使われた例は、万葉集に2例あります。
――前略―― 玉かぎる 夕さりくれば み雪ふる ――後略――
万葉集巻一 0045
玉かぎる 夕さり来れば 猟人(さつひと)の
弓月(ゆづき)が嶽(たけ)に 霞たなびく
万葉集巻一〇 1816
冒頭の歌
玉響 昨日の夕 みしものを
今日の朝に 恋ふべきものか
万葉集巻一一 2391
は、歌としては初句「たまかぎる」であることがもっとも望ましいようです。「たまかぎる」は「夕」の枕詞ですが、語義は「玉が照り輝く」ことだそうです。原文「玉響」の字義が「玉の響き」である限り、到底タマカギルとは読めそうにありません。
しかし、音と光は共感覚的印象において決して遠いものではありません。将棋界のスーパースター、羽生善治三冠で揮毫する言葉として有名な「玲瓏」という熟語がありますが、意味は
1 「明貌」玉などが透き通るように美しいさま。また、玉のように輝くさま。
2 「玉声」玉などの触れ合って美しく鳴るさま。また、音声の澄んで響くさま。 -デジタル大辞泉 です。
日本でも「玲瓏」に対しては、ナル(鳴る)とカカヤク(輝く)・テル(照る)の二系統の古訓が与えられています(『類聚名義抄』)。文字は「玉響」と書いてあっても、意味は「玲瓏」の場合と同じように「玉の照り輝く」ことだったと考えれば、タマカギルという読み方も認められてよいのではないでしょうか。
ウェブニュースより
藤井聡太四段、プロ入り2年目の初戦飾り朝日杯2次予選進出 ―― 将棋の公式戦歴代新記録29連勝を樹立した史上最年少棋士で中学3年生の藤井聡太四段(15)が6日、大阪市福島区の関西将棋会館で行われた「第11回朝日杯将棋オープン戦」1次予選で、後手の宮本広志五段(31)を95手で下した。第12ブロックを4連勝して勝ち上がり、2次予選に進出した。公式戦通算43勝目(6敗)。
藤井四段は昨年10月1日にプロ入りしており(対局デビューは12月)、この対局がプロ2年目の初戦。宮本五段が構えたゴキゲン中飛車と美濃囲いを、粘り強く攻略した。「2次予選に勝ち上がることができたの、さらなる上を目指して一局一局頑張りたい」と藤井四段。2年目突入については「特別な感慨はないが、1年目以上にもっと強くなりたい」と話した。
http://www.asahi.com/shougi/asahicup_live/fujii_souta/?iref=pc_extlink
通算50戦目となる次回の公式戦は、9日に東京・将棋会館で行われる叡王戦予選の対佐々木大地四段(22)。佐々木四段に勝てば、同日に三枚堂達也五段(24)か杉本和陽四段(26)の勝者と、本戦進出を争う。 (2017年10月6日12時17分 スポーツ報知)
『万葉集』は古代の歌集であるから、音数に拘束されない「字余り」が多いと一般には信じられてきました。「字余り」が多いことは事実かも知れませんが、その大多数は句中に母音音節「あ」「い」「う」「お」のいずれかを含むという法則から逸脱していません。
玉くしげ 覆ふをやすみ 明けていなば
君が名はあれど 我が名し惜しも
万葉集巻二 0093
昨夜こそは 子ろとさ寝しか 雲の上ゆ
鳴き行く鶴の 間遠くおもほゆ
万葉集巻一四 3522
「明けていなば」の「い」、「君が名はあれど」の「あ」、「雲のうへゆ」の「え」、「間遠くおもほゆ」の「お」―― おそらく全用例の9割以上は母音含有のほうそくを堅持していると思われます。問題は残りの約1割ですが、六音の「字余り」であるのに母音を含まない「木の暮闇」(巻一九、4166)という句が、実は「木の暮の」であったように、点検を進めるにしたがって例外は一つまた一つと減少しています。
妹と来し 敏馬の崎を 帰るさに
一人して見れば 涙ぐましも
万葉集巻三 0449
