真葛(さなかづら)を詠める歌2
巻10-2296:あしひきの山さな葛もみつまで妹に逢はずや我が恋ひ居らむ
巻12-3070:木綿畳田上山のさな葛ありさりてしも今ならずとも
◎田上山は、現在の滋賀県大津市の田上山(太神山を中心とした山々の総称)と考えられています。
巻12-3071:丹波道の大江の山のさな葛絶えむの心我が思はなくに
◎丹波道(たにはぢ)は奈良と京都の丹波を結ぶ道です。また、大江(おほえ)の山は、現在の京都市西京区と亀岡市の境にある、標高が480メートルの大枝山(おおえやま)とされています。
巻12-3073:木綿包み白月山のさな葛後もかならず逢はむとぞ思ふ
ウェブニュースより
藤井聡太王位が初防衛に王手 豊島将之竜王を会心の指し回しで寄せ切った ―― 将棋の最年少タイトルホルダー、藤井聡太王位(棋聖=19)が豊島将之竜王(叡王=31)の挑戦を受ける、第62期王位戦7番勝負第3局が18、19の両日、大阪市の関西将棋会館で行われ、後手の藤井が豊島を140手で破り、シリーズの対戦成績を3勝1敗とし、王位初防衛にあと1勝とした。棋聖に続き、ダブル防衛に王手をかけた。第5局は24、25日に徳島市「渭水苑」で行われる。
藤井の2勝1敗で迎えた第4局。戦型は相掛かり。両者の直近5局はすべて角換わりだったが、王位戦第1局以来の相掛かりとなった。序盤から難しく、1手1手に深い読みが必要とされる激戦。序盤について藤井は「後手4四角と打ったんですが、その角が負担になってしまい、少し苦しい局面になった」と苦戦を振り返った。
https://www.youtube.com/watch?v=UYhWC7TDgLk
1日目はほぼ互角で終了。2日目午後から本格的な戦いが始まった。7筋、9筋、6筋から総攻撃を仕掛け、勝機を見いだすと、一気にギアチェンジ。終盤、カウンターを狙った豊島に反撃の機会すら与えず、会心の指し回しで寄せ切った。それでも終盤について「明快な手が指せなくて本譜ではあまりうまくいっていないと思いながら進めてました」と反省した。公式戦の初対局から6連敗した“藤井キラー”の豊島との対戦成績を6勝8敗と押し戻した。
豊島に挑戦している叡王戦5番勝負では2勝1敗とリードし、22日に名古屋市で第4局が行われる。藤井が勝てば、羽生善治九段(50)が93年に達成した最年少3冠(22歳3カ月)を大幅に更新し、史上初の「10代3冠」が誕生する。竜王戦もあと1勝で豊島への挑戦権を獲得し、年内4冠も視野に入れている。王位初防衛に「また第5局が来週にすぐあるので、しっかりいい状態で臨めればと思います」。19歳の進化が止まらない。 [日刊スポーツ 2021年8月19日19時20分]
類いまれな起用さ持つ千葉真一さん 高校時代器械体操で全国V、夢は五輪 ――ドラマ「キイハンター」や映画「柳生一族の陰謀」などで知られ、ハリウッドでも活躍した俳優千葉真一(ちば・しんいち)さん(本名前田禎穂=まえだ・さだほ)が19日午後5時26分、新型コロナウイルス感染症のため千葉県君津市の病院で亡くなった。82歳。葬儀・告別式は近親者で行う。元妻は女優の故野際陽子さん。
アクションのキレを世間に知らしめたのは68年から始まった連続ドラマ「キイハンター」だったと思う。当時のドラマとしては異色の国際色豊かなスケールの大きいドラマの中で、千葉さんは演技もアクションも当たり前のようにこなしてみせた。国際的な舞台にもすっと溶け込んでしまう類いまれな器用さ、それが良くも悪くも千葉さんの持ち味だった。
千葉県立木更津一高時代に器械体操で全国優勝を成し遂げた千葉さんの夢は五輪出場だった。が、日体大2年の時に跳馬の失敗で腰と両膝を痛めて断念。失意の中で見かけた「東映ニューフェース募集!」のポスターが映画界入りのきっかけだった。
もともと俳優を目指したわけではないが、俳優座でわずか半年の研修を受けると20歳の若さで連続ドラマ「新七色仮面」(59年)の主演を難なくこなした。大ヒットシリーズ「仁義なき戦い」の「広島死闘編」(73年)では先輩俳優と競い合う群像劇の中で1、2を争う名キャラクターを演じてみせた。
70年代半ばにはハリウッドにも注目されるようになるが、この器用さが東映に重宝がられ、本格進出には“待った”が掛かった。かねてから千葉さんを敬愛していたクエンティン・タランティーノ監督の招きで「キル・ビル」(03年)の出演と剣術指導を果たしたのは64歳の時だった。
後輩の松方弘樹さんが「ホントうらやましい。ハリウッドにもポンと挑戦できちゃうんだから」と漏らすのを聞いたことがある。ポンとできるからこそ、そのタイミングも難しかったのかもしれない。
生まれるのがもう少し後だったら、ハリウッドでの活躍の幅はなお広がったのかもしれない。それでも「サニー千葉」の名は多くの米映画人の心に刻まれていると思う。 [日刊スポーツ 2021年8月20日5時0分]
真葛(さねかずら)を詠める歌1
モクレン科サネカズラ属の常緑つる性の真葛(さねかずら)です。花は夏に咲き、秋に赤く丸い実をつけます。写真は赤くなる前のものです。枝に粘液があり、鬢(びん)付け油の原料として使われるので、江戸時代には美男葛(びなんかずら)とも呼ばれたそうです。
万葉集には10首以上に載っています。「真葛(さなかづら)」が「後も逢ふ」などを導く枕詞(まくらことば)として使われている歌もあります。
巻2-0094:玉櫛笥みむろの山のさな葛さ寝ずはつひに有りかつましじ
※鏡王女(かがみのおほきみ、?‐683〈天武12〉)
鏡姫王,鏡女王とも書きます。鏡王の娘、額田王の姉とも、舒明天皇の皇女、皇孫ともいわれます。天智天皇に寵(ちよう)せられ、のち藤原鎌足の嫡室となったようです。死去の前日,天武天皇の見舞を受けたといいます。《延喜諸陵式》によれば、墓は舒明天皇陵の域内にあります。《万葉集》に重出も含め短歌5首、《歌経標式》にも歌が残っています。
巻2-0101:玉葛実ならぬ木にはちはやぶる神ぞつくといふならぬ木ごとに
※大伴安麿(おおとものやすまろ、?~714(和銅7)年)
奈良時代の歌人。長徳(ながとこ)の第6子。旅人,坂上郎女(さかのうえのいらつめ)の父でもあります。672年6月,壬申の乱に叔父の大伴馬来田(まぐた)、吹負(ふけい)、兄の御行(みゆき)とともに天武側について従軍します。708年(和銅1)元明天皇から藤原不比等らとともに子々孫々供奉し各自努むべき勅を賜わりました。710年都は平城京に移って安麻呂は佐保川畔に邸を営み,714年5月死去。時に大納言兼大将軍正三位、元明天皇はその死を悼み従二位を贈りました。
巻2-0102:玉葛花のみ咲きてならずあるは誰が恋にあらめ我れ恋ひ思ふを
◎この歌は大伴宿禰安麿(おほとものすくねやすまろ)が贈った巻2-0101の歌に、巨勢郎女(こせのいらつめ)が返した返歌です。大伴安麿の「美しい葛のように実のならない君への恋だ」との切ない訴えに対して、「実らせてくれないのは貴方のほうでしょう。私はこんなに恋しく思っていますのに…」と、逆に安麿のほうこそ恋を実らせてくれないのでしょうと責めています。安麿が実らない恋だと嘆いていたのと同じように、郎女もまた安麿への実らない恋に心を焦がしていたわけですね。
この歌も、万葉集の時代の男女も現代人とおなじようにお互いの気持ちを推しはかりかねて恋に苦しんでいたのだということがよく分かる一首のように思います。この後、安麿と郎女の二人はめでたく結ばれて夫婦となりました。
