巻10-1883: ももしきの大宮人は暇あれや梅をかざしてここに集へる
巻10-1900: 梅の花咲き散る園に我れ行かむ君が使を片待ちがてり
巻10-1904: 梅の花しだり柳に折り交へ花に供へば君に逢はむかも
巻10-1906: 梅の花我れは散らさじあをによし奈良なる人も来つつ見るがね
巻10-1918: 梅の花散らす春雨いたく降る旅にや君が廬りせるらむ
巻10-1922: 梅の花咲きて散りなば我妹子を来むか来じかと我が松の木ぞ
巻10-2325: 誰が園の梅の花ぞもひさかたの清き月夜にここだ散りくる
巻10-2326: 梅の花まづ咲く枝を手折りてばつとと名付けてよそへてむかも
巻10-2327: 誰が園の梅にかありけむここだくも咲きてあるかも見が欲しまでに
巻10-2328: 来て見べき人もあらなくに我家なる梅の初花散りぬともよし
巻10-2329: 雪寒み咲きには咲かぬ梅の花よしこのころはかくてもあるがね
巻10-2330: 妹がためほつ枝の梅を手折るとは下枝の露に濡れにけるかも
巻10-1840: 梅が枝に鳴きて移ろふ鴬の羽白妙に沫雪ぞ降る
巻10-1841: 山高み降り来る雪を梅の花散りかも来ると思ひつるかも
巻10-1842: 雪をおきて梅をな恋ひそあしひきの山片付きて家居せる君
巻10-1853: 梅の花取り持ち見れば我が宿の柳の眉し思ほゆるかも
巻10-1854: 鴬の木伝ふ梅のうつろへば桜の花の時かたまけぬ
巻10-1856: 我がかざす柳の糸を吹き乱る風にか妹が梅の散るらむ
巻10-1857: 年のはに梅は咲けどもうつせみの世の人我れし春なかりけり
巻10-1858: うつたへに鳥は食まねど縄延へて守らまく欲しき梅の花かも
巻10-1859: 馬並めて多賀の山辺を白栲ににほはしたるは梅の花かも
巻10-1862: 雪見ればいまだ冬なりしかすがに春霞立ち梅は散りつつ
巻10-1871: 春されば散らまく惜しき梅の花しましは咲かずふふみてもがも
巻10-1873: いつしかもこの夜の明けむ鴬の木伝ひ散らす梅の花見む
ウェブニュースより
大相撲、夏場所中止へ 新型コロナに計7人感染 ――日本相撲協会が夏場所(24日初日、東京・国技館)を中止する方向で検討していることが3日、複数の協会幹部への取材でわかった。新型コロナウイルスの感染拡大による緊急事態宣言が延長される見込みの4日に臨時理事会を開いて最終決定するとみられる。角界では計7人の感染が確認されている。
本場所が中止されれば、旧両国国技館の修理工事が遅れたことが原因だった1946年夏場所と八百長問題が原因の2011年春場所に続き3度目。今年3月の春場所は無観客で開催していた。この夏場所は通常開催を目指しつつ、中止や無観客開催も視野に検討してきた。 (朝日新聞DIGITAL 2020年5月3日 22時25分)
巻8-1647: 梅の花枝にか散ると見るまでに風に乱れて雪ぞ降り来る
※忌部黒麻呂(生没年不詳) 奈良時代の中級官僚。『万葉集』に短歌4首を遺します。天平宝字2(758)年8月正六位上から外従五位下に昇進。3年12月に忌部首から忌部連へ上位の姓を賜わった。6年1月に図書寮の次官。
巻8-1648: 十二月には淡雪降ると知らねかも梅の花咲くふふめらずして
※紀少鹿女郎(生没年不詳) 奈良時代の歌人。紀鹿人(しかひと)の娘。安貴王(あきのおおきみ)の妻。遊戯的な贈歌にたくみで,大伴家持(おおともの-やかもち)とたびたび歌をかわした。天平(てんぴょう)(729~749)のころの代表的な女流歌人のひとりにかぞえられ,「万葉集」に12首収録されている。紀小鹿,紀女郎ともいいます。
