瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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ウェブニュースより
 大相撲11月場所 正代と貴景勝の両大関そろって勝ち 3連勝 ―― 大相撲11月場所は3日目、正代と貴景勝の大関2人がそろって勝って3連勝です。
 中入り後の勝敗です。
▽十両の翠富士に新入幕の天空海は、天空海がはたき込みで勝って幕内で初白星を挙げました。
 
▽千代翔馬に志摩ノ海は志摩ノ海が押し出し。
 
▽千代の国に琴ノ若は千代の国が押し出し。
 
▽千代大龍に逸ノ城は千代大龍が引き落とし。
 
▽豊山に魁聖は魁聖が渡し込みで、物言いがつく際どい一番を制しました。
 
▽豊昇龍に炎鵬は豊昇龍が小手投げで勝って3連勝。一方、炎鵬は3連敗です。
 
▽竜電に明生は竜電が下手出し投げ。
▽佐田の海に琴恵光は琴恵光が寄り切り。
▽碧山に照強は照強が押し出し。
 
▽徳勝龍に遠藤は遠藤が寄り切り。
 
▽宝富士に玉鷲は玉鷲が押し出し。
 
▽栃ノ心に琴勝峰は栃ノ心が上手投げ。
 
▽妙義龍に翔猿は、翔猿が突き落としで勝って初白星を挙げました。
 
▽北勝富士に大栄翔は北勝富士が押し出し。
 
▽照ノ富士に阿武咲は照ノ富士が押し出し。
 
▽隠岐の海に新関脇・隆の勝は隠岐の海が肩透かし。
 
▽関脇・御嶽海に輝は御嶽海が押し出し。
 
▽大関・朝乃山は右肩のけができょうから休場、若隆景は不戦勝です。
▽大関・貴景勝に霧馬山は、貴景勝が突き落とし。
 
▽新大関・正代に高安は、正代が突き落としで勝ちました。
 
大関2人がともに3連勝です。   
(NHK WEB NEWS 20201110 1853)


 

ウェブニュースより
 大相撲11月場所2日目 新大関の正代は2連勝 朝乃山は初黒星 ―― 大相撲11月場所は2日目、新大関 正代は前頭筆頭の霧馬山に勝って2連勝です。一方、大関 朝乃山は三役に復帰した小結 照ノ富士に敗れ、初黒星を喫しました。
 中入り後の勝敗です。
▽十両の明瀬山に千代翔馬は、千代翔馬が突き落とし。
 
▽志摩ノ海に千代大龍は、志摩ノ海が押し出し。
 
▽新入幕の天空海に千代の国は、千代の国がはたき込みで勝ちました。
 
▽逸ノ城に琴ノ若は、琴ノ若が押し出し。
 
▽豊昇龍に豊山は、豊昇龍が内掛け。
▽炎鵬に魁聖は、魁聖が押し倒し。
 
▽佐田の海に竜電は、竜電が下手投げ。
▽琴恵光に明生は、琴恵光が押し出し。
 
▽徳勝龍に碧山は、徳勝龍がはたき込み。
 
▽遠藤に照強は、遠藤がはたき込み。
 
▽栃ノ心に宝富士は、宝富士が寄り切りで勝ちました。
 
▽琴勝峰に玉鷲は、琴勝峰が突き出し。
 
▽翔猿に北勝富士は、北勝富士が突き落とし。
 
▽隠岐の海に妙義龍は、隠岐の海が寄り切り。
 
▽大関経験のある高安に輝は、高安が押し出し。
▽大栄翔に関脇 御嶽海は、大栄翔が突き落とし。
 
▽新関脇 隆の勝に阿武咲は、隆の勝が寄り切り。

▽若隆景に大関 貴景勝は、貴景勝が突き出し。
 
▽霧馬山に新大関 正代は、正代が寄り切り。
 
▽大関 朝乃山に大関経験者で小結の照ノ富士は、照ノ富士が上手投げで勝って朝乃山が今場所初黒星を喫しました。
  
(NHK WEB NEWS 2020119 1842)

 バイデン氏 勝利宣言 
米大統領選、当選確実 「分断でなく結束」 ―― 【ワシントン=永沢毅】米大統領選は米東部時間7日午前(日本時間8日未明)、民主党候補のジョー・バイデン前副大統領(77)の当選が確実となった。複数の米メディアが報じた。7日夜には、国民向けの演説に臨み「米国民が声を上げ、私たちを明確な勝利に導いてくれた」と勝利を宣言した。「分断ではなく、結束をめざす大統領になる」と分断の修復に取り組むと約束した。
 
 8日には政権移行に向けて設けたウェブサイトを更新。新型コロナウイルス対策、経済再生、人種、気候変動を4つの重点課題と位置づけ「(政権発足の)初日からこれらの難問に取り組む」と表明した。
 大統領選は全米538人の選挙人の過半数270人以上の獲得を競う。米メディアによると、激戦となっていた東部ペンシルベニア州に加え、西部ネバダ州もバイデン氏が制し、当選に必要な「選挙人」の過半数を確保した。
 8日夜時点でバイデン氏は279人の選挙人を得た。共和党の現職、ドナルド・トランプ大統領(74)は214人にとどまる。現職大統領が敗北すれば、1992年大統領選の共和党のブッシュ(第41代)元大統領以来となる。
 4年ぶりとなる民主党の政権奪還が決まれば、バイデン氏は2021年1月の就任時に78歳と史上最高齢の米大統領に就く。副大統領候補のカマラ・ハリス上院議員(56)は女性や黒人、アジア系として初の副大統領となる。
 国民向け演説は地元の東部デラウェア州で実施し、ハリス氏も同席した。新型コロナの感染対策で、支持者が車のまま会場に乗り入れる「ドライブイン」形式をとった。
 
 バイデン氏は約20分にわたる演説で「私は誇り高い民主党員だが、米国の大統領としてこの国を治める」と力説。「前に進むため、反対する人たちを敵とみなすのはやめなければいけない。癒やしの時だ」と述べ、融和を呼びかけた。
 トランプ大統領の支持者には「失望は分かる。でも今は暴言をやめ、お互いに向き合って話に耳を傾けるときだ」と促した。共和党には「米国民は私たちに協力するよう求めている」と述べ、連携を呼びかけた。
 新型コロナウイルスについては「制御するまで経済は立て直せない」と強調。9日に専門家のグループを指名し、最優先で取り組むと表明した。
 政権移行に向けて設けたウェブサイトを8日更新し、新型コロナ対策は科学に基づき、専門家の助言に耳を傾けて取り組む原則を掲げた。専門家を軽視しがちだったトランプ大統領の方針を転換、検査体制の一段の充実やマスク着用の全米での義務化などを進める。     (2020/11/9付日本経済新聞 夕刊)

ウェブニュースより
 大相撲11月場所初日 新大関 正代が白星スタート ―― 大相撲11月場所は、東京 両国の国技館で8日初日を迎えました。新大関 正代は前頭筆頭 若隆景と対戦し、際どい相撲を制して白星スタートです。
 中入り後の勝敗です。
▽志摩ノ海に十両の千代ノ皇は志摩ノ海が押し出し。
▽千代翔馬に新入幕の天空海は千代翔馬が下手投げ。
 
