大相撲秋場所は3日目にして、宇良・高安が休場、ただ一人の日馬富士に土、大関豪栄道・照ノ富士もまだ本調子ではないようです。まあ、体も一回り大きくなった千代大龍、若手の貴景勝・阿武咲らの活躍を期待します。
ウェブニュースより
日馬富士に土!全勝は初金星の琴奨菊ら平幕6人の大波乱/秋場所 ―― 大相撲秋場所3日目(12日、東京・両国国技館)横綱としてただ一人出場している日馬富士(33)が平幕琴奨菊(33)に寄り切られ、土がついた。
かど番大関の2人は豪栄道(31)が関脇嘉風(35)をはたき込み2勝目、照ノ富士(25)は平幕栃ノ心(29)を寄り切り、初白星を挙げた。右太ももを痛めた大関高安(27)と右膝負傷の平幕宇良(25)はこの日から休場した。全勝は初金星を挙げた琴奨菊、大栄翔(23)、貴ノ岩(27)、貴景勝(21)、千代大龍(28)、阿武咲(21)の平幕6人となった。
https://www.youtube.com/watch?v=yeGLhzM4u8s
3横綱が初日から休場するのは昭和以降初という異常事態で迎えた今場所。まだ始まったばかりにもかかわらず、初優勝が期待された高安と小兵の業師で人気のある宇良までも休場に追い込まれた。出場した上位陣も序盤で土がつく波乱の展開の中、日馬富士は立ち合いでふわっと立ち、そのまま琴奨菊に寄り切られた。日馬富士は待ったをアピールしたが、取組は成立した。
https://www.youtube.com/watch?v=sBVJo3aJC6c
3横綱1大関の休場は1999年春場所以来18年ぶり。看板倒れの今場所は、混迷の様相を呈してきた。 (SANSPO.COM 2017.9.12 18:01)
小兵力士の石浦・宇良ともに敗れました。石浦は大栄翔にはたき込まれ、宇良は貴景勝に突き倒さ れてしまいました。宇良は右膝を痛めたようで、3日目からの出場が危ぶまれています。
https://www.youtube.com/watch?v=o_RotTtFptk
https://www.youtube.com/watch?v=Gz1eDNdar1c
ウェブニュースより
休場ピンチ…高安と宇良が右足を負傷し車いすで退場する緊急事態 ―― ◆大相撲秋場所2日目(11日・両国国技館)
3横綱が休場した秋場所2日目でさらなる衝撃のシーンが展開された。東大関・高安(27)=田子ノ浦=と西前頭4枚目・宇良(25)=木瀬=が右足を負傷し、次々と車いすで退場した。
宇良は、西前頭5枚目・貴景勝(21)=貴乃花=に突き倒された際に右膝を負傷。取組後も動けず車いすで支度部屋へ。運ばれている最中、「ずれた。うわー、終わったなコレ」と話した。
高安は東小結・玉鷲(32)=片男波=に押し出され、右足を痛めた。花道を歩いて下がろうとしたが、途中から用意された車いすで下がった。また、高安を破った玉鷲も右の足首を負傷した様子で、荒れる土俵となった。 (2017年9月11日18時52分 スポーツ報知)
国技館に暗雲 宇良、玉鷲、高安と人気力士が相次いでケガ ―― ◇大相撲秋場所2日日(2017年9月11日 両国国技館)
宇良、玉鷲、高安と人気力士にケガ人が続出し、国技館に暗雲が漂った。
貴景勝に敗れた宇良は、踏ん張った際に右膝を痛め土俵下で苦悶の表情。車椅子で診療所に向かう途中で「わー、終わったな、これ」とつぶやいた。それでも診療所を出るときには自力で歩き、車に乗り込んだ。
さらに玉鷲が高安を破った一番では、双方が右足を痛めた。玉鷲は歩いて引き揚げて周囲をほっとさせたが、高安は車椅子で診療所へ。それでも宇良と同様、帰りは自力で車に乗り、気丈に「たいしたことない」と話した。
初日から3横綱など幕内は5人が休場している秋場所。3日目以降さらに休場者が出る可能性もでてきた。 (スポーツニッポン9月11日(月)20時8分)
https://www.youtube.com/watch?v=BypEl9XtEUA
