昨日7月9日は一日中雨で、早朝の徘徊はお休みしました。
横浜のN氏より、携帯にメールが入りました。曰く、
7月9日午前10時7分 FW:その後、いかが? 日高節夫様/いやあ、まあ、よく降りますね。その後、いかがですか、お伺い申しあげます。/わたしは、なんとか、右脛の痛みが出ないように、庇いながら、片足は元気で過ごしています。/君の医者から貰った薬、99日分をどのくらい飲んでしまったか分からないのですが、体調はいかがですか。/わたしも、30日分をもらった、悪玉コレステロール退治の薬を半分ほど飲んで、血圧を135まで下げていますが、血圧というやつは、自覚症状がないのが面倒だね。/毎日、見聞きするテレビも新聞も、とにかく腹の立つことばかり。政党はいくら贔屓目にみても、合法的な泥棒集団ですね。/会期延長して、滞在費をかすめ取っているに過ぎない。/世の中のもので、議会ほど、無用な長物はないと思うようになりました。/どうか、お体を大事になさってください。その後のご様子お伺いまで…。 IN
昨日・今日と浅草寺境内にはほおずき市がたちならびます。ほおずき市は、愛宕神社の千日詣が浅草寺に波及し、江戸時代享保元年(1716)からは浅草寺で四万六千日分の参拝に相当するご利益(功徳)が得られると信仰される縁日に併せて、薬草として評判の「ほおずき」が境内で売る店が建ち並び、鉢に付けられた風鈴が涼しげになる事から、江戸の夏の風物詩となっています。
昨日は浅草寺病院での定期健診の日で、雨の中を出かけました。帰りに浅草寺にお参りし、境内を一巡りしてきました。
今日は、明け方近くまで雨が降っていたようですが、午前4時ごろには、東の空に朝焼けが見られました。橋場・今戸のテラスを往復して帰宅しました。
ここ4・5日、早朝から雨の日が続き、徘徊を休んでいました。
今日は、七夕。曇り空ではありましたが、今戸・橋場のテラスを往復して帰宅しました。
七夕 李賀
別浦今朝暗
羅帷午夜愁
鵲辞穿線月
蛍入曝衣楼
天上分金鏡
人間望玉鉤
銭塘蘇小小
更値一年秋
(読み) 七夕(しちせき)
別浦(べっぽ) 今朝(こんちょう)暗く
羅帷(らい) 午夜(ごや)に愁う
鵲(かささぎ)は辞す 線(いと)を穿(うが)つ月
蛍(ほたる)は入る 衣(い)を曝(さらす)す楼(ろう)
天上(てんじょう) 金鏡(きんきょう)を分かち
人間(じんかん) 玉鉤(ぎょくこう)を望む
銭塘(せんとう)の蘇小小
更に一年の秋に値(あ)う
訳) 別れの浦も 今朝はほの暗く
夜中には 羅の帳の奥で愁いに沈む
鵲も去り 人は針に糸を通して月に祈り
蛍は舞って 虫干しの楼に入ってくる
天上の月は 鏡を割ったような半月で
見上げれば 玉の鉤のようでもある
銭塘の美妓 蘇小小よ
年は巡って 再び秋がやってきた
詩題の「七夕 (しちせき) 」は七月七日のこと。主として牽牛織女の別れを詠ってる。「別浦」は二星が別れた天の川の入江で、「羅帷」は天上の部屋のとばりであろう。「鵲は辞す」というのは、鵲(かささぎ)が天の川を埋めて橋となり、織女を渡すという伝説を踏まえるもので、その鵲も去ったというのである。
「線を穿つ月」は、当時、乞巧(きつこう)という七夕の行事があって、女子は針の穴に糸を通し、瓜を供えて針仕事の上達を願ったという。また「衣を曝す楼」は、七月七日に蔵書や衣類を陽に曝して虫干しをする習慣があったもので、楼は虫干しの場所であろう。
「分金鏡」は片割れ月のことです。旧暦七月七日の月は銅鏡を割ったように見え、地上から見上げると「玉鉤」のようにも見えると詠う。この二句には、人生の別れについての思いが込められているのだろうか。結びは蘇小小にも会うことができず、また一年が過ぎてしまったと嘆いているが、蘇小小に会えなかったという言葉には現実の背景があるのだろうか。