巻8-1649: 今日降りし雪に競ひて我が宿の冬木の梅は花咲きにけり
巻8-1651: 淡雪のこのころ継ぎてかく降らば梅の初花散りか過ぎなむ
巻8-1652: 梅の花折りも折らずも見つれども今夜の花になほしかずけり
※他田広津娘子(おさだの ひろつのおとめ、生没年不詳) 奈良時代の歌人。大伴家にかかわりのふかい女性か? 大伴家持の愛人のひとりかといわれます。作品は「万葉集」に2首おさめられています。
巻8-1653: 今のごと心を常に思へらばまづ咲く花の地に落ちめやも
巻8-1656: 酒杯に梅の花浮かべ思ふどち飲みての後は散りぬともよし
※この歌の次の歌(1657番歌)は「和(こた)ふる歌」ですが、その左注に、「お役所から禁酒の通達が出て『村人たちが集まって宴会をしてはならない。ただし、親しい人たちが一人二人で飲むのはかまわない。』とあります。そこで答えの歌を詠んだ人は、この上二句を作ったのです。」とあります。
和謌一首
標訓 和(こた)へたる謌一首
集歌1657 官尓毛 縦賜有 今夜耳 将欲酒可毛 散許須奈由米
訓読 官(つかさ)にも許(ゆる)したまへり今夜(こよひ)のみ飲まむ酒(さけ)かも散りこすなゆめ
意味 天皇は「酒は禁制」とおっしゃっても、太政官はお許しくださっている。今夜だけ特別に飲む酒です。梅の花よ、決して散ってくれるな。
右、酒者、宮禁制称京中閭里不得集宴。但親々一二飲樂聴許者。縁此和人作此發句焉。
注訓 右は、酒は、宮の禁制(きんせい)して称(い)はく「京(みやこ)の中(うち)の閭里(さと)に集宴(うたげ)することを得ざれ。ただ親々一二(はらからひとりふたり)の飲樂(うたげ)を許すは聴く」といへり。此の縁(えにし)に和(こた)ふる人此の發句(はつく)を作れり。
巻8-1660: 梅の花散らすあらしの音のみに聞きし我妹を見らくしよしも
巻8-1661: 久方の月夜を清み梅の花心開けて我が思へる君
巻10-1820: 梅の花咲ける岡辺に家居れば乏しくもあらず鴬の声
巻10-1833: 梅の花降り覆ふ雪を包み持ち君に見せむと取れば消につつ
巻10-1834: 梅の花咲き散り過ぎぬしかすがに白雪庭に降りしきりつつ
巻8-1423: 去年の春いこじて植ゑし我がやどの若木の梅は花咲きにけり
巻8-1426: 我が背子に見せむと思ひし梅の花それとも見えず雪の降れれば
巻8-1434: 霜雪もいまだ過ぎねば思はぬに春日の里に梅の花見つ
巻8-1436: 含めりと言ひし梅が枝今朝降りし沫雪にあひて咲きぬらむかも
巻8-1437: 霞立つ春日の里の梅の花山のあらしに散りこすなゆめ
巻8-1438: 霞立つ春日の里の梅の花花に問はむと我が思はなくに
巻8-1445: 風交り雪は降るとも実にならぬ我家の梅を花に散らすな
巻8-1452: 闇ならばうべも来まさじ梅の花咲ける月夜に出でまさじとや
巻8-1640: 我が岡に盛りに咲ける梅の花残れる雪をまがへつるかも
巻8-1641: 淡雪に降らえて咲ける梅の花君がり遣らばよそへてむかも
巻8-1642: たな霧らひ雪も降らぬか梅の花咲かぬが代にそへてだに見む
※安倍奥道(あへの おきみち)=原文は、「安倍朝臣奥道」。「『続日本紀』には<息道>と記す。天平宝じ六年(762)正月従五位下。若狭守、大和介、左兵衛督、内蔵頭などを歴任。宝亀五年(774)三月、但馬守従四位で没。歌はこの一首のみ。」
