明6日から、七夕の7日を挟んで、3日間入谷の朝顔市が開催されます。
アサガオ(朝顔、英: Morning glory)は、ヒルガオ科サツマイモ属の一年性植物です。日本で最も発達した園芸植物であり、古典園芸植物のひとつでもあります。中国語で牽牛。日本では「蕣」の漢字も当てられます。
日本への到来は、奈良時代末期に遣唐使がその種子を薬として持ち帰ったものが初めとされます。アサガオの種の芽になる部分には下剤の作用がある成分がたくさん含まれており、漢名では「牽牛子(けんごし)」と呼ばれ、奈良時代、平安時代には薬用植物として扱われていました。なお、遣唐使が初めてその種を持ち帰ったのは、奈良時代末期ではなく、平安時代であるとする説もあります。古く万葉集などで「朝顔」と呼ばれているものは、本種でなく、キキョウあるいはムクゲを指しているのではとされます。
朝顔はケンゴシの花と言う事で別名を牽牛花(けんぎゅうか)とも言われています。牽牛花と言いますのは、七夕の牽牛・淑女の、牽牛の花と書くので、朝顔市は七夕の前後の三日間、開催されるようになりました。
朝顔まつり(朝顔市)は毎年七月の六日から八日までの三日間開催します。この朝顔市と言いますのは、入谷鬼子母神を中心として、言問通りに百二十軒の朝顔業者と百軒の露店(縁日)が並び、毎年40万人の人出で賑わいます。
この入谷の朝顔が有名になったのは江戸末期の文化・文政の頃です。最初は御徒町の下級武士、御徒目付の間で盛んに栽培されておりましたものが、御徒町の発展と江戸幕府の崩壊に伴いまして、入谷に居りました十数件の植木屋が造るようになります。そしてその出来栄えが大変素晴らしかったので、明治中期になりますと、往来止めをしたり、木戸銭を取って見せるほど有名になります。なぜ入谷の朝顔がこんなに盛んになったのかと言いますと、入谷田圃の土が朝顔造りに適していたこともありますけれども、当時流行しました朝顔と言いますのは「変わり咲き」です。この「変わり咲き」と言いますのは朝顔の花が、桔梗の花のように咲いたり、牡丹の花のように咲いたり、二重に咲いたりして、花粉の交配によって色々な花を咲かせる事ができたので、最盛期には一千種類もの朝顔があり、変化にとんだ花を咲かせ楽しませてくれてたのであります。
もちろん現在のような丸い朝顔も江戸末期には大輪咲き朝顔とし盛んに栽培されておりましたが、変化咲き朝顔の不思議な美しさが江戸の人々にブームを巻き起こします。当時の模様を下谷繁盛記(大正三年明治教育社発行)によって観ますと、「入谷の朝顔の全盛を極めたりしは、明治二十四・五年頃にして、其の頃は、朝顔を造る植木屋十数件を数え、入谷の通りは、毎朝、往来止めとなる程なりし也。殊に、当時は、周囲一面の蓮田を廻らしたれば、涼しき朝風に吹かれ乍ら、朝顔を見又蓮の花を見るを得たり敷かば、観客頗る多く、非常の盛況を呈したり。」と記載されております。
また、明治二十年七月五日発行の朝野新聞には、「府下にて朝顔の名所といえば誰も入谷たることを知る位なるが、同商も追々欧州植物培養の方法に倣い近年は頗る進歩し、昨年の出来に比較すれば、本年は余程の上出来にて、来る十五日より縦覧さする由なるが、本年は品数も数百種の多きに及び、頗る見事なるべしといえば、朝寝坊先生は早起きして此の美花を観玉へ。」とあるぐらい有名に成ります。
ところが、このように大変盛んに造られておりました入谷の朝顔も、世情が怪しくなって来ました大正二年意地づくで踏み留まっていた植松(植木屋)の廃業を最後に、とうとう入谷の地から姿を消してしまいます。それに伴い変化朝顔もいつしか人々から忘れられて現在のような円形の朝顔えとその主流は変わって行きます。そしてそれから三十五年立ちました昭和二十三年、戦後のすさんだこの世の中を少しでも明るくしようと言うことで、地元有志の方と下谷観光連盟(昭和25年)の協力を得て、江戸情緒豊かな夏の風物詩、入谷の朝顔市が復活したのであります。
ゴボウ(牛蒡または牛旁、悪実)は、キク科の多年草で、ユーラシア大陸原産です。大阪弁では「ごんぼ」と呼びます。水はけの良い土地を好みます。ゴボウの野生種はヨーロッパとアジアに広く分布していますが、 食用に利用しているのは日本と台湾だけです。植物は長い年月の間に分化して様々な品種ができるものですが、 ゴボウは日本に渡来してから長い栽培の歴史にもかかわらず品種が多くありません。
原産地は中国東北部からシベリア、北欧にかけての広い範囲が原産地と言われています。日本には野生種は自生していません。中国から渡来したと考えられます。そうとう昔に渡来したらしく、縄文初期の貝塚からもゴボウの種が発見されたという話です。
古くはキタキス、またはウマフフキという名で呼ばれていました。西暦900年ごろ中国から牛蒡という名で“再び”紹介され、この後200年の間に食用として広まってアザミ(当時、根や葉が食用にされていた)に取って代わりました。
“和名抄”(倭名類聚抄923~930年)に面白い記述があります。 「牛蒡。本草に言う悪実(アクジツ)は一名牛蒡。和名、岐太岐須(キタキス)。一に言う宇末不々木(ウマフフキ)。今案ずるに俗に房となすは非也」 (ゴボウ。薬草の悪実はゴボウの事。和名はキタキス。ウマフフキとも言う。牛房と書くのは間違い。)
悪実はゴボウの種子で、解毒、浮腫、咽頭痛の薬です。つまり、「中国でゴボウと呼ばれるものは日本のキタキス、ウマフフキである」と言う記述です。
この時代に書かれた延喜式の内膳司(927年)の「耕種園圃」にある朝廷の菜園の栽培リストにはアザミはありますがゴボウはありません。その後、類聚雑要抄(1146年)には、 ゴボウが朝廷の献立に用いられた記録があります。だからこの間の約200年間に食用として定着したと考えられるのです。
