瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
早いもので、マイチが逝ってはやひと月。
アルバムを開くと、思い出が頭の中を走馬灯のように駆け巡る。マイチよ、今はただ安らかに眠りたまえ。 遅ればせながら我もまた何時か逝かむ。
涅槃経に「諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅爲樂」とあり、これを諸行無常偈と呼ぶ。釈迦が前世における雪山童子であった時、この中の後半偈を聞く為に身を羅刹に捨てしなり。これより雪山偈とも言われる。「諸行は無常であってこれは生滅の法であり、生滅の法は苦である。」この半偈は流転門。「この生と滅とを滅しおわって、生なく滅なきを寂滅とす。寂滅は即ち涅槃、是れ楽なり。」「為楽」というのは、涅槃楽を受けるというのではない。有為の苦に対して寂滅を楽といっているだけである。後半偈は還滅門。
生滅の法は苦であるとされているが、生滅するから苦なのではない。生滅する存在であるにもかかわらず、それを常住なものであると観るから苦が生じるのである。この点を忘れてはならないとするのが仏教の基本的立場である。なお涅槃経では、この諸行無常の理念をベースとしつつ、この世にあって、仏こそが常住不変であり、涅槃の世界こそ「常楽我浄」であると説いているだという。
贈東林総長老 蘇軾(北宋・1036~1101)
渓声便是広長舌 渓声(けいせい)便ち是れ広長舌(こうちょうぜつ)
山色豈非清浄身 山色(さんしょく)豈に清浄身(しょうじょうしん)に非ずや
夜来八萬四千偈 夜来八萬四千偈(やらいはちまんしせんげ)
他日如何挙似人 他日(たじつ)如何(いかん)ぞ人に挙似(こじ)せん
〔訳〕渓川(たにがわ)の音は御仏の説法の声
山の姿は清らかな御仏の体
昨夜悟った八万四千の偈 (禅の悟り)
その境地を人に伝えることはできない
爺が小学6年のときに習った国語教科書の中からの一文を掲載しよう。
七 修行者と羅刹(らせつ)
色はにほへど散りぬるを、わがよたれぞ常ならむ。
どこからか聞えて來る尊いことば。美しい聲。
ところは雪山(せっせん)の山の中である。長い間の難行苦行に、身も心も疲れきつた一人の修行者が、ふとこのことばに耳を傾けた。
いひ知れぬ喜びが、かれの胸にわきあがつて來た。病人が良藥を得、渇者が淸冷な水を得たのにもまして、大きな喜びであつた。
「今のは佛の御聲でなかつたらうか。」
と、かれは考へた。しかし、「花は咲いてもたちまち散り、人は生まれてもやがて死ぬ。無常は生ある者の免れない運命である。」といふ今のことばだけでは、まだ十分でない。もしあれが佛のみことばであれば、そのあとに何か續くことばがなくてはならない。かれには、さう思はれた。
修行者は、座を立つてあたりを見まはしたが、佛の御姿も人影もない。ただ、ふとそば近く、恐しい惡魔(あくま)の姿をした羅刹のゐるのに氣がついた。
「この羅刹の聲であつたらうか。」
さう思ひながら、修行者は、じつとそのものすごい形相を見つめた。
「まさか、この無知非道な羅刹のことばとは思へない。」
と、一度は否定してみたが、
「いやいや、かれとても、昔の御佛に敎へを聞かなかつたとは限らない。よし、相手は羅刹にもせよ、惡魔にもせよ、佛のみことばとあれば聞かなければならない。」
修行者はかう考へて、靜かに羅刹に問ひかけた。
「いつたいおまへは、だれに今のことばを敎へられたのか。思ふに、佛のみことばであらう。それも前半分で、まだあとの半分があるに違ひない。前半分を聞いてさへ、私は喜びにたへないが、どうか殘りを聞かせて、私に悟りを開かせてくれ。」
すると、羅刹はとぼけたやうに、
「わしは、何も知りませんよ、行者さん。わしは腹がへつてをります。あんまりへつたので、つい、うは言が出たかも知れないが、わしには何も覺えがないのです。」
と答へた。
修行者は、いつそう謙遜な心でいつた。
「私はおまへの弟子にならう。終生の弟子にならう。どうか、殘りを敎へていただきたい。」
羅刹は首を振つた。
「だめだ、行者さん。おまへは自分のことばつかり考へて、人の腹のへつてゐることを考へてくれない。」
「いつたい、おまへは何をたべるのか。」
「びつくりしちやいけませんよ。わしのたべ物といふのはね、行者さん、人間の生肉、それから飲み物といふのが、人間の生き血さ。」
といふそばから、さも食ひしんばうらしく、羅刹は舌なめずりをした。
しかし、修行者は少しも驚かなかつた。
「よろしい。あのことばの殘りを聞かう。さうしたら、私のからだをおまへにやつてもよい。」
