聖母マリア像とともに、南蛮渡りの珍しい食べ物がお目見えして、すっかり日本人を魅了してしまいます。現代のわれわれにも身近なものが沢山あります。
はじめに菓子の話から始めることにしましょう。もともと菓子は果子で現代の水菓子(くだもの)が本体でした。従って、第十一代垂仁天皇の時、田道間守(たじまもり)が朝鮮から橘の木を持ってきたのが、日本の菓子の始まりというわけで、爺の小学生の頃には唱歌で「田道間守の歌」までありました。
http://bunbun.boo.jp/okera/w_shouka/s_kokumin/s1_tajima_mori.htm
しかし、果子でない菓子も奈良時代から見え唐果物(からくだもの)と呼ばれました。饅頭・羊羹(蒸し羊羹は江戸時代)・志留粉餅などは鎌倉・室町時代に中国から僧侶により日本にはいって来ました。さびしかったおやつもこれらによって余程潤ったことでしょう。康永2(1343)年には京都に菓子の組合ができたほどでした。ここにいよいよ「南蛮菓子」が登場するのです。解りやすく一覧にしてみましょう。
1.パン(葡: pão、英:bread ブレッド) 2.カステーラ(葡: Castella)
3.ボーロ (葡: bolo) 4.カルメラ(葡: caramelo)
5.アルヘイトウ(葡: alféloa) 6.コンペイトウ(葡: confeito)
1.パン(葡: pão、英:bread ブレッド)は基本的に、小麦粉やライ麦粉などに水・酵母(イースト)を加えてパン生地(en:dough ドウ)にし、それを焼いた食品を指します。発酵のためのイーストと糖類(砂糖など)をセットで加えることも一般的です。なお、酵母を入れずに生地をつくるパンもあり、これを「無発酵パン」や「種なしパン」などと言います(その場合、酵母で発酵させてから焼いたパンのほうは「発酵パン」と言います。)。無発酵パンとしては、生地を薄くのばして焼くパンがあり、アフリカ・中東からインドまでの一帯でさかんに食べられています。なお、生地を発酵させるのは主として気泡を生じさせ膨張させるためですが、酵母で時間をかけて気泡を生じさせる代わりに、ベーキングパウダーや重曹を加えることで簡便に気泡を生じさせるものもあります。また、生地にレーズン、ナッツなどを練り込んだり、別の食材を生地で包んだり、生地に乗せて焼くものもあります(変種として、焼く代わりに、蒸したもの(蒸しパン)、揚げたもの(揚げパン)もあります。) 。パンは多くの国で主食となっています。アブラハムの宗教では儀式(ミサ)において用いられます。
日本ではドン・ロドリゴ(Don Rodrigo)の呼び名で知られるロドリゴ・デ・ビベロ・イ・アベルッサ(Rodrigo de Vivero y Aberrucia、1564年 - 1636年)は、エスパーニャ貴族、植民地政治家で、江戸時代初期に日本を訪れた人物ですが、江戸時代初期に遭難して日本に漂着した際の見聞をまとめた『ドン・ロドリゴ日本見聞録』によれば、「江戸Jendo市は日本の他の市のごとく、多数の住民をもたないが、これを有名にさせる特別な点がある。此市は住民十五万をもち、海水その岸をうち、また市の中央に水多い川流れ、相当に大きい船が入る。パンpãnは果物と同じく、常食外の品として用いるに過ぎないが、此市で造るパンは世界中最高のものというのも過言ではない。そしてこれを買うものが少ないゆえにほとんど無料に等しい。此市および街路には見るべきものがはなはだ多く、市政もまた大いに見るべきところがある。ローマの政治と争そうことが出来よう。――ドン・ロドリゴ、日本見聞録――」とあります。これは、パンの名のごく古い記録と言われています。