寛永20年(1643年)に刊行された、我が国初の実用レシピ集である『料理物語』には、牛蒡の調理法として、「汁。あへもの。に物。もち。かうの物。茶ぐはし。其外いろゝ。」とあります。汁物、和え物、煮物、香の物は現在も一般的な調理法ですが、餅や茶菓子としても食べられていたとは驚きです。
建部清庵(たてべ せいあん、1712~1782年、江戸時代中期の医者。陸奥国一関の地から杉田玄白と書簡を交わし、蘭学の発展に協力しました。)が著した『備考草木図』には、山野に自生する牛蒡は根だけでなく、葉も茹でて食べるとよいとされています。
きんぴらとは、牛蒡・蓮根などをせん切りにした材料を植物油で炒め、砂糖・醤油で煮て、唐辛子で辛味をきかせた料理のことです。
きんぴらの語源は、江戸の和泉太夫が語り始めた古浄瑠璃のひとつ『金平浄瑠璃』の主人公「坂田金平(さかたのきんぴら)」の名に由来します。坂田金平は坂田金時(金太郎のこと)の息子という設定で、非常に強くて勇ましい武勇談として語られていました。ゴボウの歯ごたえや精がつくところ、また唐辛子の強い辛さが坂田金平の強さに通じることから、「きんぴらごぼう」という料理の名が生まれ、きんぴらごぼうと同じ作り方で、レンコンやニンジン、大根の皮・ヤーコンなどを材料にした料理も「きんぴら」と呼ばれるようになったといいます。坂田金平を演じる役者の髪型が刻んだゴボウに似ていたことから、「きんぴらごぼう」になったとも言われるが、「きんぴら」の付く言葉には「金平足袋」や「金平糊」などがあり、それらは「強さ」を表していることから、「きんぴらごぼう」だけが髪型に由来するとは考え難いのです。
「笹掻き」と書くように、笹の葉の形に似ているところからこう呼ばれます。細長い野菜、主にごぼうやにんじんに使います。野菜を回しながら、包丁で削るように薄く切っていきます。
開いたドジョウと笹掻きにしたゴボウを味醂と醤油の割下で煮て鶏卵で綴じます。バリエーションとして、一緒にネギやミツバを用いる場合もあります。肉類などを柳川と同じように、笹掻きゴボウと共に甘辛く煮て卵で閉じたものを「○○の柳川」あるいは「柳川風」と呼ぶことがあります。江戸時代にはドジョウもゴボウも精の付く食材とされていたため、柳川鍋は暑中に食べるものとされていました。俳句の世界では「泥鰌」は夏の季語(「泥鰌掘る」は冬の季語)となっています。ドジョウはウナギに劣らない滋養があり、しかも安価である事から、江戸の庶民に好まれていたようです。
太平洋戦争の頃の話。西洋では、ゴボウを食べる習慣がありません。そのため、食事にゴボウを出された米軍捕虜が、戦犯裁判「木の根を食べさせられた。これは捕虜虐待である」と訴え、有罪判決が出されました。こんな話を聞いたことがあるでしょうか。
どうやら、この話は都市伝説の類みたいです。まず、戦後裁判の事例の中に、ごぼうを食べさせたことを虐待として扱うという事例はないようです。
そもそも、西洋にもサルシフィという、西洋ゴボウとも呼ばれる根菜があります。ゴボウとは別の種類になるのですが、見た目は同じようなもので、ゴボウを食材と認識できないということは無いはずです。仮に、ゴボウが食材であるということを知らなかったとしても、料理して出されたのであれば、食材であるということは理解できるはずです。
実際には、戦後裁判で捕虜虐待を扱った事例が多く、その中で生まれた言い訳じみた都市伝説のようです。
ウェブニュースより
藤井聡太四段 30連勝ならず ―― 将棋の最多連勝記録を30年ぶりに更新した中学3年生の藤井聡太四段が、2日、東京で行われた対局で敗れました。藤井四段が公式戦で敗れたのは初めてで、連勝は「29」で止まりました。
藤井聡太四段は、去年10月に史上最年少の14歳2か月でプロ棋士となったあと公式戦で一度もまけることなく勝ち続け、先月26日の対局で連勝記録を「29」に伸ばして、昭和62年に神谷広志八段が達成した28連勝の最多連勝記録を30年ぶりに更新しました。
藤井四段は2日、東京の将棋会館で竜王戦の挑戦者を決める決勝トーナメントの2回戦に臨み、午前10時から佐々木勇気五段(22)と対局しました。対局は佐々木五段の先手でそれぞれ5時間の持ち時間で行われ、序盤から佐々木五段が主導権を握り、藤井四段にとって苦しい展開となりました。
夕食休憩のあと、藤井四段は巻き返しを図って攻勢に出ましたが、佐々木五段の的確な受けによってつながらず、午後9時31分、101手までで藤井四段が投了しました。
今回の対局で藤井四段は指し手に時間を使う場面が多く、持ち時間が3時間以上の対局では初めて、残り時間20分を切るまでに追い込まれました。藤井四段が公式戦で敗れたのは初めてで、デビュー戦から続いてきた連勝記録は「29」で止まりました。
藤井四段「弱点なくせるよう頑張りたい」
藤井聡太四段は対局のあと記者団に対し、「今までどおり自然体で自分の力を出し切ろうと思って臨みました。機敏に動かれてしまって、勝負どころがなく負かされてしまったという感じです」と2日の対局を振り返りました。
そのうえで、デビュー戦からの連勝が止まったことについて「デビュー直後からこれだけ注目していただいて、こうして将棋に注目が集まっているというのは、自分としてはうれしいことだと思っていました。連勝記録はいつか途切れてしまうものなので、その点に関してはしかたないと思っています」と話していました。
そして、「途中苦しかった将棋もかなりあり、ここまで連勝できたのは自分の実力では出来すぎだと思いますので、これから気持ちを入れ替えて指していきたいと思います。自分の読みの甘さを痛感させられたので、弱点をなくせるように頑張りたいと考えています」と今後の抱負を語っていました。
佐々木五段「なんとか勝てた感じ」
藤井四段の連勝を止めた佐々木勇気五段は対局のあと記者団に対し、「できるかぎり努力して臨もうと思っていました」と十分な対策を立てたと説明したうえで、「今回は結果が求められている勝負だと思ったので積極的に勝ちにいく姿勢で臨みました。先手を取れたことが大きかったですが、今回はなんとか勝てたという感じです」と対局を振り返りました。