ちなみに巨勢郎女は近江朝廷側の大納言であった巨勢臣人(こせのおみひと)の娘で壬申の乱での敗北後に臣人の一族はすべて配流となってしまいましたが、郎女だけは安麿との婚姻していたおかげで配流を免れたようです。
大伴安麿も巨勢郎女もお互いの気持ちを量りかねていた理由のひとつは、自分たちの家系が大友皇子側と大海人皇子側というやがては敵同士になるであろうと予想される複雑な関係もその原因だったのかも知れませんね。
※巨勢郎女(巨勢の郎女、生没年不明)
飛鳥(あすか)-奈良時代の女性です。巨勢人(ひと)の娘。大伴安麻呂(おおともの-やすまろ)の妻となり、大伴田主(たぬし)を生みます。「万葉集」に安麻呂の求婚歌と、郎女の返歌1首がおさめられています。
巻2-0207:天飛ぶや軽の道は我妹子が里にしあれば.......(長歌)
標題:柿本朝臣人麻呂妻死之後泣血哀慟作歌二首并短歌
標訓:柿本朝臣人麿の妻死(つまみまか)りし後に泣血(いさ)ち哀慟(かなし)みて作れる歌二首并せて短歌
原文:天飛也 軽路者 吾妹兒之 里尓思有者 懃 欲見騰 不已行者 入目乎多見 真根久徃者 人應知見 狭根葛 後毛将相等 大船之 思憑而 玉蜻 磐垣淵之 隠耳 戀管在尓 度日乃 晩去之如 照月乃 雲隠如 奥津藻之 名延之妹者 黄葉乃 過伊去等 玉梓之 使之言者 梓弓 聲尓聞而 [一云 聲耳聞而] 将言為便 世武為便不知尓 聲耳乎 聞而有不得者 吾戀 千重之一隔毛 遣悶流 情毛有八等 吾妹子之 不止出見之 軽市尓 吾立聞者 玉手次 畝火乃山尓 喧鳥之 音母不所聞 玉桙 道行人毛 獨谷 似之不去者 為便乎無見 妹之名喚而 袖曽振鶴 [一云 名耳聞而有不得者]
万葉集 巻2-207
作者:柿本人麻呂
よみ:天飛ぶや 軽の道は 我妹子が 里にしあれば ねもころに 見まく欲しけど やまず行かば 人目を多み 数多く行かば 人知りぬべみ さね葛 後も逢はむと 大船の 思ひ頼みて 玉かぎる 岩垣淵の 隠りのみ 恋ひつつあるに 渡る日の 暮れぬるがごと 照る月の 雲隠るごと 沖つ藻の 靡きし妹は 黄葉の 過ぎて去にきと 玉梓の 使の言へば 梓弓 音に聞きて [一云 音のみ聞きて] 言はむすべ 為むすべ知らに 音のみを 聞きてありえねば 我が恋ふる 千重の一重も 慰もる 心もありやと 我妹子が やまず出で見し 軽の市に 我が立ち聞けば 玉たすき 畝傍の山に 鳴く鳥の 声も聞こえず 玉桙の 道行く人も ひとりだに 似てし行かねば すべをなみ 妹が名呼びて 袖ぞ振りつる [一云 名のみを聞きてありえねば]
意訳:雁飛ぶやではないが、軽の道は我が妻の里なので、幾度もじっくりと見に行きたいと思うが、しばしば行くと人目につく。幾度も行けば、人が知るところとなる。葛の蔓のように、後で逢えるからとそれを楽しみにして今はこらえている。岩に囲まれた淵のように、ひっそりと、内に秘めて恋焦がれている。大空を太陽が渡っていって日が暮れるように、照る月が雲に隠れるように、沖の藻のように靡いてきた愛しい妻が、黄葉のように散ってしまった。使いがもたらした言葉を聞いて(一に云う「知らせを聞いて」)言葉も出ず、どうしてよいやら分からない。知らせのみを聞いてすます気にはとてもなれない。千に一つも心を慰めるものはないかと、かって彼女がしょっちゅう出てきた軽の市に私は耳を澄まして彼女の声を聞こうとした。が、畝傍の山で鳴く鳥のような、かすかな声も聞こえない。道行く人を見ても一人として彼女に似た人はいない。どうしようもない気持になって、彼女の名を呼んで着物の袖を降り続ける。(一に云う「彼女の名を知らされただけではどうにも気がおさまらないので」)
◎この歌は、柿本朝臣人麿(かきのもとのあそみひとまろ)の軽(かる)の地にいた妻が亡くなった際に、人麿(人麻呂)が哀しんで詠んだ挽歌です。
この長歌と、長歌に付けられた反歌が二首の非常に長い歌となっていますが、それだけに人麿がどれほどこの軽の妻の死を哀しんだことがうかがえますね。
題詞には「泣血(いさ)ち」と、血の涙を流して哀しんだともありますが、けっして大げさな表現ではなかったように感じられます。
「軽(かる)」というのは現在の奈良県にある橿原神宮駅の東、剣池の南西に「法輪寺(軽寺跡)」や「応神天皇軽島豊明宮跡」などがあるので、その周辺に人々の集まる市がたっていたものと思われ、人麿の隠妻もこのあたりに住んでいたのでしょう。
歌の内容からも分かるようにこの妻はなんらかの理由で人に知られないように持つ「隠妻(こもりづま)」だったらしく、人に知られないようにと妻の家に頻繁に通わずにいた内に亡くなったしまったようですね。
そんな「亡くなった妻にもう一度逢いたいと軽の市に立ってはみたけれど、畝傍の山に鳴く鳥の声も聞こえず妻によく似た人すら通らないので、妻の名を呼んで袖を振ったことです。」と、なんとも切ない思いが切実な言葉となって詠われていますね。
「袖を振る」とはこの時代の術式のようなもので、「おいでおいで」と袖を振って恋しい人の魂(生者死者にかかわらず)を自分のほうに引き寄せる行為のことです。
なんだか、隠妻の名を呼びながら涙を流して袖を振る人麿の姿が、目に浮かんでくるような哀しい一首ですよね。
ウェブニュースより
将棋・王位戦第4局1日目終了 藤井聡太王位が58手目を封じる ―― 将棋の藤井聡太王位=棋聖=に豊島将之竜王=叡王=が挑んでいる第62期王位戦七番勝負第4局は18日、大阪・関西将棋会館で2日制の1日目を終えた。
豊島が先手を生かして、対藤井に効果的な相掛かりに誘導した。藤井は28手目を1時間6分の長考で指すなど、じっくりした展開に。午後6時過ぎ、ほぼ互角で藤井が58手目を封じた。19日午前9時から指し継がれる。残り時間は▲豊島4時間26分、△藤井4時間9分。
対局場になる予定だった佐賀県嬉野市が集中豪雨の影響を受け、関西所属の両雄の本拠地に変更された。関西将棋会館での防衛戦は初体験の藤井は、昼食によく注文する会館内の「イレブン」の大好物「バターライス」に「ハンバーグ」を追加して、タイトル戦のスペシャル感を自ら演出した。豊島は「ヤキニク(白米、みそ汁)」だった。
おやつは主催の不二家提供で、午前がともに「ちひろフィナンシェ」(藤井はアイスコーヒーも)。午後もともに「ミルクとこがし蜜(カステラ)」で、飲み物は藤井がアイスティー、豊島がアップルジュースだった。 (2021年8月18日 18時19分スポーツ報知)
栗を詠める歌
ブナ科クリ属の落葉植物です。説明の必要の無いほど、秋の味覚として馴染み深いものですね。栗の花は6月頃に、枝の腋から細長い紐のような花穂を伸ばして、小さい花を集めたようにして咲きます。先の方には雄花、元の方には雌花が咲きます。
万葉集には3首に登場します。いずれも、花ではなくて実に関する歌です。
巻5-0802:瓜食めば子ども思ほゆ栗食めばまして偲はゆ.......(長歌)
標題:思子等歌一首并序/釋迦如来金口正説 等思衆生如羅睺羅 又説 愛無過子 至極大聖尚有愛子之心 況乎世間蒼生誰不愛子乎
標訓:子らを思へる歌一首并せて序/釈迦如来(しゃかにょらい)の、金口(こんく)に正に説(と)きたまはく「等しく衆生(しゆうじよう)を思ふことは、羅睺羅(らごら)の如し」と。又説きたまはく「愛(うつくし)びは子に過ぎたるは無し」と。至極(しごく)の大聖(たいしやう)すら、尚(な)ほ子を愛(うつくし)ぶる心ます。況(いは)むや世間(よのなか)の蒼生(あをひとくさ)の、誰かは子を愛(うつくし)びざらめや。
原文:宇利波米婆 胡藤母意母保由 久利波米婆 麻斯提斯農波由 伊豆久欲利 枳多利斯物能曽 麻奈迦比尓 母等奈可可利提 夜周伊斯奈佐農
