瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
夢渓筆談巻13より 銀鼓と寶刀
寶元中、黨項犯邊、有明珠族首領驍悍、最為邊患。種世衡為將、欲以計擒之。聞其好擊鼓、乃造一馬、持戰鼓、以銀裹之、極華煥、密使諜者陽賣之入明珠族。後乃擇驍卒數百人、戒之曰:“凡見負銀鼓自隨者、並力擒之。”一日、羌酋負鼓而出、遂為世衡所擒、又元昊之臣野利、常為謀主、守天都山、號天都大王、與元昊乳母白姥有隙。歳除日、野利引兵巡邊、深涉漢境數宿、白姥乘間乃譖其欲叛、元昊疑之。世衡嘗和蕃酋之子蘇吃曩、厚遇之。聞元昊嘗賜野利寶刀、而吃曩之父得幸於野利。世衡因使吃曩竊野利刀、許之以緣邊職任、錦袍、真金帶。吃曩得刀以還。世衡乃唱言野利已為白姥譖死、設祭境上、為祭文、敘歳除日相見之歡。入夜、乃火燒紙錢、川中盡明、虜見火光、引騎近邊窺覘、乃佯委祭具、而銀器凡千余兩悉棄之。虜人爭取器皿、得元昊所賜刀、乃火爐中見祭文已燒盡、但存數十字。元昊得之、又識其所賜刀、遂賜野利死。野利有大功、死不以罪、自此君臣猜貳、以至不能軍。平夏之功、世衡計謀居多、當時人未甚知之。世衡卒、乃錄其功、贈觀察使。
〔訳〕宝元年間〔宋、仁宗の年号、1038~39年〕タングートが国境地帯に侵入したが、中でも明珠族の首領が手強く、いちばんの厄介者になっていた。种世衡(ちゅうせいこう)が指揮官となって、これを何とか謀(たば)って生け捕りにしようとした。首領が非常に太鼓を打つのが好きだと聞いて、馬を一頭したて、銀をかぶせたまことにきらびやかな戦鼓を持たせて、忍びの者に明珠族のところへわざと入りこませた。そのうえで、えりすぐりの兵士数百人に、「なんでも銀の戦鼓を背負って行く者を見たら、力を合わせて生け捕りにせよ」と厳命した。と、ある日、タングートの首領は戦鼓を背負って出撃してきたので、とうとう世衡に捕えられてしまった。
また、李元昊〔りげんこう、タングート国家西夏の景宗皇帝〕の臣、野利(やり)こそは策士であって、天都山を守り、天都大王と号し、元昊の乳母の白姥(はくぼ)とは仲が悪かった。ある年の暮れ、野利が兵を引き連れて国境を巡察した際、中国内に深く入り込んで数野を過した。白姥はその機に乗じて叛意があるぞと中傷したが、元昊は半信半疑だった。世衡は以前タングートの酋長の子蘇吃曩(そきつのう)を捕え、これを鄭重にもてなしていた。元昊がかつて野利に宝刀を賜ったこと、そして吃曩の父が野利に気に入れられていることを聞くと、世衡は吃曩に野利の刀を盗ませて、辺境地区官吏の職位・錦の袍・純金の帯を与えることを約束した。吃曩が刀を手に入れて帰って来ると、世衡は、野利はすでに白姥のために中傷されて死んだと公言し国境に祭壇を設け、祭文を作って、ある年の暮に〔野利と〕カイケンしたときの楽しかったことなどを書き込んでおき、夜になると、紙銭を焼いたから草原は明々と照らし出された。タングートは日の光を見ると馬を引いて近づき様子をうかがい始めた。そこでわざと祭具を捨て、およそ千余両もする銀器もみな捨てて去った。タングートはこれを奪い合い、元昊が野利に賜った刀や、炉の中の数十字だけ残っている祭文も見つけた。元昊はこれらの品を手に入れ、自分が賜った刀を認めると、とうとう野利に死を賜った。野利は大変な功労があり、死罪などとんでもないことだったから、これ以来君臣が疑いあって戦いもできぬようになってしまった。
西夏平定の功は、世衡の計略に負うところが多いが、当時の人はまだあまりよくこれを知っていなかった。世衡が亡くなると、その功を認められ、観察使の職位が贈られた。
※宋の秦鳳路原州および永興軍環州一帯〔今の甘粛省東北部平涼専区〕に侵入したタングートには、明珠・滅蔵・康度という三大部族があり、いずれも強悍で討伐も困難なら順撫策にも応ぜず、この地帯の悩みの種になっていた。
※种世衡、字は仲平。宋の仁宗の時の名将。環州一帯の守備軍司令官となり、対タングート作戦に当たること数年、智謀に長けた上に士卒を可愛がり存分に戦力を発揮させて善戦し、また補給についても十分手を尽くして住民に迷惑をかけなかったので、没した時人々は彼の画像を画いて祀ったと言う。
※景宗李元昊は、帝王と将帥の器量を兼備した人で、前代太宗李徳明が宋と和親関係を結び貿易の利を蓄積して充実させた国力を元に、兵制・礼楽・文字を制定し、都を現在の寧夏回族自治区にあたる銀川市に当たる興慶府に定めるとともに、宋の国境に対して全面的な攻勢をとり、両国の交戦は数年に及んだが、両軍とも戦い疲れて1044年に和約が結ばれた。