※ 蘇小小:南朝の斉の頃(大体五世紀終わり)銭塘(杭州)の遊郭にいたとされる名妓。
一昨日は小田原市を走行中の東海道新幹線「のぞみ225号」で男が焼身自殺し、巻き添えになった乗客が死亡するという、とんでもない事故があったようです。
何時の間にか今年も半分を過ぎて、7月に入りました。昨日は早朝から雨で、徘徊はお休みしました。
今日7月2日は、半夏生といい、農家にとっては大事な節目の日で、この日までに「畑仕事を終える」「水稲の田植えを終える」目安で、この日から5日間は休みとする地方もあります。この日は天から毒気が降ると言われ、井戸に蓋をして毒気を防いだり、この日に採った野菜は食べてはいけないとされたりしました。なお、七夕にも農作業を休むとする伝承が多くの地域に伝わります。
今日は早朝靄が立ち込めていましたが、桜橋から駒形橋まで足を伸ばし、隅田公園を何時ものコースで帰宅しました。
昨日は4時15分家を出ると、隅田公園の築山を抜けて遊歩道に出ました。築山では、日本堤から来たという小父さんが、今日も朝焼けの写真を撮っていました。ちょっと、お願いして、私のカメラで朝焼けのスカイツリーをバックに写真を撮ってもらいました。桜橋を渡って、向島遊歩道→吾妻橋と何時ものコースで帰宅しました。
今日は、朝から雨。携帯に記録されている携帯の1週間の歩数記録のグラフを調べてみました。
今日のウェブニュースより
百田氏発言:安倍首相「事実なら大変遺憾だ」 ――
◇「沖縄2紙をつぶせ」 平和安全法制特別委の集中審議で
自民党の25日の勉強会で、安全保障関連法案に関して作家の百田尚樹氏らから「沖縄2紙をつぶせ」など報道機関に圧力をかけるような発言が出た問題で、安倍晋三首相は26日午前の衆院平和安全法制特別委員会の集中審議で「報道が事実なら大変遺憾だ。(勉強会は)党の正式会合ではない。有志の会合だ。発言がどのように報道されたかは確認する必要がある」と述べた。/首相は事実関係を確認していないとしたうえで、「党において、さまざまな議論が行われる。基本的には自由と民主主義を大切にするので、報道の自由は民主主義の根幹だと言うことでの議論だと思っている」と理解を求めた。/勉強会に参加した加藤勝信官房副長官は「(百田氏は)作家としての立場で話していた。そうした視点の意見は拝聴に値すると思った」と理由を説明した。/菅義偉官房長官は26日午前の記者会見で「我が国は憲法で表現の自由が保障されている」と強調。米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設を巡り政権批判を強める琉球新報と沖縄タイムスについては「地元メディアの報道は許された自由だと考える」と述べた。/加藤官房副長官の出席については「政治家としての自由で、制約すべきでない」と問題視しない考えを示した。/政権内からも会合への批判が出ている。石破茂地方創生担当相は「我々は政権の側にいる。言論の弾圧と受け取られかねないようなことは心していかねばならない」と批判。山口俊一沖縄・北方担当相は「自民党本部でやった会合。場所柄を考えていただきたい」と述べた。宮沢洋一経済産業相も「報道の自由を脅かすようなことは適当ではない」と述べた。/与党内でも懸念する声が上がっており、谷垣禎一幹事長は26日午前の記者会見で「メディアに対して批判、反論はあっていいが、主張の仕方にも品位が必要だ」と苦言を呈した。公明党の井上義久幹事長も記者会見で「政治に関わる者としては言論、報道の自由はしっかり尊重すべきだ」と批判した。/また、民主、維新、共産3党は26日午前の衆院平和安全法制特別委員会の理事会で、会合について抗議した。自民党側は陳謝した。/民主党の長妻昭氏によると、自民党の江渡聡徳筆頭理事が「謝罪する」と述べ、浜田靖一委員長も「しかるべき人に注意したい」と語った。/浜田靖一委員長は26日午後の特別委冒頭で、百田氏らの発言について「確認したところ、そのような趣旨の発言があったことが分かった。私としては、はなはだ遺憾であると存じている」と述べた。 毎日新聞 2015年06月26日 12時56分(最終更新 06月26日 14時31分)