そして、藤井四段については「これだけ連勝できたのは、連勝記録を塗り替えたいという意気込みより、もっと上の目標や志があるからではないかと思いました。これだけ勝っていてもあまり表情に出さず、『次の対局に向けて』という姿勢は中学生にはできないすごい姿勢だと思いました」と高く評価していました。
加藤一二三 九段「感動を与える棋譜を紡いで」
藤井聡太四段の公式戦初戦の対戦相手となった加藤一二三九段は、「30連勝という初の連勝記録大台達成は惜しくも実現なりませんでしたが、藤井四段の実力は中学生にしてすでに本物です。14歳にして常に沈着冷静、強じんな精神力を備える藤井四段ではありますが、他方でプレッシャーも無意識下には感じていたはずです。ここからまた新たな目標の達成に向けて今後はさらに伸びやかに、しなやかに、研鑽(けんさん)を重ねていただけたらと考えております。長い棋士人生は今ここに始まったばかりです。この先の勝ち星も敗戦もそのすべてをご自身の力にかえて、人々のこころに感動を与える棋譜を数多く紡いでほしいと願います。偉大な後輩の成長からは今後ますます目が離せません」とコメントしています。
師匠 杉本七段「次の記録に向かって精進を」
藤井聡太四段の師匠、杉本昌隆七段は「竜王戦本戦という大舞台を経験し、ここまで将棋界を盛り上げてくれたことに関し、師匠として、一人の棋士として『ありがとう』と言いたい気持ちです。連勝は止まりましたが、14歳の藤井四段はここからが本番。今までどおりの将棋好きの少年の気持ちを忘れずに。一喜一憂せず、次の記録に向かって精進してください」とコメントしています。
日本将棋連盟会長 佐藤九段「とてつもなく強くなってほしい」
日本将棋連盟会長の佐藤康光九段は「ここまで将棋界の枠を超えた注目が集まる中、14歳という若さで夢を与え続けてくれたことに感謝します。彼の棋士人生はまだ第一歩を踏み出したばかり。とてつもなく強くなってほしいと思います」とコメントしています。
藤井四段の母「経験を糧に目標に向かって進んで」
藤井四段の母親の裕子さんは「勝負なので負けはしかたのないことだと思います。経験を糧にしてこれからも『強くなる』という目標に向かって進んでいってほしいです」と日本将棋連盟を通じてコメントしています。 (NHK NEWS WEB 7月2日 21時33分)
小池系圧勝、自民半減以下の惨敗 都議選 ―― 2日投開票された東京都議選(定数127)の全議席が確定した。小池百合子知事が代表を務める地域政党「都民ファーストの会」が49議席で第1党となり、公明党などを合わせた知事支持勢力で過半数を大きく上回る圧勝となった。自民党は過去最低の38議席を下回る23議席にとどまる歴史的な大敗となった。公明党は7回連続の全員当選を果たした。再登板後、選挙で連戦連勝してきた安倍晋三首相(自民党総裁)の政権運営に打撃となるのは避けられない。
小池知事は記者会見などで「当たり前の都政を都民が取り返す瞬間だ。スピード感をもって都政を展開する」と述べた。 〔日本經濟新聞 2017/7/2 20:00 (2017/7/3 0:34更新)〕
<都議選>自民惨敗、小池系圧勝 安倍政権に打撃 ―― 東京都議選(定数127)は2日投開票され、小池百合子知事が代表の「都民ファーストの会」が現有議席を大幅に上回り、選挙協力する公明党などの支持勢力と合わせて過半数(64議席以上)となった。都民ファーストは第1党に躍進する見通しで、自民党は加計(かけ)学園問題や都議選応援での稲田朋美防衛相の問題発言などが影響し、過去最低の1965年と2009年の38議席を下回る可能性が高くなった。安倍政権に打撃となり、今後の政権運営に影響するのは必至だ。投票率は前回(43.50%)を上回る見込み。
小池氏は投票終了後の2日午後8時過ぎ、東京都新宿区の開票センターで記者会見し「次々と当選確実の知らせを受けた。各地で訴えた『都民目線』を認めていただいた」と述べた。この後、都民ファースト推薦の無所属候補4人を追加公認した。
都民ファーストは、東京・生活者ネットワークと一部無所属らを加えた計85人を公認・推薦し、3人と選挙協力した。都政改革を訴える「小池路線」に追従する姿勢を打ち出し、支持勢力での過半数獲得を目指した。小池氏は「都議会ではボスの政治やそんたく政治が横行してきた」と自民を批判した。
自民は市場移転問題で小池氏が示した「豊洲移転・築地再開発」の玉虫色の判断を引き合いに、「決められない知事」と攻勢をかけた。だが、加計学園問題や「共謀罪」法の採決強行などで内閣支持率が急落。さらに選挙戦で稲田防衛相が「自衛隊、防衛相としてもお願いしたい」と、自衛隊の政治利用とも取れる発言をし、逆風にさらされた。
23人を擁立した公明は都議会自民との決別後、初の都議選となったが、組織戦に加え、小池氏の各候補への応援も後押しした。前回、議席を倍以上の17とした共産党は37人を擁立。小池氏の「豊洲移転・築地再開発」を一定評価する一方で、憲法9条改正を主張する安倍晋三首相の姿勢に言及し「都議選は最初の審判の場」と訴えた。
民進党は23人を公認したものの、離党者が相次ぐなど党内の足並みが乱れ、苦戦した。 (毎日新聞 7/2(日) 21:56配信)
ウェブニュースより
藤井四段の対局室で「凄い目付き」 「次」の対戦者がじっと見ていた ―― デビュー戦以来、公式戦無敗の藤井聡太四段(14)が歴代単独1位となる29連勝を達成したその対局特別室の隅に、藤井四段を射抜くかのような鋭い眼光を発する人物がいた。それが、30連勝がかかる2017年7月2日に藤井四段と対戦する佐々木勇気五段(22)だ。
プロが対局を観戦するのは禁止されてはいないが、極めて珍しい光景だという。佐々木五段は将棋の天才少年と呼ばれた過去があり、小学4年の時に「小学生将棋名人戦」で優勝し、4年生での史上初優勝の渡辺明竜王(33) 以来の快挙を成し遂げたが、17年4月にその渡辺竜王を破っている実力者だ。