▽千代大龍に琴ノ若は琴ノ若が肩透かし。
 
▽千代の国に逸ノ城は千代の国が押し出し。
▽豊昇龍に魁聖は豊昇龍が下手投げで勝ちました。
 
▽豊山に炎鵬は豊山が押し倒し。

▽佐田の海に明生は明生が押し出し。
▽竜電に琴恵光は琴恵光が掛け投げ。
▽徳勝龍に照強は徳勝龍が押し倒し。
▽碧山に遠藤は遠藤が押し出しで勝ちました。
 
▽栃ノ心に玉鷲は玉鷲が押し出し。
 
▽宝富士に琴勝峰は宝富士が押し倒し。
 
▽北勝富士に妙義龍は北勝富士が押し出し。
 
▽翔猿に隠岐の海は隠岐の海が押し出し。
 
▽三役に復帰した小結 照ノ富士に輝は照ノ富士が寄り切り。
 
▽大栄翔に新関脇 隆の勝は、大栄翔が突き落とし。
 
▽関脇 御嶽海に阿武咲は、御嶽海が物言いがつく際どい相撲を制して寄り切り。
 
▽新大関 正代に前頭筆頭の若隆景は、正代も物言いがつく相撲を制し、突き落としで勝ちました。
 
▽霧馬山に大関 朝乃山は朝乃山が寄り切り。
 
▽大関 貴景勝に三役に復帰した小結・高安は貴景勝が押し出しで勝ちました。
 
休場の横綱 鶴竜 「腰椎すべり症」と診断
 初日を迎えた大相撲11月場所を休場し、3場所連続休場となった横綱 鶴竜について、日本相撲協会は腰のけがで休場が必要と診断されたことを公表しました。
 横綱 鶴竜はことし7月場所を右ひじ、9月の秋場所を腰のけがで休場していて、東京・両国の国技館で8日に初日を迎えた11月場所も3場所連続で18回目の休場を届けていました。
 日本相撲協会は、鶴竜が今月4日に国技館内の相撲診療所で診察を受けた結果、「腰椎すべり症」で腰痛が悪化し、11月場所の休場が必要とする診断書を8日、公表しました。
 国技館で初日を迎えた今場所は、横綱 白鵬もことし8月に右ひざの手術を受けた影響で休場していて初日から横綱不在となっています。
 相撲協会によりますと、番付に2人以上の横綱がいて、その全員が2場所連続で初日から休場するのは史上初めてです。
日本相撲協会 八角理事長「横綱の土俵入りをファンに見せたい」
 白鵬と鶴竜の両横綱が休場し、2場所連続横綱不在で初日を迎えたことについて、日本相撲協会の八角理事長は、「横綱の土俵入りをファンに見せたいという思いがある。次の場所には出るようにしてほしい。けがを治して相撲が取れる状態に持っていくことが横綱としての責任だ」と話しました。
 また、物言いがつく際どい相撲となりながらも、新大関として初白星を挙げた正代については、「最初の取組なので硬くなる。関脇と大関では責任が違うし、勝たないといけないという気持ちが強かったんだと思う。きょうのような勝ちがたまにあるのはしかたないが、もう少し前に出る安定感がほしい」と指摘したうえで、3人の大関がそろって白星スタートを切ったことについては、「内容はいろいろあるが、勝ったことは大きい」と話していました。
力士の談話
 幕内に復帰した千代翔馬は白星を挙げ「落ち着いて相撲を取れた。幕内の土俵はやっぱり十両と違う。勝ってよかった」とうれしそうでした。また、先月内視鏡を使った腰の手術をしたことを明らかにしたうえで「先場所が終わってからヘルニアのため手術をした。今場所は15日間を取りきりたい気持ちだ。完全に治ってはないが徐々によくなってきている。前向きに頑張っていきたい」と話していました。
 琴ノ若は幕内に復帰しての白星に「相手のペースにならないで自分のペースで取れた。自分の相撲を取ることだけを意識した」と淡々と話していました。
 千代の国も幕内に復帰し初日に白星を挙げ、「勝てたのがいいことだと思う。1日、一番でいきたい」とことば少なでした。
 炎鵬は黒星に「途中までの流れはよかったが我慢が足りなかった。相手を見すぎてしまい、もうちょっと動けばよかった。先場所よりいい相撲を取ることを目標にしたい。体重はもとに戻りつつあるので体調は大丈夫かなと思う」と切り替えている様子でした。
 先場所、新入幕で優勝争いをした翔猿は、「最後、引いてしまったのがいけなかった。今場所も一番、一番、集中して行けたらいい。どんどん前に出て思い切り集中していくだけ」と黒星にも前向きな様子でした。
 一方、翔猿から白星を挙げた隠岐の海は「初日だったので勝ちたかった。一番、一番、頑張って結果がついてくればいい。お客さんが増えて最高だ。頑張っているところを見せたい」と意気込んでいました。
 新関脇・隆の勝は初日黒星に「ちょっと上体が起きすぎてしまったのであす、修正して頑張りたい。新三役の初日は気持ちが違った。初日だからか緊張して相手を受けるようになってしまった。自分の相撲を取り切っていい成績で終われたらいいなと思う」と話していました。
 照ノ富士は、三役に復帰しての白星スタート、「別に深く考えてないので、毎日、一生懸命やるだけです。小結に復帰したことも特に何も考えてない。いつもどおりだ。お客さんがどんどん入ってくれれば盛り上がる」と淡々としていました。
 御嶽海は取り直しの一番を制して「同体だと思ったので取り直しを準備していた。二番目は引かないように前に出ることを意識した。ことし最後の場所なので自分の相撲を取って、大関陣に負けない存在感を出していきたい」と話していました。
 新関脇・正代は、際どい相撲を制し、「土俵に上がったらいつもと違うというか、いつもより硬いというか、思ったように足も出なかった。初日で新大関として最初の相撲だったので、思うように体が動かなかったと思う。とりあえず白星発進でよかったと思う。体が動くようになったらもっと内容がよくなると思う」と振り返っていました。
 例年は福岡市で九州場所が行われますが、ことしは新型コロナウイルスの影響で国技館で11月場所が開催されたことについて、熊本県出身の正代は「九州で開催できなかったのはとても残念だが、東京でも開催して頂けるだけでもとてもありがたい。しっかり成績を残して、地元の人にもいい相撲を見せることができたらなと思う」と決意を示していました。
 朝乃山は万全の相撲で白星を挙げ、「きょうの相撲が自分の相撲だと思う。序盤と終盤が大事になってくると思うのでしっかりと自分の相撲を取れれば結果がついてくる」と手応えを感じている様子でした。
 貴景勝は両横綱の不在で結びの一番に登場して白星を挙げ「一生懸命、あすも頑張っていきたい。番付がどうかとは考えず、若手らしく若々しく、一生懸命、きっぷのいい相撲を取りたい。お客さんが5000人に増えて花道より土俵のほうが温かくなる空気感があった。先場所の2500人ではなく、熱気というのが今場所はあると思う。ことし初場所以来感じられて、気合いも入った。ありがたいと思う」といつもどおり淡々と話していました。    (NHK WEB NEWS 2020119 008)


 

