瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
夢渓筆談 巻22より 占い商売のコツ
京師賣蔔者、唯利舉場時舉人占得失。取之各有術:有求目下之利者、凡有人問、皆日“必得。”士人樂得所欲、竟往問之。有邀以後之利者、凡有人問、悉日“不得”。下第者常過十分之七、皆以謂術精而言直、後舉倍獲。有因此著名。終身饗利者。
〔訳〕都の占い師が、かせぐのはもっぱら科挙の時の挙人の合否の占いで、それにはいろいろな手がある。目先の利を稼ごうとする者は、どんな人の問に対しても、すべて「必ずうまくいく」と答える。受験生はありがたいご宣託が得られるというので、どっとそこにおしかけるわけだ。
先のことを考えて利を得ようとする者は、なんでも「だめです」と答える。落第するものはつねに十分の七以上はいるから、みなは、占いの腕がよくてしかも歯に衣(きぬ)着せず言ってくれる占い師と考えて、つぎの科挙には倍もの客が押しかける。こうして有名になって一生たんまり稼ぐのであった。
夢渓筆談 巻22より 雅言の罪
李獻臣好為雅言。曾知鄭州、時孫次公為陜漕罷赴闕、先遣一使臣入京。所遣乃獻臣故吏、到鄭庭參、獻臣甚喜、欲令左右延飯、乃問之曰:“餐來未?”使臣誤意“餐”者謂次公也、遽對曰:“離長安日、都運待制已治裝。”獻臣曰:“不問孫待制、官人餐來未?”其人慚沮而言曰:“不敢仰昧、為三司軍將日、曾吃卻十三。”蓋鄙語謂遭杖為餐。獻臣掩口曰:“官人誤也。問曾與未曾餐飯、欲奉留一食耳”。
〔訳〕李献臣は好んで気取った言葉をつかった。かつて鄭州〔河南省鄭県〕の知事をしていたとき、孫次公が〔陝西での〕租税徴収輸送の任をおえて都に上ることになり、まず一使臣を都に遣わした。この使臣が献臣の旧部下で、鄭州の役所にご機嫌伺いに寄ったので、献臣は非常に喜び、左右に命じて食事をふるまってやろうとした。そこで使臣に「餐〔食事〕はまだかな」と聞くと、使臣は「餐」を孫次公の「孫」と間違えて、あわてて、「長安を離れたときには都運待制(とのさま)はすでに出発の支度を整えておりました」と答えた。献臣、「孫待制(そんどの)のことを聞いているのではない。そちは餐はまだか」と、使臣は恥じ入ったさまで、「申し訳ございません。禁衛軍につとめておりましたときに杖打十三を受けたことがございます」という。族に杖刑をくらうことを「餐(ごちそう)」という。献臣はくちをおおって言った。「そちの思い違いじゃ。まだ食事をしていないかどうかを尋ねて馳走してやりたかったのじゃよ」
※李献臣(生没年不詳)は名を淑といい、献臣は字(あざな)。宋の真宗の時進士で天子の秘書官である竜図閣学士になったという。孫次公(生没年不詳)は名を長卿といい、次公は字。やはり竜図閣学士となった。都運待制は孫次公をその官職で呼んだ敬称。宋代には特に二路以上の徴税地方財政を総括する長官を都転運使といった。待制とは天子の秘書官のこと。
京師賣蔔者、唯利舉場時舉人占得失。取之各有術:有求目下之利者、凡有人問、皆日“必得。”士人樂得所欲、竟往問之。有邀以後之利者、凡有人問、悉日“不得”。下第者常過十分之七、皆以謂術精而言直、後舉倍獲。有因此著名。終身饗利者。
〔訳〕都の占い師が、かせぐのはもっぱら科挙の時の挙人の合否の占いで、それにはいろいろな手がある。目先の利を稼ごうとする者は、どんな人の問に対しても、すべて「必ずうまくいく」と答える。受験生はありがたいご宣託が得られるというので、どっとそこにおしかけるわけだ。
先のことを考えて利を得ようとする者は、なんでも「だめです」と答える。落第するものはつねに十分の七以上はいるから、みなは、占いの腕がよくてしかも歯に衣(きぬ)着せず言ってくれる占い師と考えて、つぎの科挙には倍もの客が押しかける。こうして有名になって一生たんまり稼ぐのであった。
夢渓筆談 巻22より 雅言の罪
李獻臣好為雅言。曾知鄭州、時孫次公為陜漕罷赴闕、先遣一使臣入京。所遣乃獻臣故吏、到鄭庭參、獻臣甚喜、欲令左右延飯、乃問之曰:“餐來未?”使臣誤意“餐”者謂次公也、遽對曰:“離長安日、都運待制已治裝。”獻臣曰:“不問孫待制、官人餐來未?”其人慚沮而言曰:“不敢仰昧、為三司軍將日、曾吃卻十三。”蓋鄙語謂遭杖為餐。獻臣掩口曰:“官人誤也。問曾與未曾餐飯、欲奉留一食耳”。
〔訳〕李献臣は好んで気取った言葉をつかった。かつて鄭州〔河南省鄭県〕の知事をしていたとき、孫次公が〔陝西での〕租税徴収輸送の任をおえて都に上ることになり、まず一使臣を都に遣わした。この使臣が献臣の旧部下で、鄭州の役所にご機嫌伺いに寄ったので、献臣は非常に喜び、左右に命じて食事をふるまってやろうとした。そこで使臣に「餐〔食事〕はまだかな」と聞くと、使臣は「餐」を孫次公の「孫」と間違えて、あわてて、「長安を離れたときには都運待制(とのさま)はすでに出発の支度を整えておりました」と答えた。献臣、「孫待制(そんどの)のことを聞いているのではない。そちは餐はまだか」と、使臣は恥じ入ったさまで、「申し訳ございません。禁衛軍につとめておりましたときに杖打十三を受けたことがございます」という。族に杖刑をくらうことを「餐(ごちそう)」という。献臣はくちをおおって言った。「そちの思い違いじゃ。まだ食事をしていないかどうかを尋ねて馳走してやりたかったのじゃよ」
※李献臣(生没年不詳)は名を淑といい、献臣は字(あざな)。宋の真宗の時進士で天子の秘書官である竜図閣学士になったという。孫次公(生没年不詳)は名を長卿といい、次公は字。やはり竜図閣学士となった。都運待制は孫次公をその官職で呼んだ敬称。宋代には特に二路以上の徴税地方財政を総括する長官を都転運使といった。待制とは天子の秘書官のこと。
プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
92
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
sechin@nethome.ne.jp です。
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