「一人して見れば」は、原文「独而見者」とありますが、「而」を「之」に作る古写本(『古葉略類聚鈔』)を採用することによって「一人し見れば」と、「字余り」のない形が復元されます。
向(むか)つ峰(を)に 立てる桃の木 成らめやと
人ぞささめきし 汝(な)が心ゆめ
万葉集巻七 1356
「人ぞささめきし」は、原文「人曾耳言為」とありますが、「為」を「焉」の誤りと推定すれば、「焉」は不読の助字になり、「人そささめく」又は「人そささやく」となります。これも「字余り」のない句に変わります。
『万葉集』の変則的な「字余り」は、読み方の再検討によって姿を消す場合が多くあります。
志賀の海人 火気焼き立てて 焼く塩の
辛き恋をも 我はするかも
万葉集巻一一 2742
…… かまどには 火気吹き立てず こしきには 蜘蛛の巣掛きて ……
万葉集巻五 0893 (貧窮問答歌より)
「火気」の二字をケブリと読む限り、母船部は「字余り」法則の例外であることを免れ得ません。ホノケと読んでも同じことです。しかし、ホケと読みさえすれば、普通の七音句となります。前にも述べたように「ほけ」は現在の文献の上では『日葡辞典』までしかさかのぼれない語ですが、上の「火気」が「ほけ」だったということになれば、古く奈良時代から存在したことになます。
このように『万葉集』は、読み方が訂正されれば、新しい万葉時代語を認定する必要も生じてきますし、反対にこれまでの万葉語と思われていた語を、万葉時代語のリストから除かねばならない場合も生じてきます。
わびぬれば しひて忘れむと 思へども
夢と言ふものぞ 人頼めなる
藤原興風 古今集巻一二 569
宣長の説にしたがって、第二句を「しひて忘れなむ」できり、第三句を「と思へども」と読めば、第二句は「字余り」はなくなり、第三句の方が「字余り」になりますけれども、「とおもへども」と、句中に単独母音「お」を含むので、「字余り」の法則は犯されていません。
菅原道真の編と言われる『新撰万葉集』(893年成)には同じこの歌の第三句を「鞆倍鞆」と表記しています。トモヘドモとしか読みようのない文字です。助詞「と」が第三句の頭に位置していた有力な証拠といえます。
「ともへども」は「とおもへども」の「お」の脱落した形です。単独母音「あ」「い」「う」「お」は「字余り」の句の中にあって、しばしばこのような脱落をおこしました。あるいは、直前の音節の尾母音と融合して姿を消しました。この歌でも第四句の「夢といふものぞ」の字余りが、『興風集』などには「夢てふものぞ」という形で伝わっています。
年のうちに 春は来にけり ひととせを
こぞとや言はむ 今年とや言はむ
古今集巻一 0001
春きぬと 人は言へども うぐひすの
鳴かぬかぎりは あらじとぞ思ふ
古今集巻一 0011
上の2句で、 部はいずれも「字余り」となっていますが、これらをローマ字で書いてみると、
年のうちに → toshinouchini
今年とやいはむ → kotoshitoyaihamu
あらじとぞ思ふ → arajotozoomohu
のようになり、「字余り」の句の中には母音が2つ並んでいるということがわかります。
「字余り」の句中になぜ母音が2つ連続して現れるのか、その理由は日本語の母音の特性を知らなければ理解できません。
国文学者 橋本進吉はその論文の中で、日本語では語頭に母音を有する語が、他の語に結合して複合語または連語を作る時、
(1) その母音音節が脱落する。
ナガアメ(長雨)→ナガメ カリイホ(仮庵)→カリホ
タツノウマ(辰の馬)→タツノマ カタオモヒ(片思)→カタモヒ など
(2) その直前の音節の母音が脱落して、その音節を構成した字音と次の母音音節の母音が結合して新しい音節を作る。