(たく)を詠める歌5
20-4408: 大君の任けのまにまに島守に.......(長歌)
題詞:(天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌)陳防人悲別之情歌一首[并短歌]
題訓(天平勝宝七歳乙未二月、相替わりて筑紫に遣さゆる諸国〈くにぐに〉の防人〈さきもり〉らの歌)防人の別れを悲しむ情〈こころ〉を陳〈の〉ぶる歌一首幷に短歌
原文:大王乃 麻氣乃麻尓々々 嶋守尓 和我多知久礼婆 波々蘇婆能 波々能美許等波 美母乃須蘇 都美安氣可伎奈埿 知々能未乃 知々能美許等波 多久頭怒能 之良比氣乃宇倍由 奈美太多利 奈氣伎乃多婆久 可胡自母乃 多太比等里之氏 安佐刀埿乃 可奈之伎吾子 安良多麻乃 等之能乎奈我久 安比美受波 古非之久安流倍之 今日太仁母 許等騰比勢武等 乎之美都々 可奈之備麻勢婆 若草之 都麻母古騰母毛 乎知己知尓 左波尓可久美為 春鳥乃 己恵乃佐麻欲比 之路多倍乃 蘇埿奈伎奴良之 多豆佐波里 和可礼加弖尓等 比伎等騰米 之多比之毛能乎 天皇乃 美許等可之古美 多麻保己乃 美知尓出立 乎可之佐伎 伊多牟流其等尓 与呂頭多妣 可弊里見之都追 波呂々々尓 和可礼之久礼婆 於毛布蘇良 夜須久母安良受 古布流蘇良 久流之伎毛乃乎 宇都世美乃 与能比等奈礼婆 多麻伎波流 伊能知母之良受 海原乃 可之古伎美知乎 之麻豆多比 伊己藝和多利弖 安里米具利 和我久流麻埿尓 多比良氣久 於夜波伊麻佐祢 都々美奈久 都麻波麻多世等 須美乃延能 安我須賣可未尓 奴佐麻都利 伊能里麻乎之弖 奈尓波都尓 船乎宇氣須恵 夜蘇加奴伎 可古登〃能倍弖 安佐婢良伎 和波己藝埿奴等 伊弊尓都氣己曽
              万葉集 巻20-4408
           作者:大伴家持
よみ:大君(おほきみ)の 任()けのまにまに 島守に 我が立ち来れば ははそ葉の 母の命(みこと)は み裳()の裾 摘み上げ掻き撫で ちちの実の 父の命(みこと)は 栲(たく)づのの 白ひげの上(うへ)ゆ 涙垂り 嘆きのたばく 鹿子(かこ)じもの ただひとりして 朝戸出の 愛(かな)しき我が子 あらたまの 年の緒長く 相見ずは 恋しくあるべし 今日だにも 言どひせむと 惜しみつつ 悲しびませば 若草の 妻も子どもも をちこちに さはに囲み居 春鳥の 声のさまよひ 白栲の 袖泣き濡らし たづさはり 別れかてにと 引き留め 慕ひしものを 大君(おほきみ)の 命(みこと)(かしこ)み 玉桙の 道に出で立ち 岡の崎 い廻()むるごとに 万(よろづ)たび かへり見しつつ はろはろに 別れし来れば 思ふそら 安くもあらず 恋ふるそら 苦しきものを うつせみの 世の人なれば たまきはる 命も知らず 海原(うなはら)の 畏(かしこ)き道を 島伝ひ い漕ぎ渡りて あり廻(めぐ)り 我が来るまでに 平(たひら)けく 親はいまさね 障(つつ)みなく 妻は待たせと 住吉(すみのゑ)の 我が統()め神に 幣(ぬさ)(まつ)り 祈(いの)り申して 難波津に 船を浮け据ゑ 八十(やそ)()貫き 水手(かこ)(ととの)へて 朝開き 我は漕ぎ出ぬと 家に告げこそ
 
意訳:大君の仰せのままに、島守として私が家を出て来た時、ははその母の君は裳の裾をつまみ上げて私の頭を撫で、ちちの実の父の君は栲づのの白いひげ伝いに涙を流して、こもごも嘆いておっしゃることに、「鹿の子のようにただひとり家を離れて朝立ちして行くいとしい我が子よ、年月久しく逢わなかったら恋しくてやりきれないだろう、せめて今日だけでも存分に話をしよう」と、名残を惜しみながら悲しまれると、妻や子たちもあちらこちらからいっぱいに私を取り囲んで、春鳥の鳴き騒ぐようにうめき声をあげてせつながり、白い袖を泣き濡らして、手に取り縋って別れるのはつらいと私を引き留め追って来たのに、大君の仰せの恐れ多さに旅路に出で立ち、岡の出鼻を曲がるごとに、いくたびとなく振り返りながら、こんなにはるかに別れて来ると、思う心も安らかでなく、恋い焦がれる心も苦しくてたまらないのだが・・・、生身のこの世の人間である限り、たまきはる命のほども計りがたいとはいえ、どうか、海原の恐ろしい道、その海原の道を島伝いに漕ぎ渡って、旅路から旅路へとめぐり続けて私が無事に帰って来るまで、親は親で幸福でいてほしい、妻は妻で達者でいてほしいと、我が神と縋る住吉の海の神様に幣を捧げてねんごろにお祈りをし、難波津に船を浮かべ、櫂をびっしり取り付け水手を揃えて、朝早く私は漕ぎ出して行ったと、家の者に知らせて下さい。


 

(たく)を詠める歌4
16-3791: みどり子の若子髪にはたらちし.......(長歌)
標題:竹取翁、偶逢九箇神女、贖近狎之罪作歌一首并短歌
標訓:竹取の翁の、偶(たまたま)九箇(ここのたり)の神女(めかみ)に逢ひしに、近く狎()れし罪を贖(あが)ひて作れる歌一首并せて短歌

():昔有老翁、号曰竹取翁也。此翁、季春之月登丘遠望、忽値煮羮之九箇女子也。百嬌無儔、花容無止。于時娘子等呼老翁嗤曰、叔父来乎。吹此燭火也。於是翁曰唯々、漸赴徐行著接座上。良久娘子等皆共含咲相推譲之曰、阿誰呼此翁哉。尓乃竹取翁謝之曰、非慮之外偶逢神仙、迷惑之心無敢所禁。近狎之罪、希贖以謌。即作謌一首并短謌
序訓:昔、老翁ありき、号(なづけ)て竹取翁と曰ふ。この翁、季春(きしゅん)の月に丘に登り遠く望むに、忽(たちま)ちに、羮(あつもの)を煮る九箇の女子に値()ひき。百嬌儔(たぐ)ひ無く、花容に匹するは無し。時に娘子等は老翁を呼び嗤(わら)ひて曰はく「叔父来れ。この燭の火を吹け」という。ここに翁は「唯々」と曰ひて、漸(やくやく)に赴き徐(おもふる)に行きて座(むしろ)の上に著接(まじは)る。良久(ややひさか)にして娘子等皆共に咲(えみ)を含み相推譲(おしゆづ)りて曰はく「阿誰(あた)がこの翁を呼べる」といふ。すなわち竹取の翁謝(ことは)りて曰はく「慮(おも)ざる外に、偶(たまさか)に神仙に逢へり、迷惑(まど)へる心敢(あへ)へて禁()ふる所なし。近く狎()れし罪は、希(ねが)はくは贖(あがな)ふに歌をもちてせむ」といへり。すなはち作れる歌一首并せて短歌
序訳:昔、八十歳を越える老人がいた。呼び名を竹取の翁といった。この老人が春三月頃に丘に登って遠くを眺めると、たまたま、羮を煮る九人の女性に出逢った。その妖艶さは比べるものが無く、花のように美しい顔立ちに匹敵する人がいない。その時、娘女達は老人を呼び笑いながらいった。「おやじ、ここに来い。この焚き火の火を吹け。」と。老人は「はいはい」といってゆっくりと娘女達の間に近づき、膝を交えて座った。ところが、しばらくして、娘女達は一様に笑いを含めながらお互いをつつきあい、「一体、誰が、このおやじを呼んだの」といった。そこで、竹取の翁が詫びていうには、「思ってもいなくて、たまたま神仙に回り逢い、戸惑う気持ちをどうしても抑えることが出来ませんでした。近づき馴れ馴れしくした罪は、どうか、この償いの歌で許して欲しい」といった。そこで作った歌一首。并せて短歌。
 