万葉集 巻5-802
作者:山上憶良(やまのうえのおくら)
よみ:瓜食めば子ども思ほゆ、栗食めばまして偲はゆ、いづくより来りしものぞ、眼交(まなかひ)にもとなかかりて、安寐(やすい)し寝(な)さぬ
意訳:瓜を食べれば子どものことを思い出す。栗を食べれば子どもがいとおしい。子どもはどこからやってきたのだろう。子どものことが目の前に浮かんで、なかなか寝付けないなぁ。
左注:神龜五年七月廿一日於嘉摩郡撰定 筑前國守山上憶良
注訓:神亀五年七月二十一日、嘉摩郡(かまのこほり)にて撰定す。筑前国守山上憶良
◎人生派歌人、人情派歌人などといわれる憶良らしい、子供への愛情を詠った作で、非常に有名な歌ですのでみなさんの中にもご存知の方も多いかと思います。
「瓜を食べていても今わが子供はどうしているだろうかと思い出させる。栗を食べればあの子にもこの栗をを食べさせてあげたいなあとまして思い出される。どんなに遠くにいても目に浮かんできて思い出され、安眠さえできない。」との子供への深い愛情は、今の世の人々にもすんなりと受け入れられる解説の必要すらないものですね。
万葉時代の人々も子供を思う気持ちはわれわれと何ら変わらないものだったのでしょう。
憶良の歌はこの「子らを思へる歌」や「貧窮問答の歌」など、どれも万葉集の中で異彩を放っていますが、しかしその「調べ(リズム)」は万葉調の重奏な美しさを保っていることも注目すべき点かと思います。
さほど長く無い長歌ですし、この歌もぜひみなさんも声に出して詠いあげてみてください。
千数百年も前の山上憶良という人物のこころが今の時代にそのまま蘇ってくるような不思議な力をそこに感じるはずです。
巻9-1745:三栗の那賀に向へる曝井の絶えず通はむそこに妻もが
巻9-1783:松返りしひてあれやは三栗の中上り来ぬ麻呂といふ奴
ウェブニュースより
タリバン「女性の権利尊重」 全土制圧後初の記者会見 ―― アフガニスタンのイスラム主義組織タリバンの報道担当者は17日、首都カブールで全土制圧後に初めて記者会見し、「歴史的な舞台だ。アフガンの自由と独立のために働く」と誇った。国際社会が懸念する女性の人権を巡っては「イスラム法の下で女性の権利は尊重される」と主張した。政権の移譲については「交渉が進んでいる」とした。
報道担当者は「内にも外にも敵を欲しない」とも述べ、政府関係者などへの報復を否定した。「指導者の指示ですべてのひとに恩赦を与えた」と融和姿勢を強調した。早期の首都制圧に踏み切った理由については「前政権が機能しなかった。我々が安全確保に責任を負う必要があった」と主張した。
タリバンは1996年から2001年に政権を握っていた際、極端なイスラム教の解釈によって女子教育を禁じるなど女性を抑圧した。17日の記者会見で、タリバンの報道担当者は新体制ではイスラム法の枠内で女性が医療分野などで働くことが可能になり、学ぶ権利も保障するとした。
国際社会の懸念を意識し、イスラム法に基づく穏健な統治に臨む考えを繰り返したが、具体策への言及は乏しかった。アフガン経済の立て直しに取り組む方針も表明した。アフガンの天然資源を活用し、国内に新しいインフラを整えることを検討するという。 【日本經濟新聞 2021年8月18日 1:02 (2021年8月18日 5:01更新)】
屎葛(くそかづら)を詠める歌
アカネ科のつる性の多年草。8月から9月にかけて道端に咲いているのをよく見かけます。なんとも変な名前(その匂いからきているとのこと)ですが、小さな花は可愛いものです。ヤイトバナともいわれます。
万葉集には一首だけに登場します。
巻16-3855:さう莢に延ひおほとれる屎葛絶ゆることなく宮仕へせむ
ウェブニュースより
将棋の藤井聡太二冠、稲葉八段に勝って王将リーグ入り ―― 将棋の藤井聡太二冠(19)=王位、棋聖=が16日、大阪市福島区の関西将棋会館で指された第71期王将戦(毎日新聞社、スポーツニッポン新聞社主催)2次予選の決勝で稲葉陽(あきら)八段(33)に106手で勝ち、挑戦者決定リーグ戦(通称「王将リーグ」)入りを決めた。藤井二冠を含む7棋士が、渡辺明王将(37)=名人、棋王と合わせ三冠=への挑戦権を総当たりのリーグ戦で争うことになった。
終局後、勝った藤井二冠は主催社記者のインタビューに答え、「王将リーグは、前期は陥落してしまったんですけど、今期は上を目指せたら」などと話した。
https://www.youtube.com/watch?v=G7qFPXrW5yU
藤井二冠は6月3日の第80期名人戦・B級1組順位戦(朝日新聞社、毎日新聞社主催)で稲葉八段に敗れ、藤井二冠の順位戦での連勝記録を歴代単独2位の22で止められていた(1位は森内俊之九段(50)の26連勝)。
日本将棋連盟の記録によると、本局の結果、両者の対戦成績は藤井二冠4勝、稲葉八段2勝となった。
王将戦は、将棋界に八つあるタイトル戦の一つ。全棋士が参加し、1次予選と2次予選をトーナメントで行い、予選の勝ち上がり者(3人)とシード棋士4人で挑戦者決定リーグ戦を行う。リーグ優勝者が例年1~3月、王将に七番勝負を挑む。
今期王将リーグのシード棋士は永瀬拓矢王座(28)、豊島(とよしま)将之竜王(31)=叡王(えいおう)と合わせ二冠=、羽生(はぶ)善治九段(50)、広瀬章人(あきひと)八段(34)。予選の勝ち上がり者は藤井二冠のほか、近藤誠也七段(25)。残り1人は、糸谷(いとだに)哲郎八段(32)と八代弥(わたる)七段(27)の勝者。 【朝日新聞DIGITAL 2021年8月16日 19時50分】
タリバン制圧のカブール、住民に広がる恐怖 現地ルポ ――【カブール=カニカ・グプタ】アフガニスタンの反政府武装勢力タリバンは15日、首都カブールに進攻し、アフガン政権は事実上崩壊した。イスラム教の厳格な解釈を押しつけるタリバンの支配下に入ったことで、カブールの住民には不安や恐怖が広がっている。
女性課題省の庁舎に集まった女性職員たちは、タリバンが首都に到着したと伝えるラジオのニュースを聞いて泣き叫んだ。今後もたらされる抑圧を想像し、恐怖で身を寄せ合う。イスラム教の厳格な解釈により自らが標的にされるのではないかとおののく。
タリバンがカブールに進攻した15日、寒気が首都を包んだが、肌寒さはこうした不安感によるものもあったに違いない。カブールにすむ27歳のモハメドさんは「暮らしがこれからどうなるのか見当もつかない」と話す。「米国に放置された我々の街に、今度はタリバンがやってきた」
カブールの住民は、驚異的なスピードで進む展開についていくのに必死だった。タリバンの戦闘員は首都を包囲したかと思うと、すぐに市内に進攻した。15日にはガニ大統領が国外に脱出した。
タリバン報道官は、カブールの人々の生命と財産には危害は及ばないと述べ、行政権限の移譲は数日で完了すると主張した。だが、多くの住民は懐疑的だ。家路を急ぐ人や国外逃亡のため空港に向かう人の動きで市内の道路は渋滞した。
1996~2001年のタリバン政権下では、女性は学校や大学に通うことが禁じられた。男性の付き添いや体や顔を覆う「ブルカ」がなければ公の場に出ることすらできなかった。タリバンは今回、女性の権利を守ると主張しているものの、額面通り受け止めることは難しいとの声があがる。
「私も国を出たいと思っている」と女性課題省の職員は言う。「もう二度と彼らを信用したくない」。英BBCのインタビューに応じたハミディ教育相代行も「すべての女性と同じく、私も恐れている」と語った。
