瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 今日は朝から、雨。只今10時20分。昨夜かかって来た電話で話した爺の話の内容が、筒抜け。まあいい、別に隠し立てをしてるわけじゃない。テメエで喋ったことはテメエで責任を持ちましょ。徘徊も行けずうつらうつらしていたが、いつの間にか外は晴れ渡っている。まあ、ブログでも書くか。
fe5d3c3a.JPG 巴里祭でのAnnabella
5c35ebe7.JPG 今日はFourth of July 1776年に、アメリカ独立宣言が交付されたことを記念して設けられたアメリカ合衆国の Independence Dayである。それから100年後の1876年、100周年を記念して、アメリカの独立を支援してきたフランス人民の募金によって贈呈され、自由の女神が設立されたという。 イギリスがアメリカの独立を阻止しようと輸送船をアメリカに送ってくると、それを止めたのは全部、フランス海軍であるという。独立戦争の14年後にアメリカ憲法ができ、同時にフランス革命が起きた。フランス革命とアメリカの民主主義とは非常に密接な関係があったのであろう。
 7月1日のブログで、この爺の記憶違い「今日は巴里祭…」と書いたものだから、ヤントさんから、巴里祭は7月14日ではないかという指摘を受けた。まったく、その通りで戦後フランス映画ブームがあり、「自由を我等に」「巴里の屋根の下」「ル・ミリオン」などのRené Clair(ルネ・クレール)監督の映画を立て続けに観たことがあるが、その中に「巴里祭」というAnnabella(アナベラ=女優)・Georges Rigaud (ジョルジュ・リゴー=男優)の映画があり、その原題が「Le Quatorze Juillet(ル・カトルズ・ジュイエ)=7月14日」であることを聞いたことがあるようなないような。フランス革命は、1789年7月14日、当時は火薬庫であったバスティーユ牢獄を襲撃したことに始る。いずれにしても、アメリカでは独立記念日のことをFourth of Julyと日付でいい、フランスでもLe Quatorze Juilletと日付がそのまま革命記念日とされているらしい。

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07054fec.JPG 爺の育った九州最北端の地の氏神様について兵庫県在住の鳴尾のゆうさんから質問が入った。
 爺の生半可な知識に拠れば、この甲宗八幡宮の祭神は応神天皇と神功皇后であり、かつては武勇の神様としてお参りしていたが、戦後いつの間にか安産の神様に成り下がった。ここ甲宗八幡だけででなく、全国津々浦々の八幡宮乃至は八幡神社は総てそうである。爺の現在住んでいる近くの今戸神社も八幡系の神社にして、かつては武勇の神様として崇められたらしいが、今は安産の神様に成り下がり申したらしい。
 宮と社の違いについて調べてみたものの次のことしかわからなかった。曰く、
「社」はもともと神の来臨する聖域を指し、「宮」はそこに設けられた祭りのときの仮屋であった。しかし、いつしか仮屋だった宮が立場を逆転し、最高位の社格となったわけ。
「社」の代表、信仰の代表が「大社」となり、それが出雲信仰では出雲大社(島根)、住吉信仰の住吉大社(大阪)、諏訪信仰の諏訪大社(長野)、熊野信仰の熊野本宮大社(和歌山)、日枝信仰の日枝大社(滋賀)、稲荷信仰の伏見稲荷大社(京都)などになったという。
伊勢神宮は皇室の宗廟(そうびょう)で、全国八万社の神社の頂点に立つ御宮ということから、別格となるのだという。
 まあ、いずれにしろ神様の世界でのこと人間世界では理解できないことがあって当たり前でしょ。
 

 