2.カステーラ(葡: Castella)は漢字表記で「家主貞良」「加須底羅」と書きますが、、鶏卵を泡立てて小麦粉、砂糖(水飴)を混ぜ合わせた生地をオーブンで焼いた菓子のひとつです。名前の由来は一般的には、スペインの地方名カスティーリャ(Castilla)のポルトガル語発音であるカステーラ(Castela)と言われています。また異説として、カステラ製造過程でのメレンゲを作る際、高く高く盛り上げる時「城(castelo)のように高くなれ!」と言ったことから、カステロ=カステラとなったという説もあります。いずれにせよ、パン・デ・カスティーリャ(pão de Castela、カスティーリャ地方のパン)や、ビスコチョ(元は乾パン状の船乗りの保存食だったが、16世紀末頃、柔らかく焼き上げるレシピが生まれています)が由来とされます。ポルトガルの焼菓子であるパン・デ・ロー(pão de ló)が製法的に似ていることから、こちらを始祖とする説も有力です。
(以下、次回へ)
キリシタンの渡来によって南蛮流の医術をはじめ、西欧の学問や文化も紹介されました。Rhetorical(レトリカ、修辞学)、philosoph(ヒイロソヒァ、哲学)、Logica(ロジカ、論理学)、Mathematica(マテマチカ、数学)などの学問名もその一端でした。anima(アニマ、霊魂)、paraíso(ハライソ、天国)などのラテン語やポルトガル語が言語のまま、かなり自由に日本人に用いられたようです。キリシタンは日本語に対して深い関心をもっていましたが、すべては布教のためでした。天正18(1590)年、七月、ローマへの少年使節を連れて日本へ帰ってきたヴァリニャーノ(Alessandro Valignano)は印刷機を土産として持って来ていました。以後、長崎や天草でローマ字による説教書や日本古典が刊行されたのです。
ポルトガル人の種子島漂着以来、ポルトガル人やイスパニア人がキリシタン宣教師として日本にやってきましたが、神の教えを説くだけでなく、商売もやりました。彼らと共に珍しい西洋の品物が入ってきたのです。次回からはこれらの品物について、調べてみようと思っています。
トランプ・安倍会談にも臨席していたトランプ氏の長女イバンカさんがしていた高級ブレスレットが問題になっているようです。
ウェブニュースより
トランプ氏長女のブレスレットに批判 「政治を利用」 ―― トランプ次期米大統領の長女イバンカさん(35)がテレビのインタビューで付けていた、金とダイヤモンドで装飾した1万800ドル(約120万円)のブレスレットが物議を醸している。自らのブランド品を政治の舞台を利用して売り込もうとしているとして批判にさらされている。
問題になっているのは、トランプ氏が当選後にCBSニュースのインタビューで出演した際、同席したイバンカさんが身につけていたブレスレットだ。
番組出演後、自身のブランド「イバンカ・トランプ・ファイン・ジュエリー」の副社長が「流行速報」として記者らにメールを送付。イバンカさんがブレスレットをつけて番組出演した写真とともに、「あなたのクライアントにも情報を共有してほしい」と商品を売り込んでいた。
これをニューヨーク・タイムズ紙など米メディアが、個人的な事業に政治を利用しているとして一斉に批判。宝飾品や家具、ホテルなど手広く事業を手がける「トランプ・ファミリー」がビジネスと政治をどう切り分けるのか、様々な議論を呼びそうだ。 (朝日新聞デジタル 2016年11月17日 07時09分)
ウェブニュースより
無難な外交デビュー=懸念払拭狙う-トランプ次期米大統領 ―― 【ニューヨーク時事】トランプ次期米大統領は17日にニューヨークで行われた安倍晋三首相との会談で、信頼関係の構築に努め、同盟国である日本を重視する立場を改めて表明したとみられる。大統領選後、最初の外国首脳との会談として米メディアが注目する中、混乱もなく無難な外交デビューを飾ったようだ。
トランプ氏の選対本部長だったコンウェイ氏はこれに先立ち、「(現職の)オバマ大統領と安倍首相の関係を尊重する必要がある」と指摘。記者団に対し「会談はそれほど公式なものではない」と強調した。
トランプ氏をめぐっては、政権移行チームの「内紛」が伝えられるなど円滑な引き継ぎができるかどうか不安視されていた。トランプ氏としては、次期大統領として外国首脳との会談を成功させ、懸念を払拭(ふっしょく)する狙いがあったとみられる。