一足先にタリバンの支配下に入った地域では戦闘はやんでいるもようだ。だが、北部クンドゥズ州出身のジャーナリスト、アクマル・カーン氏は、次の段階として「新たな現実」への適応が待っていると語る。「私は(イスラム教の厳格な解釈により)ひげを伸ばし続けなければならないし、報道の仕事もあきらめなければならないだろう」 【日本經濟新聞 2021年8月16日 17:45】
昨日は、忍者ブログに障害があり、ブログを更新できませんでした。以下は、昨日分のブログです。
葛(くず)を詠める歌4
巻12-3068:水茎の岡の葛葉を吹きかへし面知る子らが見えぬころかも
巻12-3069:赤駒のい行きはばかる真葛原何の伝て言直にしよけむ
◎赤駒は栗毛のうまのことだそうです。
巻12-3072:大崎の荒礒の渡り延ふ葛のゆくへもなくや恋ひわたりなむ
◎「大崎」は、現在の和歌山県海南市の大崎の海岸だそうです。
巻14-3412:上つ毛野久路保の嶺ろの葛葉がた愛しけ子らにいや離り来も
◎上つ毛野(かみつけの)は、現在の群馬県です。
久路保(くろほ)の嶺(ね)ろは、赤城山のことです。
巻16-3834:梨棗黍に粟つぎ延ふ葛の後も逢はむと葵花咲く
巻20-4508:高圓の野辺延ふ葛の末つひに千代に忘れむ我が大君かも
※中臣朝臣清麻呂(なかとみのあそみきよまろ、702〈大宝2〉~788〈延暦7〉)
奈良時代の右大臣です。氏名は初め中臣。意美麻呂の7男、母は多治比嶋の娘阿伎良。名は清万呂、浄万呂とも書きます。妻は多治比子姉(または古奈禰)。天平10(738)年に参河掾、以後、造弘福寺(川原寺)司判官、神祇少副兼式部大丞、神祇大副、尾張守、左中弁、式部大輔などを歴任、天平宝字2(758)年2月には自宅に大伴家持、市原王らを招いて歌会を催し、自らも4首の歌を詠んでいます(『万葉集』巻20)。6年参議(太政官の政務審議最高機関の構成員)となります。この間、位階は正六位上から従四位下に累進します。天平神護1(765)年1月左大弁兼摂津大夫のとき、藤原仲麻呂の乱の功によって勲4等、同年11月には清慎勤労、誠に嘉することありとの詔により、従三位に昇りますが、時に神祇伯でした。神護景雲3(769)年6月に大中臣の氏名を賜り、宝亀1(770)年正三位、2年1月大納言兼東宮傅となりますが、3月には従二位右大臣に任じられます。光仁天皇の信任厚く、宝亀3年2月と9年4月、私邸に再度の行幸があり、清麻呂に正二位、そして妻子にも授位がありました。天応1(781)年引退し、平城京の右京2条2坊の地(奈良市西大寺国見町)に没しました。その伝に、国の元老、年老いても怠ることなしとあります。のちにその邸跡を孫娘の百子が得、祖父のために寺院を建立し、大臣院と称しました。
巻20-4509:延ふ葛の絶えず偲はむ大君の見しし野辺には標結ふべしも
先日山谷堀広場に現れた巨大な女性の顔が再び隅田川の上空に現れたとのニュースがありました。
https://news.yahoo.co.jp/articles/87476002fdcd3fcb99f086cf6861cdc91c9be2cf
ウェブニュースより
デルタ株まん延、遠い収束 「集団免疫」困難か―新型コロナ ―― 全国の重症者数が最多となり、1日当たりの新規感染者も2万人を超えた新型コロナウイルス。過去最悪の「第5波」は、感染力が極めて強いインド由来のデルタ株まん延が最大の要因だ。ワクチン接種だけでは猛威を抑え切れないとみられ、流行収束の見通しは立たない。
国立感染症研究所によると、デルタ株の感染力は従来株の約2倍で、第4波で猛威を振るった英国由来のアルファ株の約1.5倍と推計される。重症化リスクなども従来株より高いとされるが、詳細は不明だ。
感染力については、感染者1人が他の8~10人程度に広める水痘(水ぼうそう)に匹敵するとの報告もある。感染研によると、感染拡大が進んだ結果、陽性者に占める割合は関東では90%以上、関西では80%に達したと推定される。
感染拡大防止策としては、ワクチン頼みなのが現状だ。接種が進むワクチンは、発症予防や重症化予防の効果は高いとされる。政府によると、接種(2回)は今月上旬までに、65歳以上の高齢者では8割超が完了した。一方、国民全体では3割強にとどまるため、感染は未接種の20~40代を中心に広がっている。
ただ、接種が進んでも、感染連鎖を食い止める「集団免疫」の達成は難しいとされる。従来株なら6~7割の接種率で達成されるとみられたが、水痘並みに感染力が強いデルタ株では、8~9割の接種率が必要との見方もあるからだ。
感染研の脇田隆字所長は「8、9割の接種率でもどうなるか分からない。接種が進む英国やイスラエルなどの状況を見る必要がある」と慎重な見解を示す。感染症の専門家は「日本はデルタ株への危機感が低い。流行のピークは不明で、ワクチン効果が低いとの指摘もある。集団免疫は期待できないかもしれない」と指摘している。 【JIJI.COM 2021年08月14日10時31分】
石坂浩二「また同世代が旅立ってしまい寂しい限り」ジェリー藤尾さん悼む ―― 「遠くへ行きたい」のヒット曲で知られる、歌手で俳優のジェリー藤尾(本名・藤尾薫紀=ふじお・しげき)さんが14日午前4時52分、急性肺炎のため横浜市内の次女夫妻の自宅で亡くなった。81歳。中国・上海生まれ。
19年放送のテレビ朝日系ドラマ「やすらぎの刻~道」で共演した石坂浩二(80)は「若い時に何度かご一緒させていただき、久々にテレビ朝日『やすらぎの刻~道』の撮影でお会いしました。昔とかわらずまだまだお元気そうで、歌声も素晴らしかったので、突然の知らせにびっくりしています。また同世代が旅立ってしまい寂しい限りです。心よりご冥福をお祈り申し上げます」とコメントした。
[日刊スポーツ 2021年8月14日17時51分]
戦後76年の「終戦の日」 コロナ下の追悼式、最少規模で ―― 戦後76年の「終戦の日」を迎えた15日、政府主催の全国戦没者追悼式が日本武道館(東京・千代田)で開かれる。全国から遺族や関係者ら約200人が出席。新型コロナウイルスの感染拡大に伴う緊急事態宣言下であることを踏まえ、追悼式が始まった1963年以降、最少規模で挙行される。
全国戦没者追悼式は例年、6千人規模で催されてきたが、新型コロナの影響で昨年の参列者数は542人にとどまった。今回は都が緊急事態宣言の対象地域となっており、さらに規模を縮小。政府は都以外の自治体からの参列遺族の数をそれぞれ1人程度とした。22府県は13日までに出席を辞退した。参列できない遺族らのために、式典の様子は昨年と同様、動画投稿サイト「ユーチューブ」で中継される。
先の戦争では、軍人・軍属約230万人と民間人約80万人の計約310万人が命を落とした。全国戦没者追悼式には、天皇陛下が皇后さまとともに出席される。正午の時報に合わせた黙とうの後、陛下がお言葉を述べられる。 【日本經濟新聞 2021年8月15日 0:00】
葛(くず)を詠める歌3
巻10-1985:ま葛延ふ夏野の繁くかく恋ひばまこと我が命常ならめやも
巻10-2096:真葛原靡く秋風吹くごとに阿太の大野の萩の花散る
巻10-2208:雁がねの寒く鳴きしゆ水茎の岡の葛葉は色づきにけり
巻10-2295:我が宿の葛葉日に異に色づきぬ来まさぬ君は何心ぞも
巻11-2835:ま葛延ふ小野の浅茅を心ゆも人引かめやも我がなけなくに
ウェブニュースより