 あの白鬚橋と桜橋の剃刀堤防の落書きについて取り上げて間もなく、続けざまに落書きのニュースが2つ入った。

079858f6.JPG 日午前5時ごろ、東京都北区東田端2丁目の東京新幹線車両センターで、東京発越後湯沢行きの上越新幹線「たにがわ401号」(10両編成)の2号車右側面に落書きがあるのを点検中の運転手が見つけた。4~5メートルにわたってスプレーで書かれており、JR東日本は、同6時32分に出発予定だった同新幹線の運行を取りやめた。約500人の乗客に影響が出た。 
 JR東日本によると、落書きは複数の色のスプレーで「Hack」などと書かれていた。隣に止まっていた長野新幹線「あさま」(8両編成)の1号車先頭部分にも1メートルにわたり意味不明の文字が書かれていた。同センターはフェンスで囲まれていて、関係者以外は入れないという。 
  警視庁滝野川署は器物損壊容疑で調べている。 
43122f3a.JPG  【フィレンツェ2日共同】1日付のイタリア紙レプブリカは、同国フィレンツェの世界遺産登録地区にある大聖堂の壁に落書きした常磐大高校(水戸市)の野球部監督が解任された問題について「休みの日でも、地球の反対側にいても(落書きは)許されない」と日本の処分の厳しさを指摘する特集記事を掲載した。
 前監督は2006年1月にイタリア旅行中、名前を書くと幸せになれるとの話を聞き落書きしたという。同紙は「(監督の)男性は(高校職員の)職も失いかねない。(日本では)間違いを犯した人間に対し哀れみはない」とも伝えた。
 落書きされた「サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂」の壁には日本語の落書きの量をはるかに上回るイタリア語、英語などの落書きがあるが、イタリアの世論は特に問題視している様子はない。
 一部の地下鉄車両や公共の建物などは、ほぼ全面に落書きされるなど、落書きに対する拒否反応は日本ほど激しくない実情もある。
 
 かつて、この爺がまだ30歳代のころ、臨海学校の指導員慰労の席で、ついつい酔っぱらた勢いで指導員に珍問を出題したことがある。
32f2eeb4.JPG ここでは解答はお預けにしておくが、この指導員のうちの悪たれが、こともあろうにあのO海岸の堤防の壁に焚き火の燃えカスの炭片で、これの珍問を大きく落書きしてしまった。
 酔った上でのことではあるが、まあ、置物とはいえ塾長先生であった拙痴无爺、大いに周章狼狽、近所の民宿でバケツと束子を借りてくると、海水を汲んで来て、一人この落書きを消したのである。スプレー塗料でなくてよかった。
 まあ、落書きの心理を探るに、一つは自己顕示ですなあ、そこに自分を記して残して置きたい心理で、これは芸術家の心理と通じるものがあります。奇異なものになれば、なおさら書き留めたいと思うのが自然なのでしょうなぁ。

平成20年度Aチーム
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 朝起き抜けにメールを開くとマイチ氏から近況を知らせるメールが入っていた。その中に
 僕もながいこと 淀四ライオンズファンクラブ http://blog.livedo or.jp/maenoqq1/ というブログをつづけています。(毎日ではありませんが) 自チームが勝つと長く、まけると短いコメントのブログです。
とある。
早速指定されたURLをクリックしたが、なかなか画面が現れないので、Google検索で「淀四ライオンズファンクラブ」を立ち上げることが出来た。その中から平成20年度の写真を借用して、ここに貼り付ける。
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3c58b84e.jpg 今日の徘徊は、何時もどおり南端が駒形橋、北端が白鬚橋のコース。
 白鬚橋東詰で、ワンさんとばったり。シアトルママのブログも観ていてるということ。ブログにつして、暫し話し合う。







 半分諦めかけていたブログが修復、何はともあれよかった。でも、ボケ爺々のこととて、いつ何時(なんどき)へまをやらかすかもしれない。書ける内に書いておいた方がよさそう。
 7月1日は爺の記憶に拠れば巴里祭、明日2日は単純算術計算では1年の真ん中の日になるはずだ。もう半年過ぎたか、たったこの間賀状を書いたばかりではないか。またも、半年むざむざと無為に過ごしたのか? まあ、嘆いたところで致し方あるまい。
 シアトルママのブログに写真が付いた。そのうちシアトルの風景が解説付きで観られるかもしれない。
 拙痴无爺今朝も、南回りで、徘徊してきた。厩橋袂で体操中のT氏と久し振りに対面。1・2分の歓談。

T氏としばし歓談
6cfd8f83.jpg竪川の水門
fcd5272f.jpg墨田と江東の境、一の橋
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 竪川の水門を右手に一の橋を渡り、再び親水テラスへ。