昨日は午前中MN氏が来訪してくれて、どうやらワードは復元しました。しかし、メールのアドレス帳が消えてしまったので、返信メールでしか送信できなくなりました。
昨日から大相撲秋場所が始まりました。小兵力士の石浦、宇良ともに勝ちました。次の動画でご覧になれます。石浦の相撲がご覧になれます。
https://www.youtube.com/watch?v=qzCs-ol6vx8
ウェブニュースより
宇良瞬時判断で白星とったり「紙一重の勝負だった」 ―― <大相撲秋場所>◇初日◇10日◇東京・両国国技館
西前頭4枚目の宇良(25=木瀬)が、巧みな取り口で白星発進した。
東前頭5枚目の正代(25=時津風)に低く当たる。潜り込めずに下がるものの、体が瞬時に反応。左腕をつかんで、土俵際でとったりを決めた。「紙一重の勝負だったと思います。初日なので、勝てたのはすごくうれしい」と素直に喜んだ。
名古屋場所10日目の高安戦で右膝を負傷して、そこから5連敗で負け越し。夏巡業も2日目から休場した。その間、満足な稽古はできなかった。ただ「稽古が思う存分できなかったけど、置かれた環境の中でやるべきことはやってきた」。今場所は出場も危ぶまれていたが、強い気持ちを持ってなんとか間に合わせた。それだけに「自信を持って場所に臨みたい」と誓った。 [日刊スポーツ2017年9月10日20時36分]
https://www.youtube.com/watch?v=PU5uVis9e08
本日より大相撲秋場所が始まります。3横綱の休業が報じられていますが、宇良・石浦などの小兵力士の活躍で盛り上げてもらいたいものです。
ウェブニュースより
小兵の価値、「技のデパート」が磨いた 系譜は今も脈々 ―― ■土俵 時を超えて
2カ月前の名古屋場所、初金星を挙げた25歳の宇良が万雷の拍手を浴びた。力士の大型化が進む土俵で、小柄な力士の活躍は映える。「技のデパート」と呼ばれた小兵の第一人者、舞の海秀平さん(49)が幕内デビューしたのは1991年秋場所だった。
当時平均体重が150キロ台だった幕内で、新入幕の舞の海さんは最も軽い90キロ余。軽やかな動きから内無双、足取り、切り返しとさまざまな技を繰り出し、8勝を挙げた。いきなり技能賞を獲得。ファンに強烈な印象を残した。
青森県鰺ケ沢町の出身。23歳で角界入りする際、新弟子検査で身長が基準に届かず頭にシリコーンを入れてかさまししたエピソードは有名だ。日大時代に全日本選手権でベスト32に入ったことがあるが、「ひと場所でも十両を経験できればいいな」と思っていた。
それが、一度も負け越しを経験しないまま所要8場所で入幕。そこから3年の間に技能賞を5度まで積み上げ、94年秋場所には自己最高位となる小結昇進を果たす。
幕内在位36場所で計241勝。うち、「押し出し」が3番しかない。決まり手は33手に上った。猫だまし、八艘(はっそう)飛びといった立ち合いの奇襲も白星に結びつけた。「小さい人でも工夫をすれば大きい人に勝てる。見ている人がそう感じてくれたなら、相撲を取ってきた意味がありますね」。誇らしげに語る一方で、自身の相撲に手応えを感じたことは一度もなかったと言う。
「相手を組み止めて、力でねじ伏せることはできない。相手を見て、そのバランスを崩して、勝ちを拾っていく相撲ですから」。そうした取り口は、一歩間違えれば大けがにつながる。「毎日が綱渡り。毎日、不安でした」。通算7勝5敗と勝ち越した巨漢・小錦との対戦はファンを魅了したが、一方で、引退の引き金となる左ひざのけがも小錦との一番で負った。96年名古屋場所、下敷きになり、靱帯(じんたい)を損傷。現役生活はわずか9年半、31歳で幕を閉じた。
いま、42人いる幕内力士の平均体重は163.5キロ。この30年間で20キロ近く重くなっている。小兵がますます生きづらい時代になっていくのだろうか。
「そんなことはない」と舞の海さんは言う。