巻8-1644: 引き攀ぢて折らば散るべみ梅の花袖に扱入れつ染まば染むとも
※三野 石守(みの の いしもり、生没年不詳)は旅人の従者。天平2年(730年)大宰帥大伴旅人が大納言に任ぜられて帰京する際、別に海路をとって上京しました。『万葉集』に2首の歌が採録されています。
天平2年冬11月に帰京の旅を悲しみ痛んだ際の一首
わが背子(せこ)をあが松原よ見渡せば海人(あま)をとめども玉藻刈る見ゆ (巻17・3890)
巻8-1645: 我が宿の冬木の上に降る雪を梅の花かとうち見つるかも
巻6-1011:我が宿の梅咲きたりと告げ遣らば来と言ふに似たり散りぬともよし
冬十二月十二日、歌舞所之諸王臣子等、集葛井連廣成家宴歌二首
比来古舞盛興、古歳漸晩。理宜共盡古情、同唱此謌。故、擬此趣獻古曲二節。風流意氣之士、儻有此集之中、争發念、心々和古體。
標訓:冬十二月十二日に、歌舞所(うたまひところ)の諸(もろもろ)の王(おほきみ)、臣子(おみこの)等(たち)の、葛井連廣成の家に集(つど)ひて宴(うたげ)せる歌二首
比来(このごろ)、古舞(こぶ)盛(さかり)に興(おこ)りて、古歳(こさい)漸(やくやく)に晩(く)れぬ。理(ことはり)と宜(ぎ)を共に古情(こじょう)に盡(つく)して、同(とも)に此の謌を唱(うた)ふべし。故(かれ)、此の趣(おもむき)に擬(なそら)ひて古曲(こきょく)二節を獻(たてまつ)る。風流意氣の士の、儻(も)し、此の集(つどひ)の中にあらば、争ひて念(おもひ)を發(おこ)し、心々(こころこころ)に古體(こたい)に和(こた)へよ。
意味:天平八年冬十二月十二日に、歌舞所に関係する多くの王族や臣下の者たちが、葛井連廣成の家に集まって宴をしたときの歌二首
近頃、古い歌舞が盛んになって、今年もようやく終ろうとしている。和歌の理想と道理を共にいにしえの歌に趣の頂点をもとめて、一同でこの歌を唱おう。そこで、この趣旨にそって古曲(本歌取りの意味か?)を二節、献上する。雅びにして意気のある者が、もし、この集いの中にいるならば、争って詩歌風流の想いを起こし、それぞれの感情で古体の歌に答えてほしい。
集歌1011:我が屋戸(やど)の梅咲きたりと告げ遣(や)らば来(こ)と云ふ似たり散りぬともよし
集歌1012:春さればををりにををり鴬よ吾(われ)の山斎(しま)ぞ息(やま)ず通はせ
巻6-0949:梅柳過ぐらく惜しみ佐保の内に遊びしことを宮もとどろに
万葉集巻6-0948の長歌の反歌です。
反謌一首
巻6-949 梅柳 過良久惜 佐保乃内尓 遊事乎 宮動々尓
よみ:梅柳(うめやなぎ)過ぐらく惜しみ佐保(さほ)の内(うち)に遊びしことを宮もとどろに
意味:梅や柳の美しい季節が過ぎるのが惜しい、佐保の野で風景を楽しむことだったのに、宮中もとどろくように雷鳴がなるような事件になった
右、神龜四年正月、數王子及諸臣子等集於春日野、而作打毬之樂。其日、忽天陰雨雷電。此時、宮中無侍従及侍衛。勅行刑罰、皆散禁於授刀寮、而妄不得出道路。于時悒憤即作斯謌。作者未詳。
注訓:右は、神亀四年の正月に数(あまた)の王子及び諸(もろもろ)の臣子等の春日野(かすがの)に集い、打毬(うちまり)の楽(たのしみ)を作(な)す。その日、忽(たちまち)に天は陰り雨ふりて雷電す。この時に、宮中に侍従及び侍衛無し。勅(みことのり)して刑罰を行ひ、皆を授刀寮(じゅたうりょう)に散ずるを禁じ、妄(みだ)りに道路に出るを得ず。時に悒憤(おぼほ)しく、即ちこの歌を作れり。作者は未だ詳(つばび)らかならず。