「えつ。たつた二文句ですよ。二文句と、行者さんのからだと、取りかへつこをしてもよいといふのですかい。」
修行者は、どこまでも眞劒であつた。
「どうせ死ぬべきこのからだを捨てて、永久の命を得ようといふのだ。何でこの身が惜しからう。」
かういひながら、かれはその身に着けてゐる鹿(しか)の皮を取つて、それを地上に敷いた。
「さあ、これへおすわりください。つつしんで佛のみことばを承りませう。」
羅刹は座に着いて、おもむろに口を開いた。あの恐しい形相から、どうしてこんな聲が出るかと思はれるほど美しい聲である。
「有爲(うゐ)の奥山今日越えて、
淺き夢見じ醉(ゑ)ひもせず。」
と歌ふやうにいひ終ると、
「たつたこれだけですがね、行者さん。でも、お約束だから、そろそろごちそうになりませうかな。」
といつて、ぎよろりと目を光らした。
修行者は、うつとりとしてこのことばを聞き、それをくり返し口に唱へた。すると、「生死を超越してしまへば、もう淺はかな夢も迷ひもない。そこにほんたうの 悟りの境地がある。」
といふ深い意味が、かれにはつきりと浮かんだ。心は喜びでいつぱいになつた。
この喜びをあまねく世に分つて、人間を救はなければならないと、かれは思つた。かれは、あたりの石といはず、木の幹といはず、今のことばを書きつけた。
色はにほへど散りぬるを、
わが世たれぞ常ならむ。
有爲の奥山今日越えて、
淺き夢見じ醉ひもせず。
書き終ると、かれは手近にある木に登つた。そのてつぺんから身を投じて、今や羅刹の餌食(ゑじき)にならうといふのである。
木は、枝や葉を震はせながら、修行者の心に感動するかのやうに見えた。修行者は、
「一言半句の敎へのために、この身を捨てるわれを見よ。」
と高らかにいつて、ひらりと樹上から飛んだ。
とたんに、妙なる樂の音が起つて、朗かに天上に響き渡つた。と見れば、あの恐しい羅刹は、たちまち端嚴な帝釋天(たいしやくてん)の姿となつて、修行者を空中にささげ、さうしてうやうやしく地上に安置した。
もろもろの尊者、多くの天人たちが現れて、修行者の足もとにひれ伏しながら、心から禮拜した。
この修行者こそ、ただ一すぢに道を求めて止まなかつた、ありし日のお釋迦(しやか)樣であつた。
国民学校国語教科書『初等科國語八』より(文体は旧仮名遣い)
アルバムを開くと、思い出が頭の中を走馬灯のように駆け巡る。マイチよ、今はただ安らかに眠りたまえ。 遅ればせながら我もまた何時か逝かむ。
涅槃経に「諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅爲樂」とあり、これを諸行無常偈と呼ぶ。釈迦が前世における雪山童子であった時、この中の後半偈を聞く為に身を羅刹に捨てしなり。これより雪山偈とも言われる。「諸行は無常であってこれは生滅の法であり、生滅の法は苦である。」この半偈は流転門。「この生と滅とを滅しおわって、生なく滅なきを寂滅とす。寂滅は即ち涅槃、是れ楽なり。」「為楽」というのは、涅槃楽を受けるというのではない。有為の苦に対して寂滅を楽といっているだけである。後半偈は還滅門。
生滅の法は苦であるとされているが、生滅するから苦なのではない。生滅する存在であるにもかかわらず、それを常住なものであると観るから苦が生じるのである。この点を忘れてはならないとするのが仏教の基本的立場である。なお涅槃経では、この諸行無常の理念をベースとしつつ、この世にあって、仏こそが常住不変であり、涅槃の世界こそ「常楽我浄」であると説いているだという。
贈東林総長老 蘇軾(北宋・1036~1101)
渓声便是広長舌 渓声(けいせい)便ち是れ広長舌(こうちょうぜつ)
山色豈非清浄身 山色(さんしょく)豈に清浄身(しょうじょうしん)に非ずや
夜来八萬四千偈 夜来八萬四千偈(やらいはちまんしせんげ)
他日如何挙似人 他日(たじつ)如何(いかん)ぞ人に挙似(こじ)せん
〔訳〕渓川(たにがわ)の音は御仏の説法の声
山の姿は清らかな御仏の体
昨夜悟った八万四千の偈 (禅の悟り)
その境地を人に伝えることはできない
爺が小学6年のときに習った国語教科書の中からの一文を掲載しよう。
七 修行者と羅刹(らせつ)
色はにほへど散りぬるを、わがよたれぞ常ならむ。
どこからか聞えて來る尊いことば。美しい聲。
ところは雪山(せっせん)の山の中である。長い間の難行苦行に、身も心も疲れきつた一人の修行者が、ふとこのことばに耳を傾けた。
いひ知れぬ喜びが、かれの胸にわきあがつて來た。病人が良藥を得、渇者が淸冷な水を得たのにもまして、大きな喜びであつた。
「今のは佛の御聲でなかつたらうか。」