入門から20キロ以上増えた宇良は、それでも135キロ。幕内3場所を経験し、勝ち負けに関係なく会場を沸かせられる力士になりつつある。立ち合いで相手の足をつかみにいったり、土俵際にわざと下がってから勢いをつけて突っ込んでみたり。完全な劣勢から、柔らかな身のこなしで勝負をひっくり返す相撲も少なくない。
関学大時代にプロレスのバックドロップのような「居反り」を決めたことで大相撲でも技が注目されがちだが、舞の海さんは「最後の最後まで、どうなるか分からない相撲を取るのが宇良の魅力。そういう相撲を続ければ、きっとみんな引き込まれる」と語る。総合格闘技の選手を目指したこともある石浦は120キロ、十両まで番付を上げてきている22歳の照強は115キロ。どちらも抜群の身体能力を誇る。
「大きい人と戦ってこそ、小兵の価値は上がる。輝けるんですから」。舞の海さんが歩んだ系譜は、途絶えそうにない。 (朝日新聞DIGITAL 2017年9月9日09時48分)
本居宣長は『玉勝間』のなかで、今の『万葉集』には誤字が沢山ある、近来『万葉集』の研究雨に従事する学者が増え、誤字もかなり改正されてはきたが、まだまだ不十分である、誤字の箇所がはっきりしない間は読み方も完全に決まらない、誤字を誤字のまま強いて忠実に読みだそうとすれば、かえって無理を犯すことになるから注意しなければならない、と述べています。
本文の誤りは由緒正しい伝本について訂正するのが正道です。たとえ原本は失われてしまっていても、現存する古写本を精密に比較対校すれば、本文の再建は相当のところまで可能となります。
『万葉集』についても、一字一字が諸本の間でどのような相違を呈しているかをまず調査しなければなりませんでした。大正十三年七月、佐々木信綱・橋本進吉・千田憲・武田祐吉・久松潜一の五氏により、幾多の困難を克服して完成された『校本万葉集』は、以後の万葉研究を推進する画期的な基礎を築いたのです。
「木(こ)の暮闇(くれやみ)」と解されている万葉語があります。原文の表記は「許能久礼罷」とあります。
…… 許能久礼罷 卯月し立てば 夜籠りに
鳴く時鳥 …… 万葉集巻一九 4166
『全註釈』に「罷は訓仮字。闇の意。闇のミは乙類のはずであるのに、罷のミは甲類とみられる。またこのような訓仮字を使うのは本巻には例もないことで、おかしなことである」と言うように、「罷」をヤミと読んで「闇」の意に解することは決定的に困難なのであります。本居宣長は「罷は能の誤にて、コノクレノならん」と推定し、「木の暮の」と解しました。
古写本に「罷」を「能」と書いているものが伝わっているのかどうかは『校本万葉集』には校異が示されていません。
『西本願寺本万葉集』(鎌倉時代末写)の複製本には、本文はたしかに「罷」でありますが、上欄に小さく「能ィ」と書いてあります。「能」と書いた一本も存在するという古人の注記が『校本』では見落とされていたことになります。「むげに聞こえぬ所々などは、大かた誤字にぞ有りける」(玉勝間)と言い切った宣長ならではの眼力ではありませんか。
漢字の羅列で歌を表記した『万葉集』は、平安時代に入ると早くも読めない歌集となります。
『古今集』に次ぐ勅撰集として『後撰集』の編纂を志した村上天皇は、天暦五(951)年、宮中の梨壺に和歌所を置き五人の識者に『万葉集』の解読を行わせます。
五人は苦心の結果、約四千首の歌の読み方をつけたといいますから、全体の9割近くをとにかく読んで見せたことになります。五人の中でも、特に源順(みなもとのしたごう)は当代屈指の学者であり歌人でもありました。読めない字の多さに困り切って、石山の観音に参詣します。
帰路、大津の浦で背に荷物を積んだ馬に出会います。馬を引いていた馬子が馬荷を直しながら「までより(両手で)」と言います。その言葉を耳にした順は、かねて読みわずらっていた『万葉集』の「左右」という文字をマデと読むことに気づきます。