意味:この歌は、神亀四年正月、多くの皇族や臣下の子弟たちが春日野に集まって打毬(まりうち)の遊びを行なった。その日にわかに空が曇って雨が降り、雷が鳴った。このとき宮中に侍従や侍衛がいなかった。そこで勅命して処罰を行ない、みな授刀寮に閉じ込め、みだりに外出することを許さなかった。そこで心が晴れずこの歌を作った。作者未詳。
ウェブニュースより
相撲協会 角界コロナ禍でも5月場所開催「諦めない」 新番付は27日発表 ――日本相撲協会は27日、新型コロナウイルス感染拡大の影響を受け、2週間延期にした夏場所(5月24日初日、両国国技館)の新番付を発表する。これまで高田川親方(元関脇・安芸乃島)と弟子の十両・白鷹山のほか幕下以下の力士5人が陽性反応を示して入院中であることが公表されているが、26日に報道陣の電話取材に応じた芝田山広報部長(元横綱・大乃国)は「今日は何の連絡もないので、全く分からない」と状況を説明した。
夏場所の開催可否については5月上旬に検討する方針。状況は悪化しているが、同部長は「何回も言っている通り、諦めずに5月場所開催は視野に入れていきたい。専門家と話しながら決めていきたい」と意欲をのぞかせた。 [Sponichi Annex 2020年4月27日 05:30 ]
巻5-0864: 後れ居て長恋せずは御園生の梅の花にもならましものを
この歌には、次のような題詞がついています。
題詞:宜啓 伏奉四月六日賜書 跪開封函 拜讀芳藻 心神開朗以懐泰初之月鄙懐除□ 若披樂廣之天 至若羈旅邊城 懐古舊而傷志 年矢不停憶平生而落涙 但達人安排 君子無悶 伏冀 朝宜懐□之化暮存放龜之術 架張趙於百代 追松喬於千齡耳 兼奉垂示 梅苑芳席 群英□藻 松浦玉潭 仙媛贈答類否壇各言之作 疑衡皐税駕之篇 耽讀吟諷感謝歡怡 宜戀主之誠 誠逾犬馬仰徳之心 心同葵□ 而碧海分地白雲隔天 徒積傾延 何慰勞緒 孟秋膺節 伏願萬祐日新 今因相撲部領使謹付片紙 宜謹啓 不次
よみ:宜(よろし)啓(まを)す。伏して四月六日の賜書を奉(うけたまわ)りぬ。跪きて封函を開き、拝(をろが)みて芳藻を読むに、心神開朗(こころほがらか)なること泰初の月を懐(うだ)けるに以って、鄙しき懐除(おもひのぞこ)りさゆらゆること、楽広の天を披けるがごとし。渡城に羈旅(だび)し、古舊を懐(おも)ひて志を傷ましめ、年矢停らず平生を憶ひて涙を落とすといふが若きに至りては、但(ただ)達人は排に安みし、君子は悶無し。伏して冀(ねが)はくは、朝にきざしを懐けし化を宣べ、暮(ゆふべ)に亀を放ちし術を存し、張趙を百代に架(しの)ぎ、松喬を千齡に追ひたまはまくのみ。兼ねて垂示を奉るに、梅苑の芳席に、群英の藻をのべ、松浦の玉潭に、仙媛と贈答せるは否壇の各言の作に類(たぐ)ひ、衡皐が税駕の篇に疑(なぞ)ふ。耽読吟諷し、感謝歡怡す。宜、主を恋(しの)ふ誠、誠に犬馬に逾え、徳を仰ぐ心、心は葵□に同じ。しかも碧海地を分ち、白雲天を隔てり。徒に傾延を積み、いかにしてか労緒を慰めむ。孟秋、節に膺(あた)れり、伏しては願はくは、萬祐日に新ならむことを。今、相撲部領使(すまひことりづかひ)に因りて、謹みて片紙を付けたり。宜、謹みて啓す。不次