原文:緑子之 若子蚊見庭 垂乳為母所懐 褨襁 平生蚊見庭 結經方衣 水津裏丹縫服 頚著之 童子蚊見庭 結幡之 袂著衣 服我矣 丹因 子等何四千庭 三名之綿 蚊黒為髪尾 信櫛持 於是蚊寸垂 取束 擧而裳纒見 解乱 童兒丹成見 羅丹津蚊經 色丹名著来 紫之 大綾之衣 墨江之 遠里小野之 真榛持 丹穂之為衣丹 狛錦 紐丹縫著 刺部重部 波累服 打十八為 麻續兒等 蟻衣之 寶之子等蚊 打栲者 經而織布 日曝之 朝手作尾 信巾裳成 者之寸丹取 為支屋所經 稲寸丁女蚊 妻問迹 我丹所来為 彼方之 二綾裏沓 飛鳥 飛鳥壮蚊 霖禁 縫為黒沓 刺佩而 庭立住 退莫立 禁尾迹女蚊 髣髴聞而 我丹所来為 水縹 絹帶尾 引帶成 韓帶丹取為 海神之 殿盖丹 飛翔 為軽如来 腰細丹 取餝氷 真十鏡 取雙懸而 己蚊杲 還氷見乍 春避而 野邊尾廻者 面白見 我矣思經蚊 狭野津鳥 来鳴翔經 秋僻而 山邊尾徃者 名津蚊為迹 我矣思經蚊 天雲裳 行田菜引 還立 路尾所来者 打氷刺 宮尾見名 刺竹之 舎人壮裳 忍經等氷 還等氷見乍 誰子其迹哉 所思而在 如是 所為故為 古部 狭々寸為我哉 端寸八為 今日八方子等丹 五十狭邇迹哉 所思而在 如是 所為故為 古部之 賢人藻 後之世之 堅監将為迹 老人矣 送為車 持還来 持還来
                                    万葉集 巻16-3791
          作者:竹取の翁
よみ:緑子の 若子の時(かみ)には たらちしも懐(なつか)し 褨(すき)を襁()け 平生(ひらお)の時(かみ)には 木綿(ゆふ)の肩衣(かたきぬ) ひつらに縫ひ着 頚(うな)つきの 童(わらは)の時(かみ)には 結幡(けつはん)の 袖つけ衣(ころも) 着し我れを 丹()よれる 子らが同年輩(よち)には 蜷(みな)の腸(わた) か黒し髪を ま櫛持ち ここにかき垂れ 取り束(たか)ね 上げても巻きみ 解き乱り 童に為()しみ 薄絹(うすもの)似つかふ 色に相応(なつか)しき 紫の 大綾(おほあや)の衣(きぬ) 住吉の 遠里小野の ま榛(はり)持ち にほほし衣(きぬ)に 高麗錦 紐に縫ひつけ 刺()さへ重(かさ)なへ 浪累()き 賭博為し 麻続(をみ)の子ら あり衣の 宝(たから)の子らか 未必(うつたへ)は 延()へて織る布(ぬの) 日晒(ひさら)しの 麻手(あさて)作りを 食薦(しきむも)なす 脛裳(はばき)に取らし 醜屋(しきや)に経()る 否(いな)き娘子(をとめ)か 妻問ふに 我れに来なせと 彼方(をちかた)の 挿鞋(ふたあやうらくつ) 飛ぶ鳥の 明日香壮士(をとこ)か 眺め禁()み 烏皮履(くりかわのくつ) ()し佩()きし 庭たつすみ 甚(いた)な立ち 禁(いさ)め娘子(をとめ)か 髣髴(ほの)聞きて 我れに来なせと 水縹(みなはだ)の 絹の帯を 引き帯()なし 韓(から)を帶に取らし 海若(わたつみ)の 殿(あらか)の盖(うへ)に 飛び翔ける すがるのごとき 腰細(こしほそ)に 取り装ほひ 真十鏡(まそかがみ) 取り並()め懸けて 己(おの)か欲()し 返へらひ見つつ 春さりて 野辺を廻(めぐ)れば おもしろみ 我れを思へか 背の千鳥(つとり) 来鳴き翔らふ 秋さりて 山辺を行けば 懐かしと 我れを思へか 天雲も 行き棚引く 還へり立ち 道を来れば 打日刺す 宮女(みやをみな) さす竹の 舎人(とねり)壮士(をとこ)も 忍ぶらひ 返らひ見つつ 誰が子ぞとや 思はえてある かくのごと 為()し故(ゆへ)し 古(いにしへ)の 狭幸(ささき)し我れや 愛()しきやし 今日(けふ)やも子らに 不知(いさ)にとや 思はえてある かくのごと 為()し故(ゆへ)し 古(いにしへ)の 賢(さか)しき人も 後の世の 語らむせむと 老人(おひひと)を 送りし車 持ち帰りけり 持ち帰りけり
意訳:私が乳幼児の若子の頃は上等の布で母にくるまれ、稚児になると木綿製の裏付きの着物を着せられ、首まで切りそろえた幼児になると絞り染めの袖のついた着物を着ていた。ほおの赤い、あなたがたと同じような年頃になると、黒髪を櫛でかいて前に垂らし、取り束ねて巻き上げてみたり、あるいは解き乱したりして童子らしくしたものさ。ほの赤い色に似つかわしい紫染めの、綾織りの文様の大きな着物に、住吉(すみのえ)の遠里小野(とほさとをの)の、あの高級な榛(はん)の木で染めた着物を着、高麗錦を紐状に縫ひつけたものさ。その上、高麗錦の紐を挿したり合わせたりして重ね着飾ったものさ。麻をつむ子や織物に従事する子がこさえた白布を伸ばして織った着物に、日にさらした真っ白な麻製の、美しく屋根状に盛り上がった、ひれをなしたスカート状の上着を羽織る。下級役人の稲置娘子が求婚する私に、遠方から送ってよこした二色交ぜ織りの下足袋を履き、明日香の男が長雨時のように家にこもって縫ってくれた黒靴を履いたもんさ。その靴を履いて庭に立っていると、それを漏れ聞いた稲置娘子が、そんな風にお立ちでないと、私に送ってよこした韓帯(外国製の帯)を紐のように使って引き締めなさいといった。海神の御殿の屋根の上部に飛び回るジガバチのように、スマートな腰細の格好で装ほい、その自分を鏡に映してほれぼれしたもんさ。春がやってきて野辺をめぐると、格好いいと思ったのか野の鳥が鳴きながら飛んできた。秋になって山辺を歩くと、天雲までも私になついてたなびいている始末。、帰り道をたどって都大路にさしかかると、女官たちも高級な舎人(とねり)たちも、密かに振り返って見ては、どこの家の若様かと思われたものさ。こんなふうなありさまだから、この私も昔は時めいていたと思ったのさ。まあ今となれば、あなたがたのような若い方であれば変なじいさんと思われても仕方がない。だけど昔の賢人たちもこれを後の世の鑑(かがみ)とするように、人の老いは繰り返されるのだよ。