アライソ(荒磯)→アリソ アラウミ(荒海)→アルミ
ニアリ(に在り)→ナリ ズアリ(ず在り)→ザリ など
と言っています。
どちらにしても、結局は単独の母音音節が姿を消してしまうわけですが、これは二つの母音が直接接触し合うのを避けようとしたものなのです。古代語において特に顕著に見られます。
とにかく母音音節が句の内部にあれば、六音又は八音の句でも五音又は七音の句と同等に取り扱われたいうことは、母音音節が前の音節の母音に接して現れる場合には一つの音節として十分の重みを持っていなかったことを示します。
「字余り」句の句中には必ず単独母音「あ」「い」「う」「お」のいずれかが組み込まれてているという宣長の法則を『古今集』三百余例の実例について調べてみても、西行の歌における「ちるとみれば」「友になりて」のような例外現象は見当たりません。一応問題となる「字余り」は、
ひぐらしの 鳴きつるなへに 日は暮れぬと
思ふは山の かげにぞありける
読み人知らず 古今集巻四 204
忘れなむと 思ふ心の つくからに
ありしよりけに まづぞ恋しき
読み人知らず 古今集巻一四 718
の類ですが、宣長がこれを見逃すはずがありません。彼の見解は『字音仮音用格(じおんかなづかい、安永五年刊)』から十八年後の著書『玉あられ(寛政四年刊)』に明記されています。
すなわち、204番の第三句は句末の序詞「と」を次の句に送って、「日は暮れぬ と思ふは山の ……」と読むべきもの、718番の第一句は「忘れなむ とおもふ心の ……」と読むべきものなのです。実に明解爽やかな解釈ではあります。
聞く人に違和感を与えない「字余り」ならばそんなに気にしなくてもいい、どうしても「字余り」にしなければよい歌が出来ず、「字余り」となっても耳障りでない場合は幾文字余しても構わないとする歌学者もいました。
染殿后のお前に、花瓶に桜の花をささせ給へるを見てよめる
年ふれば 齢はおいぬ しかはあれど
花をしみれば 物おもひもなし(以上33字)
前太政大臣(藤原良房:ふじわらのよしふさ)
古今集・巻1・春歌上・0052 前太政大臣(藤原良房:ふじわらのよしふさ)
題しらず
ほのぼのと ありあけの月の 月かげに
紅葉吹きおろす 山おろしの風(以上34字)
源信明(みなもとのさねあきら)
新古今集・巻六 0591
「いずれもすぐれたる歌なれば字の余りたるによりて悪くなるべきにはあらず」と、藤原為家の『詠歌一体』に述べられています。
一字の字余りがかえって格段に効果を挙げた例として、細川幽斎(1534~1610年)は、
月見れば 千々に物こそ 悲しけれ
我が身ひとつの 秋にはあらねど
大江千里 古今集・巻四 193
(月を見ると、ものごとをあれこれ悲しく思ってしまうなあ……
私一人だけの秋ではないのだけれど)
の歌、第五句は「秋にならねど」などと平板に詠むより、「秋にはあらねど」の方が断然優れている、まさに一字千金の「字余り」であると激賞しています。
「字余り」の歌は何となく格調高い印象を与えます。その効果を狙って意図的に「字余り」歌を作る風潮が中世以後かなり盛んになります。「文字あまりの歌、好み詠むべからず」(飛鳥井正親『筆のまよひ』)とは、裏返せば「好み詠む」人が多かったことでしょう。順徳天皇の『八雲御抄』に「(歌ノ)長(たけ)を高からむ故に文字を余す事好む人多し。これも返す返す見苦しき異なり。これは西行などが言ひたきままに言ひたるを真似びて悪しくとりなすなり」とありますが、確かに西行法師の作品には「字余り」歌の異風が眼立ちます。
①春のほどは 我が住む庵(いほ)の 友になりて
古巣な出でそ 谷の鶯
(春の間は自分が住んでいる庵の友となって、谷の鶯よ、
古巣を出て里へ都へと移っていったりしないでくれ)