一昨日の日曜日の午後、YM女史がTK氏に頼まれたといって「ゴルフダイジェスト」を届けてくれました。
TK氏にお礼の携帯メールを出しました。曰く、
6月21日 17時44分 「ゴルフダイジェスト有り難うございました」 今日YMさんがゴルフダイジェストを届けてくれました。/色々とお心遣い有り難うございました。 日高節夫
すぐに返事が届きました。曰く、
6月21日 18時25分 「FW:Re:ゴルフダイジェスト有り難うございました」 私が昨日からボーイスカウト講習会のために、持参できず、申し訳ありません。/記念にお持ちください。 TK
昨6月22日は夏至でした。早朝、桜橋~吾妻橋間のテラスを往復しました。夜明け前に一雨あったらしく、地面は濡れています。雲の動きも激しく、日の出の太陽も雲間に見えたと思うと、たちどころに雨雲に隠れてしまいます。花川戸のテラスで日の出の写真を撮影してみました。
今朝はコースを変えて、桜橋→向島遊歩道→枕橋→吾妻橋→隅田公園遊歩道→花川戸テラス→桜橋水上バス桟橋と、隅田公園を一周してきました。携帯の歩数計によると、歩数8611歩、距離5.6kmとありました。
昨夜からの雨が今朝まで続いて、徘徊は中止しました。
朝食後、O夫人が「ゴルフダイジェスト6月23日号」から、塾友のゴルフ仲間の記事をコピーして持参してくれました。以下、その内容を転写して紹介いたします。「ゴルフダイジェスト」には実名で記載されているので、ここでもそのまま実名を記載させていただきます。
4人1組 「会えば心は少年 浅草出身の4人組」
僕らは浅草の私塾のOB&OGの仲間です。/浅草は待乳山聖天(まつちやましょうでん)様の近くで学び、遊びました。塾の名前は「兼愛塾(けんあいじゅく)」。兼愛とは、平等に人を愛する意味。当時はそんな意味も知らずに、聖天公園でみんな仲良く三角ベース。遊んだあとは、近くの駄菓子屋で自慢話で盛り上がる。これが半世紀経った今も続いています。/年に3回程度、草コンペを開催。会の名前は「ダッファーズ」。この名前で僕らの腕前はおわかりですね。/今年は三社祭の2日前、5月13日に開催。当日、気の早い台風6号がスライス気味で直撃しそう。少々ビビっていると、担当編集者から「撮影はゴルフ場から19番に変更願います」と、直前変更。/「スウィングを撮ってもらいたかったなぁ~」といいつつも、喜んで19番ホール「神谷バー」へ全員直行。/キジマ(木島敬夫さん)、ゴルフも車も、一番の飛ばし屋。今回もロング2オン楽々バーディ。でもスコアは内緒。/チャキ(永田雅章さん)、只今ゴルフ道を追求中。ガキの頃から、ハマるとその道一筋。勉強も良くできた。/クリ(栗原伸伍さん)、接待ゴルフが多く、セルフプレーが苦手(今回はセルフだった)。しかし、言い訳一切なし。/僕(川鍋武治)はみんなと呑めるのがウレシイ。目標はエージシュート。やっばりゴルフは19番だね! (川鍋武治)
※ 「兼愛塾」は東京オリンピック開催の昭和39年開塾。学ぶこと、遊ぶこと、人を愛することをおしえてくれた。残念ながら現在閉塾中。しかし、兼愛精神は僕らが受け継いでいます。日高先生(兼愛塾塾長)ありがとうございます。
コンペ参加者=青木茂、荒木田一裕、大田原英一、大森和潮、大森美佐子、川鍋武治、木島敬夫、栗原伸伍、平瀬勝久、森本英義、森本淑子、山岸佳世 以上アイウエオ順