◎この歌の由縁を読んで、すぐにあのかぐや姫で有名な「竹取物語」を連想されたかと思いますが、この歌の「竹取の翁」が竹取物語の竹取の翁(讃岐造)のモデルになったとも云われています。
 
 「竹取物語」はさらに後の平安時代に作られた物語ですが、あの竹の中からかぐや姫を見つけたお爺さんが、万葉集では仙女たちに出逢ってこのような歌を詠っていると思うと、ちょっと楽しくなります。
 この万葉集巻十六(三七九一)の歌に出て来る竹取の翁は、後の平安時代に作られた竹取物語の登場人物の竹取の翁のもとになったとも云われています。
 竹取物語において、竹取の翁はその名を「讃岐造(さぬきのみやつこ)」とされ、その出身部族である讃岐氏は、持統-文武期に朝廷に竹細工を献上するために讃岐国(さぬきのくに)の氏族斎部(いちべ)氏が大和国広瀬郡散吉(さぬき)郷に移り住んだものだそうです。
 
 おなじく、竹取物語のかぐや姫の五人の求婚者である貴公子たちが、万葉集の一時代である持統期末期から文武期初期にかけての朝廷の中心に居た実在の人物に比定されることも、この巻十六(三七九一)の歌から始まる一連の連作との関係を感じさせてくれて興味深いものがありますよね。


 

(たく)を詠める歌3
巻4-0704: 栲縄の長き命を欲りしくは.......(長歌)
 
※巫部麻蘇娘子(かんなぎべのまそのおとめ、生没年未詳)
 巫部が氏で麻蘇は字(あざな。通称)でしょうか。または巫部麻蘇で一つの氏名(うじな)だったのでしょうか。
 巫部氏は祭祀氏族の一つで、姓ははじめ連、のち宿禰でした。
 神に仕え、音楽や舞で神の心を和らげる役割を負ったことからの氏名かと言われます。『新撰姓氏録』によれば、平安右京・山城・摂津・和泉の諸国に居住しました。なおマソは麻のことで、特に神祭の際用いられた麻を言います。
 名からすると、神子(みこ)だったのしょうか。
 
13-3324: かけまくもあやに畏し藤原の.......(長歌)
題詞:挽歌
題訓:挽歌(ばんか)
原文<>纒毛 文恐 藤原 王都志弥美尓 人下 満雖有 君下 大座常 徃向 <>緒長 仕来 君之御門乎 如天 仰而見乍 雖畏 思憑而 何時可聞 日足座而 十五月之 多田波思家武登 吾思 皇子命者 春避者 殖槻於之 遠人 待之下道湯 登之而 國見所遊 九月之 四具礼<>秋者 大殿之 砌志美弥尓 露負而 靡<>乎 珠<>次 懸而所偲 三雪零 冬朝者 刺楊 根張梓矣 御手二 所取賜而 所遊 我王矣 烟立 春日暮 喚犬追馬鏡 雖見不飽者 万歳 如是霜欲得常 大船之 憑有時尓 涙言 目鴨迷 大殿矣 振放見者 白細布 餝奉而 内日刺 宮舎人方 [一云 者] 雪穂 麻衣服者 夢鴨 現前鴨跡 雲入夜之 迷間 朝裳吉 城於道従 角障經 石村乎見乍 神葬 々奉者 徃道之 田付S不知 雖思 印手無見 雖歎 奥香乎無見 御袖 徃觸之松矣 言不問 木雖在 荒玉之 立月毎 天原 振放見管 珠手次 懸而思名 雖恐有
               万葉集 巻13-3324
             作者:不明
よみ:かけまくも あやに畏し 藤原の 都しみみに 人はしも 満ちてあれども 君はしも 多くいませど 行き向ふ 年の緒長く 仕へ来し 君の御門を 天のごと 仰ぎて見つつ 畏けど 思ひ頼みて いつしかも 日足らしまして 望月の 満しけむと 我が思へる 皇子の命は 春されば 植槻が上の 遠つ人 松の下道ゆ 登らして 国見遊ばし 九月の しぐれの秋は 大殿の 砌しみみに 露負ひて 靡ける萩を 玉たすき 懸けて偲はし み雪降る 冬の朝は 刺し柳 根張り梓を 大御手に 取らし賜ひて 遊ばしし 我が大君を 霞立つ 春の日暮らし まそ鏡 見れど飽かねば 万代に かくしもがもと 大船の 頼める時に 泣く我れ 目かも迷へる 大殿を 振り放け見れば 白栲に 飾りまつりて うちひさす 宮の舎人も [一云 は] 栲のほの 麻衣着れば 夢かも うつつかもと 曇り夜の 迷へる間に あさもよし 城上の道ゆ つのさはふ 磐余を見つつ 神葬り 葬りまつれば 行く道の たづきを知らに 思へども 験をなみ 嘆けども 奥処をなみ 大御袖 行き触れし松を 言問はぬ 木にはありとも あらたまの 立つ月ごとに 天の原 振り放け見つつ 玉たすき 懸けて偲はな 畏くあれども

意訳:訳      口に出すのも恐れ多い。藤原の都に人は多く満ち満ちており、君と呼ばれる方々は多くいらっしゃるが、長年月お仕え申し上げた君の御門。天上のごとく仰ぎたてまつり、恐れ多くも思い頼んできた君。一刻も早く成長なさって立派になってほしいと思ってきた皇子の命(みこと)。春になると植槻(うゑつき)の丘に松の下道を通ってお登りになり、国見をなさった。長月(旧暦九月)のしぐれの秋には御殿の石畳にいっぱい露が降りる。その露を受けてなびく萩の花をたすきをかけるように心に懸けられ、愛でられる。雪が降る冬の朝は、挿し木した柳が根を張るように、大御手に取って梓弓を張り、狩りをなさった大君。霞がたち込める春の長い一日見飽きることのない君。永久にかくのごとく元気であらせられるだろうと、大船に乗った気でいたその矢先、わが泣く目の錯覚かと思った。仰ぎ見た御殿は真っ白な布で飾られ、大宮人たちも(あるいは「は」という)白装束をしていた。その光景にあまりのことに夢かうつつかと呆然とした。その間に城上(きのへ)から磐余(いはれ)に向けて神を葬り申し上げた。私は行く道もその方法も分からずに思い惑った。思う甲斐もなく、嘆いても際限がない。せめて、国見の際お触れになった松を、もの言わぬ木ではあるが、毎月命日には振り仰いで皇子をお忍び申し上げよう。恐れ多いけれど。
 