アフガン首都緊迫 タリバン、隣接州も制圧 ―― アフガニスタンの反政府武装勢力タリバンが13日までに、第2の都市の南部カンダハルなどを制圧した。米メディアによると8月末の米軍撤収を控え、早ければ1カ月以内に首都カブールが陥落する可能性があると米当局はみている。米英、カナダは大使館員らの退避のため軍の部隊を派遣する。
タリバンは全34州都のうち過半数の18州都を支配した。首都のあるカブール州に隣接する東部ロガール州などを含み、首都から約50キロメートルまで迫っている。
カンダハルはタリバン発祥の地で、2001年12月に最後の拠点だった同地が陥落し当時のタリバン政権は崩壊した。カンダハル奪還でタリバン兵の士気が一段と高まる公算が大きい。
アフガン政府軍は孤立しつつある。12日にタリバンは第3の都市である西部ヘラートと、カブールから約130キロメートル南西の東部ガズニを制圧した。カンダハルや北部クンドゥズと合わせて幹線道路が通る要衝を押さえ、物流網の掌握を狙う。
「(米軍撤収決断を)後悔していない」と10日語ったバイデン大統領だが、12日にはホワイトハウスで記者団のアフガン情勢の問いに答えず足早に去った。わずか2日で情勢は大きく悪化した。
バイデン政権は12日、在カブール米大使館の人員を削減する方針を決めた。米国務省のプライス報道官は同日の記者会見で「慎重を期した措置だ」としたが、カブール陥落のリスクが高まったと判断したのは明白だ。
米軍は約3000人をカブールの国際空港に派遣し、外交官らの国外退避を支援する。米CNNは米政府が米大使館をカブールの空港に移転することを検討していると報じた。英国は約600人の部隊を送って自国民の退避を支援する。AP通信によるとカナダも軍特殊部隊を派遣する。
オースティン米国防長官は12日、アフガンのガニ大統領と電話し「厳しい戦いに直面するなかで団結力のあるアフガン国防・治安部隊こそが平和と安全の要だ」と指摘、治安回復をアフガン政府に委ねる考えを示した。だがアフガン政府軍は敗走を続けており、事態打開の兆しはみえない。
米軍撤収への米国民の支持は高い。米議会専門紙ザ・ヒルなどが7月上旬に実施した世論調査では、アフガン撤収支持が73%に達した。米大の調査によると、米国はアフガン戦争に2兆ドル(約220兆円)以上を投じ、01年の開戦以来2300人以上の米兵が死亡した。米軍は中国を念頭にアジア太平洋へと安全保障の軸足を移している。 【日本經濟新聞 2021年8月13日 20:00 (2021年8月14日 6:15更新)】
国内の新規感染、初の2万人超え 新型コロナ、重症者も過去最多 ―― 国内で13日、新たに確認された新型コロナウイルス感染者が初めて2万人を超え、最多を更新した。全国の重症者数も前日から74人増えて1478人(12日時点)となり、5月25日の1413人を超えて過去最多。連日の記録更新で流行第5波の出口は見えず、医療現場は危機的な状況に追い込まれている。
13日に報告された感染者は2万365人。17都府県で最多となった。埼玉、千葉、東京、神奈川の1都3県で約半分の1万839人を占めた。死者は東京7人、千葉6人など計25人だった。
東京の感染者は8月に入り5千人前後まで跳ね上がり、その後、首都圏をはじめとした各地に飛び火した。 【東京新聞 2021年8月14日 00時49分 (共同通信)】
九州北部や広島で記録的大雨 前線停滞、土砂災害や河川氾濫―広域で厳重警戒 ―― 九州北部から関東に延びる前線の影響で、13日は九州北部や広島県で記録的な大雨になった。気象庁は午前8時45分に広島市に大雨特別警報を発表し、午後1時に警報に切り替えた。しかし、西日本を中心に断続的に雨が強まっており、土砂災害や河川の氾濫、低地の浸水に厳重に警戒するよう呼び掛けている。前線は今後1週間程度、本州付近に停滞すると予想され、九州から東北の広い範囲で大雨の恐れがある。
気象庁の岸本賢司主任予報官は「どこで特別警報が出てもおかしくない状態が続いている」と話した。
広島県では午前9時19分に雨雲が連なった線状降水帯が発生したとの「顕著な大雨に関する情報」が出され、午後0時半には三次市の江の川上流が氾濫したと発表された。広島市安佐北区と安芸高田市、北広島町では警戒レベルが最も高い「緊急安全確保」が発令された。
一方、長崎県雲仙市の雲仙岳では48時間雨量が13日午前11時10分までに743.0ミリ、熊本県天草市(本渡)では午前10時半までに520.5ミリに上り、いずれも最多記録を更新した。雲仙市では民家が土砂崩れに巻き込まれ、女性(59)が死亡した。
九州の福岡、佐賀、長崎、大分、熊本各県のほか、広島、奈良、滋賀、愛知、石川、富山各県の一部に土砂災害警戒情報が発表され、各地で避難指示が発令された。
14日午後6時までの24時間予想雨量は多い所で、九州北部と東海300ミリ、四国と近畿、関東甲信250ミリ、九州南部と中国、北陸200ミリ、東北120ミリ。
その後、15日午後6時までの同雨量は、九州北部・南部と四国、近畿、東海、関東甲信200~300ミリ、中国と北陸100~200ミリ、東北50~100ミリ。 【JIJI.COM 2021年08月13日22時37分】
葛(くず)を詠める歌2
巻7-1272:大刀の後鞘に入野に葛引く我妹真袖もち着せてむとかも夏草刈るも
巻7-1346:をみなへし佐紀沢の辺の真葛原いつかも繰りて我が衣に着む
巻8-1538:萩の花尾花葛花なでしこの花をみなへしまた藤袴朝顔の花
◎憶良がこの歌で挙げた七草花は現在にも「秋の七草」として伝わっていますが、その独自の選花は興味深いものがあります。
「萩(はぎ)」は万葉集にも四季の花すべてを通じてももっとも多く詠まれている花で、憶良もさすがにこの花は外すことが出来ないと思ったのでしょう。
「尾花(をばな)」はススキのことで、花としては地味ですがたしかに秋を代表する植物と言えます。
「葛(くず)花」はちょっと意外に感じられる方もいらっしゃるかも知れませんが、秋になると葛の葉の間から大きな赤紫の花を覗かせて咲く花で、この花を選んだ憶良の感性は見事だと思います。
「撫子(なでしこ)」はカワラナデシコのことでこの花もまた、日本女性にも譬えられる可憐な花で、秋の七草の選定には欠かせませんよね。
おなじく、「女郎花(をみなへし)」も万葉集にも多く詠まれており、古来、日本人には馴染みの深い秋の花です。
「藤袴(ふじばかま)」も、その上品なたたずまいで欠かすことの出来ない秋の草花と言えるでしょう。
「朝顔(あさがほ)」は、現在でいう「アサガオ」は万葉の時代にはまだ日本に持ち込まれていなかったと思われ、これは「桔梗(ききょう)」のことだろうといわれています。
憶良のこの歌は「調べ(リズム)」もよく、非常に覚えやすい歌となっていますので、みなさんもぜひこの歌で秋の七草を覚えてみてくださいね。
巻10-1901:藤波の咲く春の野に延ふ葛の下よし恋ひば久しくもあらむ
巻10-1942:霍公鳥鳴く声聞くや卯の花の咲き散る岡に葛引く娘女
ウェブニュースより
藤井聡太王位、竜王戦初挑戦まであと1勝「手探りのところが多かった」 ―― 藤井聡太王位(棋聖=19)が竜王戦初挑戦まであと1勝とした。12日、東京・千駄ケ谷「将棋会館」で行われた第34期竜王戦挑戦者決定戦3番勝負第1局で、先手の永瀬拓矢王座(28)を午後11時36分、184手もの激戦の末に下し、先勝した。
永瀬の9手目先手7八飛と、約11年ぶりに採用した三間飛車に意表を突かれた。その後、お互いに穴熊に囲い合った。「経験のない将棋で手探りのところが多かった」と振り返る。じっくり戦機をうかがう展開から終盤、リードを保って押し切った。