■佐々木五段の記録は、藤井四段に塗り替えられた
「凄い目付きじゃないですか!」「眼力が凄い!!」。6月27日放送の「羽鳥モーニングショー」(テレビ朝日系)で、コメンテーターは驚きの声を上げた。それは佐々木五段のことだ。実際に対局を観に行くプロはめったにいない。しかし、佐々木五段は藤井四段の対局室に出向き、射るような鋭い眼光を藤井四段に向けている。29連勝の時や24連勝した6月10日も対局室に来ていた。
いったいどんな人物なのか。生まれはスイスのジュネーブ。2歳の頃はフランスに居て、埼玉県三郷市に引っ越した5歳ごろから将棋を学んだ。小学1年の頃には通っている将棋センターの大人たちも太刀打ちできない存在となり、小4でプロ将棋界のタイトルホルダー輩出場所とされる「小学生将棋名人戦」で優勝した。小4での優勝は、1994年の渡辺・現竜王以来。プロ棋士になったのは16歳で、これは史上6番目の年少記録だ。14年3月に五段に昇進した。藤井四段と因縁めいたものもあり、13歳8カ月で三段に昇進したのは最年少三段記録だったが、記録は藤井四段の13歳2か月に塗り替えられた。16年5月に非公式での対戦があり、藤井四段を破っている。
17年7月2日の2人の対局について、
「ニコ生で地味に面白い話したり、スキップしたりするちょっとかっこいい感じの人みたいな印象だけど、当然クッソ強いんだよな 。藤井戦応援するわ」
「俺は勇気も好きだぜ!若者らしくギラギラしたところが勝負師らしくてイイ!」
「勇気なら勝てる。がんばってくれ」
などと佐々木五段を応援する書き込みが掲示板に出ている。実は、ネット上で佐々木五段は結構人気が高い。
■藤井四段が勝つ可能性は「53%」と一二三・九段
というのも佐々木五段はイケメンで、服装のセンスがよく、話が面白いなどと一部でもてはやされているからだ。仮に佐々木五段が勝利したとすれば、その様子が大きく報じられるため知名度が上がり、世の女性は放って置かないはずだ、などと予想する人もいる。4月には渡辺竜王を破っていて、その勢いは止まらないと考えている人もいる。
一方で、6月20日に引退したばかりの藤井四段のプロ初戦の対戦相手、加藤一二三・九段(77)は藤井四段の勢いが勝るとの考えだ。27日放送の「ノンストップ!」に出演した一二三・九段は、藤井四段が勝つ可能性は「53%」とした。
「プロの世界で3%はかなりの差の事を言います。新記録を達成し今のところ怖いものなしで、実力はさておき、絶好調の気分によって(戦うため)佐々木は苦しい」と一二三・九段は説明している。 (JTSTニュース 2017/6/27 18:06)
元来人参(にんじん)と呼ばれていたものは、御種人蔘(おたねにんじん)のことでした。原産地は中国の遼東から朝鮮半島にかけての地域といわれ、 中国東北部やロシア沿海州にかけて自生します。薬用または食用に用いられ、チョウセンニンジン(朝鮮人蔘)、コウライニンジン(高麗人蔘)、また単に人蔘とも呼ばれました。野菜のニンジンはセリ科であり、本種の近類種ではなく全く別の種なのであります。
「御種人蔘」の名は、八代将軍徳川吉宗が対馬藩に命じて朝鮮半島で種と苗を入手させ、試植と栽培・結実の後で各地の大名に「御種」を分け与えて栽培を奨励したことに由来します。これ以前の「人蔘」は朝鮮半島からの輸入に依存していました。
江戸時代には大変に高価な生薬で、庶民には高嶺の花でした。このため、分不相応なほど高額な治療を受けることを戒める「人蔘飲んで首括る」のことわざも生まれました。「人参で行水」は医薬のかぎりを尽くして治療をすることをいいます。
ニンジンは原産地のアフガニスタン周辺で東西に分岐し、世界各地に伝播しました。オランダを通りイギリスへと西方へ伝来しながら改良が行われた西洋系、中国を経て東方へと伝わった東洋系の2種類に分類できます。東洋系は細長く、西洋系は太く短いが、ともに古くから薬や食用としての栽培が行われてきました。
中国で改良された東洋系のニンジンは、16世紀に日本に伝えられ、各地で作られるようになりました。赤色の金時にんじんを筆頭に、甘味が強くてニンジン特有の臭みが少なく、煮ても形が崩れにくいので和風の料理に重宝されます。なかでも京料理では比較的多く用いられることから金時ニンジンは「京人参」とも呼ばれ、京野菜のひとつに数えられています。しかし、栽培しにくいことがネックとなり、第二次世界大戦後西洋系ニンジンが主流となってきています。正月料理用などとして、現在でも晩秋から冬にかけて市場に出回りますが、栽培量が少ないためこの季節以外では入手することが難しいようです。この他沖縄県の伝統野菜のひとつで黄色い島ニンジンまたはチデークニーと呼ばれる品種や、アフガニスタン原産の黒人参などが東洋系に含まれます。
西洋系ニンジンは、オランダやフランスで改良がすすみ、江戸時代末期に日本に伝来しました。主にオレンジ色をしており、甘味もカロチンも豊富に含んでいます。五寸ニンジンが一般的な品種で、ちょうど五寸(15~20cm)ぐらいの長さで、金時ニンジンなどと比べて太めなのが特徴です。かつての品種は特有のニンジン臭が強く、子供の嫌う野菜の筆頭格でしたが、品種改良により最近では臭いも薄くなりました。全国の気候に応じた品種が栽培されていて、1年中市場に出回っていますが、ニンジン本来の旬は9月頃から12月頃です。
蕪(かぶ)はアブラナ科アブラナ属の越年草で、代表的な野菜(根菜類)の一つです。別名はカブラ、カブナ、カブラナ、スズナ(鈴菜、菘)、ホウサイ(豊菜)、ダイトウナ(大頭菜)など数多くあります。
「カブ」の語源は諸説あり、頭を意味する「かぶり」、根を意味する「株」、またはカブラの女房詞である「オカブ」からとされています。江戸時代は漢語で蕪菁(ブセイ)、蔓菁(マンセイ)、扁蘿蔔(ヘンラフク)などと呼ばれていたということです。