トランプ氏は会談後、自身のフェイスブックに「安倍首相が私の家に立ち寄ってくれて喜ばしい」などとコメント。首相と並んで笑顔を見せる写真を掲載した。
トランプ氏は大統領選で日本側に同盟の負担増を要求。日本への防衛義務を放棄するかのような発言もしていた。(jijicom 2016/11/18-12:06)
不発だった安倍トランプ会談 ヨイショに終始し成果ゼロ ―― 安倍晋三首相は17日夕(日本時間18日朝)、ニューヨーク市内で米国のトランプ次期大統領と初めての会談を行った。会談はマンハッタンの「トランプタワー」にあるトランプの住居で行われ、1時間半で終わった。
2人ともゴルフ好きで知られていることから事前には「ゴルフを一緒にプレーするのではないか」などと報道されたが、安倍首相からはゴルフクラブ1本、トランプからはシャツなどのゴルフ用品をプレゼント交換したにとどまった。
日本の首相が米大統領選挙に勝利した候補者と大統領に就任する前に会談するのは極めて異例。安倍首相は訪米直前、羽田空港では「日米同盟は日本の外交・安全保障の基軸だ。信頼があって初めて同盟には血が通う」と力んでいたが、成果はゼロに近かった。
会談後、単独で記者会見を行い、トランプとのツーショット会見はなかった。
■疲れた表情、笑顔もなし
安倍首相は「じっくりと胸襟を開いて率直な話し合いができた」「トランプ次期大統領は信頼関係ができると確信した」などと話したが、肝心の中身については「非公式会談であることから、具体的な中身を話すことは差し控えたい」として一切、明かさなかった。ほとんど実のある話はなかったとみられている。「私の基本的な考え方を話した。さまざまな課題について話した」と語っていたが、その表情は疲れ切り、笑みもない。
「2人の都合のいい時に再び会って、さらにより広い範囲についてより深く話をしようということで一致した」と語り、大統領就任後の首脳会談の約束だけは取り付けたようだが、日米同盟やTPPなどに関して全く成果が得られなかったようだ。
一方、トランプは言動が不安視される中、安倍首相に「信頼できる指導者」と言わせたことで、外国の指導者から初めてお墨付きを得た形。外交的な成果を挙げたとの見方が、米国の政治学者から出ている。会談後、トランプはツイッターに「素晴らしい友人関係を始められたことは喜ばしい」とつぶやき、ご機嫌だ。安倍首相はいいように利用されたようだ。 (日刊ゲンダイ 2016年11月18日)
徒然草 第226段
後鳥羽院の御時、信濃前司行長(しなののぜんじゆきなが)、稽古の誉(ほまれ)ありけるが、楽府(がふ)の御論議(みろんぎ)の番に召されて、七徳の舞を二つ忘れたりければ、五徳の冠者と異名を附きにけるを、心憂き事にして、学問を捨てて遁世したりけるを、慈鎮和尚(じちんおしょう)、一芸ある者をば、下部までも召し置きて、不便にせさせ給ひければ、この信濃入道を扶持(ふち)し給ひけり。
この行長入道、平家物語を作りて、生仏(しょうぶつ)といひける盲目に教へて語らせけり。さて、山門の事を殊にゆゆしく書けり。九郎判官(くろうほうがん)の事は委しく(くわしく)知りて書き載せたり。蒲冠者(かばのかんじゃ)の事はよく知らざりけるにや、多くの事どもを記し洩らせり。武士の事、弓馬の業(わざ)は、生仏、東国の者にて、武士に問ひ聞きて書かせけり。かの生仏が生れつきの声を、今の琵琶法師は学びたるなり。
訳)後鳥羽院の御時、信濃の国司であった中山行長は、学問の道での誉れが高かった。しかし、『白氏文集』の論議の席において意見を求められた時に『七徳の舞』のうちの二つを忘れてしまい、『五徳の冠者』という不名誉な渾名を付けられてしまった。行長はそのことを悩んでしまい、学問を捨てて遁世してしまった。慈鎮和尚は、一芸ある者を厚遇しており、身分の低い者でも技能がある者であれば召しかかえた。そして、この信濃の出家者である行長も召しかかえて面倒を見たのである。
この行長入道が『平家物語』を作って、生仏という名の盲目の法師に教えて語らせた。さて、山門(比叡山延暦寺)の事は格別に詳しく書けた。九郎判官(源義経)の事は詳しく知っていて書き記しているが、蒲冠者(源範頼)の事はよく知らなかったのだろうか、多くの事を書き漏らしている。武士のこと、弓馬の道については、生仏が東国の生まれであることもあり、武士に詳しく聞いてから書いたのだろう。その生仏の生れつきの声を、今の琵琶法師は学んでいるのである。
