瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
本日は姉の四十九日、満中陰に当たる。
浄土真宗では、故人は臨終と同時に仏(諸仏)になると考えるので、中陰期間は、故人に対する追慕、故人を通して「生と死」について考え、謹慎し求法の生活をする期間であるという。
甥のHNの報せによると、本日福岡の市内にある真宗本願寺派の西光寺において満中陰の法要を行ない、お骨は西光寺の納骨堂に納めると言う。
岳陽楼は湖南省岳陽市の西門城頭にある。唐代開元四(716)年の建立。宋代慶暦五年(1045)、滕子京が岳陽楼を再建し、範仲淹が『岳陽楼記』を詠んだ。昨日のブログで紹介した「先天下之憂而憂、後天下之楽而楽」(天下の憂いに先んじて憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ)」の名句、格言により、岳陽楼はその名をさらに知られるようになった。「岳陽楼記」は全部で360字、文も情も深く優れたもので、心底から感動させられるもの、以下に紹介しよう。
岳陽楼記 范文正
慶歴四年春、滕子京謫、守巴陵郡。越明年、政通人和、百廃具興。乃重修岳陽楼、増其旧制、刻唐賢今人之詩賦于其上、属予作文以記之。
予観夫巴陵勝状、在洞庭一湖。銜遠山、呑長江、浩浩蕩蕩、横無際涯、朝暉夕陰、気象万千。此則岳陽楼之大観也。前人之述備矣。然則北通巫峡、南極瀟湘、遷客騒人、多会于此。覧物之情、得無異乎。
若夫霪雨霏霏、連月不開、陰風怒号、濁浪排空、日星隠曜、山岳潜形、商旅不行、檣傾楫摧、薄暮冥冥、虎嘯猿啼、登斯楼也、則有去国懐郷、憂讒畏譏、満目蕭然、感極而悲者矣。
至若春和景明、波瀾不驚 上下天光、一碧万頃、沙鴎翔集、錦鱗游泳、岸芷汀蘭、郁郁青青、而或長煙一空、晧月千里、浮光耀金、静影沈璧、漁歌互答、此楽何極。登斯楼也、則有心曠神怡、寵辱皆忘、把酒臨風、其喜洋洋者矣。
嗟夫。予嘗求古仁人之心、或異二者之為何哉。不以物喜、不以己悲。居廟堂之高、則憂其民、処江湖之遠、則憂其君。是進亦憂、退亦憂。然則何時而楽耶。其必曰、先天下之憂而憂、後天下之楽而楽歟。噫、微斯人、吾誰与帰。
〔訳〕 慶暦四(1044)年の春、滕子京が左遷されて巴陵郡(湖南省岳陽)の太守となった。かくてその翌年には、ここの政治は行き届いて人々の間は平和に、多くの廃れていたものがいずれも復興した。岳陽楼の復讐もようやくおこなわれ、元の形に増築し、唐代のすぐれた人々、今の人々の詩賦を楼上に刻み、私に頼んで文章を書き残させたのである。
私の見るところでは、あの巴陵のすぐれた景色は、洞庭湖一つにかかっている。遠くの山脈(やまなみ)の影をうつし、揚子江の流れを呑みこみ、広々とうち広がって、どこまでも果てしがなく、朝日の光、夕ぐれのうす闇に、気象は千変万化する。これが岳陽楼からの一望であり、古人の述べつくしてきたところである。だからこそ北は巫峡の果て、南は潚水・湘水の果まで、流浪の旅人や憂愁の詩人たちの多くがこの地に集まったが、風物を眺めての心情が、さまざまであったのも当然であろう。
もし長雨が降り続き、幾月も晴れやらず、陰気な風が唸り声を上げ、濁った波が空をつき、日も星も光をかくし、峰々も姿をひそめ、行商人や旅人も進めず、帆柱は傾き楫はくだけ、夕闇が黒々と迫って、虎がうそむき猿がなくとき、この楼に登れば、後にした故郷を思い、人々の非難になやみ、目前のものすべてが物寂しく、感極まって悲しむものもあるだろう。
またもし、春おだやかに景色も明るく、波ひとつさわがず、天地に光みなぎり、万頃(広大な広さ)の広がりは碧一色、かもめが飛び交い集い、銀輪の魚が泳ぎ回り、岸辺の芷(よろいぐさ)、水際の蘭が、芳香を放って青々と伸び、あるいはまた、たなびくもやが空一帯にかかり、輝く月が千里を照らし、水面の光が金色におどり、ひっそりとした月影は湖水に璧を沈めたようにみえ、漁師の歌が互いに呼び合うとき、その楽しさは尽き果てぬ。このとき楼に登れば、心はのびのびと悦びに満ち、世の栄誉恥辱もみな忘れ去り、酒杯を手にして風に向かい、心にうれしさの満ち溢れる人もいるであろう。
ああ、私はかつて古代の仁者の心を探り求めたが、さきの悲喜二つのいずれとも異なる場合があるのは、何故であろうか。外物のことでは喜ばず、おのれのことで悲しまぬからである。朝廷の高いくらいにあるときは、おのれの民を憂い、人里離れた所に隠れ住むときは、わが主君のために憂う。進んで仕えていても憂い、退いて民間にいても憂うるのだ。とすればいつになれば楽しむのか。その人はかならず「天下の人の憂いに先立って憂い、天下の人の楽しみに後(おく)れて楽しむ」というであろう。そうした人がいなければ、私はいったい誰に帰依すればよいのか。
浄土真宗では、故人は臨終と同時に仏(諸仏)になると考えるので、中陰期間は、故人に対する追慕、故人を通して「生と死」について考え、謹慎し求法の生活をする期間であるという。