左注:右二首
注訓:右二首


◎集歌3324の長歌の「皇子命」及び集歌3325の反歌の「皇可聞」の表現から、挽歌で詠われた人物は、藤原京時代に大嘗祭を迎える前の「皇太子」の立場として亡くなられ、挽歌を贈られています。そして、葬られた場所は磐余の地だったようです。万葉集が準公的な和歌集であるとすれば、皇族の肩書きは慎重に考慮され、選択されていると考えています。また、これが万葉集での公的な歌を解釈・鑑賞するときの基準です。
 さて、亡くなられたのは、どの皇子でいらしたのでしょうか。草壁皇子でも、高市皇子でもありません。一説に弓削皇子説もありますが、歌で「何時可聞 日足座而(いつしかも 日足らしまして)」と詠うように年若い皇子でなければならない条件から、現在まで該当する皇子は不明です。また、万葉集の歌が示す藤原京時代に大嘗祭を迎える前の皇太子が亡くなられているとする歴史と日本書紀や続日本紀が示す歴史とが違うため、実に不思議な挽歌となります。
 なお、集歌3324の歌には柿本人麻呂の匂いが感じられます。


 

(たく)を詠める歌2
巻3-0285:栲領巾の懸けまく欲しき妹が名をこの背の山に懸けばいかにあらむ
 
※丹比笠麻呂 (たじひの-かさまろ、生没年不詳)
 飛鳥(あすか)-奈良時代の官吏です。大宝(たいほう)-和銅(701715)のころの人。紀伊(きい)や筑紫(つくし)に赴任したときよんだ歌が「万葉集」にみえます。


巻3-0460:栲づのの新羅の国ゆ人言をよしと聞かして.......(長歌)
標題:七年乙亥、大伴坂上郎女悲嘆尼理願死去作謌一首并短謌
標訓:七年乙亥に、大伴坂上郎女の尼(あま)理願(りがわん)の死去(みまか)れるを悲嘆(かな)しびて作れる謌一首并せて短謌
原文栲角乃 新羅國従 人事乎 吉跡所聞而 問放流 親族兄弟 無國尓 渡来座而 大皇之 敷座國尓 内日指 京思美弥尓 里家者 左波尓雖在 何方尓 念鷄目鴨 都礼毛奈吉 佐保乃山邊 哭兒成 慕来座而 布細乃 宅乎毛造 荒玉乃 年緒長久 住乍 座之物乎 生者 死云事尓 不免 物尓之有者 憑有之 人乃盡 草 客有間尓 佐保河乎 朝河渡 春日野乎 背向尓見乍 足氷木乃 山邊乎指而 晩闇跡 隠益去礼 将言為便 将為須敝不知尓 徘徊 直獨而 白細之 衣袖不干 嘆乍 吾泣涙 有間山 雲居軽引 雨尓零寸八
             万葉集 巻3-0460
          作者:大伴坂上郎女
よみ:栲綱(たくつの)の 新羅(しらぎ)し国ゆ 人(ひと)(こと)を よしと聞かして 問ひ放()くる 親族(うから)兄弟(はらから) 無き国に 渡り来まして 大皇(おほきみ)し 敷きます国に うち日さす 京(みやこ)しみみに 里家(さといへ)は 多(さは)にあれども いかさまに 思ひけめかも つれもなき 佐保(さほ)の山辺(やまへ)に 泣く児なす 慕(した)ひ来まして 布細(しきたへ)の 宅(いへ)をも作り あらたまの 年し緒長く 住まひつつ 座(いま)ししものを 生ける者 死ぬといふことに 免(まぬ)かれぬ ものにしあれば 憑(たの)めりし 人のことごと 草枕 旅なる間(ほど)に 佐保川を 朝川(あさかは)渡り 春日野を 背向(そがひ)に見つつ あしひきの 山辺(やまへ)を指して 晩闇(くれやみ)と 隠(かく)りましぬれ 言はむすべ 為()むすべ知らに たもとほり ただ独(ひと)りして 白栲(しろたへ)し 衣袖(ころもで)()さず 嘆きつつ 吾が泣く涙 有間山(ありまやま) 雲居(くもゐ)たなびき 雨に降りきや

意訳:栲の綱の白き、新羅の国から、人々が立派とお聞きになって、言葉をかける親族兄妹もないこの国に渡って来られて、天皇の治められる国に、日が射し輝く京にはいっぱい、町の家は沢山あるのですが、どのようにお思い為されたのか、縁もない佐保の山辺に、泣く子が母を慕うように、慕い来られて、仏門だけでなく床を敷く家をも作って、新しい年に気が改まる、そのような年を長く住んでいらしたのに、生きるものは死と云うことを免れることは出来ないものであるから、頼りにしている人々が皆、草を枕にするような苦しい旅にある間に、佐保川を「朝に川を渡る」ように仏の国に入り、春日野を背後に見て、足を引きずるような険しい山辺を指して、暗闇のようにこの世から隠れなさいました。どうして良いのか判らず、あちらこちらをさまよい、ただ独りだけで、喪の白い栲の涙で濡れた衣の袖を干すことなく、嘆きながら、私が泣く涙は、有間山の雲が山の際に居て棚引き、雨となって降ったでしょうか。
左注:右、新羅國尼、名曰理願也、遠感王徳歸化聖朝。於時寄住大納言大将軍大伴卿家、既逕數紀焉。惟以天平七年乙亥、忽沈運病、既趣泉界。於是大家石川命婦、依餌藥事徃有間温泉而、不會此喪。但、郎女獨留葬送屍柩既訖。仍作此謌贈入温泉。
注訓:右は、新羅國の尼(あま)、名を理願(りがん)といへるが、遠く王徳(おうとく)に感(かま)けて聖朝(みかど)に歸化(まゐき)たり。時に大納言大将軍大伴卿の家に寄住して、既に數紀(すうき)を逕りぬ。ここに天平七年乙亥を以つて、忽(たちま)ちに運病(うんびょう)に沈み、既に泉界に趣(おもむ)く。ここに大家石川命婦、餌藥(にやく)の事に依りて有間の温泉()に徃きて、此の喪()に會はず。ただ、郎女の獨り留(とどま)りて、屍柩(しきう)を葬り送ること既に訖(をは)りぬ。よりて此の歌を作りて温泉()に贈り入れたり。

意訳:この新羅の国の尼は、名を理願といった。はるか遠く天皇の聖徳に感じ、わが国に帰化した。そして、大納言大将軍大伴安麻呂卿(大伴旅人の父)の家に身を寄せ、数十年が過ぎた。天平七年になってにわかに病気にかかり急逝した。そのとき大伴家の老主婦である石川命婦(石川郎女=安麻呂の妻)は療養のために有馬温泉に行っていてこの葬儀に居合わせなかった。ただ坂上郎女(安麻呂と石川郎女の娘、旅人の異母妹)がひとり留守番をしていて、葬送の儀を行なった。そこでこの歌を作って有馬温泉にいる母に贈った。
 
※大伴坂上郎女(おおともの-さかのうえのいらつめ、生没年不詳)
 奈良時代の女流歌人です。大納言安麻呂の娘で、旅人(たびと)の異母妹です。家持の叔母にあたり、初め穂積皇子に嫁しましたが,その死後異母兄宿奈麻呂 (すくなまろ)の妻となり、坂上大嬢 (おおいらつめ) 、坂上乙嬢 (おといらつめ) を生みます。旅人の死後は大伴家の中心的存在となり、一族のことをとりしきったらしい。『万葉集』に長歌6首、短歌 77首、旋頭歌1首を収め、万葉女流歌人中最も歌数が多い。歌風は理知的,技巧的で,社交的性格が濃く認められます。一方,繊細で鋭い感覚,新しい心境をうたった作品もあります。この点を含め、またその生活環境からいっても、家持の歌に大きな影響を与えていると考えられます。