蕪は世界中で栽培されていますが、分類上はアフガニスタン原産のアジア系と、中近東から地中海沿岸原産のヨーロッパ系との2変種に分かれます。原産地についてはヨーロッパもしくは中央アジア起源の一元説や二元説があります。
かぶの品種は非常に多く、全国各地に地の物があったりしますが、大きく分けると、大きさで小かぶと大かぶ、色で赤カブ、それに丸くなく、長い形をした日野菜などがあります。
歴史は古く、中国では詩経に記載され、ヨーロッパ系も古代ギリシャの史料にみられるといいます。ただし、ヨーロッパで広く普及したのは16世紀からで、飼料用途が多かったといいます。 東ヨーロッパなど寒冷な地では冬場の貴重な食料源や救荒植物として活用されました。
後漢の末期、孔明が劉備軍に加わったとき、軍中には新鮮な葉物がなかったので、兵士の食事は味気なく、士気が上がりませんでした。孔明は襄陽をまわって、「大頭菜(コールラビ)」がたくさん採れることを知り、調理方法を発明して、大頭菜の漬物を軍中のおかずとしました。孔明の漬物は、香りがよく、口触りも爽やかで、食欲も増すので、兵士たちに広く好まれました。蜀軍の士気は上がり、赤壁の戦いで勝利し、荊州、漢中を得て、三国鼎立の形勢になったのです。のちに蜀へ移ると、蜀は特産が豊かだったのですが、孔明はいつも大頭菜の漬物をおかずにしていました。玄徳が不思議に思ったところ、孔明は、「今の境遇は、これのおかげでした。しかしなお天下が定まりませんので、昔の志を忘れないようにしているのです」と答えたといいます。のちの人は孔明の忠義をしのんで、この漬物を、「孔明菜」と呼びました。「孔明灯」、「木牛」、「流馬」と合わせて、孔明の四大伝奇発明とされています。
日本では、古事記の「吉備の菘菜(あおな)」が蕪のことと見られるほか、日本書紀に持統天皇が栽培を推奨したと記されています。京野菜など西日本で見られる中国伝来のアジア系とともに、東日本でヨーロッパ系(野沢菜など関連する変種も含む)が在来種として確認され、シベリア経由と見られています。
土地土地で品種改良がおこなわれ、現在でも多くの品種が存在しています。また古くは茎立(くくたち)とも呼ばれていたようです。「万葉集」にも遠い九州に徴兵された男にカブを育ててご馳走しようという意味の歌が読まれており、奈良時代にはカブが高級品であったことが推測されます。
「蕪村」という名が「蕪の村」と書くのは、当時彼が住んでいた大坂の天王寺村が、「天王寺かぶら」という白色中型の蕪の一大産地だったからで、蕪村は、「名物や 蕪の中の 天王寺」という句を残しています。
子規の時代まで、蕪村といえば画家としてのほうが有名であり、彼の俳句は漢語を多用した風変わりな作品だとして、必ずしも高く評価されていませんでした。子規はそんな蕪村の句風を新しい観点からとりあげることによって、芭蕉と並び立つべき偉大な俳人として位置づけなおしたのです。
ウェブニュースより
藤井聡太四段29連勝、歴代単独トップ ―― 6月26日(月)に行われた第30期竜王戦決勝トーナメント、増田康宏四段-藤井聡太四段戦は91手で藤井聡太四段が勝ちました。藤井聡太四段はこれでデビュー後負けなしの29連勝を達成し、歴代連勝記録の単独トップとなりました。関係者のコメントは下記の通りです。
◆羽生善治三冠
29連勝は歴史的な快挙です。結果も素晴らしいですが内容も伴っていいる点でも凄みがあります。この記録は時が経つにつれ重みを増して来るはずですし、将棋界の新しい時代の到来を象徴する出来事になりました。檜舞台で顔を合わせる日を楽しみにしています。
◆谷川浩司九段
新記録おめでとうございます。タイトル戦の本戦に勝ち進むようになり、トップ棋士との対局も増えてくると思います。10代半ばの一番強くなる時期に、トップ棋士と戦えるのは幸せな事。トップとの差は何なのか。実際に肌で感じることでまた、大きな可能性が開けてくるでしょう。
◆神谷広志八段
28という完全数は一番好きな数字ですのでそれが一位でなくなることは個人的に少々寂しいのですが凡人がほぼ運だけで作った記録を天才が実力で抜いたというのは将棋界にとってとてもいいことだと思います。藤井さんがこれからの数十年でどんな世界を見せてくれるのかファンの皆様とともに寿命の限り見続けていきたいです。
◆杉本昌隆七段
竜王戦本戦という大舞台で神谷八段の記録を抜く29連勝は驚愕です。師匠の私も至福の時間をもらいました。28連勝を達成した帰り道、いつもと同じようにずっと将棋の話をしていたのが印象的で、このとき29連勝を確信しました。歴代連勝記録のトップに立ちましたが、14歳の藤井四段にとってこれは序章。一喜一憂せず、これからもさらなる記録を目指して精進してください。
◆母・藤井裕子様
このような記録を達成することができ、本当にすばらしいと思います。一局一局を大切に、これからも「強くなる」という目標に向かって進んでいってほしいです。
次の対局は、7月2日(日)竜王戦トーナメントの佐々木勇気五段戦で、藤井四段がこの対局に勝つと30連勝となります。 (日本将棋連盟 更新:2017年06月26日 21:33)
藤井四段、強さ底なし 未到29連勝 「日ごとに成長」驚異的 ――プロデビュー以来無敗のまま、最多連勝記録を29に更新する快挙を成し遂げた史上最年少の将棋棋士、藤井聡太四段(14)。いまだ底が知れない中学3年の実力に列島の注目が集まっている。なぜ強いのか? 一体どこまで強くなるのか? 史上最年少のタイトル獲得など、さらなる記録の更新の期待も高まる。藤井四段の実力とその可能性に迫った。
「14歳なら、終盤は強くても粗削りというのが普通だが、藤井四段の将棋は既に『老成』している感じ」。初防衛を果たしたばかりの佐藤天彦名人(29)は、中学生の堂々とした棋風に驚きを隠さない。