親水テラスと新大橋
fdafa540.jpg新大橋東詰より明治座を望む
92ede936.jpg 新大橋を渡り、右手に隅田川、左手に浜町公園を眺めながら北上。
 両国橋の架かる九段通りを横切って、柳橋、蔵前橋通り、春日通り、浅草通り、雷門通り、言問通りを抜けて、帰宅した。
 今朝の徘徊は普段の時間を少しオーバーしてしまった。


 昨日は日曜、一日中雨。前の日からブログの管理画面がおかしくなった。
 すぐに問い合わせはしたものの、一日中みなと外誌の発送準備等で過したが、ブログの書き込みをしないと気の抜けた日になってしまった。
 今日(28日午後)になってやっと管理画面が回復したので、土曜の南回りの写真を貼り付けておく。4f71464b.jpg

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 この日は南回りコースで横網公園を回る。蔵前橋を渡り、西詰めで首尾の松をデジカメに納める。
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江戸通りを真っ直ぐに北上、吾妻橋西詰めの松屋前の交差点でワンさん夫妻と出会う。
隅田公園の中を通り帰宅。
 どうやらブログの管理画面は正常に復帰しそうにない。
 翌日曜日は朝から雨。
 昨日のうちに製本を終えたみなと外誌等の発送準備。午後ワンさんの娘御夫妻が挨拶に見える。珠々(すず)ちゃん誕生の内祝いとして、誕生時の体重と同じ重さのお米を頂く。爺のかみさんは「とてもいい、アイディアね」と感心ひとしきり。
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 ここのところ小麦、牛乳の値上がりを端緒に、食料品全体は10%ほどの値上がりを見せているらしい。これは爺どもの低所得者にとってはことのほか堪えるのであろうか、かつての社会部敏腕記者どのがこの拙痴无爺のブログのために執筆投稿してくださった。感謝感激雨霰。先ずはメールに入ったそのままをコピー掲載使用。

  弄 論 遊 筆 
 刑事は「現場百回」という言葉をよく口にする。新聞記者も現場第一、足で書けと駆け出しの時から叩き込まれる。かくいう老生もその一人である。現場を離れて数十年になる老生が、目高君のブログに時評、いや時評らしきものを書くなんて晴れがましくも、おこがましくもあるが、目高君が毎日のブログ作りに同情し、つい時評の「ようなもの」なら書けるかもとコメントしたのが身の破滅は大袈裟だが、老筆を晒すことになった次第。御用とお急ぎ方は素通りすることをお勧めするし、お時間ある方も穴埋めぐらいの気持ちで読んでいただければ、こちらも気が楽というものだ。以上、言い訳兼前口上。 