意味:宜が謹んで申し上げます。四月六日にお手紙を頂戴致しました。謹んで封緘を開き、立派な文章を拝読致しました。私の心は明るく開け泰初が月を懐に入れたような心地で、鬱積も晴れて樂廣の青天を披くような気分です。大宰府に旅して、昔を回想して心を悲しませたり、歳月が矢のように過ぎ去り若き日々を思って涙を落としたりすることです。ただ達人の境地で成り行きに任せ、立派な君子として心を煩わさないようにするしかありません。朝には雉をなつかせるような徳政を敷き夕方には亀を逃がすような仁術を施し、張・趙のように百年後までも名を残し、松・喬のように千歳の寿を保ってください。あわせてお示しになったように、梅花の宴で多くの優れた人が立派な歌をつくり、松浦川の淵で仙女と歌を贈答なさったのは、孔子の講壇で人々が意見を述べたごとくですしまさに衡皐税駕の故事のようです。読み耽っては口ずさみ、お気持ちをありがたく親しみ楽しんでおります宜のあなたに対する思慕の情は、犬や馬を超える忠誠心で徳を仰ぐ心は、向日葵が太陽に向かうのと同じです。紺碧の海は地を分かち白雲は天を隔てて遠く、空しく思慕の念を積み重ねています。どのようにして心の嘆きを慰めましょう。秋の季節の変わり目です。何卒日々御加護がありますように。相撲部の部領使いが下向するにあたり、片の書簡を託します。以上、宜が謹んで申し上げました。
※この文章は、大宰師の大伴旅人が奈良の都にいる吉田宜(きちたのよろし)に贈った書簡に、吉田宜が返書して贈ったものです。
旅人はこの宜への書簡に「梅花(うめはな)の歌」23種(巻5:815 ~846までを参照)や、「松浦河に遊ぶ」の歌(巻5:853 ~863までを参照)を添えて贈ったようです。
吉田宜は百済からの渡来人の吉氏の子孫で、出家して「八恵俊」と名乗っていたのを文武天皇が還俗させて以後、吉田姓を賜りました。吉氏は代々、医術の家系で吉田宜も医師でもあったようです。大伴旅人とは奈良の都で親しい間柄だったのでしょう。
そんな吉田宜が旅人からの手紙に返した返書ですが、旅人から贈られた手紙を読んで心が明るく開け晴天を仰いだ心地のごとくだと謝辞を述べています。
「泰初(たいしよ)」は昔の魏の人物で「朗々として日月の懐に入れるが如し」とは世説新語にある故事。「楽広(がくくわう)」は晋の人物でこちらも晋書に「晴天を仰ぐ」の故事があります。
吉田宜が渡来系の人物であるためか他にも大陸の故事を譬えにした文章が多く続きますが、旅人たちがこれらの故事を解したであろうことからも奈良時代には大陸からの文化の影響が大きかったことが伺えます。
また旅人が書簡に添えて贈った「梅花(うめはな)の歌」や「松浦河に遊ぶ」の歌にも孔子(こうし)や曽植(そうしよく)の故事に譬えて讃え、「繰り返し読んでは口ずさみ、お気持ちに感謝して楽しんでおります。」と謝辞を伝えています。そして折しも下向する相撲の部領に書簡を託したことを伝えて手紙を締めくくっています。
相撲とは、この頃、宮中で七夕に相撲の節会が行われ諸国から相撲人が集めらたようです。そんな相撲の節会が終わって諸国へ帰ってゆく相撲人を引率する部領に書簡を託したというわけです。
この書簡とともに宜もまた旅人に以降の歌(巻5:864などを参照)を数首添えて贈ったわけですが、大伴旅人や吉田宜が交わした書簡が万葉集の歌とともにこのような形で現在に伝わっているのは、当時の人々を知るうえで非常に貴重な資料です。
以下、吉田宜の歌が続きます。
吉田宜(きちたのよろし):出自は百済といいます。出家して恵俊を号していましたが、文武四年(700)八月、還俗して吉(きち)の姓と宜(ぎ)の名を賜わり、朝廷に医術を以て仕えました。和銅七年(714)、従五位下。神亀元年(724)、改めて吉田連(よしだのむらじ)の姓を賜わります。図書頭・典薬頭などを歴任し、正五位下に至ります。大伴旅人と親交があったらしく、天平二年(730)七月、旅人に和歌四首を添えて書簡を贈った(万葉集巻五)。『懐風藻』にも漢詩二首を載せています。