プロアマ問わず、全国から猛者が集まる「詰将棋解答選手権」を2015年から3連覇中。その若い頭脳で、終盤の読みの速さ、正確さは誰もが想像していた。一方、序中盤は研究量や経験も大きく幅を利かす分野だ。若き日の羽生善治王位(46)も序盤がやや苦手で、不利な局面から終盤に「羽生マジック」と称される意表の手を放つ逆転術で恐れられた。
しかし、藤井四段の序中盤からの指し回しの完成度は周囲の予想以上で、相手がひるめば一気に優勢を築いてしまう。敗れた対局相手は「隙(すき)がない」と口をそろえる。師匠の杉本昌隆七段(48)は「もっと追い込まれたときに持ち味が出る」と話すが、今のところ、ほとんどの対局で追い込まれる状況になっていない。
非公式戦で対局した日本将棋連盟会長、佐藤康光九段(47)は「吸収力がある」と評し、「日を追うごとに強くなっている気がする」と語る。5連勝目で対局した北浜健介八段(41)は「棋譜を見ると、自分が対局した当時(2月)よりはるかに強くなっている。すいすいとリードを奪って逃げ切るパターンが多い」と舌を巻く。
プロ入り(四段昇段)後、無敗を続ける藤井四段だが、プロ入りを決めた際の三段リーグの戦績は13勝5敗だった。プロ入り後に驚異的な成長を遂げていることの証しともいえるだろう。
藤井四段は専門誌「将棋世界」で、羽生王位との非公式戦を自戦記で振り返り、三段リーグ時代に「将棋ソフトの感覚」を取り入れ、自身の弱点を克服したと記す。電王戦で「PONANZA」が佐藤名人を破ったことに象徴されるように、人間を上回ったとされる将棋ソフト。ソフトの影響は今期の名人戦にも表れ、玉を堅く囲ってから戦い始める従来の将棋から、攻撃態勢を速く築く将棋への転換が迫られている。藤井四段も、玉の守りの薄さを苦にしない将棋を指す。
しかし、研究だけで強くなるには限界があるかもしれない。通算97期のタイトル獲得と圧倒的な実績を誇る羽生王位。その偉業は森内俊之九段(46)や佐藤九段ら、いわゆる「羽生世代」と称される同世代の強力なライバルたちと実戦でも切磋琢磨(せっさたくま)したことが支えた。藤井四段にも今後、同世代のライバルが登場し、さらなる成長を遂げるのか、それとも孤高で将棋界の記録を塗り替えていくのか。その今後に、目が離せない。
藤井四段の連勝記録は偉業だが、将棋界はタイトル獲得が最も評価される世界だ。藤井四段には、屋敷伸之九段(45)が持つタイトル獲得の最年少記録(棋聖、18歳)、谷川浩司九段(55)の最年少名人獲得記録(21歳)の更新の期待もかかる。
名人など、棋界で特別な権威を持つタイトルは現在、八つある。名人を除く7タイトルは原則、プロ入り初年からタイトルに挑戦、獲得することも可能だ。藤井四段の場合、今年度中に獲得する可能性があるのは竜王、王将、棋王の三つとなる。
タイトル戦は予選、本戦、挑戦手合の3段階に分かれる。予選は一発勝負のトーナメント。予選を勝ち上がったり、成績や実績でシードされたりした棋士で争う本戦は、竜王戦や棋王戦のようにトーナメントで行うもの、王将戦のようにリーグ戦を行うものがある。本戦を勝ち上がった棋士が挑戦者となり、前年覇者とタイトルを争うのが挑戦手合だ。
竜王戦の挑戦手合は例年10~12月、王将戦は1~3月、棋王戦は2~3月に行われる。藤井四段がこの日戦ったのは竜王戦の本戦決勝トーナメント。王将戦と棋王戦は、本戦を目指し予選を戦っている。
叡王戦は予選が始まっているが、挑戦手合が決着するのは来年度の予定。棋聖戦、王位戦、王座戦は今後、予選から参加する。
名人戦の予選・本戦に当たる順位戦は5階級に分かれたリーグ戦で、最上位のA級の優勝者が名人に挑戦する。プロ入りした棋士は最下位のC級2組から出発し、好成績を上げ、毎年度一つずつ階級を上げていくしかないため、藤井四段も名人挑戦には最短で5年はかかる仕組みだ。
デビュー以来、連勝を続ける藤井四段だが、タイトル戦でシードされるような実績のあるトップ棋士との戦いはこれから。タイトル獲得へ、越えていかねばならない壁はまだ多い。 (毎日新聞2017年6月27日 東京朝刊)
https://www.youtube.com/watch?v=hXx_xXp1xUM
昨日は四谷にいる甥の娘のEriちゃんが、福岡から上京しているという母親と一緒に、昨年暮れに生まれた長女を連れて訪ねてくれました。
旦那さんが、現在海外出張中だそうで、丁度いい機会だからというので訪ねて呉れたとのことです。
長女の「Koto」ちゃんは丁度生後6か月ですが、あやすとニコッと笑って本当に愛想の良い可愛い女の子です。
ウェブニュースより
藤井四段29連勝かけ26日に対戦 ―― 将棋の歴代最多連勝タイ記録となる28連勝を達成した藤井聡太四段(14)が26日、新記録となる29連勝をかけて、東京・将棋会館で行われる竜王戦本戦決勝トーナメント1回戦で増田康宏四段(19)と対戦する。将棋界で10代の棋士は2人しかおらず、藤井四段にとっては公式戦で初の10代プロ対決となる。
増田四段は東京都昭島市出身。14歳で三段に昇段し、史上5人目の中学生棋士になる可能性があり話題になった。16歳で四段に昇段。昨年10月に藤井四段がプロ入りするまで現役最年少棋士だった。昨年10月の新人王戦で優勝した実力者だ。
増田四段は、藤井戦に向けたコメントを発表。「竜王戦本戦という大きな舞台で戦えることをとてもうれしく思っています。対戦相手の藤井四段は素晴らしい実力を持った棋士なので、勝つためには一手のミスも許されない、完璧な将棋を指さなければいけないと思っています。まさかここまで注目される勝負になるとは予想もしていませんでしたが、冷静に自分を信じて戦いたいと思います」と心境をつづった。
両者は、インターネットテレビ局のAbemaTVで放送された非公式戦「藤井聡太四段 炎の七番勝負」で対戦、藤井四段が勝っている。しかし、増田四段はデビュー以来の勝率が7割超の強豪で、熱戦が予想される。
26日の対局は午前10時開始。持ち時間は各5時間で同日夜、決着する見込み。 〔毎日新聞2017年6月24日 18時25分(最終更新 6月24日 20時57分)〕