幾代(いくよ)左右にか(巻一・0034)
千代(ちよ)二手に(巻一・0079)
舟泊(は)つる左右手(巻七・1189)
すべなき諸手に(巻一〇・1997)
部はいずれも助詞のマデです。
などと書かれた「左右」「二手」「左右手」「諸手」などの字が、助詞「まて」の表記であることを発見したのです。
「左右」「二手」「左右手」「諸手」などの「まで」の語は、「かたて(片手)」の反対で両手を意味します。大きな船には両舷に櫓・櫂をつけ、これを「まかぢ」と言いました。
巻一三(3280)には女性のいじらしい長歌があります。
吾が背子は 待てど来まさず …… さな葛 後も逢はむと
慰むる 心を持ちて
三袖(みそで)もち 床うち掃ひ ……
万葉集巻一三 3280
一体、自分の衣の袖に「み袖」と敬語をつける言い方は腑に落ちません。「三袖」の「三」は「二」の誤字で「二袖(まそで)」だったのではないと推測します。
自分の袖に景勝の接頭語を冠して「御袖(みそで)」というようなことはあり得ません。「わが背子は まてど来ませず…… 三袖(みそで)もち 床うち掃ひ」『万葉集』3280の「三袖」は、接頭語の用法に抵触します。
「ミソデのミは接頭語、意味はない」とか、「ここでは慣用として自分の袖に言っている」とか苦しい説明が試みられてきましたが、「三」を「二」の誤字と考え、「二袖(まそで)」と読むならば疑問は一応氷解されます。「ま袖もち床うち払ひ」という句を使って詠んだ次の歌が参考になります。
ま袖もち 床うち払ひ 君待つと
居りし間に つき傾(かたぶ)きぬ
万葉集巻一一 2667
『万葉集』の原典さえ伝わっていれ問題は即座に解決するところでしょうが、原点は湮滅し、平安時代中期以降の転写本しか残っていないため、本文の文字面を知ることの不可能な箇所が少なからずあります。これも『万葉集』の解読を妨げている根本的な支障の一つに数えられているそうです。
ニュースより
将棋の最多連勝記録を30年ぶりに更新した中学生棋士の藤井聡太四段が、3日、NHK杯のトーナメント戦で、永世名人の資格を持つトップ棋士の森内俊之九段と対局し、積極的に攻め続けて快勝しました。
藤井聡太四段(15)は去年10月に史上最年少でプロ棋士になったあと、ことし7月の対局で敗れるまで公式戦で29連勝し、将棋の最多連勝記録を30年ぶりに更新しました。
藤井四段は、3日、東京・渋谷のNHK放送センターで行われたNHK杯のトーナメント2回戦で、これまでタイトルを通算で12期獲得し永世名人の資格を持つ森内俊之九段(46)との対局に臨みました。
NHK杯では通常、事前に収録した対局を放送していますが、今回は対局への関心の高さから生放送となりました。
対局前、藤井四段は「生放送で注目される舞台なので全力を出し切りたいと思います」、森内九段は「長いプロ棋士生活の経験を生かした戦い方をしたいです」とそれぞれ意気込みを語り、午前10時すぎに対局が始まりました。
対局は持ち時間の短い「早指し」で、藤井四段が積極的に攻める展開となりました。
そして午前11時20分ごろ、森内九段が94手までで投了して藤井四段がトップ棋士を相手に快勝しました。
藤井四段はNHK杯で、次は、ことし名人戦に挑んだトップ棋士の稲葉陽八段(29)とベスト8入りをかけて対局します。
対局のあと、藤井四段は、「永世名人資格者の森内先生と対戦できて本当にうれしかったです。次もトップ棋士の先生が相手なので、精いっぱい全力を尽くしたいです」と話していました。
森内九段は、「全体的にうまく指されてしまいました。藤井四段は、落ち着いた自然な指し手で、予想しない手もいくつかあり、感心しました」と話していました。 (NHK WEB 9月3日 12時17分)
将棋、藤井四段が森内九段破る NHK杯、異例の生放送 ―― 将棋界最多の29連勝を達成した最年少プロ、藤井聡太四段(15)は3日、東京都内で指されたNHK杯トーナメント2回戦で永世名人の資格を持つ森内俊之九段(46)を破った。公式戦の通算成績は39勝5敗。