※理願尼(りがんに、?735年)
 新羅(しらぎ)(朝鮮)の尼僧です。渡来して大伴安麻呂(おおともの-やすまろ)邸に寄住。安麻呂の死後も妻の石川郎女(いしかわのいらつめ)や娘の坂上(さかのうえの)郎女のもとでくらします。天平(てんぴょう)7年死去。坂上郎女がその死を有馬の温泉で療養中の母に知らせた歌が「万葉集」にのせられている。


 

(たく)を詠める歌1
 栲(たく)はクワ科の落葉低木の楮(こうぞ)です。春に小さな花をつけ、六月頃に木苺に似た実をつけます。古くから布や紙の材料として利用されてきました。
 
 万葉集では、この栲(たく)の皮からとった白い繊維、または繊維で織った布を指しています。また、その繊維で編んだ「栲縄(たくなは)」は「長い」を引き出す言葉として使われています。
巻2-0217:秋山のしたへる妹なよ竹のとをよる子らは...(長歌)
標題:吉備津采女死時、柿本朝臣人麿作歌一首并短哥
標訓:吉備(きび)の津()の采女(うねめ)の死(みまか)りし時に、柿本朝臣人麿の作れる歌一首并せて短歌
 
原文:秋山 下部留妹 奈用竹乃 騰遠依子等者 何方尓 念居可 栲紲之 長命乎 露己曽婆 朝尓置而 夕者 消等言 霧己曽婆 夕立而 明者 失等言 梓弓 音聞吾母 髪髴見之 事悔敷乎 布栲乃 手枕纏而 釼刀 身二副寐價牟 若草 其嬬子者 不怜弥可 念而寐良武 悔弥可 念戀良武 時不在 過去子等我 朝露乃如也 夕霧乃如也
              万葉集 巻2-0217
           作者:柿本人麻呂
よみ:秋山の したへる妹 なよ竹の とをよる子らは いかさまに 思ひをれか 栲縄(たくなは)の 長き命を 露こそは 朝に置きて 夕は 消ゆと言へ 霧こそは 夕に立ちて 朝は 失すと言へ 梓弓 音聞くわれも おほに見し 事悔しきを 敷栲の 手枕まきて 剣刃 身に副()へ寝けむ 若草の その嬬の子は さぶしみか 思ひて寝らむ 悔しみか 思ひ恋ふらむ 時ならず 過ぎにし子らが 朝露のごと 夕霧のごと
意訳:秋山の木々の間に光が差し込め、美しく輝く貴女、なめらかな竹のようなしなやかな体をした貴女は、どう思ったのか、栲の繩のように長い命を、露だったら朝に降りて夕べには消え、霧だったら夕べに立ち込めて朝には消え失せるという、采女の貴女が神を呼ぶ梓の弓をかき鳴らす音を聞いた私も、その姿をかすかにしか見なかったことが残念で、閨の寝具の上で手枕を交わして剣や太刀を身に添えるように寄り添って寝た、若草のような貴女の若い恋人は、貴女を亡くした寂しさか、思い出して夜を寝られるでしょう。悔しみか、思い出して恋しがるでしょう。思いもかけず、亡くなった貴女は、朝露のようで、夕霧のようです。
※吉備津采女(きびつの-うねめ、生没年不詳)
 飛鳥(あすか)時代の女官です。吉備国津郡出身の采女です。近江(おうみ)朝廷につかえ、ゆるされない結婚をしたため罰せられ、自殺したとされます。「万葉集」巻2に柿本人麻呂(かきのもとの-ひとまろ)の長歌1首、反歌2首の挽歌があり、当時世にきこえた事件を人麻呂が詠ったものと思われます。
◎采女は、各地の有力な氏族から容姿端麗ななる女性を選び、出仕させ、天皇の身辺の世話をする女性としました。古くは、各豪族の服従の贄として、貢上されたものです。
 この美女たちは、美しい装飾、美しい衣服を身にまとい、しかも天皇側近という、一般の廷臣とはかけ離れた世界にいました。それを垣間見る廷臣(人麻呂も含む)にとってみれば、憧れるだけで近づきがたい存在です。
 また、その采女という職掌の性格上、出仕の間は、天皇以外の男性と関係を持つことは、厳に禁じられていました。
 この吉備津の采女の場合は、歌の中に「夫」とあることから、禁断である天皇以外の男と密通し、それが露見してしまったのでしょう。
 それを悔い、恥ずかしみ、突然、入水自殺をしてしまったようです。
 人麻呂は、そんな話を噂で聞き、彼女の命の儚さと、禁断の恋を思い、悔やんではいるけれど、最後は「朝露のごと 夕霧のこと」(朝露のような・・・夕霧のような・・・)と、儚さだけを詠み、終えています。
 彼女の罪を責めてはいません、ただ、その儚さだけを、悲しむだけです。
 様々な辛さに耐えかねて、水底に沈む美女。このテーマは、様々な歌で、万葉集に出て来ます。

ウェブニュースより
 藤井2冠激戦で連勝「負けもあった」次は木村一基戦 ―― 将棋の藤井聡太2冠(王位・棋聖=18)が2日、東京・千駄ケ谷「将棋会館」で行われた第70期王将戦挑戦者決定リーグ5回戦で、広瀬章人八段(33)を下した。
 
 これで3連敗後、2連勝。ほかの棋士の勝敗次第だが、今月20日の最終局、木村一基九段(47)戦での残留に望みをつないだ。目まぐるしく形勢が傾き、「負けもあった気がします」と話すほどだった。
https://www.youtube.com/watch?v=RZRq5brw9tA

 1年前の前期王将リーグでは4勝1敗同士で、渡辺明王将(36)への挑戦権をめぐって直接対決。藤井は終盤、受けを間違えて挑戦できなかった。今期は、負けられない対局で踏みとどまった。「最終局も盤上に集中して指したい」と、抱負を語った。    
[日刊スポーツ 20201122052]


 

ウェブニュースより
 大阪都構想が否決 地方自治、問われる持続性 ―― 大阪市民が大阪都構想に再びノーを突きつけた。政令市としての大阪市が存続する一方、大阪府との非効率な二重行政は制度上、残ることになった。人口減と高齢化が進み、全国の2割の市区町村は2045年の人口が現在の半数を下回るとの推計もある。効率的で持続的な自治制度を問い直す時期にきている。
 
 都構想は大阪市と大阪府がともに手掛けてきた都市開発などの広域行政を府に一本化し、財源を合わせる。限られた財源を府主体で効率的に使うのが狙いだった。今回の否決でこうした構想は白紙に戻る。人口減や高齢化が進む小規模自治体を含めて、府全体に目配りした成長戦略をどう描くかも課題として残る。
 新型コロナウイルス禍は病床確保や検査受け入れなど、自治体の広域連携の必要性を改めて突きつけた。医師確保や介護なども広域で考えなければ立ちゆかなくなる。
 世界の主要都市には、活力と地域の持続可能性を両立させる形が様々ある。都構想は、広域の役割と身近な行政サービスを役割分担するロンドンに近い形といえる。ニューヨークは、都道府県と市町村の権限を併せ持ち、ロンドンとは異なる自治制度だ。いずれも、二重行政のない仕組みを取っている。こうした都市と競争する大都市は、二重行政を解消する形を探る必要があろう。
 都構想とは逆に、道府県の役割をすべて市が担う形として「特別自治市」構想がある。政令市長でつくる指定都市市長会は5日、横浜市で特別自治市の創設を提言する。これを受け、総務省が検討の場を設けることになりそうだ。
 活力と持続可能性を問われているのは、富を生むエンジン役となる大都市だけではない。
 政府の推計では、全国の約1700の市区町村のうち、45年の人口が15年比で増えるのは94のみ。半数以下に減少する自治体は334に上る。生活圏や経済圏の同じ市区町村でつくる新しい広域的な自治体の形「圏域」が取り沙汰されたこともあるが、市区町村の反発で議論は進まない。
 人口減と低成長が続けば税収は伸びず、自治体運営は一層厳しくなる。そのとき現在の都道府県や市区町村は残るのか。道州制といった新たな体制への移行も念頭に考えていく時代を迎えている。    (2020/11/2 1:30日本経済新聞 電子版)