大根(ダイコン)はアブラナ科ダイコン属の越年草で、野菜として広く栽培されています。主に肥大した根を食用とするほか種子から油を採ることもあり、緑黄色野菜でもあり淡色野菜でもあります。名前の由来は、大きな根を意味する大根(おおね)からです。多くの品種があり、根の長さ・太さなどの形状もさまざまで、皮の色も白以外に赤・緑・紫・黄・黒などがあり、地域によっては白よりも普通です。日本ではほとんどが白い品種で、スズシロ(清白)の別名もこれに基づいています。
原産地は地中海地方や中東であるといいます。紀元前2200年の古代エジプトで、今のハツカダイコンに近いものがピラミッド建設労働者の食料とされていたのが最古の栽培記録とされ、その後ユーラシアの各地へ伝わりました。
日本には弥生時代には伝わっており、平安時代中期の『和名類聚抄』巻17菜蔬部には、園菜類として於保禰(おほね)があげられています。ちなみにハマダイコンまたはノダイコンと見られる古保禰(こほね)も栽培され、現在のカイワレダイコンとして用いられていました。江戸時代には関東の江戸近郊である板橋・練馬・浦和・三浦半島辺りが特産地となり、その中で練馬大根は特に有名でした。
ダイコンは日本においては品種・調理法とも豊富です。世界一大きくて重い桜島大根、世界一長い守口ダイコンなどの種類があり、日本人の食卓(鍋料理・おでん等)には欠かすことのできない野菜となっています。葉はビタミンAを多く含み、青汁の原料として使われます。汁はビタミンCやジアスターゼを多く含んでいます。
野菜としての位置づけにおいては、春の七草のひとつ「すずしろ」であり薬味や煮込み料理にも使われるなど、利用の幅はかなり広いようです。薬草であり、消化酵素を持ち、血栓防止作用や解毒作用があります。
大根は古事記にも記載があり、仁徳天皇陵からも大根の種が発見されています。
清少納言も枕草子で、「つまらないものが幅を利かせるもの」として、正月の大根を挙げています。
えせ者の所得るをり
正月の大根(おおね)。行幸のをりの、姫大夫。御即位の御門司(みかどつかさ)。六月、十二月のつごもりの節折(よをり)の蔵人。季の御読経(みどきょう)の威儀師(いぎし)。赤袈裟着て、僧の名どもを読み上げたる、いときらきらし。
季の御読経、御仏名(おぶつみょう)などの御装束の所の衆。春日の祭の近衛舎人(このえどねり)ども。元三(がんざん)の薬子(くすりこ)。卯杖(うづえ)の法師。御前の試みの夜の御髪上(みぐしあげ)。節会(せちえ)の御まかなひの采女(うねめ)。
現代語訳
つまらない者が幅を効かせる時
正月の大根(おおね)。行幸(ぎょうこう)の時の姫大夫。御即位の御門司(みかどつかさ)。六月、十二月の月末の節折(よをり)の蔵人。季の御読経(みどきょう)の威儀師(いぎし)。赤袈裟を着て、僧の名前を読み上げたところは、非常に輝かしくて立派である。
季の御読経や御仏名(おぶつみょう)などの御殿の設備と、飾り付けをする蔵人所の衆。春日の祭の勅使に随従する近衛舎人(このえどねり)たち。正月元日の薬子(くすりこ)。卯杖(うづえ)の法師。五節の御前の試みの夜の御髪上(みぐしあげ)。節会(せちえ)の時、帝の御膳のお給仕をする采女(うねめ)。
大根は、生でも煮ても焼いても消化が良くて食あたりしないので、何をやっても当たらない役者を「大根役者」と呼びます。同じ理由でどうしても当たりを打てない野球の打者を「大根バッター」とも呼ぶそうです。
兼好法師もまた、徒然草で次のように記載しています。
徒然草68段
筑紫に、なにがしの押領使(おうりょうし)などいふやうなる者のありけるが、土大根(つちおおね)を万にいみじき薬とて、朝ごとに二つづつ焼きて食ひける事、年久しくなりぬ。
或時、館の内に人もなかりける隙をはかりて、敵襲ひ来りて、囲み攻めけるに、館の内に兵二人出で来て、命を惜しまず戦ひて、皆追い返してげり。いと不思議に覚えて、「日比ここにものし給ふとも見ぬ人々の、かく戦ひし給ふは、いかなる人ぞ」と問ひければ、「年来頼みて、朝な朝な召しつる土大根らに候う」と言ひて、失せにけり。
深く信を致しぬれば、かかる徳もありけるにこそ。
現代語訳
九州の筑紫国に、押領使の役職に就いていたなにがしという人物がいた。この人は、大根を何にでも効く素晴らしい薬だと信じて、長年にわたって、毎朝二本ずつ焼いて食べ続けていた。
ある時、押領使が所管する館の中に兵がいない隙を見計らって、敵が襲ってきた。敵にすっかり取り囲まれていたのだが、館の中に二人の兵士が現れ、命も惜しまずに戦って、敵をみんな、追い返してしまった。押領使はとても不思議に思って、『日頃、この館で見ない者たちだが、ここまで懸命に戦うとは、どんな人物なのか?』と聞いた。すると、『あなたが長年信じてきて、毎朝召し上がっている大根でございます』と答えて、その勇敢な兵士は消えうせてしまった。
(何の役にも立ちそうにないものでも)深く信心をしていれば、このような徳もあるものだ。
ウェブニュースより
昇竜14歳金字塔 藤井四段、28連勝 意表の受け、師も感心 —― 将棋の藤井聡太四段(14)が21日の王将戦1次予選で、歴代1位タイの連勝記録となる公式戦28連勝を達成した。デビューから半年の中学生とは思えない老練な指し回しに、先輩棋士の多くは力を発揮できずに敗退。この日も雪辱に燃える若手実力者の澤田真吾六段(25)を圧倒した。羽生善治王位(46)の7冠フィーバー以来の将棋ブームも巻き起こし、新記録樹立へ向け、勢いは加速するばかりだ。
午後4時47分、藤井四段が勝利を決めると、対局室の関西将棋会館(大阪市福島区)5階「御(おん)上段の間」は約100人の報道関係者で埋め尽くされた。インタビューに答える藤井四段の声はカメラのシャッター音にかき消されたが、その表情は普段と変わらず落ち着き払っている。大記録も通過点に過ぎないかのようだ。