岡本一平の漫画
45059a33.JPG魚津市の説明板(図)
2ba0668f.JPG魚津市の説明板
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米騒動に学ぶ   上 気 渋 労
  戦前までは日本人にとって、米は唯一といっていい主食だった。それだけに米の値上がりによる騒動は、明治以降もしばしば起きているが、なかでも大きいのは大正七年の米騒動である。端緒は七月二十二日、北陸の漁師町、富山県魚津町の井戸端会議だった。集ったかみさん連が海岸にでて米の積み出しを中止して、自分たちに安く売るように訴えたのがはじまりであった。 結論から先にいえば、炭坑の炭塵爆発のように暴動化し、全国に波及した。収束したのは何時か判然としないが岩波の年表によると、九月一七日までに三十七市、百三十四町、百三十九村で騒動が発生し、検擧者は数万、起訴は七千七百八人にのぼった。鎮圧には警察ばかりか軍隊まで動員され、その数は延べで5万7千人以上と、ちょとした会戦に動員する兵力にまでなった。この結果、各地で米の廉売が始まり、寺内内閣は退陣に追いこまれるのだ。
 騒動を時間的に追うと、富山県魚津の井戸端会議が七月二十二日、八月三日には同県西水橋で二百人近いかみさんが、さらに六日には東西水橋と滑川の町民千人が米に積み出しを実力で阻止しようとして、警察が仲介に乗り出し、米屋に五銭の値引きを認めさせる。
 これらの騒ぎを地元紙が報じたのが八月七日、それを追うように全国紙が「越中女一揆」などの見出しで記事にする。それらと符合するように名古屋では市民大会が開かれるという噂が流れ、十日夜には鶴舞公園に二万人の民衆が集まった。やがて市中を行進し始めた民衆は米価引き下げを要求して、警官隊制止のなかを米屋町に押しかけようとしたり、投石したりする騒動を繰り返した。
 同じ夜、京都でも群集が各所の米屋を脅しまわり、店先に値引きの張り紙出せるなどの騒ぎとなる。十一日には大阪に飛び火、夜には数十万の民衆が街頭にあふれ、二十個中隊の軍隊、人数にして五、六千?の兵隊が鎮圧当たるという最大の騒動になった。 神戸でも同じ日から騒ぎが始まり、翌日夜には「全市あげての大動乱」(東京日日新聞)。民衆の怒りは焼き討ちにまでエスカレートした。 ピークに達した十三、十四日には、騒動は全国のおもな市に波及していた。以後は町村へと移っていくが、騒動に参加した民衆は百万人を超え、魚津の井戸端会議からピークになるまで二十日余り、地方紙が報じてからだと、わずか十日前後で怒りの莚旗が全国を覆ったことになるのだ。 テレビはもちろんラジオさえないころである。電話もダイヤル式ではなく、交換嬢が番号を聞いて交換台につなぐ完全な手動式。同じ電話局内なら一回の操作ですむが、局外だと局から局へ何回も交換台を経由して、やっと相手と通話できるという時代だ。地方によっては、一日がかりということも少なくない。
 唯一のマスメディアとして存在する新聞も電話と五十歩百歩、ニュースの三、四日遅れはざらだった。さらにいえば新聞の購読料も当時の物価の割合にしては高かく、騒動の主役となった低所得層の購読率は、現代に比較するとずっと低かったはずだ。しかも警察の調査、その後の研究でも明らかのように、首謀者も組織的な関与も一切なかった。 それなのに端緒といい、エネルギーのすさまじさや伝播する速さといい、まるで金属が触れ合う僅かな火花でも点火する炭塵爆発のように、あっという間に全国を騒動に巻き込んでいる。それも地方紙のニュースにもならない漁師町のかみさん連の井戸端会議が、発火点なのである。
 その爆発の根源について『日本の歴史23大正デモクラシー』(今井清著中央公論刊)は「米騒動をひきおこす原因に民衆の生活難、成金への反感、ヨーロッパの影響を受けた階級的な反抗心のあったことは、官僚も認めざるをえなかった。知識人たちは、国民に基礎をもたない専制的な官僚政府が民衆の反抗心を増大させたことを指摘し、民衆の社会的公正、さらには人民の生存権を要求して騒動をおこしたのだとも論じた」 ひるがえって日本全体に閉塞感が覆う現状を考える時、感覚的の当時の状況と酷似しているような気がしてならないのだ。では民衆のエネルギーを引き出す“井戸端会議”はあり得るのか、次回に論じたい。
 
 まあ、この爺のブログ作りに同情? してくださるのもいいが、はてさて、このブログ不安定と見えて、画像取入れができなくなった。フォントの色換えもこれで好いのかどうなのかも解らぬ。それに改行もうまくいかない。只今問い合わせ中に付き、解決まで少々お休みするかも知れぬ。どうか悪しからず。