寶元中、黨項犯邊、有明珠族首領驍悍、最為邊患。種世衡為將、欲以計擒之。聞其好擊鼓、乃造一馬、持戰鼓、以銀裹之、極華煥、密使諜者陽賣之入明珠族。後乃擇驍卒數百人、戒之曰:“凡見負銀鼓自隨者、並力擒之。”一日、羌酋負鼓而出、遂為世衡所擒、又元昊之臣野利、常為謀主、守天都山、號天都大王、與元昊乳母白姥有隙。歳除日、野利引兵巡邊、深涉漢境數宿、白姥乘間乃譖其欲叛、元昊疑之。世衡嘗和蕃酋之子蘇吃曩、厚遇之。聞元昊嘗賜野利寶刀、而吃曩之父得幸於野利。世衡因使吃曩竊野利刀、許之以緣邊職任、錦袍、真金帶。吃曩得刀以還。世衡乃唱言野利已為白姥譖死、設祭境上、為祭文、敘歳除日相見之歡。入夜、乃火燒紙錢、川中盡明、虜見火光、引騎近邊窺覘、乃佯委祭具、而銀器凡千余兩悉棄之。虜人爭取器皿、得元昊所賜刀、乃火爐中見祭文已燒盡、但存數十字。元昊得之、又識其所賜刀、遂賜野利死。野利有大功、死不以罪、自此君臣猜貳、以至不能軍。平夏之功、世衡計謀居多、當時人未甚知之。世衡卒、乃錄其功、贈觀察使。
〔訳〕宝元年間〔宋、仁宗の年号、1038~39年〕タングートが国境地帯に侵入したが、中でも明珠族の首領が手強く、いちばんの厄介者になっていた。种世衡(ちゅうせいこう)が指揮官となって、これを何とか謀(たば)って生け捕りにしようとした。首領が非常に太鼓を打つのが好きだと聞いて、馬を一頭したて、銀をかぶせたまことにきらびやかな戦鼓を持たせて、忍びの者に明珠族のところへわざと入りこませた。そのうえで、えりすぐりの兵士数百人に、「なんでも銀の戦鼓を背負って行く者を見たら、力を合わせて生け捕りにせよ」と厳命した。と、ある日、タングートの首領は戦鼓を背負って出撃してきたので、とうとう世衡に捕えられてしまった。
また、李元昊〔りげんこう、タングート国家西夏の景宗皇帝〕の臣、野利(やり)こそは策士であって、天都山を守り、天都大王と号し、元昊の乳母の白姥(はくぼ)とは仲が悪かった。ある年の暮れ、野利が兵を引き連れて国境を巡察した際、中国内に深く入り込んで数野を過した。白姥はその機に乗じて叛意があるぞと中傷したが、元昊は半信半疑だった。世衡は以前タングートの酋長の子蘇吃曩(そきつのう)を捕え、これを鄭重にもてなしていた。元昊がかつて野利に宝刀を賜ったこと、そして吃曩の父が野利に気に入れられていることを聞くと、世衡は吃曩に野利の刀を盗ませて、辺境地区官吏の職位・錦の袍・純金の帯を与えることを約束した。吃曩が刀を手に入れて帰って来ると、世衡は、野利はすでに白姥のために中傷されて死んだと公言し国境に祭壇を設け、祭文を作って、ある年の暮に〔野利と〕カイケンしたときの楽しかったことなどを書き込んでおき、夜になると、紙銭を焼いたから草原は明々と照らし出された。タングートは日の光を見ると馬を引いて近づき様子をうかがい始めた。そこでわざと祭具を捨て、およそ千余両もする銀器もみな捨てて去った。タングートはこれを奪い合い、元昊が野利に賜った刀や、炉の中の数十字だけ残っている祭文も見つけた。元昊はこれらの品を手に入れ、自分が賜った刀を認めると、とうとう野利に死を賜った。野利は大変な功労があり、死罪などとんでもないことだったから、これ以来君臣が疑いあって戦いもできぬようになってしまった。
西夏平定の功は、世衡の計略に負うところが多いが、当時の人はまだあまりよくこれを知っていなかった。世衡が亡くなると、その功を認められ、観察使の職位が贈られた。
※宋の秦鳳路原州および永興軍環州一帯〔今の甘粛省東北部平涼専区〕に侵入したタングートには、明珠・滅蔵・康度という三大部族があり、いずれも強悍で討伐も困難なら順撫策にも応ぜず、この地帯の悩みの種になっていた。
※种世衡、字は仲平。宋の仁宗の時の名将。環州一帯の守備軍司令官となり、対タングート作戦に当たること数年、智謀に長けた上に士卒を可愛がり存分に戦力を発揮させて善戦し、また補給についても十分手を尽くして住民に迷惑をかけなかったので、没した時人々は彼の画像を画いて祀ったと言う。
※景宗李元昊は、帝王と将帥の器量を兼備した人で、前代太宗李徳明が宋と和親関係を結び貿易の利を蓄積して充実させた国力を元に、兵制・礼楽・文字を制定し、都を現在の寧夏回族自治区にあたる銀川市に当たる興慶府に定めるとともに、宋の国境に対して全面的な攻勢をとり、両国の交戦は数年に及んだが、両軍とも戦い疲れて1044年に和約が結ばれた。
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