https://www.youtube.com/watch?v=Ncl-2YHvfjY
第2局は今月30日、同所で行われる。「全力を尽くして指せれば」と、特に意識はしていない。藤井が連勝すれば、豊島将之竜王(叡王=31)への挑戦権を獲得すると同時に、現在進行している王位戦7番勝負、叡王戦争5番勝負に次いで、竜王戦7番勝負を争うことになる。最大19番にも及ぶ頂上対決が実現する。 [日刊スポーツ 2021年8月12日23時47分]
バッハ会長は最後まで「ぼったくり男爵」だった!広島訪問全費用を地元に“ツケ回し” ―― 最後まで「ぼったくり」だった。
9日に帰国したIOC(国際オリンピック委員会)のバッハ会長(67)が7月16日に広島市を訪問した際の警備費用(379万円)について、広島県と市が折半することが分かった――と12日付の中国新聞デジタルが報じた。
記事によると、バッハ会長は16日午後に平和記念公園を訪れて原爆慰霊碑に献花し、原爆資料館を見学した。この時、市は約3時間、公園の立ち入りを一部規制し、警備会社へ警備を委託したという。県や市はIOCや東京五輪の組織委側に警備費負担を求めたものの受け入れられず、県と市が2分の1ずつ支出することが決まったという。
中国新聞の取材に対し、県と市は「県民、市民の理解が得られる適切な支出と判断した」と説明しているらしいが、広島県民、市民にとっては「冗談じゃない」のが本音なのではないか。県や市がバッハ会長の広島訪問を懇願したのであればともかく、そんな報道は一切なかったからだ。
実際、ネット上でも<コロナ禍なのに強行訪問。それでいてカネは出さないっておかしくないですか><松井市長が呼び掛けた8月6日の黙とう要請も無視しながら、請求書だけはツケ回し?><広島ヤクザの方がよっぽど礼儀がある>などと批判の声のオンパレードだ。
コロナ感染者がどれだけ急増しようが、五輪を強行。感染者が入院すらできずに自宅療養で苦しんでいる中、自分は高級ホテルのスイートルームで豪遊。揚げ句、競技選手らには外出自粛を求めながら、自分は複数のSPを引き連れて銀ブラ……。傍若無人とはこのことで、IOC会長はそんなに偉いのか。
今からでも遅くない。丸川珠代五輪相(50)と東京五輪・パラリンピック組織委員会の橋本聖子会長(56)は、すぐにバッハ会長の自宅に督促状を出すべきだろう。 【日刊ゲンダイ 公開日:2021/08/12 16:05 更新日:2021/08/12 16:05】
抗議した連盟会長も“ブーメラン炎上” 五輪ボクシング「金」入江に女性蔑視発言の張本氏「嫁入り前のお嬢ちゃんが…」 ―― 東京五輪ボクシング女子で日本勢初の金メダルに輝いた入江聖奈(20)=日体大=をTBS系テレビ情報番組「サンデーモーニング」が取り上げた際、野球評論家の張本勲氏(81)から女性およびボクシングを蔑視した発言があったとして、日本ボクシング連盟が10日付でTBSに抗議文を送付した。
張本氏は8日の放送で「女性でも殴り合いが好きな人がいるんだね。嫁入り前のお嬢ちゃんが顔を殴り合ってね。こんな競技好きな人がいるんだ」などと発言。世界5階級制覇の藤岡菜穂子(45)がツイッターへの投稿で、「どこ目線から発している言葉なのか。偏りがあり知識のない人を炎上商法として使っているのだろうかテレビ局は。そしてボクシングは『殴り合い』ではない」と番組作りの姿勢にも疑問を呈するなど、反響が広がっていた。
日本連盟も11日、抗議文を送ったと発表。ボクシングが暴力的な殴り合いではなく技術を駆使した競技だと抗議し、「女性だからそんな競技に取り組むべきではないという、多様性を否定するようなご発言」の訂正を求めている。
同連盟の内田貞信会長は「張本さんには、もう少し理解を持って女性ボクサー見てもらいたい。入江選手、(銅メダルの)並木(月海)選手も礼儀正しく、女性らしい気配りのある素晴らしい人格を持った選手。誰に対しても模範となる女性であります。『サンデーモーニング』さんにはスポーツの楽しさ、価値観を伝えてもらうように要請したい」と苦言。
ただ、「女性らしい」という表現には、SNS上で張本氏と同様に古い固定観念の表れとの批判も。内田会長はまだ40代で、宮崎市の繁華街に一大キャバクラグループを築いた実業家。張本氏よりは進んだ女性観を持っているはずだが…。 【zakzak 2021.8.12】
葛(くず)を詠める歌1
葛(くず)はマメ科クズ属のつる性の多年草です。茎が非常に丈夫で、他の植物に絡み付いて数メートルにまで成長します。夏から秋にかけて花が咲きます。根は薬用としてや葛粉(くずこ)として使われます。昔は、大和国の国栖(くず)が葛粉の産地としてよく知られていたそうです。
秋の七草の歌を含めて、万葉集には21首に登場します。その多くは、旺盛な繁殖力やつるがどこまでも伸びていく様を詠んでいます。
巻3-0423:つのさはふ磐余の道を朝さらず行きけむ人の.......(長歌)
標題:同石田王卒之時山前王哀傷作歌一首
標訓:同じき石田王の卒りし時、山前王(やまくまのおほきみ)の哀傷(かなし)みて、作れる歌一首
原文:角障經 石村之道乎 朝不離 将歸人乃 念乍 通計萬<口>波 霍公鳥 鳴五月者 菖蒲 花橘乎 玉尓貫 [一云 貫交] 蘰尓将為登 九月能 四具礼能時者 黄葉乎 折挿頭跡 延葛乃 弥遠永 [一云 田葛根乃 弥遠長尓] 萬世尓 不絶等念而 [一云 大舟之 念憑而] 将通 君乎婆明日従 [一云 君乎従明日<者>] 外尓可聞見牟
万葉集 巻3-0423
作者:山前王(やまくまのおおきみ)或いは柿本人麻呂
よみ:つのさはふ 磐余の道を 朝さらず 行きけむ人の 思ひつつ 通ひけまくは 霍公鳥 鳴く五月には あやめぐさ 花橘を 玉に貫き [一云 貫き交へ] かづらにせむと 九月の しぐれの時は 黄葉を 折りかざさむと 延ふ葛の いや遠長く [一云 葛の根の いや遠長に] 万代に 絶えじと思ひて [一云 大船の 思ひたのみて] 通ひけむ 君をば明日ゆ [一云 君を明日ゆは] 外にかも見む
意訳:岩石の多い磐余の道を毎朝通って行った君が、歩みながら空想したことは、ほととぎすの鳴く五月には菖蒲草や橘の花を玉に連ねて〔一は云はく、貫き交えて〕かずらにしよう。九月の時雨の時期には、黄葉を折って頭にかざそうとのことだっただろう。延びる葛のようにとても遠く長く、〔一は云はく、田葛の根のようにとても遠く長く〕、万の世まで絶えることなくと思って〔一は云はく、大船のように頼りに思って〕通っただろう君を、明日から〔一に云はく、君を明日からは〕他界の人として見るのかなあ。
左注:右一首或云柿本朝臣人麻呂作
注訓:右の歌は、或は云はく、柿本朝臣人麿の作といへり。
◎この歌は山前王(やまくまのおほきみ)が石田王の死を悲しんで詠んだ長歌です。山前王(やまくまのおほきみ)は忍壁親王の子で天武天皇の孫です。
ただ、左注によると一説には柿本朝臣人麿の作ともあるので山前王自身が詠んだ歌ではなく、人麿の代作であったのかも知れませんね。
あるいは、山前王の長歌を後に人麿が修正した異伝であるのかも知れませんが…
「磐余(いはれ)の道」は奈良県桜井市や飛鳥を通る古代の主要道路で、石田王の邸宅は磐余にあったことからこの道を通て毎朝、朝廷に出仕していたのでしょう。
長歌の内容は、そんな磐余道を毎朝通って石田王が想像していたことは、「ほととぎすの鳴く五月には菖蒲草や橘の花を玉に連ねてかずらにしよう。九月の時雨の時期には、黄葉を折って頭にかざそうとのことだっただろう。」と、生前の石田王の心を想像して詠っています。
