瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 夢渓筆談 巻20より 隕石
 治平元年、常州日禺時、天有大聲如雷、乃一大星、幾如月、見於東南。少時而又震一聲、移著西南。又一震而墜在宜興縣民許氏園中。遠近皆見、火光赫然照天、許氏藩籬皆為所焚。是時火息、視地中有一竅如杯大、極深。下視之、星在其中、熒熒然。良久漸暗、尚熱不可近。又久之、發其竅、深三尺余、乃得一圓石、猶熱、其大如拳、一頭微銳、色如鐵、重亦如之。州守鄭伸得之、送潤州金山寺、至今匣藏、遊人到則發視。王無咎為之傳甚詳。
089b2dab.jpeg〔訳〕治平元〔宋、英宗の年号。1064年〕常州〔江蘇省武進県〕で、日暮れ時に天で雷のような大音響がして、月のような大きな星が東南の空に現れた。やがてまた一大音響を発して西南に移り、さらに一大音響を発して宣興県〔常州府に属する〕の許氏の園中に落ちた。遠きも近きもみなこれを目撃したが、火光はあかあかと天を照らし、許氏の屋敷はすっかり焼けてしまった。火がやんでから見ると、地中には杯ほどの大きさの穴が深々とあいており、その奥をよく見ると、星がきらきらと輝いている。しだいに輝きを失っていったが、でも熱くて近づくことが出来ない。またしばらく経って、その穴を掘ってみると、深さは三尺あまりであり、円い石が出てきた。まだ熱い。大きさは拳(こぶし)ほど、一方が少しとがっており、色は鉄と同じで重さもまた鉄と同じである。州知事の鄭伸はこれを手に入れると、潤州〔江蘇省〕の金山寺に送った。今でもこれを箱に入れてしまってあり、参観客が来るとあけて見せている。王無咎(おうむきゅう)がこの石について大変詳しい伝を書いている。

c28fce78.jpeg※中国に於ける隕石についての科学的な記録の最初である。隕石という語は『春秋』にも出てくるふるいことばであり、中国人は古くから隕石についての記録を残しているが、その多くは、天上の楽器が壊れて落ちてきたもの、という類のものであった。ヨーロッパでも隕石の落下現象が科学的に広く認められたものは、18世紀末Ernst Chladni〔エルンスト クラドニ、1756~1827年、〕らの学者の熱心な主張以来のことである。
※王無咎〔1023~69年〕は天台県〔淅江省〕の知事になり、のち官をすてて王安石にしたがって遊び、書を好み学問に努めたという人物という。
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