森内九段はこれまでに名人8期など、タイトルを通算12期獲得したトップ棋士。社会現象にもなった中学生プロが、あらためて実力を示した。
NHK杯は通常、対局を事前に収録して放送しているが、今回は関心の高さを考慮して異例の生放送となった。
次回は7日、新人王戦でベスト4入りを懸け、佐々木大地四段(22)と対戦する。 (中日新聞 2017年9月3日 12時15分)
大相撲秋場所の番付発表 白鵬は東の横綱に ―― 来月10日に初日を迎える大相撲秋場所の番付が発表され、3場所連続40回目の優勝を目指す横綱・白鵬は東の横綱に座りました。
白鵬は先場所、魁皇が持っていた1047勝の通算勝ち星の記録を塗り替えて記録を1050勝まで伸ばしました。また、みずからの最多優勝記録を更新する2場所連続39回目の優勝を果たし、横綱在位が10年を越えても実力が群を抜いていることを印象づけました。白鵬は今場所も東の横綱に座り、前人未到の40回目の優勝を目指します。
また、三役では、先場所、小結で9勝をあげた嘉風が9場所ぶりに西の関脇に返り咲きました。35歳5か月の嘉風は、昭和以降に生まれた力士としては歴代最高齢での関脇です。
新入幕は、先場所、西の十両5枚目で11勝をあげた高砂部屋の朝乃山、1人です。富山県出身の幕内力士は、平成7年の初場所まで幕内を務めた元関脇・琴ヶ梅以来、22年ぶりです。
一方、先場所7勝8敗と負け越した大関・豪栄道は6回目の角番、先場所途中で休場した大関・照ノ富士は5回目の角番で秋場所を迎えます。
大相撲秋場所は来月10日に東京・両国の国技館で初日を迎えます。 (NHK NEWS WEB 8月28日 6時30分)
ウェブニュースより
藤井四段連敗も今日10時~森内九段とEテレ生中継 ―― 将棋の史上最年少プロ、藤井聡太四段(15)が初の公式戦連敗を喫した。2日、東京・千駄ケ谷の東京将棋会館で行われた第7期加古川青流戦準々決勝で、前期優勝の井出隼平四段(26)に131手の激戦の末に敗れた。8月24日の棋王戦挑戦者決定トーナメントの豊島将之九段(27)戦に続いての黒星。これで通算38勝5敗となった。すべて後手番での敗戦だった。
対局開始から約3時間後、藤井がガックリとうなだれた。グラスのお茶を一杯飲む。相手の最後の1手を見てから40秒後、覚悟を決めて「負けました」と投了した。
互いに1時間の持ち時間を使い切り、64手目から1手1分未満で指す「1分将棋」。藤井は先に仕掛けたが攻めきれず、反撃を許した。「中盤うまくかわされた。秒読みの中で対応を間違えた」と唇をかんだ。公式戦初の連敗にも「対局を重ねれば、当然起こること。すべて自分の実力です」。現実を受け止めた。
今日3日は、第67回NHK杯2回戦で森内俊之九段(46)と対局する。藤井の活躍を受け、NHKでは午前10時からEテレで対局を生放送。第57回決勝以来、約10年ぶりの対応を取った。全国のファンが見守る中、名人8期、竜王2期などを保持した第一人者を相手に、中学生棋士が初連敗からの再スタートを切る。
◆藤井の今後予定
◇3日 NHK杯トーナメント2回戦=森内俊之九段(午前10時からEテレで生放送)
◇7日 新人王戦準々決勝=佐々木大地四段(東京将棋会館)
◇14日 順位戦C級2組4回戦佐藤慎一五段(東京将棋会館)
[日刊スポーツ 2017年9月3日5時1分]
https://www.youtube.com/watch?v=-s-QZk7LyY8
平仮名・片仮名の成立以前、漢字の実を借りて表記された『万葉集』は、現在に至ってもなお読み方の安定していない歌集なのです。読み方が違えば無論歌の姿も変わって来るし、意味もかわってしまうこともあります。
万葉集を編集しなおしたと言われる「類聚古集」に、 物皆者新吉唯人者舊之應宜(巻一〇・1885) と原文はたったの12字の歌があります。
