瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
本日は二十四節気の雨水。旧暦正月(睦月)の中気にあたり、温かさに雪が雨にかわり、氷がとけ始める頃だという。
田園楽 王維
桃紅復含宿雨 桃は紅にして 復た宿雨を含み
柳緑更帯春煙 柳は緑にして 更に春煙を帯ぶ
花落家僮未掃 花落ちて家僮掃はず
鴬啼山客猶眠 鴬啼きて山客猶ほ眠る
〔訳〕桃の花は紅く 昨夜の雨を含んで
柳は緑に しかも春霞をまとっている
花が散っても うちの下男は掃こうともしない
鶯が鳴いても 山中の人はまだ眠っている
夢渓筆談 巻13より 濠州武芸談
濠州定遠縣一弓手、善用矛、遠近皆伏其能。有一偷、亦善擊剌、常蔑視官軍、唯與此弓手不相下、曰:“見必與之決生死。”一日、弓手者因事至村步、適值偷在市飲灑、勢不可避、遂曳矛而鬥。觀者如堵墻。久之、各未能進。弓手者忽謂偷曰:“尉至矣。我與爾皆健者、汝敢與我尉馬前決生死乎?”偷曰:“喏。”弓手應聲刾之、一舉而斃、蓋乘其隙也。又有人曾遇強寇鬥、矛刃方接、寇先含水滿口、噀其面。其人愕然、刃已揕胸。後有一壯士復與寇遇、已先知睷水之事。寇復用之、水才出口、矛已洞頸。蓋已陳芻狗、其機已泄、恃勝失備、反受其害。
〔訳〕濠州定遠県〔あんきしょう〕に弓の狙撃兵で矛の使い手がいて遠近のものはみなその腕前に感服していた。ここにもうひとり刀の刺突がうまい盗賊がいて、いつも官兵を馬鹿にしていたが、ただこの狙撃兵とだけは意地を張り合い、「今にきっとあいつと生きるか死ぬかきめてやる」といっていた。
ある日、狙撃兵が用事で船着場に来た頃、たまたま盗賊が市場で酒を飲んでいる所に出会い、とうとう矛を取って戦う羽目になってしまった。見物人が垣根のように取り巻く中、しばらくは両方ともじっとにらみ合ったまま。狙撃兵が不意に盗賊に言った。
「警部が来たぜ。おれもお前も男だ。警部殿の馬前で生きるか死ぬか決めようじゃないか」
「よかろう」と盗賊が応えた途端、狙撃兵は盗賊を突き刺し、一挙に倒してしまった。盗賊の隙に乗じたのである。
またある人がかつて手強い賊に襲われて戦った。矛の刃がまさに触れようとした時、賊はあらかじめ口いっぱいに含んでおいた水を突然顔に吹きかけた。その人がはっとした時、すでに賊の刃は胸に突き刺さっていた。のちある壮士がまたこの賊とであったが、すでに前もって水を吹きかけることは知っていたから、賊が同じ手を用い、口からつと水を吹いた途端、矛はその頸(くび)を貫いていた。一度使ったらもう役に立たないものをまた持ち出した所で、そのからくりはもうばれているのだ。勝ち誇って用心を怠るのでは、かえってその害を受けるというものだ。
夢渓筆談 巻13より 地図
熙寧中、高麗人貢、所經州縣、悉要地圖、所至皆造送、山川道路、形熱險易、無不備載、至揚州、牒州取地圖。是時丞相陳秀公守揚、紿使者欲盡見兩浙所供供圖、仿其規模供造。及圖至、都聚而焚之、具以事聞。
〔訳〕煕寧年間〔宋、神宗の年号、1068~77年〕に、高麗が入貢した際、高麗の使者は通過する州県ごとに、いちいち地図を求めた。どこでもみな地図を作って送ったが、山川道路、地勢の険不険、すべて記入してあった。揚州に付くとここの州庁にも文書をよこして地図を求める。このとき丞相陳秀公が揚州の知事をしていたが、使者をあざむいて、両淅各州県で提出した地図を全部拝見してそれにならって揚州の地図を作って差し上げたいと言った。地図が届くと、全部を集めて燃やしてしまい、ことの顛末を朝廷に奏上した。
※陳秀公〔1011~79年〕は、本名は升之。宋の仁宗・神宗の時の人。神宗の初年に丞相となったが、王安石と意見が合わず、揚州に出向して知事をつとめ、秀国公に封ぜられた。当時宋は、北方の遼、西北方の西夏にしばしば苦しめられていたから、東北方、遼に接して国力を充実しつつあった高麗にも警戒の目を注いだのであった。
田園楽 王維
桃紅復含宿雨 桃は紅にして 復た宿雨を含み
柳緑更帯春煙 柳は緑にして 更に春煙を帯ぶ
花落家僮未掃 花落ちて家僮掃はず