②思へ心 人のあらばや 世にも恥ぢむ
さりとてやはと 勇むばかりぞ
(思え、心よ、こちらがその面前で恥ずかしくなるような
人がいれば別だが、そんな人はいないし、
かといって恥を知らずにいてよいというわけではないから、
奮い立って精進するばかりだ)
音数の制約に縛られず、必要に応じて自由な「字余り」の歌を作った西行は、あわせてまた漢語の愛用という点においても、(やまとうた)の伝統にとらわれない、文字通り型破りの歌人だったのです。
西行の歌の「字余り」に関しては、本居宣長の「西行ナド殊ニ是ヲ犯セル歌多シ」(『字音仮字用格』)という指摘が重要な意味を持っているのです。宣長が「是ヲ犯セル歌多シ」と言い切った時、これは「中鈍病」であるとか、「しなしやうにて手づつなるが故に聞きにくきなり」(『詠歌一体』)などという伝統的歌学の基準とは完全に次元を異にしていました。これまでの歌学者が思いもつかなかった新しい角度から、「字余り」の現象を貫く語学的法則を発見し、その上に立って西行の「字余り」を裁断しているのです。
宣長の法則に照らせば、上の①②のような西行の歌はことごとく「是ヲ犯セル歌」に属することになります。「古今集より金葉・詞花集ナドマデハ、此ノ格二ハヅレタル歌ハ見エズ」、「千載・新古今ノコロヨリシテ此ノ格ノ乱レタル歌ヲリヲリ見ユ。西行ナド殊ニ是ヲ犯セル歌多シ」「『字音仮字用格(じおんかなづかい)』」と宣長は言います。
本居宣長の発見した「字余り」の法則とは次のような事実を指します。
「歌ニ五モジ七モジノ句ヲ一モジ余シテ、六モジ八モジニヨムコトアル、是レ必ズ中(なから)ニ右ノあ・い・う・おノ音アル句ニ限レルコト也」〔『字音仮字用格(じおんかなづかい)』〕
「字余り」の句中には必ず単独の母音「あ」「い」「う」「お」のいずれが含まれているという事実の発見でした。
『古今集』の実例で当たってみましょう。
年のうちに 春は来にけり 一年を
去年とやいはむ 今年とやいはむ
年経れば よはひは老いぬ しかはあれど
花をし見れば 物おもひもなし
(冒頭の前太政大臣藤原良房の歌)
「年のうちに」「今年とやいはむ」「しかはあれど」「ものおもひもなし」の各句は、それぞれ六音・八音の「字余り」句中に「う」「い」「あ」「お」の単独母音を含んでいることが確認できます。後者の歌は『詠歌一体』が33字の歌ながら「すぐれたる歌なれば」と評して「字余り」を容認した歌でした。
『古今集』大江千里の歌、
月見れば 千々に物こそ 悲しけれ
我が身ひとつの 秋にはあらねど
の第五句は、細川幽斎が「いちじせんきん」と絶賛した「字余り」でしたが、「秋にはあらねど」の句中には、宣長の「字余り」法則に指摘する単独母音「あ」の存在を確認できるのです。
元永元(1118)年十月二日、内大臣藤原忠通の催した歌合に、
源盛家が詠んだ歌
神無月 三室の山の もみぢ葉も
色にいでぬべく 降る時雨かな
に、判者の源俊頼は第四句に対して「五文字の六文字あり、七文字の八文字あるは常の事なり。それは聞きよきにつけて詠むなり。これはあらはに余りたりと聞こゆれば、いかがあるべからむ」と難を加えます。「聞きよきにつけ」「あらはに余りたり」という俊頼の基準はともかくとして、少なくとも宣長の「字余り」法則にはいささかも背馳しないくなのであります。句中の単独母音として「色にいでぬべく」の「い」があります。
宗祇は連歌師として名があらわれ始めた四十才頃より各地に旅して連歌界最高の栄誉をうけます。
宗祇諸国物語は、次の図版のような話を伝えています。
新しく作りたてたる薬師堂かな