(筑前目田氏真上)
集歌839 波流能努尓 紀理多知和多利 布流由岐得 比得能美流麻提 烏梅能波奈知流
訓読 春の野に霧立ちわたり降る雪と人の見るまで梅の花散る
意味 春の野を一面に霧が立ち渡り、降る雪と人が見間違えるように梅の花が散る。
(壹岐目村氏彼方)
集歌840 波流楊那宜 可豆良尓乎利志 烏梅能波奈 多礼可有可倍志 佐加豆岐能倍尓
訓読 春(はる)柳(やなぎ)鬘(かづら)に折りし梅の花誰れか浮かべし酒坏の上に
意味 春の柳の若芽の枝を鬘に手折り、梅の花を誰れもが浮かべている。酒坏の上に。
(對馬目高氏老)
集歌841 于遇比須能 於登企久奈倍尓 烏梅能波奈 和企弊能曽能尓 佐伎弖知流美由
訓読 鴬の音(ね)聞くなへに梅の花吾家(わがへ)の苑(その)に咲きて散る見ゆ
意味 鴬の音を聞くにつれて、梅の花が我が家の庭に咲きて散っていくのを見る。
(薩摩目高氏海人)
集歌842 和我夜度能 烏梅能之豆延尓 阿蘇比都々 宇具比須奈久毛 知良麻久乎之美
訓読 吾(わ)が屋戸(やと)の梅の下枝(しづゑ)に遊びつつ鴬鳴くも散らまく惜しみ
意味 私の家の梅の下枝に遊びながら鴬が鳴くことよ。上枝(ほつえ)に鳴けと梅の花が散るのを惜しんでいるように。
(土師氏御道)
集歌843 宇梅能波奈 乎理加射之都々 毛呂比登能 阿蘇夫遠美礼婆 弥夜古之叙毛布
訓読 梅の花折りかさしつつ諸人(もろひと)の遊ぶを見れば都しぞ思(も)ふ
意味 梅の花枝を手折り宴場に飾って、この宴会で人々が梅の花を見ながら風流を楽しむのを見ると、都での宴の様子が想像されます。
(小野氏國堅)
集歌844 伊母我陛邇 由岐可母不流登 弥流麻提尓 許々陀母麻我不 烏梅能波奈可毛
訓読 妹が家(へ)に雪かも降ると見るまでにここだも乱(まが)ふ梅の花かも
意味 私の愛しい貴女の家に雪が降るのかと見間違うように、一面に散り乱れる梅の花よ。
(筑前拯門氏石足)
集歌845 宇具比須能 麻知迦弖尓勢斯 宇米我波奈 知良須阿利許曽 意母布故我多米
訓読 鴬の待ちかてにせし梅が花散らずありこそ思ふ子がため
意味 鴬がその花の咲くのを待ちかねていた梅の花よ。花を散らさずにあってほしい。私が恋いしているあの子に見せるために。
(小野氏淡理)
集歌846 可須美多都 那我岐波流卑乎 可謝勢例杼 伊野那都可子岐 烏梅能波那可毛
訓読 霞立つ長き春日(はるひ)をかさせれどいや懐(なつか)しき梅の花かも
意味 霞が立つ長き春の日に梅の花枝を手折り、こうして飾っていますが、ますます心が引かれる梅の花よ。
後追和梅謌四首
標訓 後に追ひて梅の歌に和(こた)へたる四首
萬葉集 巻5-849 残りたる雪に交(まじ)れる梅の花早くな散りそ雪は消(け)ぬとも
萬葉集 巻5-850 雪の色を奪ひて咲ける梅の花今盛(さか)りなり見む人もがも
萬葉集 巻5-851 吾(わ)が屋戸(やと)に盛りに咲ける梅の花散るべくなりぬ見む人もがも
萬葉集 巻5-852 梅の花夢に語らく風流(みや)びたる花と吾(あ)れ思(も)ふ酒に浮かべこそ
(小典山氏若麻呂)
集歌827 波流佐礼婆 許奴礼我久利弖 宇具比須曽 奈岐弖伊奴奈流 烏梅我志豆延尓
訓読 春されば木末(こぬれ)隠(かく)れて鴬ぞ鳴きて去(い)ぬなる梅が下枝(しづゑ)に
意味 春がやって来ると木の梢の葉に姿も隠れてしまって、鴬は、鳴いて飛び去って行く。梅の下の枝の方に。
(大判事丹氏麻呂)
集歌828 比等期等尓 乎理加射之都々 阿蘇倍等母 伊夜米豆良之岐 烏梅能波奈加母
