ここのところ小麦、牛乳の値上がりを端緒に、食料品全体は10%ほどの値上がりを見せているらしい。これは爺どもの低所得者にとってはことのほか堪えるのであろうか、かつての社会部敏腕記者どのがこの拙痴无爺のブログのために執筆投稿してくださった。感謝感激雨霰。先ずはメールに入ったそのままをコピー掲載使用。
弄 論 遊 筆
刑事は「現場百回」という言葉をよく口にする。新聞記者も現場第一、足で書けと駆け出しの時から叩き込まれる。かくいう老生もその一人である。現場を離れて数十年になる老生が、目高君のブログに時評、いや時評らしきものを書くなんて晴れがましくも、おこがましくもあるが、目高君が毎日のブログ作りに同情し、つい時評の「ようなもの」なら書けるかもとコメントしたのが身の破滅は大袈裟だが、老筆を晒すことになった次第。御用とお急ぎ方は素通りすることをお勧めするし、お時間ある方も穴埋めぐらいの気持ちで読んでいただければ、こちらも気が楽というものだ。以上、言い訳兼前口上。
岡本一平の漫画
魚津市の説明板(図)
魚津市の説明板
米騒動に学ぶ 上 気 渋 労
戦前までは日本人にとって、米は唯一といっていい主食だった。それだけに米の値上がりによる騒動は、明治以降もしばしば起きているが、なかでも大きいのは大正七年の米騒動である。端緒は七月二十二日、北陸の漁師町、富山県魚津町の井戸端会議だった。集ったかみさん連が海岸にでて米の積み出しを中止して、自分たちに安く売るように訴えたのがはじまりであった。 結論から先にいえば、炭坑の炭塵爆発のように暴動化し、全国に波及した。収束したのは何時か判然としないが岩波の年表によると、九月一七日までに三十七市、百三十四町、百三十九村で騒動が発生し、検擧者は数万、起訴は七千七百八人にのぼった。鎮圧には警察ばかりか軍隊まで動員され、その数は延べで5万7千人以上と、ちょとした会戦に動員する兵力にまでなった。この結果、各地で米の廉売が始まり、寺内内閣は退陣に追いこまれるのだ。
騒動を時間的に追うと、富山県魚津の井戸端会議が七月二十二日、八月三日には同県西水橋で二百人近いかみさんが、さらに六日には東西水橋と滑川の町民千人が米に積み出しを実力で阻止しようとして、警察が仲介に乗り出し、米屋に五銭の値引きを認めさせる。
これらの騒ぎを地元紙が報じたのが八月七日、それを追うように全国紙が「越中女一揆」などの見出しで記事にする。それらと符合するように名古屋では市民大会が開かれるという噂が流れ、十日夜には鶴舞公園に二万人の民衆が集まった。やがて市中を行進し始めた民衆は米価引き下げを要求して、警官隊制止のなかを米屋町に押しかけようとしたり、投石したりする騒動を繰り返した。
同じ夜、京都でも群集が各所の米屋を脅しまわり、店先に値引きの張り紙出せるなどの騒ぎとなる。十一日には大阪に飛び火、夜には数十万の民衆が街頭にあふれ、二十個中隊の軍隊、人数にして五、六千?の兵隊が鎮圧当たるという最大の騒動になった。 神戸でも同じ日から騒ぎが始まり、翌日夜には「全市あげての大動乱」(東京日日新聞)。民衆の怒りは焼き討ちにまでエスカレートした。 ピークに達した十三、十四日には、騒動は全国のおもな市に波及していた。以後は町村へと移っていくが、騒動に参加した民衆は百万人を超え、魚津の井戸端会議からピークになるまで二十日余り、地方紙が報じてからだと、わずか十日前後で怒りの莚旗が全国を覆ったことになるのだ。 テレビはもちろんラジオさえないころである。電話もダイヤル式ではなく、交換嬢が番号を聞いて交換台につなぐ完全な手動式。同じ電話局内なら一回の操作ですむが、局外だと局から局へ何回も交換台を経由して、やっと相手と通話できるという時代だ。地方によっては、一日がかりということも少なくない。
唯一のマスメディアとして存在する新聞も電話と五十歩百歩、ニュースの三、四日遅れはざらだった。さらにいえば新聞の購読料も当時の物価の割合にしては高かく、騒動の主役となった低所得層の購読率は、現代に比較するとずっと低かったはずだ。しかも警察の調査、その後の研究でも明らかのように、首謀者も組織的な関与も一切なかった。 それなのに端緒といい、エネルギーのすさまじさや伝播する速さといい、まるで金属が触れ合う僅かな火花でも点火する炭塵爆発のように、あっという間に全国を騒動に巻き込んでいる。それも地方紙のニュースにもならない漁師町のかみさん連の井戸端会議が、発火点なのである。
その爆発の根源について『日本の歴史23大正デモクラシー』(今井清著中央公論刊)は「米騒動をひきおこす原因に民衆の生活難、成金への反感、ヨーロッパの影響を受けた階級的な反抗心のあったことは、官僚も認めざるをえなかった。知識人たちは、国民に基礎をもたない専制的な官僚政府が民衆の反抗心を増大させたことを指摘し、民衆の社会的公正、さらには人民の生存権を要求して騒動をおこしたのだとも論じた」 ひるがえって日本全体に閉塞感が覆う現状を考える時、感覚的の当時の状況と酷似しているような気がしてならないのだ。では民衆のエネルギーを引き出す“井戸端会議”はあり得るのか、次回に論じたい。
まあ、この爺のブログ作りに同情? してくださるのもいいが、はてさて、このブログ不安定と見えて、画像取入れができなくなった。フォントの色換えもこれで好いのかどうなのかも解らぬ。それに改行もうまくいかない。只今問い合わせ中に付き、解決まで少々お休みするかも知れぬ。どうか悪しからず。
魚津の資料は爺が持っているわけじゃあござんせん。インターネットの画像をちょいと拝借したまで。
貴方の仰るほど手間のかかるものではありませんので、ご心配なく。
sechin@nethome.ne.jp です。
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