 朝一のメール(発信は午前2時)に、YR社のS技師からメールがあった。曰く、
 メールにありましたブログ集ですが、是非お送りください。メンバー一同、いまから楽しみにしております。
web上のブログも拝見していますが 実際に手に取れる、形のあるものもまた素晴らしいと思います。
 送り先は、 
 ○○○ー△△△△ 神奈川県◇◇◇市○○○町△-◇◇-○ K.S
までお願いいたします。
 それから、ブログのデータのバックアップと容量についてですが、まず記事のデータのバックアップについては現在なさっているように、マイドキュメントへのコピーなどで手元に保管していただくと、web上のデータが忍者ブログの機器の故障により消えてしまう等の万が一のときも安心なので、これからもよろしくお願いします。
  次にブログの容量についてですが、現在使用している忍者ブログは、初期状態として容量100MBの設定がありますが容量が不足しそうになると増量申請(ボタンをクリック)することで容量が増えるという仕組みで、結果、容量に制限がありません。容量に関しましてはご安心ください。
(忍者ブログ公式の情報はこちらのアドレスからご覧ください)
   Q.ブログの容量に制限はありますか?
   http://www.ninja.co.jp/faq/a/106/ 
 これからもよろしくお願いします。ブログ集楽しみにしております。
とある。
 後(うしろ)で、見守っている人々がいるということは大変うれしいことである。もう一つうれしいメール、曰く
先生、 私のブログサイトです。 時間のあるときにのぞいてみて下さい。
   http://ameblo.jp/seattlemom/   仁美
とある。東京とシアトルが大変近くなったように思える。早速ブログを開いてみるとなかなか立派なブログで6月7日から始めたらしい。徘徊から帰ったら、みなと外誌のプリントをしながら、ゆっくり読んでみることにしよう。
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 今日はどうやら梅雨も一休みか。プリントもあるし、いつもの隅田公園→駒形橋→枕橋→桜橋(渡らず)→白鬚橋→桜橋 のコースを取る。例の白鬚橋と桜橋の中間の剃刀堤防道で向こうから来るワンさん夫妻を認める。カメラを構え仲の好いところをパチリ。シアトルママがブログを始めたらしいことを報告。右手に早朝野球や早朝テニスを楽しむ人たちを眺めながら帰宅する。

 昨日の午後、IN兄に依頼しておいた「みなと外誌」のゲラが届いた。昨日ゲラ到着のメールを出すのを忘れたので、起き抜けに返信メールを書いた。送信キーをクリックしてからミスに気付いた。ありゃりゃ「降る」のつもりが「振る」になっている。まあ、いいか。打ち間違い断わりメールを出すこともあるまい。まあ、今日・明日は印刷にかかりっきりになるだろう。d147d724.jpg

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 昨日の天気予報では今朝は雨ということだったのだが、どうやら降ってはいないようなので5時に家を出る。隅田公園に入ったところで、雨が落ちてくる。そのまま引き返そうとも思ったが、まあ言問橋から桜橋を1周するくらいの間はもつだろうと、言問橋の西詰め公園入り口のところにある東京大空襲の慰霊碑をデジカメに納めた。先日来「原爆の記」のスキャンコピーを送ったりしたので、戦争の惨劇を思い出せたのであろう。
言問橋を渡り、桜橋を通って帰宅した。どうやら雨は本降りになりそうだ。
さあ、これから印刷――どうかプリンターよ、機嫌を損なわないでくれよ。
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 昨日、ブログ集の編集で、目次の裏頁がまるまる1頁空いてしまったので、ここに江戸切絵図から、「剣客商売と爺の徘徊路」という頁を設けてみた。これで、秋山小兵衛の住まいが現在の鐘淵中学校辺りに設定されているらしいということを知り、今朝の徘徊は東白鬚公園内の梅若橋を越えて、公園の鐘淵の出口まで来た。公園を出ると直ぐに鐘淵中学があり、門の傍に「鐘ヶ淵」の由来の説明板がある。道を隔てて鐘ヶ淵紡績発祥の建物が見える。
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ca59d905.jpg ここから、綾瀬橋を渡ると足立区曙町。千住汐入大橋を渡り、汐入公園の親水テラスを歩いて、明治通りを横断。例の落書き壁の道から、石浜河岸道路越しに世界メシア教の教会をみながら、このあたりに不二楼があったのかなと想像してみる。
 それにしても、落書き禁止の貼紙の直ぐ傍に落書きされ、とうとう、落書きの上から、落書きに対するお願い状が貼られている。こんなもの貼ってもご褒美でも出さない限り、訴えなんてある訳ないじゃないのかな。
 まあ、人間という代物は「禁止」されると余計にやりたがるものなんだろう。規制なんていうのは破るためにあるものともいえるのかもしれないね。
プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
93
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


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