澤田六段とは今月2日の棋王戦予選に続く対局。互いに得意とする角換わりの戦いになったが、38手目に後手番の澤田六段から戦端を開いたのが珍しい。しかし、ここは研究済みの局面だった。澤田六段の攻めに、藤井四段は意表を突く受けで応えた。藤井四段の師匠、杉本昌隆七段(48)は「一見、損に見える手なので驚いた」と話す。澤田六段の手が止まり、次の手に本局最長の58分考えた。
前回の棋王戦予選では終盤まで熱戦が続き、澤田六段の勝ち筋もあった。勝利インタビューで藤井四段は「僥倖(ぎょうこう)(思わぬ幸運)としかいいようがない」と話したが、今回は中盤から一方的な流れに。澤田玉をにらむ69手目の角打ちに、藤井四段は「こちらが(有利に)指せるのでは」と話し、早くも手応えを感じた。澤田六段は「藤井四段の将棋はミスが少なく、隙(すき)がない」と脱帽した。 (毎日新聞2017年6月22日 東京朝刊)
藤井聡太四段28連勝の軌跡
| 対局日 | 対局相手 | 棋戦名 |
1 | 16/12/24 | 加藤一二三・九段 | 竜王戦6組 |
2 | 17/1/26 | 豊川孝弘・七段 | 棋王戦予選 |
3 | 2/9 | 浦野真彦・八段 | 竜王戦6組 |
4 | 2/23 | 浦野真彦・八段 | NHK杯予選 |
5 | 2/23 | 北浜健介・八段 | NHK杯予選 |
6 | 2/23 | 竹内雄悟・四段 | NHK杯予選 |
7 | 3/1 | 有森浩三・七段 | 王将戦予選 |
8 | 3/10 | 大橋貴洸・四段 | 新人王戦 |
9 | 3/16 | 所司和暗・七段 | 竜王戦6組 |
10 | 3/23 | 大橋貴洸・四段 | 棋王戦予選 |
11 | 4/4 | 小林裕士・七段 | 王将戦予選 |
12 | 4/13 | 星野良生・四段 | 竜王戦6組 |
13 | 4/17 | 千田翔太・六段 | NHK杯本戦 |
14 | 4/26 | 平藤真吾・七段 | 棋王戦予選 |
15 | 5/1 | 金井恒太・六段 | 竜王戦6組 |
16 | 5/4 | 横山大樹アマ | 新人王戦 |
17 | 5/12 | 西川和宏・六段 | 王将戦予選 |
18 | 5/18 | 竹内雄悟・四段 | 加古川青流戦 |
19 | 5/25 | 近藤誠也・五段 | 竜王戦6組 |
20 | 6/2 | 澤田真吾・六段 | 棋王戦予選 |
21 | 6/7 | 都成竜馬・四段 | YAMADA杯 |
22 | 6/7 | 阪口悟・五段 | YAMADA杯 |
23 | 6/7 | 宮本広志・五段 | YAMADA杯 |
24 | 6/10 | 梶浦宏孝・四段 | 叡王戦予選 |
25 | 6/10 | 都成竜馬・四段 | 叡王戦予選 |
26 | 6/15 | 瀬川晶司・五段 | 順位戦 |
27 | 6/17 | 藤岡隼太・アマ | 朝日杯 |
28 | 6/21 | 澤田真吾・六段 | 王将戦予選 |
「藤井君みたいに強くなりたい」 地元の将棋教室も沸く ―― 将棋の中学生棋士、藤井聡太四段(14)=愛知県瀬戸市=が21日、王将戦1次予選で澤田真吾六段(25)=三重県鈴鹿市=に勝ち、歴代最多の連勝記録に並ぶ公式戦28連勝を達成した。かつて藤井四段が通った瀬戸市の将棋教室の生徒や指導者らから喜びの声が上がった。
21日午後5時ごろ、幼少の藤井四段が通った「ふみもと子供将棋教室」(瀬戸市)に生徒が集まる。普段通りの光景だ。
棋譜並べをしているときに、先輩の勝利を知った小学5年の正親(まさちか)直人君(11)は「次の対局でも勝って単独1位になってほしい。藤井君みたいに自分も強くなりたい」。小学5年の中津長志(たけし)君(10)にとっても憧れの人。「これからも勝ち続けてほしい」
将棋の歴史をまた一つ塗り替えた教え子について、文本力雄さん(62)は「よかったなあ」と笑顔で一言。「最多記録に並んでほしいという声が周りからも聞かれた。皆さんの思いが伝わった」と振り返った。
教室があったこの日、文本さんはテレビ観戦などはせず。「これまでもこれからも一喜一憂せず見守っていく」。藤井四段が5歳から4年9カ月通った教室の壁には「最年少プロ棋士 藤井聡太 おめでとう」との筆書きや、藤井四段の新聞記事が丁寧に貼られている。この一軒家の6畳2間で藤井四段は腕を磨いた。
「100年に一人の逸材ではないか」。文本さんは当初から感じていた。通い始めた1年間で、約480ページの定跡本を暗記し、20級から4級に昇級した。
この日、20人を超える報道陣が教室に詰めかけた。28連勝したその強さを改めて問われた文本さんは「将棋をするために生まれてきたような子。体が、細胞の一つ一つが、将棋でできているようだ」と語る。期待される記録の更新。教え子に対する思いは変わらない。
「聡太にとっては通過点の一つ。彼は大きい志を持っている。私からかける言葉はありません。ただ黙って見守りたい」
藤井四段は小学1年で日本将棋連盟東海研修会(名古屋市)に入会。研修会でプロとして指導したのが今回対局した澤田六段だ。ハンディをつけて5回対局し、藤井四段の3勝2敗の記録が残っている。
研修会の事務局を担当し、2人を知る竹内努さん(60)は「藤井四段は連戦の疲れもあったはず。ここまで勝ち続けるとは思わなかった。今後は体力面や精神面が心配だが、できるだけ連勝を伸ばしてほしい」と期待する。澤田六段についても「(今月2日に敗れ)リベンジに燃えていたが、気合が空回りしてしまったのかもしれない。高校生でプロになった実力者。将来、2人がタイトルをかけて対戦するところを見てみたい」と話した。 (朝日新聞 2017年6月21日19時21分)
下記のアドレスで棋譜がご覧になれます。
https://www.youtube.com/watch?v=R0z6JZDl2T0
sechin@nethome.ne.jp です。
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