 駒大・田沢で逆転V「令和の常勝軍団」可能性秘める ―― <全日本大学駅伝>◇1日◇熱田神宮西門前~伊勢神宮内宮宇治橋前(8区間1068キロ)
 駒大が5時間118秒の大会新記録で6年ぶり13度目の優勝を飾った。エース田沢廉(2年)が最終8区の残り1キロ余りで猛スパート。ずっと東海大アンカー名取燎太(4年)の背中に付き、勝機をうかがった。目まぐるしく順位が変わる歴史的な大激戦を、鮮やかに一発の仕掛けで決めた。連覇を狙った東海大は2位、1月の箱根王者・青学大は4位。今季はコロナ禍で出雲駅伝が中止となり、今大会が「大学3大駅伝」の開幕戦だった。
 
   ◇   ◇   ◇
 1068キロの長丁場の勝負が決したのは、残り12キロだった。田沢は横目で、名取の顔色を確認した。その瞬間だ。蓄えていた力を一気に爆発させた。タスキをもらってから、18キロ以上はライバル校エースの背後にピタリと付き、仕掛けずに「静」を貫いていた。まさに一撃必殺のスパート。もう1段の余力も残していたが、使う必要はない。接戦に終止符を打って、何度もほえながら、フィニッシュテープを切った。
 「もともと、どこで仕掛けるかの計画性はなかった。何となくで決めた。不意に仕掛けてることで、『えっ』という思いをさせたかった。それがうまくいった」と笑った。レース全体で見ても、駒大が先頭を走ったのはラスト12キロだけ。まさにエースの勝負強さが最たる勝因だった。5734秒は区間賞でもあった。
 偉大なOBからも影響を受ける。東京五輪マラソン代表の中村匠吾は、今も駒大が練習拠点。印象的な姿勢の1つが食生活だ。ジュースなどは控え、飲むのは水ばかりと知った。まだ同じくらいにストイックにマネできないことには苦笑いだが、「徐々に変えていこうと思う」。自然と目にできる背中を、成長の糧とする。「将来は中村選手のように五輪選手になりたい」と力強く語った。
 これで「平成の常勝軍団」は、単独最多22度目の「大学3大駅伝」制覇だ。令和になって以降は初優勝。62歳の大八木弘明監督は「令和の常勝軍団を作りたい」。下級生は粒ぞろい。再び黄金時代が到来する可能性は十分だ。
 ○…大会はコロナ対策で、例年とは違った様式だった。走り終えた選手はゴール地点ではなく、バスで名古屋方面に。ゴール後の胴上げもなし。密集を避けるため、開閉会式も実施されなかった。沿道は観戦自粛が促されていたが、応援する人の姿も一部で見られた。
 ◆田沢廉(たざわ・れん)2000年(平121111日、青森県八戸市生まれ。青森山田高3年時にアジアジュニア選手権5000メートル銀メダル。駒大1年時は出雲3区区間2位、全日本7区区間賞、箱根3区区間3位。自己ベストは5000メートルが1337281万メートルが281321180センチ、61キロ。    日刊スポーツ 20201111918]

 活動「あと50年」 81歳のスーパーボランティア 緑綬褒章の尾畠さん ―― 今でも忘れられない光景がある。40歳で初めて登った冬のくじゅう連山は見渡す限りの銀世界。「人間は何と小さいことかと思い知った」
 
 四季折々に表情を変える山の魅力に引かれ、全国各地に出かけた。そこで目にしたのが、傷んでいく登山道や荒廃する木々。山への恩返しにと、50歳から地元・大分の由布岳を中心に登山道整備を続けてきた。
 多いときで月に28日、危険な登山道に道標を設置し、石を入れた網の袋を並べて足場を固めた。負傷した登山者を背負って下山したことも4回ある。
 食べるものにも困った幼少期。「同じ地球で、お互いに生かされていると思うと、あらゆる生き物に優しくなれる」という。
 豪雨などの被災地支援のほか、2年前は山口県で行方不明の2歳児を救出し「スーパーボランティア」と称された。昨年からは海岸に漂着したペットボトルの回収活動も始めた。
 受章については「誰かに言われてやっていることじゃないのに、なぜ表彰されるのかな」。夢は「あと50年ボランティア活動を続けること」。“尾畠節”がさえ渡った。    (2020/11/2 6:00 西日本新聞 社会面 井中 恵仁)


 

椎を詠める歌
 椎(しひ/しい)は、ブナ科シイノキ属の広葉樹のツブラジイ(円椎)とその変種スダジイ(頭陀椎)の略称です。5~6月頃に穂状の花を咲かせます。これらの実(ドングリ)は食べられます。
 万葉集には3首に詠まれています。
 
2-0142: 家にあれば笥に盛る飯を草枕旅にしあれば椎の葉に盛る
 
※有間皇子(ありまのおうじ、640658)
 
7-1099: 片岡のこの向つ峰に椎蒔かば今年の夏の蔭にならむか
 
14-3493: 遅速も汝をこそ待ため向つ峰の椎の小やで枝の逢ひは違はじ
 
 


ウェブニュースより
 藤井聡太二冠、リーグ初勝利 佐藤九段に118手 ―― 将棋の藤井聡太二冠(18)が29日、第70期王将戦(スポーツニッポン新聞社、毎日新聞社主催)の挑戦者決定リーグ戦で佐藤天彦九段(32)に118手で勝った。今期リーグの初勝利で、成績は13敗となった。挑戦権獲得の可能性は既になくなっているが、残る2局の戦いでリーグ残留を目指す。
 
 先手の佐藤九段が選んだ戦法は、振り飛車の一つである「中飛車」。佐藤九段としては珍しく、意表の出だしになった。終盤で優位に立った藤井二冠が手堅い戦いぶりで押し切った。「中飛車はやや意外だった。あまり成績のことは考えずに(残る2局も)全力を尽くしたい」。14敗となり、リーグ陥落が決まった佐藤九段は「中飛車はいつか指してみたいと思っていた。今の自分の実力かなと思うので、(陥落は)仕方ない」と話した。
https://www.youtube.com/watch?v=k1hul1FZrtg
 この日は、羽生善治九段(50)も同リーグの対局があり、勝って成績を30敗とした。ほかに、豊島将之竜王(30)と永瀬拓矢王座(28)が30敗で並んでいる。   
(朝日新聞DIGITAL 10/29() 21:34配信)


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目高 拙痴无
年齢:
92
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1932/02/04
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くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
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