連歌の発句としては全く体を成していません。当然五・七・五であるべき音数が、驚いたことに五・七・七となっています。田舎宋匠は自分の発句の欠陥には全然気づかず、彼の詠み余した余計な「かな」を引き取って、当意即妙「(かな)物ひかる露の白玉」と付けた宗祇の脇句を「文字ふたつ不足いたし侍る」と咎めたのです。季語の詠みわすれ、漢語の使用も笑止ながら、五・七・七の発句を詠むとは初心者にも劣るものです。
連歌の初心者は句作の際、指折り数えて苦吟します。
春も身に沁み 指を折るなり
深草に 連歌の初心 あつまりて(『守武千句』)
「数を数える」ことを「数をヨム」という言い方があるように、連歌であれ和歌であれ、音数を正しくヨム(数える)ことこそ「詠む」ことの第一歩なのです。音数がは愛でれば、「字余り」となり、不足すれば「字足らず」となります。
和歌(やまとうた)は三十一文字(みそひともじ)から成ります。「みそひともじ」の数を超過したものを「文字あまり」「字余り」などと称しました。十七世紀初頭、ジョアン・ロドリゲスの『日本大文典』に次のような説明が示されています。
「往々にして典雅ならしめる為に、或いは又その他の詩的破格によって……(五音節が)六音節になったり、(七音節が)八音節となったりすることもある。その場合には、(歌が)三十二音節から成ることになり、もし余分の音節を持った韻脚が二つあれば三十三音節となる。このような余分の音節を「字余り」と呼ぶ」
日本の歌学では「字余り」を和歌八病の一つに数え、中飽病または中鈍病と名付けて戒めてきました。
ウェブニュースより
藤井四段、竹内四段に勝ち棋聖戦1次予選決勝進出 ゴキゲン中飛車で穴熊崩す、あわや千日手の局面も冷静に対処 ―― 将棋界最多の29連勝を達成した最年少プロ、藤井聡太四段(15)は27日、大阪市福島区の関西将棋会館で行われた棋聖戦(産経新聞社主催)の1次予選3回戦で竹内雄悟四段(29)を154手で破り、決勝進出を決めた。公式戦の通算成績は42勝6敗となった。
対局は午前10時から始まり、持ち時間各1時間。戦型はゴキゲン中飛車。先手の竹内四段は王将を駒で囲う穴熊で守りを固めた。
藤井四段はこれまで竹内四段に3戦3勝してきたが、今回は大接戦となった。終盤の約1時間は双方とも時間を使い切り、1手60秒未満の秒読みに。白熱した展開となり、一時、竹内四段が有利な場面も。千日手が成立しそうな局面もあったが、藤井四段が落ち着いた正確な指し回しで快勝した。
https://www.youtube.com/watch?v=wzO8DGeWPC4
終局後、藤井四段は「最後まで分からない将棋だったが、勝ててよかった」。竹内四段は「(4度目の対局なので)負けられないと思っていた。終盤、良くなったと思ったが、勝ちきることができなかった」と話した。
羽生善治棋聖(47)=王座=への挑戦者は、トーナメント方式の1次、2次予選を勝ち上がった棋士とシード棋士の16人で本戦を戦い、決定する。
藤井四段は次回、10月6日に朝日杯将棋オープン戦で宮本広志五段(31)と対戦する。 (産経WEST 2017.9.27 14:07)
大相撲秋場所も、金星を4つも配給した日馬富士の逆転優勝で終わりました。こんなこと今まであったのかなあ?
ウェブニュースより
豪栄道、2度目のV逃す「横綱が上でしたね。完敗」 ―― <大相撲秋場所>◇千秋楽◇24日◇東京・両国国技館
大関豪栄道(31=境川)が、昨年秋場所以来2度目の優勝を逃した。1差リードしていた横綱日馬富士との結びの一番に寄り切りで敗れ、11勝4敗。優勝決定戦は立ち合いで瞬時に懐に入られ、押し出された。
力とスピードに屈した2番を終えて「横綱が上でしたね。完敗です」。この日の朝稽古後に「腹を据えて、やるべきことをやるだけ」と話していたが、何もさせてもらえなかった。