訓読 人ごとに折りかさしつつ遊べどもいや愛(め)づらしき梅の花かも
意味 宴会の人毎に梅の花枝を手折って広間に飾って、宴で風流を楽しんでいるが、なお、愛すべきは梅の花よ。
(藥師張氏福子)
集歌829 烏梅能波奈 佐企弖知理奈波 佐久良婆那 都伎弖佐久倍久 奈利尓弖阿良受也
訓読 梅の花咲きて散りなば桜花継ぎて咲くべくなりにてあらずや
意味 梅の花は咲いて散ってしまったら、桜の花が続いて咲くようになっているではないか
(筑前介佐氏子首)
集歌830 萬世尓 得之波岐布得母 烏梅能波奈 多由流己等奈久 佐吉和多留倍子
訓読 万代(よろづよ)に年は来経(きふ)とも梅の花絶ゆることなく咲きわたるべし
意味 万代の後まで年は区切りを付けてあらたまり来るとも、梅の花は絶えることなく咲きつづけなさい。
ここからが宴に招かれた招待客の第3グループになるようなのですが、官職などを見ると現場レベルの実務官僚のトップという雰囲気です。ですから、歌の方は全般的に「無難」というレベルをでるものではなくて、上級職が詠んだ歌の内容を取り込んで「大過」なく次へ回すという雰囲気を感じています。
今も昔も、お役人とって大切なことは「大過なく」だったようです。
(壹岐守板氏安麻呂)
集歌831 波流奈例婆 宇倍母佐枳多流 烏梅能波奈 岐美乎於母布得 用伊母祢奈久尓
訓読 春なれば宜(うべ)も咲きたる梅の花君を思ふと夜眠(よい)も寝(ね)なくに
意味 春になれば、まことによく咲いた梅の花よ。あなたを思ふと夜も安心して寝られないものを
(神司荒氏稲布)
集歌832 烏梅能波奈 乎利弖加射世留 母呂比得波 家布能阿比太波 多努斯久阿流倍斯
訓読 梅の花折りてかさせる諸人(もろひと)は今日の間(あひだ)は楽しくあるべし
意味 今日の宴会で梅の花枝を手折りかざして指し示す人々は、今日の一日は楽しいことでしょう。
(大令史野氏宿奈麻呂)
集歌833 得志能波尓 波流能伎多良婆 可久斯己曽 烏梅乎加射之弖 多努志久能麻米
訓読 毎年(としのは)に春の来らばかくしこそ梅をかさして楽しく飲まめ
意味 毎年の春がやって来たら、このように梅の花枝を宴の中央に飾って楽しく酒を飲みましょう
(小令史田氏肥人)
集歌834 烏梅能波奈 伊麻佐加利奈利 毛々等利能 己恵能古保志枳 波流岐多流良斯
訓読 梅の花今盛りなり百鳥(ももとり)の声の恋(こい)しき春来るらし
意味 梅の花は今が盛りです。多くの鳥の声の恋しい春が来たらしい。
(藥師高氏義通)
集歌835 波流佐良婆 阿波武等母比之 烏梅能波奈 家布能阿素比尓 阿比美都流可母
訓読 春さらば逢はむと思ひし梅の花今日(けふ)の遊びに相見つるかも
意味 春がやって来たら逢おうと思っていた梅の花のあなた。今日の宴会であなたに逢うことが出来るでしょう。
(陰陽師礒氏法麻呂)
集歌836 烏梅能波奈 多乎利加射志弖 阿蘇倍等母 阿岐太良奴比波 家布尓志阿利家利
訓読 梅の花手折りかさして遊べども飽き足らぬ日は今日(けふ)にしありけり
意味 梅の花枝を手折り広間に飾って宴会に臨んでも、なお、風流に飽きることのない日は、今日なのだなあ。
(笇師〈さんし〉志氏大道)
集歌837 波流能努尓 奈久夜汗隅比須 奈都氣牟得 和何弊能曽能尓 汗米何波奈佐久
訓読 春の野に鳴くや鴬なつけむと吾(わ)が家(いへ)の苑(その)に梅が花咲く
意味 春の野に鳴くよ。その鴬を呼び寄せようと、私の家の庭に梅の花が咲くことよ
(大隅目榎氏鉢麻呂)