平家物語 二代后 より
これも世(よ)澆季(げうき)に及んで、人梟悪(けうあく)を先とする故(ゆゑ)なり。主上(しゆしやう)、院(ゐん)の仰(おほ)せを常は申(まう)し返(かへ)させおはしましける中に、人耳目(じぼく)を驚かし、世もつて大(おほ)きに傾(かた)ぶけ申(まう)すことありけり。故近衛(こんゑ)の院の后、太皇(たいくわう)太后宮と申ししは、大炊(おほひ)の御門の右大臣公能(きんよし)公の御娘なり。先帝に遅れ奉らせ給ひて後は、九重(ここのへ)の外(ほか)、近衛(このゑ)河原(かはら)の御所にぞ移り住ませ給ひける。前(さき)の后(きさい)の宮にて、かすかなる御有様にて渡らせ給ひしが、永暦(えいりやく)の頃ほひは、御歳二十(じふ)二三にもやならせましましけん、御盛りも少し過ぎさせおはしますほどなり。されども、天下(てんが)第一の美人の聞こえましましければ、主上色にのみ染める御心にて、密かに高力士(かうりよくし)に詔(ぜうじ)て、外宮(ぐわいきう)にひき求めしむるに及んで、この大宮(おほみや)の御所へ、密かに御艶書あり。
大宮(おほみや)敢へて聞こし召しも入れず。さればひたすら早穂に現(あらは)れて、后御入内(じゆだい)あるべき由、右大臣家に宣旨を下さる。このこと天下(てんが)において殊ことなる勝事なれば、公卿(くぎやう)僉議(せんぎ)あつて、各々意見を言ふ。「先づ異朝(いてう)の先(じよう)を訪(とぶら)ふに、震旦(しんだん)の則天(そくてん)皇后(くわうごう)は、唐(たう)の太宗の后、高宗(かうそう)皇(くわう)帝(てい)の継母なり。太宗崩御の後、高宗の后に立ち給ふことあり。それは異朝の先規(せんぎ)たる上(うへ)、別段のことなり。しかれども我が朝には、神武天皇(てんわう)よりこの方人皇(にんわう)七十(じふ)余代にいたるまで、今だ二代の后に立たせ給ふ例を聞かず」と諸卿一同に訴へ申(まう)されたりければ、上皇(しやうくわう)もしかるべからざる由、こしらへ申(まう)させ給へども、主上(しゆしやう)仰(おほ)せなりけるは、「天子に父母(ぶも)なし。我十善の戒功(かいこう)によつて、今万乗(ばんじよう)の宝位(ほうゐ)を保つ。これほどのことなどか叡慮に任せざるべき」とて、やがて御入内の日、宣下せられける上は、上皇も力及ばせ給はず。大宮かくと聞こし召されけるより、御涙に沈(しづ)ませおはします。
訳)世末にもなって、人は梟悪(きょうあく、[人の道に背くこと])を真っ先に追い求めるためでした。主上(二条天皇)は、院(近衛院)の命じることにいつも逆らって、人を驚かせていましたが、この世の末にあってさらに信じられないようなことを口にしました。故近衛院の后、太皇太后宮([先々代の天皇の皇后])と申すのは、大炊御門右大臣公能公(徳大寺公能)の娘でした(藤原多〈まさる〉子です)。先帝(近衛院)に先立たれて後は、九重([宮中])の外、近衛河原(今の京都市上京区)の御所に移り住みました。前の后の宮で、ひっとりと過ごしていましたが、永暦(二条天皇の御時)の頃は、二十二三歳になって、盛りも少し過ぎていました。けれども、天下第一の美人と言われていましたので、主上(二条天皇。近衛院は二条天皇の叔父にあたります)はすっかり魅了されて、密かに高力士(高力士は、唐玄宗の腹心)に命じて、外宮(太皇太后宮)を内裏に参るようにと、大宮([太皇太后宮])の御所へ、密かに艶書([ラブレター])を届けました。