痛恨のV逸だ。11日目を終え、後続に2差つけながら、初優勝時には感じなかったという重圧にのみ込まれて、12、13日目に連敗し、流れを失った。それでも、3横綱2大関が休場した異例の場所を終盤まで主役として引っ張ったことは紛れもない事実だ。「いつか、この経験があったから…と言える相撲人生にしたいです」。31歳。大関在位19場所。年齢的に若くはないが、これからも2度目の優勝、そして横綱の夢を追いかける。 [日刊スポーツ 2017年9月24日21時12分]
三段目・炎鵬、歴代5位の序ノ口から21連勝「連勝よりも優勝したい」 ―― ◆大相撲秋場所13日目 ▽三段目○炎鵬(押し出し)田辺●(22日・両国国技館)
横綱・白鵬がスカウトした西三段目18枚目・炎鵬(22)=宮城野=が同級生の田辺(木瀬)を押し出して7勝目。序ノ口からの連勝記録も歴代単独5位の21に伸ばした。
「正直(出世が)早すぎるかな。連勝よりも優勝したい気持ちが多い」と昭和以降7人目の序ノ口からの3場所連続優勝がかかる、千秋楽の満津田(峰崎)との優勝決定戦を見据えた。10月14日の金沢市巡業への参加も濃厚。「楽しみにしています」と地元への凱旋の前にV3の勲章を手に入れる。 (2017年9月23日8時0分 スポーツ報知)
平成二十九年 九月場所 優勝力士
幕内優勝
西横綱 日馬富士(ダワーニャム・ビャンバドルジ)(11勝4敗) 伊勢ヶ濱部屋 昭和59年4月14日生(33歳) モンゴル・ゴビアルタイ出身 平成13年1月初土俵
十両優勝
西十両十一枚目 阿炎(堀切 洸助)(10勝5敗) 錣山部屋 平成6年5月4日生(23歳) 埼玉県越谷市出身 平成25年5月初土俵
幕下優勝
西幕下四十九枚目 鏡桜(バットフー・ナンジッダ)(7勝0敗) 鏡山部屋 昭和63年2月9日生(29歳) モンゴル・ウブルハンガイ出身 平成15年7月初土俵
三段目優勝
西三段目十八枚目 炎鵬(中村 友哉)(7勝0敗) 宮城野部屋 平成6年10月18日生(22歳) 石川県金沢市出身 平成29年3月初土俵
序二段優勝
東序二段六十三枚目 鳴滝(花井 翔月)(7勝0敗) 伊勢ノ海部屋 平成10年11月13日生(18歳) 京都府京都市右京区出身 平成28年11月初土俵
序ノ口優勝
西序ノ口二十五枚目 庄司(庄司 向志)(7勝0敗) 武蔵川部屋 平成6年8月25日生(23歳) 秋田県仙北郡美郷町出身 平成29年7月初土俵
平成二十九年 九月場所 三賞力士
殊勲賞
西前頭五枚目 貴景勝(佐藤 貴信) (9勝6敗) 貴乃花部屋 平成8年8月5日生(21歳) 兵庫県芦屋市出身 平成26年9月初土俵
敢闘賞
東前頭三枚目 阿武咲(打越 奎也) (10勝5敗) 阿武松部屋 平成8年7月4日生(21歳) 青森県北津軽郡中泊町出身 平成25年1月初土俵
敢闘賞
東前頭十六枚目 朝乃山(石橋 広暉)(10勝5敗) 高砂部屋 平成6年3月1日生(23歳) 富山県富山市出身 平成28年3月初土俵
技能賞
西関脇 嘉風(大西 雅継)(8勝7敗) 尾車部屋 昭和57年3月19日生(35歳) 大分県佐伯市出身 平成16年1月初土俵
(日本相撲協会)
ウェブニュースより
大相撲 秋場所14日目の取組速報 ―― 豪栄道が3敗守る 日馬富士は10勝目
大相撲秋場所14日目の23日、3敗の豪栄道が貴ノ岩を降して3連敗を免れ、4敗の日馬富士は御嶽海を退けた。4敗だった新入幕・朝乃山が阿武咲に敗れたため、優勝争いは2人に絞られた。千秋楽の結びで豪栄道が日馬富士を破れば昨年秋場所以来、6場所ぶり2回目の優勝が決まり、敗れると優勝決定戦に持ち越される。日馬富士は本割と決定戦で連勝すれば、7場所ぶり9回目の優勝となる。
●御嶽海-日馬富士○
立ち合い、日馬富士は両前まわしをとって少し間を置く。その後、引き寄せて一気に前へ。寄り切って日馬富士が御嶽海を降す。御嶽海7勝7敗、日馬富士10勝4敗