昨日は、昼過ぎに水門会のメンバーであるMY氏が藤沢市から、またIN氏が横浜市から訪ねて下さいました。お二人からは入院中から、何度も励ましのメールを戴き、退院後何はともあれこの爺の顔が見たいということで、今回の訪問になりました。
今朝は朝の散策から戻ると早速御礼を兼ね、写真を添付してメールを送りました。曰く
6月18日7時11分 昨日はありがとう 昨日は、遠い所をお訪ね下さり、また過分なるお土産を戴き有り難うございました。/病後の私にとり、何よりの療法となりました。/女房の撮りました写真、部屋のごたごた品がそのまま写っていましたので、人物のみをトリミングしました。/先ずは、お礼旁写真送付まで 日高 節夫
今朝も桜橋~白鬚橋の間のテラスを往復して、帰宅しました。今戸近辺では今が盛りなのか梔子(くちなし)が沢山咲いていました。
MY氏より、メールの返信が届きました。曰く、
6月8日 11時 RE: 昨日はありがとう 日高 節夫様/昨日は病後間もないにも拘わらず長時間お邪魔してしまい大変失礼しました。/思いのほか元気そうな顔をみて安心しました。それでついつい長居をしたわけですが体の方は大丈夫でしたか。/これからも気長に療養につとめ体力の回復に専念してください。又いつか会える日を楽しみにしています。/どうぞご自愛のほどお願いします。/奥様にもくれぐれもよろしくお伝えください。/写真も撮ってくださり有難うございました。トリミングもうまくできています。 MY
現在、桜橋と白鬚橋の間の遊歩道は、防潮堤耐震補強工事のため通行止めとなっています。
今朝は桜橋~白鬚橋間のテラスを往復して帰宅しました。テラスの橋場辺りに槿(むくげ)が咲いていました。槿は夏から秋にかけて白、紫、赤などの美しい花をつけます。花期は7〜10月で、花の大きさは10〜18cmほどです。花芽はその年の春から秋にかけて伸長した枝に次々と形成されまる。白居易の詩から一日花との誤解がありますが、朝花が開き、夕方にはしぼんで、また翌朝開くものもありますが、たいていはそのまま翌日も開花し続け、一重のもので2〜3日、八重の長く咲くもので2週間くらい一輪の花を楽しめます。
白氏文集・巻十五・放言五首
泰山不要欺毫末。顔子無心羨老彭。
松樹千年終是朽。槿花一日自為栄。
何須戀世常憂死。亦莫嫌身漫厭生。
生去死来都是幻。幻人哀楽繁何情。
〔読み〕 泰山(たいざん)は毫末(ごうまつ)も欺くを要せず、
顔子(がんし)は老彭(ろうほう)を羨(うらや)む
心無し。
松樹(しょうじゅ)千年、終(つい)に是れ朽ち、
槿花(きんか)一日(いちじつ)、自ら栄を為す。
何ぞ須(もちひ)ん世を恋したひ常に死を憂ふるを、
亦た身を嫌(いと)ひ漫(みだ)りに生を厭ふこと莫
れ。
生去(せいきょ)死来(しらい)、都(すべ)て是れ
幻(げん)、
幻人(げんじん)哀楽(あいらく)、何情(かじょう)
に繁(かか)る。
〔訳〕あの雄大な泰山は少しも拘泥するところなく、夭折した顔回
は彭祖の長寿を羨む心無し。
松の木も千年すれば終には朽ち、むくげの花は一日にして自
ずからその生を全うする。
いたずらに世を恋こいしみ死を憂う必要はなく、いたずらに
身を嫌い生を厭う必要もない。
生死の去来はすべて幻、されば幻なる人が哀楽するは果たし
て何の情なのか。
携帯に塾友からのメールが2通入りました。曰く、
FW:今晩は 6月13日 19時45分 先生/お久しぶりです。/お元気でお過ごしのことと存じ上げます。/順調にリハビリ?で散歩をされているようで、少し安堵しております。/お伺いしたいと思いつつ中々時間が取れずすみません。/そろそろお邪魔させていただいても差し支えないでしょうか? KNが来週(Nouvelle-Calédonieに)帰るようで、その前に先生に会いたいようです。/月曜日の午後のご都合は如何ですか?/私はまた改めて遊びに伺わせていただきたいと考えております。/それではくれぐれも無理はなさらずにご自愛下さい。/MN