集歌838 烏梅能波奈 知利麻我比多流 乎加肥尓波 宇具比須奈久母 波流加多麻氣弖
訓読 梅の花散り乱(みだ)ひたる岡(をか)びには鴬鳴くも春かたまけて
意味 梅の花の散り乱れる岡べには、鴬が鳴くことよ。春の気配が濃く。
ウェブニュースより
岡江さん発熱3日で急変「医療スピード感必要」識者 ―― 女優岡江久美子さん(63)が新型コロナウイルスによる肺炎のため、都内の病院で亡くなったことが23日、分かった。
所属事務所によるとこの日午前5時20分、都内の病院で死去したという。
関係者によると、今月3日発熱し、医者からは4~5日様子をみるように言われていたが、6日に容体が急変したという。そのため、都内の病院に救急搬送されて入院した、すぐにICUで治療を受け、人工呼吸器を装着。PCR検査を受け、新型コロナウイルスの感染が確認された。
昨年末に初期の乳がんの手術を受け、1月末から2月半ばまで放射線治療を受けたという。関係者は、免疫力が低下していたのが重症化した原因ではないかと推測した。
◇ ◇ ◇
医師・医療ジャーナリストの森田豊氏 岡江さんは、乳がんの手術後、放射線治療を受けていたようですが、早期の乳がんであったことから、がんの再発リスクを少なくするための治療だったと考えられます。
早期の乳がんを克服したといえる状況だったのに、発熱からわずか3日で容体を急変させてしまうところが、新型コロナウイルスの「怖さ」なのです。先月、国立国際医療研究センターの大曲貴夫先生が記者会見でこう話されました。「この病気は悪くなるときのスピードがものすごく早い。1日以内で、数時間でそれまで話せていたのにどんどん酸素が足りなくなって、(中略)ものすごく怖い」。医師が「怖い」と語ったのはとても印象的でした。
重症化を早期に発見し命を救うには、武漢に急造した「大勢の感染者のための医療施設」などを迅速に作り、常駐させる医師の判断で、高度医療機関に患者を搬送させる「スピード感」こそが必要だと思います。
[日刊スポーツ2020年4月24日5時0分]
岡江久美子さん、夫・大和田獏との連絡は入院した6日のLINEが最後 事務所関係者が明かす ―― 女優でタレントの岡江久美子さん(享年63)が、新型コロナウイルスによる肺炎のため、23日午前5時20分頃に亡くなったことを受けてこの日午後、都内で岡江さんが所属する事務所の関係者が取材に応じた。
事務所関係者が岡江さんと会ったのは、先月下旬が最後。岡江さんは新型コロナに対し「気を付けないとね」と話し、手洗いうがいを徹底していたという。4月3日に発熱し、6日朝に容体が急変。都内の大学病院に緊急入院した。同日中に夫で俳優の大和田獏(69)とLINEでやり取りをしたのが最後で、それ以降獏は担当医から岡江さんの病状などを聞くことしかできず、最後まで愛妻の顔を見ることはかなわなかった。この日病院から大和田に岡江さんが亡くなったと連絡が入り、大和田が岡江さんの所属事務所に報告したという。
岡江さんが最後に仕事をしたのは先月。感染経路は分かっていないという。同居していた獏と、娘で女優の大和田美帆(36)は濃厚接触者ではないという。家族と岡江さんとの別れについて「荼毘(だび)に付され、自宅に戻ってくるのを待つと聞いております」と事務所関係者。通夜、葬儀・告別式は未定で、新型コロナが落ち着いてから後日お別れの会を実施するという。 (スポーツ報知 2020年4月23日 21:07)
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