大宮(太皇太后宮。藤原多子)はあえて聞かないでいました。すると二条天皇は表立って、后を入内させるようにと、右大臣家(徳大寺公きん能よし。多子の父)に宣旨([天皇の命令])を下しました。これは天下においてめったにない勝事([異常な出来事])でしたので、公卿が話し合って、それぞれ意見を述べました。「まず異朝(中国)の前例を見ると、震旦([古代中国])の則天皇后(則天武后。後に中国史上唯一の女帝武則天となった)は、唐太宗の后(才人)で、高宗皇帝の継母でした。太宗崩御の後に、高宗の后に立ちました。これは中国の先規([先例])である上、異例のことでした。けれども我が国では、神武天皇(初代天皇)より人皇([神武天皇以後の天皇])七十代余りにいたるまで、かつて二代の后に立った例はありません」と諸卿が一同に訴え申したので、上皇(後白河院)も后にはできないと、なだめ申しましたが、主上(二条天皇)がおっしゃるには、「天子に父母なし。朕は十善([十悪を犯さないこと])の戒功([戒めを守ることによって生じる功徳])によって、今万乗([天子])の宝位([天子の位])に就いたのだ。これほどのことをなぜ叡慮([天子の考え])に任せないのか」と言って、やがて大宮入内の日を、宣下したので、後白河院も力及びませんでした。大宮はこれを聞かれてからというもの、涙に沈んでおりました。
これは故近衛天皇の妃であった藤原多子(まさるこ)が、二条天皇に見染められて再び入内することになった際の話で、一人の女性が二人の天皇の后になるということは前代未聞の「大事件」だというのです。
「しょうしなり」という漢語由来の語があります。「笑止」という字が宛てられ、「笑止千万」などと言って、相手の言葉や行動を、「かたはらいたい」と小馬鹿にするときなどに使いますが、この「かたはらいたい」が元は困惑する気持ちを表したように、この「しょうし(せうし)」も、元は、大変困ったことだ、悲しいことだ、という意味で用いられたといいます。
謡曲の『蟻通(ありとおし)』に、舞台には、紀貫之役のワキが二人の従者とともに現れます。一行は和歌の心を尋ねて玉津島に向かう途中、明神の前を通りがかりますが、何故か馬が地に伏して進むことが出来なくなります。
ワキ、ワキツレ二人次第「和歌の心を道として。和歌の心を道として。玉津島に参らん。
ワキ 詞「これは紀の貫之にて候。我和歌の道に交はるといへども。いまだ住吉玉津島に参らず候ふ程に。唯今思ひ立ち紀の路の旅にと志し候。
道行三人「夢に寝て。現に出づる旅枕。現に出づる旅枕。夜の関戸の明暮に都の空の月影を。さこそと思ひやる方も。雲井は跡に隔たり。 暮れ渡る空に聞ゆるは里近げなる鐘の声。里近げなる鐘の声。
ワキ 詞「あら笑止や。俄に日暮れ大雨降りて。しかも乗りたち駒さへ伏して。前後をわきまへず候ふは如何に。灯暗うしては数行虞氏か涙の雨の。足をも引かず騅行かず。愚意如何すべき便もなし。あら笑止や候。
とありますが、この場合の笑止は「ああ困ったことだ」の意味になります。
また、『閑吟集』の
わが恋は 水に燃えたつほたるほたる ものいはでせうしの蛍
訳)私の恋は、水辺で燃え立つ蛍のよう。物も言えない哀れな蛍よ
という歌謡の場合は、わがこととして言えば「悲しい、情けない蛍」ということになりますし、蛍のこととしてみれば「あわれな、同情すべき蛍」ということになります。
人の不幸を慰めるときに、「お気の毒なことに」「ご愁傷さまで」という所を「笑止千万にぞんずる」ということは日葡辞書にも見えています。
笑止千万 [大] 【しょうしせんばん】 sy^{o}si senban ... ショウシセンバンニゾンズル=非常にあわれに痛ましく思う(日葡辞書)
現在でも各地の方言でお悔やみをいう際に、「笑止なこと」という言い方が残っているそうです。「笑いが止まる」と書くのも、その意味から来ていると言えそうです。殊に、可笑しくはあるけれども、相手のことを思うと気の毒で、笑うに笑えず、というような気持ちを表すのには、この「笑いが止まる」という字がよく当たるようです。
「柿山伏」という狂言があります。山伏が柿の木に登って実を盗み食いしているところを持ち主に見つかります。持ち主がひとつなぶってやろうと、「あれは鳥らしい」と言うと、山伏は「カアカア」と鳥の真似をします。そこでまた、「いや、あれは鳶らしい。鳶なら飛ぶはずだが」と言うと、それにつられた山伏は、木から飛んでしたたかに腰を打ちます。それを見た持ち主がいいます。