甥のHNの報せによると、本日福岡の市内にある真宗本願寺派の西光寺において満中陰の法要を行ない、お骨は西光寺の納骨堂に納めると言う。
岳陽楼は湖南省岳陽市の西門城頭にある。唐代開元四(716)年の建立。宋代慶暦五年(1045)、滕子京が岳陽楼を再建し、範仲淹が『岳陽楼記』を詠んだ。昨日のブログで紹介した「先天下之憂而憂、後天下之楽而楽」(天下の憂いに先んじて憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ)」の名句、格言により、岳陽楼はその名をさらに知られるようになった。「岳陽楼記」は全部で360字、文も情も深く優れたもので、心底から感動させられるもの、以下に紹介しよう。
岳陽楼記 范文正
慶歴四年春、滕子京謫、守巴陵郡。越明年、政通人和、百廃具興。乃重修岳陽楼、増其旧制、刻唐賢今人之詩賦于其上、属予作文以記之。
予観夫巴陵勝状、在洞庭一湖。銜遠山、呑長江、浩浩蕩蕩、横無際涯、朝暉夕陰、気象万千。此則岳陽楼之大観也。前人之述備矣。然則北通巫峡、南極瀟湘、遷客騒人、多会于此。覧物之情、得無異乎。
若夫霪雨霏霏、連月不開、陰風怒号、濁浪排空、日星隠曜、山岳潜形、商旅不行、檣傾楫摧、薄暮冥冥、虎嘯猿啼、登斯楼也、則有去国懐郷、憂讒畏譏、満目蕭然、感極而悲者矣。
至若春和景明、波瀾不驚 上下天光、一碧万頃、沙鴎翔集、錦鱗游泳、岸芷汀蘭、郁郁青青、而或長煙一空、晧月千里、浮光耀金、静影沈璧、漁歌互答、此楽何極。登斯楼也、則有心曠神怡、寵辱皆忘、把酒臨風、其喜洋洋者矣。
嗟夫。予嘗求古仁人之心、或異二者之為何哉。不以物喜、不以己悲。居廟堂之高、則憂其民、処江湖之遠、則憂其君。是進亦憂、退亦憂。然則何時而楽耶。其必曰、先天下之憂而憂、後天下之楽而楽歟。噫、微斯人、吾誰与帰。
〔訳〕 慶暦四(1044)年の春、滕子京が左遷されて巴陵郡(湖南省岳陽)の太守となった。かくてその翌年には、ここの政治は行き届いて人々の間は平和に、多くの廃れていたものがいずれも復興した。岳陽楼の復讐もようやくおこなわれ、元の形に増築し、唐代のすぐれた人々、今の人々の詩賦を楼上に刻み、私に頼んで文章を書き残させたのである。
私の見るところでは、あの巴陵のすぐれた景色は、洞庭湖一つにかかっている。遠くの山脈(やまなみ)の影をうつし、揚子江の流れを呑みこみ、広々とうち広がって、どこまでも果てしがなく、朝日の光、夕ぐれのうす闇に、気象は千変万化する。これが岳陽楼からの一望であり、古人の述べつくしてきたところである。だからこそ北は巫峡の果て、南は潚水・湘水の果まで、流浪の旅人や憂愁の詩人たちの多くがこの地に集まったが、風物を眺めての心情が、さまざまであったのも当然であろう。
もし長雨が降り続き、幾月も晴れやらず、陰気な風が唸り声を上げ、濁った波が空をつき、日も星も光をかくし、峰々も姿をひそめ、行商人や旅人も進めず、帆柱は傾き楫はくだけ、夕闇が黒々と迫って、虎がうそむき猿がなくとき、この楼に登れば、後にした故郷を思い、人々の非難になやみ、目前のものすべてが物寂しく、感極まって悲しむものもあるだろう。
またもし、春おだやかに景色も明るく、波ひとつさわがず、天地に光みなぎり、万頃(広大な広さ)の広がりは碧一色、かもめが飛び交い集い、銀輪の魚が泳ぎ回り、岸辺の芷(よろいぐさ)、水際の蘭が、芳香を放って青々と伸び、あるいはまた、たなびくもやが空一帯にかかり、輝く月が千里を照らし、水面の光が金色におどり、ひっそりとした月影は湖水に璧を沈めたようにみえ、漁師の歌が互いに呼び合うとき、その楽しさは尽き果てぬ。このとき楼に登れば、心はのびのびと悦びに満ち、世の栄誉恥辱もみな忘れ去り、酒杯を手にして風に向かい、心にうれしさの満ち溢れる人もいるであろう。
ああ、私はかつて古代の仁者の心を探り求めたが、さきの悲喜二つのいずれとも異なる場合があるのは、何故であろうか。外物のことでは喜ばず、おのれのことで悲しまぬからである。朝廷の高いくらいにあるときは、おのれの民を憂い、人里離れた所に隠れ住むときは、わが主君のために憂う。進んで仕えていても憂い、退いて民間にいても憂うるのだ。とすればいつになれば楽しむのか。その人はかならず「天下の人の憂いに先立って憂い、天下の人の楽しみに後(おく)れて楽しむ」というであろう。そうした人がいなければ、私はいったい誰に帰依すればよいのか。
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プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
92
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
sechin@nethome.ne.jp です。
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