瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
夢渓筆談 巻11より 塩価安定法
陜西顆鹽、舊法官自搬運、置務拘賣。兵部員外郎範祥始為鈔法、令商人就邊郡入錢四貫八百售一鈔、至解池請鹽二百斤、任其私賣、得錢以實塞下、省數十郡搬運之勞。異日輦車牛驢以鹽役死者、歳以萬計、冒禁抵罪者、不可勝數;至此悉免。行之既久、鹽價時有低昂、又於京師置都鹽院、陜西轉運司自遣官主之。京師食鹽、斤不足三十五錢、則斂而不發、以長鹽價;過四十、則大發庫鹽、以壓商利。使鹽價有常、而鈔法有定數。行之數十年、至今以為利也。
〔訳〕陝西の顆塩(かえん)は、旧専売法では、役所がみずから運搬し、市場を設けて売りさばきまでしていた。兵部員下郎の范祥(はんしょう)が初めて塩鈔(えんしょう)を発行して商人に運搬売りさばきをさせる方法を採用した。商人が陝西の辺境に入るのに銭四貫八百文を収めさせて塩鈔一枚を与え、解池に着くと二百斤の塩と引き換えて、売りさばきはその自由に任せたのである。得た利益で辺境の警備を充実させることが出来、数十郡にわたる運搬の労を省くことも出来た。以前には手車やら牛やら驢馬やらみな塩の運搬にかり出され、そのために死ぬものが、年に万を数えたし、禁を犯して塩を私売して罪にふれる者も数え切れぬほどあったが、塩鈔の法が行われるようになってすっかりなくなった。
この法がおこなわれるようになってだいぶ経つ間に、塩の価格が時により高下するようになった。そこで都〔開封〕に都塩院〔塩価調整局〕を置き、陝西転運使がみずから担当官を派遣してこれを主管した。都で塩が一斤三十五文に足らぬ場合には、退蔵政策を執り塩を出荷せず、塩の価格が上って四十文をこえると貯蔵してあった塩を大量に出荷して、商人がぼろ儲けできないように値をおさえて塩価を安定させ、塩鈔の発行も定額を守れるようにしたのである。この方法を行って数十年、今に至るまでその恩恵を受けているわけである。
※宋代の中国で産した塩には、淮南・淅江などの海岸で作られる粉末状の「末塩〔海塩〕」、山西省解州などにある塩池からとれる粒状の「顆塩〔池塩〕」、四川の塩井からなどから汲みあげて取る「井塩」、そして甘粛の土崖から取れる岩塩「崖塩」の4種があった。この4種の内で主要なものが淮淅の末塩と解州〔いまの山西省運城県、宋代にはこの地方は陝西路に属していた〕を主産地とする顆塩である。当時塩を販売しようとする商人は首都開封にある専売局「榷貨務〈かくかむ〉」に代価を納めて、塩鈔という現物引換券をもらい、これを産地にもっていって塩の払い下げを受けた。
※宋の仁宗の慶暦8(1048)年に范祥が解州塩法の改革を行ない、陝西の秦・延・鎭戎などの九つの折博務という専売支局で解塩の塩鈔を発行することにして、この利益は軍糧調達に用いられた。
陜西顆鹽、舊法官自搬運、置務拘賣。兵部員外郎範祥始為鈔法、令商人就邊郡入錢四貫八百售一鈔、至解池請鹽二百斤、任其私賣、得錢以實塞下、省數十郡搬運之勞。異日輦車牛驢以鹽役死者、歳以萬計、冒禁抵罪者、不可勝數;至此悉免。行之既久、鹽價時有低昂、又於京師置都鹽院、陜西轉運司自遣官主之。京師食鹽、斤不足三十五錢、則斂而不發、以長鹽價;過四十、則大發庫鹽、以壓商利。使鹽價有常、而鈔法有定數。行之數十年、至今以為利也。
〔訳〕陝西の顆塩(かえん)は、旧専売法では、役所がみずから運搬し、市場を設けて売りさばきまでしていた。兵部員下郎の范祥(はんしょう)が初めて塩鈔(えんしょう)を発行して商人に運搬売りさばきをさせる方法を採用した。商人が陝西の辺境に入るのに銭四貫八百文を収めさせて塩鈔一枚を与え、解池に着くと二百斤の塩と引き換えて、売りさばきはその自由に任せたのである。得た利益で辺境の警備を充実させることが出来、数十郡にわたる運搬の労を省くことも出来た。以前には手車やら牛やら驢馬やらみな塩の運搬にかり出され、そのために死ぬものが、年に万を数えたし、禁を犯して塩を私売して罪にふれる者も数え切れぬほどあったが、塩鈔の法が行われるようになってすっかりなくなった。
この法がおこなわれるようになってだいぶ経つ間に、塩の価格が時により高下するようになった。そこで都〔開封〕に都塩院〔塩価調整局〕を置き、陝西転運使がみずから担当官を派遣してこれを主管した。都で塩が一斤三十五文に足らぬ場合には、退蔵政策を執り塩を出荷せず、塩の価格が上って四十文をこえると貯蔵してあった塩を大量に出荷して、商人がぼろ儲けできないように値をおさえて塩価を安定させ、塩鈔の発行も定額を守れるようにしたのである。この方法を行って数十年、今に至るまでその恩恵を受けているわけである。
※宋代の中国で産した塩には、淮南・淅江などの海岸で作られる粉末状の「末塩〔海塩〕」、山西省解州などにある塩池からとれる粒状の「顆塩〔池塩〕」、四川の塩井からなどから汲みあげて取る「井塩」、そして甘粛の土崖から取れる岩塩「崖塩」の4種があった。この4種の内で主要なものが淮淅の末塩と解州〔いまの山西省運城県、宋代にはこの地方は陝西路に属していた〕を主産地とする顆塩である。当時塩を販売しようとする商人は首都開封にある専売局「榷貨務〈かくかむ〉」に代価を納めて、塩鈔という現物引換券をもらい、これを産地にもっていって塩の払い下げを受けた。
※宋の仁宗の慶暦8(1048)年に范祥が解州塩法の改革を行ない、陝西の秦・延・鎭戎などの九つの折博務という専売支局で解塩の塩鈔を発行することにして、この利益は軍糧調達に用いられた。
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