万葉学者はこの12字を、首尾一貫した短歌に復元しなければなりません。
① 物皆者 新吉 唯人者 舊之 應宜
物皆は 新(あらた)しき吉(よ)し ただ人は
舊(ふ)りぬるのみし 宜しかるべし
② 物皆者 新吉 唯 人者舊之 應宜
物皆は 新(あらた)しき吉し ただしくも
人は舊りにし 宜しかるべし
③ 物皆者 新吉 唯 人者舊之 應宜
物皆は 新(あらた)まる吉し ただしくも
人は舊りゆく 宜しかるべし
①は、従来の読み方です。
②は、第3句は「唯」一字だけとし、「ただしくも」という万葉語で読んだ形です。
③は、②の区切り方を踏襲しながら、「新」をアラタマル、「之」をユクと動詞化して読んだものです。
原文 玉桙 路徃占 占相 妹逢 我謂
訓読 玉桙(たまほこ)の 道行き占(うら)に 占なへば
妹(いも)に逢(あ)はむと 我れに告(の)りつる
万葉集巻一一 2507
原文は僅か11字が並んでいるにすぎません。原文の「占相」を「うらなふ」という動詞で読めばこういう歌になります。しかし、「相」の字は占の正(まさ)しいことを意味する文字として、マサとも読むことが可能なのだと言います。「相」がマサならば「占相」はウラマサニと読みうるし、歌自体も
玉鉾の 道行き占の 占相(うらまさ)に 妹は逢はむと 我に告りつる
というような形に変貌してしまいます。なお、この歌の直前には次の一首が位置しています。
原文 事霊 八十衢 夕占問 占正謂 妹相依
訓読 言霊(ことだま)の 八十の巷に 夕占(ゆふけ)問ふ
占正(うらまさ)に告(の)る 妹は相寄らむ
万葉集巻一一 2506
『万葉集』の山上憶良の「貧窮問答歌」に
原文 ……父母波 枕乃可多尓 妻子等母波 足乃方尓
囲居而 憂吟 可麻度柔播 火気布伎多弖受
許之伎尓波 久毛能須可伎弖 飯炊 事毛和須礼提……
訓読 ……父母は 枕の方に 妻子どもは 足(あと)の方に
囲み居て 憂へ吟(さまよ)ひ 竈には 火気(けぶり)吹き立てず
甑(こしき)には 蜘蛛の巣かきて 飯(いひ)炊(かし)く ことも忘れて……
山上憶良 万葉集巻五 892
とあり、「火気」を「けぶり」と読むことになっています。
「火気」と書いた字面が『万葉集』にはこの他にも3例みえます。いずれもケブリ(煙)と訓読されるのが通例になっているようです。
これらの「火気」はいずれも「けぶり」と訓読されています。
どうやら、「火気」をケブリと読むことに疑いを挟む余地はなさそうです。
「火気」の2字をケブリと読み解する通説は、「火気」を熟合した漢語としてとらえる立場に拠るものです。その限りにおいてケブリと読むことに何ら差し障りはありません。しかし、「火気」を熟字として考えない立場をとった場合はどうなるのでしょう。「火」と「気」をそれぞれ訓仮名とみなして、ホケあるいはホノケ(ノは補読)と読むことはできないでしょうか。ホケは現在も方言に湯気・煙などの意で生存している語です。江戸時代では西鶴の「大矢数(おおやかず)」に使われています。
雲の通い路はなつ鉄砲
ほけが立ついつもながらの雁の声
蓋を取ったるあけぼのの秋 (西鶴大矢数より)
ホケは今のところ「日葡辞書」以前の例がみられませんが、さらに古い例がいずれは見出されることでしょう。
ホノケの方は古代の神楽歌に使用された明証があります。
「伊勢志摩の海人 (あま) の刀禰 (とね) らが焚く火気」〈神楽・湯立歌〉
『万葉集』の「火気」がホノケ・ホケでなかったとはにわかに断言は出来ません。漢字ばかりで表記されている『万葉集』の歌を何とかして和語で読み解こうとすれば、ああも読める、こうも読めるのではないかという疑問が際限もなく湧いてくるのであります。
sechin@nethome.ne.jp です。
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