そして、「延びる葛のようにとても遠く長く、万の世まで絶えることなくと思って通っただろう君を、明日から他界の人として見るのかなあ。」と、その死を悲しんでいます。
石田王については詳しいことはわかっていないのですが、一説によると山前王の弟であったともいい、「明日から他界の人として見るのかなあ。」とはそんな石田王を亡くした悲しみをよく表している表現ですよね。
※山前王(やまくまのおおきみ、?-724年)
飛鳥(あすか)~奈良時代、忍壁(おさかべ)親王の王子です。葦原(あしはら)王の父。石田王(いわたのおおきみ)の死をいたむ長歌1首のほか短歌2首が「万葉集」巻3に載っていのす。また「懐風藻」に詩1編が載っています。養老7年12月20日死去。
巻4-0649:夏葛の絶えぬ使のよどめれば事しもあるごと思ひつるかも
◎この歌は大伴坂上郎女が詠んだ相聞歌です。大伴宿禰駿河麿(おほとものすくねするがまろ)が贈った先の巻4‐0648の歌への返歌であり、「夏葛のように長く絶えなかったあなたの使者がとどこおっていたので、何事かでもあったかと心配していました。」と、こちらも恋の戯れ歌だった巻4-0647の歌から一転して真面目に近況の挨拶に答えています。
左注によると駿河麿は坂上郎女の甥(従甥?)であり、また坂上郎女の娘の二嬢(おとをとめ)を妻にしたとも云われていますが、これらの歌からもこの二人は以前からずいぶん親しい関係であったようです。
巻6-0948:ま葛延ふ春日の山はうち靡く春さりゆくと山の上に.......(長歌)
標題:〈神亀四年(727)〉四年丁卯春正月勅諸王諸臣子等散禁於授刀寮時作歌一首[并短歌]
標訓:四年丁卯春正月、諸王諸臣子等に勅して、授刀寮に散禁せしめし時、作れる歌一首幷に短歌
原文:真葛延 春日之山者 打靡 春去徃跡 山上丹 霞田名引 高圓尓 鴬鳴沼 物部乃 八十友能牡者 折不四哭之 来継皆石 如此續 常丹有脊者 友名目而 遊物尾 馬名目而 徃益里乎 待難丹 吾為春乎 决巻毛 綾尓恐 言巻毛 湯々敷有跡 豫 兼而知者 千鳥鳴 其佐保川丹 石二生 菅根取而 之努布草 解除而益乎 徃水丹 潔而益乎 天皇之 御命恐 百礒城之 大宮人之 玉桙之 道毛不出 戀比日
万葉集 巻6-0948
作者:不明
よみ:真葛(まふぢ)延(は)ふ 春日し山は うち靡く 春さりゆくと 山し上(へ)に 霞たなびく 高円(たかまと)に 鴬鳴きぬ 物部(もののふ)の 八十伴の牡(を)は 折り伏し哭きし 来継ぎ看做し かく継ぎて 常にありせば 友並(な)めて 遊ばむものを 馬並(な)めて 往(ゆ)かまし里を 待ちかてに 吾がする春を かけまくも あやに恐(かしこ)し 云(い)はまくも ゆゆしくあらむと あらかじめ かねて知りせば 千鳥鳴く その佐保川(さほかは)に 石(いは)に生(お)ふる 菅し根採りて 偲(しの)ふ草 祓(いは)へてましを 往(ゆ)く水に 潔身(みそき)てましを 天皇(すめろき)し 御命(みこと)恐(かしこ)み ももしきし 大宮人し 玉桙(たまほこ)し 道にも出でず 恋ふるこの頃
意訳:美しい藤の這う春日山は、草葉が打ち靡く春めいて行くと山の上に霞が棚引き高円山に鶯が鳴く。朝廷に奉仕する多くの男たちは、折り伏して泣いて、鶯は飛び来て鳴くだろうと、このように引き続いて、このまま謹慎であったなら、友と連れ立って風景を楽しむだろうに、馬を並べて往くべき里の春の訪れを待ちかねて私が楽しむ春を、口に出すのも恐れ多く、言葉にするのも憚られるようなことになると最初から分かっていたなら、千鳥が鳴くその佐保川の岩に生える菅の根を採って、それを憂さを忘れると云う偲ぶ草としてお祓いをしておくものを、流れる水に禊をしておくものを、天皇のご命令を謹んで承って、沢山の岩を積みて作る大宮に勤める宮人たちは、御門の玉鉾を掲げる官道にも出ずに、春山を恋しがるこの頃よ。
注意:原文の「折不四哭之」は、標準解釈では「折木四哭之」と校訂し「雁(かり)が音(ね)の」と訓じます。折木四を「カリ」と訓じるのは、博打の出目の呼び名に因ります。また、「来継皆石」は「来継比日」と校訂し「来継ぐこの頃」と訓じます。
左注:右、神龜四年正月、數王子及諸臣子等集於春日野、而作打毬之樂。其日、忽天陰雨雷電。此時、宮中無侍従及侍衛。勅行刑罰、皆散禁於授刀寮、而妄不得出道路。于時悒憤即作斯謌。作者未詳。
注訓:右は、神亀四年の正月に数(あまた)の王子及び諸(もろもろ)の臣子等の春日野(かすがの)に集い、打毬(うちまり)の楽(たのしみ)を作(な)す。その日、忽(たちまち)に天は陰り雨ふりて雷電す。この時に、宮中に侍従及び侍衛無し。勅(みことのり)して刑罰を行ひ、皆を授刀寮(じゅたうりょう)に散ずるを禁じ、妄(みだ)りに道路に出るを得ず。時に悒憤(おぼほ)しく、即ちこの歌を作れり。作者は未だ詳(つばび)らかならず。
ウェブニュースより
国内感染1万5812人、過去最多 9府県で更新、東京4200人―新型コロナ ―― 国内の新型コロナウイルス感染者は11日、新たに47都道府県と空港検疫で1万5812人が確認され、7日(1万5750人)を上回って過去最多となった。大阪(1490人)をはじめ、静岡、三重、滋賀、京都、奈良、愛媛、熊本、鹿児島の9府県で最多を更新。首都圏だけでなく、地方でも感染拡大が鮮明となっている。
厚生労働省によると、全国の重症者は前日比102人増の1332人。死者は20人。
東京都では4200人の感染が確認された。1週間前の水曜日より34人多い。都基準の重症者は最多だった前日から21人増え、197人になった。
都内では基礎疾患のない30代男性の死亡が確認された。都によると、男性は微熱のため保健所が軽症と判断し、自宅療養中だったという。
都内の新規感染者を年代別に見ると、20代が1262人で最多。30代867人、40代727人と続いた。65歳以上は162人。 (JIJI.COM 2021年08月11日21時22分)
8月9日早朝に見た女性の頭部のバルーンについて、姪のC.U君からコメントを頂いたので、調べてみることにしました。
このバルーンは、すでに7月16日に代々木公園で打ち上げられ、NHKの記事にもなっていることが判りました。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210716/k10013142101000.html
ウェブニュースより
東京の空に謎の「顔」浮かぶ アートプロジェクト「まさゆめ」 ―― 東京五輪開幕まであと1週間となった16日朝、国立代々木競技場に程近い東京の空に、巨大な「顔」が浮かんだ。これは誰? 何のために? 謎が謎を呼ぶ、白昼夢のような光景。実は、現代アートのプロジェクトなのだ。
少女の夢から始まった
「まさゆめ」と題されたこのプロジェクトは、世界中から広く顔を募集し、「実在する1人の顔」を選んで東京の空に浮かべるというもの。実際に午前6時、6階建てビル相当(約20メートル)の巨大なバルーンのような顔が浮揚した。
企画したのは美術家の荒神明香(こうじん・はるか)さん、ディレクターの南川憲二さん、インストーラー(制作・設置担当)の増井宏文さんによる現代アートチーム、目[mé]。東京都などが主催する公募文化事業「Tokyo Tokyo FESTIVAL スペシャル13」の一つとして昨年実施予定だったが、新型コロナウイルスの感染拡大防止のため1年延期されていた。