●貴ノ岩-豪栄道○
立ち合い、手つき不十分で二度不成立となり三度目で立つ。豪栄道が一度引く動きをみせたが思い直して攻める。押し合いの中、貴ノ岩のいなしをしのいで前に出る豪栄道。最後は土俵際、崩れながらも右を差しつつ左で相手右脚をつかんでもたれ込んだ。決まり手は渡し込み。豪栄道が貴ノ岩との激闘を制した。貴ノ岩8勝6敗、豪栄道11勝3敗
○荒鷲- 嘉風●
立ち合いは二度合わず、三度目で。土俵際で荒鷲が小手投げ、嘉風もこらえて両者倒れ込む形に。軍配は荒鷲に上がるも物言いが付き、協議の結果、同体の判定に。取り直しの一番、荒鷲が立ち合いから思い切りぶつかる。圧力をかけて前に出ると引き落として嘉風を降した。荒鷲9勝5敗、嘉風8勝6敗
●貴景勝- 栃煌山○
栃煌山が貴景勝の当たりを下からあてがってしのぐと引きに乗じて一気に前に。押し出しで栃煌山の勝ち。貴景勝8勝6敗、栃煌山6勝8敗
○玉鷲- 正代●
玉鷲はのど輪で押す。正代にいなされるもしのいだ玉鷲。逆にいなして突き落とし、正代を降した。玉鷲7勝7敗、正代6勝8敗
●大栄翔- 琴奨菊○
立ち合い、琴奨菊が踏み込んで前に出ると引く大栄翔。琴奨菊は引きに乗じて体を寄せると腹をぶつけながら押し出した。琴奨菊の勝ち。大栄翔8勝6敗、琴奨菊9勝5敗
○栃ノ心- 石浦●
立ち合い変化した石浦、栃ノ心は崩れながらも残る。栃ノ心は組んで頭越しに上手をとると豪快に石浦を投げ飛ばした。決まり手は波離間投げ。栃ノ心4勝10敗、石浦3勝11敗
○北勝富士- 碧山●
立ち合い、北勝富士が踏み込んで前に。碧山の引きに乗じてそのまま押し出した。北勝富士6勝8敗、碧山2勝5敗7休
○遠藤- 千代大龍●
千代大龍が左のかち上げから引く。遠藤がこらえて引き返すと千代大龍は前のめりになり、崩れ落ちた。遠藤9勝5敗、千代大龍8勝6敗
○阿武咲- 朝乃山●
阿武咲は左おっつけ、右のど輪で前に。阿武咲が一方的な相撲で朝乃山を退けた。阿武咲9勝5敗、朝乃山9勝5敗
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○松鳳山- 千代丸●
松鳳山が右からの下手投げで千代丸を降す。松鳳山は勝ち越しを決めた。松鳳山8勝6敗、千代丸8勝6敗
○佐田の海- 輝●
佐田の海が輝の激しい突っ張りをはねのける。佐田の海は土俵際に追い込まれるもいなして体を入れ替えて寄り切る。佐田の海の勝ち。佐田の海2勝7敗5休、輝4勝10敗
○逸ノ城- 錦木●
逸ノ城が左で張って右差し。逸ノ城は右四つから錦木に何もさせず、寄り切った。逸ノ城7勝7敗、錦木5勝9敗
○大翔丸- 勢●
勢は踏み込んで前に出たが大翔丸に受け止められると引いてしまう。右まわしをとりにいった勢に対し、土俵際で大翔丸が下がって突き落とし。大翔丸が勢を降す。大翔丸9勝5敗、勢6勝8敗
○千代の国- 魁聖●
千代の国がのど輪まじりの激しい突っ張りで攻める。魁聖も圧力をかけたが最後は力尽きた。突き落としで千代の国が勝ち越しを決める。千代の国8勝6敗、魁聖8勝6敗
●豊山- 宝富士○
豊山はぶつかった後に足が出ず。引き落としで宝富士の勝ち。豊山4勝10敗、宝富士9勝5敗
○千代翔馬- 徳勝龍●
千代翔馬が右で張って左差し。徳勝龍が前に出るも千代翔馬が回り込んで突き落とし。徳勝龍を降した。千代翔馬7勝7敗、徳勝龍3勝11敗
○隠岐の海- 豪風●
立ち合い、豪風が左に変化。ついていった隠岐の海は冷静にさばいてはたき込む。隠岐の海の勝ち。隠岐の海7勝7敗、豪風6勝8敗 (毎日新聞 2017-09-23)
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