返事 6月13日 19時53分 了解/月曜日の午後を楽しみにお待ちいたします/日高節夫
6月13日 19時56分 突然のようすみませんでした。/KNが喜んでおります。/それではまた。
FW:ゴルフダイジェスト 6月15日 21時17分 ゴルフダイジェスト6月23日号の126ページに我々の記事が掲載されています。ご覧下さい。/WO
早速、婆様に頼んで、交番セブンイレブンに行って貰いましたが、何せ小さなコンビニ故、おいてないとのことでした。だれか、どんな記事なのか教えて貰えませんかね。
本日、午後1時半ごろKN女史が訪ねてくれました。彼女はニューカレドニアのイル=デ=パン島に居る事10年だと言います。もうすっかり現地人になりきって、当地の話を沢山聞かせてくれました。
毎年、三社祭には帰国して、1月ばかり日本に滞在するのだそうです。今年は祭りの当日我が家を訪ねてくれたのだそうですが、爺は入院中で会えませんでした。でも、MN氏を通じて、爺の消息を聞き本日わざわざ訪ねてくれました。明日はイル=デ=パンを目指して、機上の人となるのだそうです。
YK氏の娘さんからブログへのコメントがありました。早速、お礼を兼ねた挨拶をFaxにして、送信しました。曰く、
N子様へ 日高 節夫 Tel&Fax 03(3874)7808
私のブログへのコメント恐縮の至りです。有り難うございました。/Y君とは姉同士が大里尋常学校・門司高等女学校と同期で、兄同士が大里尋常小学校・門司中学校と同期であった誼(よしみ)もあり、中学入学以来仲良くしていただきました。更にY君の姉上のF子様の娘御と私の姉のT子の息子が小倉高校で同期であることもあり、私の家族での話題も多く、大変親しくさせて戴きました。/6月2日夜、横浜のN君より訃報を戴き、前々から療養中だということは知ってはいましたが、唯々呆然とするばかりでした。/彼は天皇陛下と同年で、天皇在位までは頑張るのだと言っていましたが、病には勝つことが出来なかったのでしょう。でも、聞き伝えに穏やかな最期であったという事で、何よりでした。/われわれ仲間内ではお互いの最期のときに当たっては形式的な儀礼はしないことにしようと言う約束のようなものがありましたし、香典等一切お断りとのことを聞くに及んでお悔やみの言葉も差し上げず、失礼とは存じましたが、お会いしたことも無い方にいきなり連絡するのも何だか気が引けて、本日までそのままになったことをお許し下さい。/我々のグループでは一番の実直な人柄で、そのうえスポーツマンでY君が一番の長生きするだろうと思っていただけに今度の訃報は残念でなりません。形式的な儀礼は全くいたしませんが、心からの冥福を祈っています。/残されたお母上、お兄上、そして貴方様のご心痛如何ばかりとは存じますが、何よりも健康に留意され、幸せにお過ごしになられることを願っています。/先ずは、ブログへのコメントのお礼を兼ねまして、ご挨拶まで。/どうか、お母上に宜しくお伝えください。そしてお母上を大切にしてあげて下さい。 敬具 2015年6月10日(水)
今朝は何時ものように隅田公園を一回りして来ました。体調は少しは良くなったような気がします。築山の前でスカイツリーの上に旧暦4月25日の月が掛っているのが見えましたので、携帯のカメラに納めました。
明日は浅草寺病院での検診日です。
sechin@nethome.ne.jp です。
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