着想源は、荒神さんが14歳のときに見た「まるでお月さまのように人間の顔が空にぽっと浮かんでいる夢」だという。どんな顔かは思い出せないそうだが、「幻想的というより人工的な風景で、大人たちが街ぐるみで仕掛けたものだと(夢の中で)直感した。こんな突拍子もないことをやっていいんだと勇気をもらった」と振り返る。いわばアーティスト個人の夢に始まり、空に揚がるのもまた、世界のどこかにいる個人の顔。それを空や雲と同じ景色として提示したとき、「公」はどう反応するのか。オリンピックイヤーという年に、個と公の関係を問う美術作品として計画された。
見方を変える大切さ
<2020年東京の空に浮かぶ顔、募集->
2年前、こんな不思議な呼びかけに、世界中から千人を超える老若男女が応じた。どんな顔が浮かぶべきかを専門家や一般参加者が話し合う「顔会議」なども開催され、最終的に荒神さんがたった一人の顔を選んだ。顔会議の中で意見として出た、不特定多数の視線を「はね返す顔」というキーワードが大いに参考になったという。
「本当に、この人しかいないと思った。〝哲学の顔〟と名付けてしまうくらい、自分たちの存在について考えさせてくれるお顔です」と荒神さん。それが誰なのかは明かされない。顔がカラーだと広告のように映ることから、あえてモノクロにした。
コロナ禍という想定外の事態に、プロジェクトの是非や意義を3人で問い直したという。南川さんは、生存を脅かされるほど厳しい状況において「ものの見方を変える大切さ」について考えた。2010年にチリで鉱山落盤事故が発生し、作業員33人が69日間も地下深く閉じ込められたとき、それぞれが牧師や医師や記者などになりきって「小さな社会」を作り、想像力も駆使して乗り越えたという実話を思い出したと語る。「視点を変えること、時に常識とされるものを逸脱する大切さを『まさゆめ』を通して感じてもらえたら」
3年の準備を経て、夢が「まさゆめ」になった荒神さんは、しみじみと語る。「本当に謎なことが起こっている。大変な状況の中でできたことは奇跡。あらゆる意味や合理性をはぎ取った、謎の一瞬に賭けて、顔を応募してくださった人や関係者ら皆が動いたんだと。SNSなどを通じて多くの方に見てもらい、このプロジェクトが新たな謎や想像力につながっていけばいいなと思います」
密を避けるため、顔が浮かぶ日時や場所は事前公表されないが、今夏に複数回、東京都心部で実施予定という。 (産経新聞 2021/7/16 09:42)
バッハ氏、銀座散策か 五輪相「不要不急か本人が判断」 ――国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長とみられるマスク姿の人物が東京・銀座を散策する姿がSNS上で広がった。丸川珠代五輪相は10日の記者会見で見解を問われ「不要不急であるかは本人が判断すべきものだ」と述べた。
目撃した人によると、バッハ会長とみられる男性は9日午後4時ごろ、商業施設「GINZA SIX(ギンザ シックス)」周辺を散策。ボディーガードや大会関係者とみられる人物ら数人を連れ、町並みをゆっくり見て回っている様子で、居合わせた人たちは一様に「なぜこんなところに」と驚いていたという。
加藤勝信官房長官は会見で、大会関係者は入国後14日間、活動計画書に記載された用務先に行動範囲が限定されると指摘。その上で「バッハ会長は先月8日に来日しており、既に入国後15日を経過している」と語った。
大会を通じ、新型コロナウイルス対策のため選手や大会関係者の行動は厳しく制限された。観光目的で外出した違反者が参加資格を剝奪されたケースもあった。〔共同〕 【日本經濟新聞2021年8月10日 22:47 (2021年8月10日 23:34更新)】
ウェブニュースより
藤井聡太2冠が豊島叡王破り最年少3冠に王手、第4局は22日 ―― 将棋の豊島将之叡王(竜王=31)に藤井聡太2冠(棋聖・王位=19)が挑戦する叡王戦5番勝負第3局が9日、名古屋市の老舗料亭「か茂免」で行われ、先手の藤井が豊島を破り、シリーズの対戦成績を2勝1敗とし、史上最年少3冠に王手をかけた。第4局は22日、名古屋市の「名古屋東急ホテル」で行われる。
1勝1敗のタイで迎えたシリーズの流れを大きく左右する一番。先手の藤井が角換わりを採用した。両者が得意とする戦型。藤井対豊島戦では5局連続しての「角換わり」となった。両者とも入念な研究手だったため、序盤からハイペースで進む。
65手目、ネットで解説を務めていたプロ棋士を驚かす藤井の一手が指された。先手8四角。受けの一手だが、プロもあまり指さない新感覚の一手だった。「角使いの名手」の藤井の本領発揮だった。
昼食休憩後は難解な中盤戦が続き、両者ともペースダウン。終盤にジリジリとリードを広げた藤井が、鮮やかに寄せ切った。
https://www.youtube.com/watch?v=X0AHn6b4CGo
初手合から6連敗だった「天敵」から直近5局で4勝1敗。3つ目のタイトル奪取へ大きく前進した。羽生善治九段(50)が持つ最年少3冠(22歳3カ月)の更新に王手をかけた。 [日刊スポーツ 2021年8月9日17時55分]
傷や苦しみ、あっての今 長崎被爆者代表の岡信子さん ――被爆者が傷つき、苦しみながら立ち上がってきたことを知って―。岡信子さん(92)は過去最高齢の被爆者代表として、長崎市の平和祈念式典で「平和への誓い」を読み上げた。思いの原点には被爆者の救護活動や、行方不明の父を捜す途中で見た惨状がある。
戦時中は学校の授業が受けられず、とにかく勉強がしたいと大阪にある日本赤十字の看護学校に入った。当時16歳。空襲のため帰郷していた1945年8月9日、長崎市の実家で被爆し、ガラス片で左半身を負傷した。
3日ほどして救護活動のため新興善国民学校に召集された。校舎はけが人であふれかえったが「治療らしい治療はできなかった」。薬品はほぼなく、煮沸した塩水で傷口に湧くうじを洗い流した。日中は他の救護所を歩いて回り、父を捜した。
道中、女性の遺体の陰部をがれきで隠してあげようとする男性を見掛けた。やけどで皮膚が垂れ下がっていたため救護所へ行こうと声を掛けたが「僕はもうだめだから」と断られた。帰りに通り掛かると、男性は女性の方へ手を差し伸べたまま息絶えていた。2人の関係は分からなかったが、まだ温かい手を女性の手に重ねてあげた。
戦後はひどい頭痛や吐き気に襲われ、勤務する病院のトイレで倒れていたこともある。だが当時を思い出すのも嫌で周りには被爆者だと明かさなかった。継承活動を始めたのは、約8年前の新聞社の取材がきっかけだ。
「証言など歴史の破片を一つ一つ集めることで、全体像に近づける」との思いで講演へ出向く。
体験記を昨年書き、国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館に寄せた。最後の段落に「可能ならば平和祈念式典に出席してみたい」とつづった。今回、自ら被爆者代表に応募したのは「人生最後の片付け」との思いからだ。
若い世代には、平和と思える今日の背景に多くの被爆者の死や苦労があることを忘れてほしくない。だからこそ原爆のむごさや核兵器廃絶を訴え続ける。「9日を最後と思わずに、これからもどこまでも行きます」〔共同〕 【日本經濟新聞 2021年8月9日 16:42 (2021年8月9日 21:37更新)】
sechin@nethome.ne.jp です。
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