瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 ウェブニュースより
 大相撲11月場所7日目 貴景勝と照ノ富士 ともに7連勝 ―― 大相撲11月場所は7日目、大関 貴景勝と三役に復帰した小結 照ノ富士はともに勝って初日から7連勝としました。
 中入り後の勝敗です。
▽十両の石浦に琴ノ若は、石浦が押し出しで勝ちました。
▽豊昇龍に千代の国は、豊昇龍が渡し込み。初日から6連勝の千代の国は、初黒星を喫しました。
 
▽志摩ノ海に魁聖は、志摩ノ海が送り出しで勝って1敗を守りました。
 
▽豊山に千代大龍は、千代大龍が突き落とし。
 
▽佐田の海に千代翔馬は、佐田の海がすくい投げ。
 
▽逸ノ城に明生は、明生が寄り切り。
 
▽竜電に新入幕の天空海は、天空海が上手出し投げで勝ちました。
 
▽炎鵬に琴恵光は、琴恵光が小手投げ。
 
▽栃ノ心に遠藤は、栃ノ心が寄り切り。
 
▽照強に玉鷲は、玉鷲がはたき込み。
 
▽宝富士に徳勝龍は、宝富士が寄り切りで勝って1敗を守りました。
 
▽碧山に琴勝峰は、碧山がはたき込み。
 
▽妙義龍に大栄翔は、大栄翔が突き出し。
 
▽阿武咲に翔猿は、翔猿が送り出し。
 
▽霧馬山に小結 高安は、高安が寄り切り。
 
▽小結の照ノ富士に若隆景は、照ノ富士がすくい投げで勝って初日から7連勝としました。
 
▽輝に新関脇 隆の勝は、輝が引き落とし。
 
▽関脇 御嶽海に北勝富士は、御嶽海が押し出し。
 
▽大関 貴景勝に平幕の隠岐の海は、貴景勝が押し出しで勝って初日から7連勝です。
 
力士の談話
 豊昇龍は全勝の千代の国に勝って43敗と白星先行、「前に出ることと立ち合いでしっかり当たろうという気持ちがあった。相手も全勝だったし、倒したいと思っていたので、勝ってよかった」と上機嫌でした。
 一方、6勝1敗に後退した千代の国は「全然だめだった。攻められている時点でだめ。あすは前に攻めていきたい」とことば少なでした。
 志摩ノ海は1敗を守り「足が動いているので、思い切った相撲が取れていると思う。土俵の上で相撲を取るだけ」と話していました。
 千代大龍は2連敗のあと5連勝、「それなりに自分の相撲がとれている。
当たり負けはしたけど、勝ったのでちょっとは流れが来ていると思う」と話していました。
 琴恵光は連敗を2で止め5勝目、「落ち着いて最後まで相撲を取ることができた。食いつかれると相手の流れになるので、なるべく離れながら取ろうと思っていた」と振り返りました。
 1敗を守った宝富士は「前に攻めようという気持ちが今場所は強い。前への攻めがいいのではないか。白星がだいぶ先行しているので、気持ちはいい」と落ち着いた様子でした。
 4勝3敗と白星先行の大栄翔は「きょうはちょっと我慢できたかな。長い相撲で勝ててよかった後半へいいきっかけになる」と手応えを感じていました。
 7戦全勝の小結 照ノ富士は、「ちょっと引いてしまったが落ち着いていたので残せたのだと思う。11日の積み重ねなので毎日を大事にしていきたい」と自身の相撲に納得がいってない様子でした。
 関脇 御嶽海は勝って5勝2敗、「終始攻められた。下から攻められたのでよかったと思う。自分のやるべきことをやるしかない。三役の仕事をしないといけないと思うし、しっかり自分の相撲を取らないといけない」と責任感を口にしました。
 大関 貴景勝は相手を圧倒して7連勝、「集中してきちんと後悔しない相撲を取ろうと思った。毎日が初日だと思って、やれる準備をちゃんとして臨んでいる。場所までの2か月でやってきたことを、少しでも発揮したいと思って毎日やっている」と冷静な口ぶりでした。   (NHK WEB NEWS 20201114 2001)

浅草大百科
2020年の酉の市
 11月2日(月)、1114日(土)、1126日(木)三の酉。
 「
おとりさま」とはこの鷲神社の愛称であり、その例祭は昔は酉待、酉祭といわれ、祭りの日を意味しておりましたが、葛西花又の大鳥神社の酉の市の如く、祭りに付随して市がたつ様になり、次第に賑わいを呈してからは、酉の市とか、また市自体も「おとりさま」と愛称をもっていわれる様になりました。 その賑わいは江戸中期より始まったらしく、東都歳時記(天保9年刊)に下谷田甫鷲大明神は天保3年(1832)よりおよそ60年余り前から賑わったと記されておりますので、江戸中期の宝暦、天保(17501760)頃には相当有名だった様であります。俳人其角の句にも「浅草田甫、酉の市」として「春をまつことのはじめや酉の市」の句があります。
 熊手について
 
 鷲神社は昔から開運、商売繁盛の神として尊崇され、神社の熊手御守は「かっこめ」と呼ばれ、「かっこむ」、「とりこむ」などの縁起から江戸町民の人気をあつめ、それにつれ例祭当日、神社周辺には大小様々の縁起ものの熊手を商う業者が出店し、熊手も大きく美麗になって、現在200余店が出店しています。この神社の裏手には日本最大の歓楽境“吉原”があったので、吉原華やかなりし頃の「おとりさま」は正に東京随一の人手を見る大市でありました。 11月の第一番目の酉の日を一の酉、第二番目の酉の日を二の酉と呼び、年により三の酉まで市の立つ年がありました。江戸市民は「おとりさま」に詣でる事により、冬の訪れを感じ、冬支度を急ぐのでした。また、市の日売られる八つ頭の芋は「頭になる」「子が殖える」などの縁起から、あわもち、切山椒なども夫々縁起をかつぎ、昔から販売され愛用されています。


 

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目高 拙痴无
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92
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1932/02/04
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くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


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