と、かれは考へた。しかし、「花は咲いてもたちまち散り、人は生まれてもやがて死ぬ。無常は生ある者の免れない運命である。」といふ今のことばだけでは、まだ十分でない。もしあれが佛のみことばであれば、そのあとに何か續くことばがなくてはならない。かれには、さう思はれた。
修行者は、座を立つてあたりを見まはしたが、佛の御姿も人影もない。ただ、ふとそば近く、恐しい惡魔(あくま)の姿をした羅刹のゐるのに氣がついた。
「この羅刹の聲であつたらうか。」
さう思ひながら、修行者は、じつとそのものすごい形相を見つめた。
「まさか、この無知非道な羅刹のことばとは思へない。」
と、一度は否定してみたが、
「いやいや、かれとても、昔の御佛に敎へを聞かなかつたとは限らない。よし、相手は羅刹にもせよ、惡魔にもせよ、佛のみことばとあれば聞かなければならない。」
修行者はかう考へて、靜かに羅刹に問ひかけた。
「いつたいおまへは、だれに今のことばを敎へられたのか。思ふに、佛のみことばであらう。それも前半分で、まだあとの半分があるに違ひない。前半分を聞いてさへ、私は喜びにたへないが、どうか殘りを聞かせて、私に悟りを開かせてくれ。」
すると、羅刹はとぼけたやうに、
「わしは、何も知りませんよ、行者さん。わしは腹がへつてをります。あんまりへつたので、つい、うは言が出たかも知れないが、わしには何も覺えがないのです。」
と答へた。
修行者は、いつそう謙遜な心でいつた。
「私はおまへの弟子にならう。終生の弟子にならう。どうか、殘りを敎へていただきたい。」
羅刹は首を振つた。
「だめだ、行者さん。おまへは自分のことばつかり考へて、人の腹のへつてゐることを考へてくれない。」
「いつたい、おまへは何をたべるのか。」
「びつくりしちやいけませんよ。わしのたべ物といふのはね、行者さん、人間の生肉、それから飲み物といふのが、人間の生き血さ。」
といふそばから、さも食ひしんばうらしく、羅刹は舌なめずりをした。
しかし、修行者は少しも驚かなかつた。
「よろしい。あのことばの殘りを聞かう。さうしたら、私のからだをおまへにやつてもよい。」
「えつ。たつた二文句ですよ。二文句と、行者さんのからだと、取りかへつこをしてもよいといふのですかい。」
修行者は、どこまでも眞劒であつた。
「どうせ死ぬべきこのからだを捨てて、永久の命を得ようといふのだ。何でこの身が惜しからう。」
かういひながら、かれはその身に着けてゐる鹿(しか)の皮を取つて、それを地上に敷いた。
「さあ、これへおすわりください。つつしんで佛のみことばを承りませう。」
羅刹は座に着いて、おもむろに口を開いた。あの恐しい形相から、どうしてこんな聲が出るかと思はれるほど美しい聲である。
「有爲(うゐ)の奥山今日越えて、
淺き夢見じ醉(ゑ)ひもせず。」
と歌ふやうにいひ終ると、
「たつたこれだけですがね、行者さん。でも、お約束だから、そろそろごちそうになりませうかな。」
といつて、ぎよろりと目を光らした。
修行者は、うつとりとしてこのことばを聞き、それをくり返し口に唱へた。すると、「生死を超越してしまへば、もう淺はかな夢も迷ひもない。そこにほんたうの 悟りの境地がある。」
といふ深い意味が、かれにはつきりと浮かんだ。心は喜びでいつぱいになつた。
この喜びをあまねく世に分つて、人間を救はなければならないと、かれは思つた。かれは、あたりの石といはず、木の幹といはず、今のことばを書きつけた。
色はにほへど散りぬるを、
わが世たれぞ常ならむ。
有爲の奥山今日越えて、
淺き夢見じ醉ひもせず。
書き終ると、かれは手近にある木に登つた。そのてつぺんから身を投じて、今や羅刹の餌食(ゑじき)にならうといふのである。
木は、枝や葉を震はせながら、修行者の心に感動するかのやうに見えた。修行者は、
「一言半句の敎へのために、この身を捨てるわれを見よ。」
と高らかにいつて、ひらりと樹上から飛んだ。
とたんに、妙なる樂の音が起つて、朗かに天上に響き渡つた。と見れば、あの恐しい羅刹は、たちまち端嚴な帝釋天(たいしやくてん)の姿となつて、修行者を空中にささげ、さうしてうやうやしく地上に安置した。
もろもろの尊者、多くの天人たちが現れて、修行者の足もとにひれ伏しながら、心から禮拜した。
この修行者こそ、ただ一すぢに道を求めて止まなかつた、ありし日のお釋迦(しやか)樣であつた。
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目高 拙痴无
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1932/02/04
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