鴬啼山客猶眠 鴬啼きて山客猶ほ眠る
〔訳〕桃の花は紅く 昨夜の雨を含んで
柳は緑に しかも春霞をまとっている
花が散っても うちの下男は掃こうともしない
鶯が鳴いても 山中の人はまだ眠っている
夢渓筆談 巻13より 濠州武芸談
濠州定遠縣一弓手、善用矛、遠近皆伏其能。有一偷、亦善擊剌、常蔑視官軍、唯與此弓手不相下、曰:“見必與之決生死。”一日、弓手者因事至村步、適值偷在市飲灑、勢不可避、遂曳矛而鬥。觀者如堵墻。久之、各未能進。弓手者忽謂偷曰:“尉至矣。我與爾皆健者、汝敢與我尉馬前決生死乎?”偷曰:“喏。”弓手應聲刾之、一舉而斃、蓋乘其隙也。又有人曾遇強寇鬥、矛刃方接、寇先含水滿口、噀其面。其人愕然、刃已揕胸。後有一壯士復與寇遇、已先知睷水之事。寇復用之、水才出口、矛已洞頸。蓋已陳芻狗、其機已泄、恃勝失備、反受其害。
〔訳〕濠州定遠県〔あんきしょう〕に弓の狙撃兵で矛の使い手がいて遠近のものはみなその腕前に感服していた。ここにもうひとり刀の刺突がうまい盗賊がいて、いつも官兵を馬鹿にしていたが、ただこの狙撃兵とだけは意地を張り合い、「今にきっとあいつと生きるか死ぬかきめてやる」といっていた。
ある日、狙撃兵が用事で船着場に来た頃、たまたま盗賊が市場で酒を飲んでいる所に出会い、とうとう矛を取って戦う羽目になってしまった。見物人が垣根のように取り巻く中、しばらくは両方ともじっとにらみ合ったまま。狙撃兵が不意に盗賊に言った。
「警部が来たぜ。おれもお前も男だ。警部殿の馬前で生きるか死ぬか決めようじゃないか」
「よかろう」と盗賊が応えた途端、狙撃兵は盗賊を突き刺し、一挙に倒してしまった。盗賊の隙に乗じたのである。
またある人がかつて手強い賊に襲われて戦った。矛の刃がまさに触れようとした時、賊はあらかじめ口いっぱいに含んでおいた水を突然顔に吹きかけた。その人がはっとした時、すでに賊の刃は胸に突き刺さっていた。のちある壮士がまたこの賊とであったが、すでに前もって水を吹きかけることは知っていたから、賊が同じ手を用い、口からつと水を吹いた途端、矛はその頸(くび)を貫いていた。一度使ったらもう役に立たないものをまた持ち出した所で、そのからくりはもうばれているのだ。勝ち誇って用心を怠るのでは、かえってその害を受けるというものだ。
夢渓筆談 巻13より 地図
熙寧中、高麗人貢、所經州縣、悉要地圖、所至皆造送、山川道路、形熱險易、無不備載、至揚州、牒州取地圖。是時丞相陳秀公守揚、紿使者欲盡見兩浙所供供圖、仿其規模供造。及圖至、都聚而焚之、具以事聞。
〔訳〕煕寧年間〔宋、神宗の年号、1068~77年〕に、高麗が入貢した際、高麗の使者は通過する州県ごとに、いちいち地図を求めた。どこでもみな地図を作って送ったが、山川道路、地勢の険不険、すべて記入してあった。揚州に付くとここの州庁にも文書をよこして地図を求める。このとき丞相陳秀公が揚州の知事をしていたが、使者をあざむいて、両淅各州県で提出した地図を全部拝見してそれにならって揚州の地図を作って差し上げたいと言った。地図が届くと、全部を集めて燃やしてしまい、ことの顛末を朝廷に奏上した。
※陳秀公〔1011~79年〕は、本名は升之。宋の仁宗・神宗の時の人。神宗の初年に丞相となったが、王安石と意見が合わず、揚州に出向して知事をつとめ、秀国公に封ぜられた。当時宋は、北方の遼、西北方の西夏にしばしば苦しめられていたから、東北方、遼に接して国力を充実しつつあった高麗にも警戒の目を注いだのであった。
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目高 拙痴无
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92
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1932/02/04
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