「やれやれせうしや、とびかと思うたれば、そなたか。」と言って笑うのですが、この「せうし」は「気の毒」だと言っているようでもあり、「おかしい」と言っているようにも取れます。そういう相手を哀れに感じるようなおかしさをいうのでしょう。今日もちいられる「笑止だ」と言う語は、全く相手を見下したこの相手を見下した笑いの面が強調されるものになっています。
ところがこの「笑止」というのは宛字で本来は「勝事」という言葉であったようです。「勝事」というのは、人の耳目を引くような事件の意味で、「事」は漢音で「シ」と澄んで読み「ショーシ」と発音したようです。
鎌倉時代前期に書かれた編年体の歴史物語に「『六代勝事記(ろくだいしょうしき)』というのがありますが、書名の「勝事」とは、人を驚かすような大事件の意で用いられています。
平家物語「二代后」に、
后御入内(じゆだい)あるべき由、右大臣家に宣旨を下さる。このこと天下(てんが)において殊ことなる勝事なれば、公卿(くぎやう)僉議(せんぎ)あつて、各々意見を言ふ。
とありますが、「勝事」は読んで字のとおり、本来は素晴らしいことの意味であったのですが、それが大事件の意味になり、特に謀反とか火事とかの異様なこと、不吉な出来事について用いられことが多くなったようです。そこからこの語は「困った、情けない、嫌な」ことを意味するようになり、「笑止」の字が充てられるようになったと言います。
閑吟集に
愛(いと)しうもないもの 愛ほしいと言へどなう ああ勝事(しょうし) 欲しや憂(う)や さらば和御寮(わごりょう、あなた) ちと愛ほしいよなう
という歌謡が載っています。これは「好きでもないのに、好きだと言ったけれど、ねえ、ああ困ったわ、やっぱり会いたい、辛い。そんならあんた、やっぱり、ちっとばかり好きなのよ、ね。」というような曲折した女心を詠ったもののようです。ここにある「ああ勝事」は、すでに「残念だ」の意味になっています。
枕草子に「かたはらいたきもの」の例えとしていくつかの事例が述べられています。
かたはらいたきもの、よくも音弾きとどめぬ琴を、よくも調べで、心の限り弾きたてたる。
客人などに会ひてもの言ふに、奥の方にうちとけ言など言ふを、えは制せで聞く心地。
思ふ人のいたく酔ひて、同じことしたる。聞きゐたりけるを知らで、人のうへ言ひたる。それは、何ばかりの人ならねど、使ふ人などだにいとかたはらいたし。
旅立ちたる所にて、下衆(げす)どものざれゐたる。にくげなるちごを、おのが心地のかなしきままに、うつくしみ、かなしがり、これが声のままに、言ひたることなど語りたる。
才ある人の前にて、才なき人の、ものおぼえ声に人の名など言ひたる。
ことによしともおぼえぬわが歌を、人に語りて、人のほめなどしたるよし言ふも、かたはらいたし。
訳〉そばにいていたたまれないもの、上手に音を弾きこなさない琴を、じゅうぶんに調律しないで、思うがままに弾きたてているの。
(訪ねてきた)客に会って話をするときに、奥の方で(家の者が客に聞かれたくない)遠慮のない話をしているのを、止めることもできないで聞く気持ち。
愛する人がひどく酔って、同じことをくりかえして(話して)いるの。
(話にでている当人が)聞いていたのを知らないで、(その)人のことをうわさしているの。
それは、どれほどの身分の人でなくても、使用人などでさえ非常に聞き苦しい。
(自宅から離れて)しばらく滞在している所で、身分の低い者たちがふざけあっているの。
かわいげのない幼児を、自分の気持ちでかわいいと思うのにまかせて、愛し、かわいがり、この子の声の通りに、言ったことなどを話して聞かせているの。
学才のある人の前で、学才がない人が、物知りぶった声の調子で人の名などを言ったの。
とくにうまいとも思われない自作の歌を、人に言って聞かせて、(その歌を)人がほめなどしたということを言うのも、聞き苦しい。(うまくない歌を、ほめられたといって人に聞かせているのがみっともない)
「かたはらいたし」という語は現在、「片腹痛い」などという宛字が使われて、「ちゃんちゃら可笑しい」とか「可笑しくてみておれない」というような、対象を見くびった言い方に用いられますが、元来は「傍(かたはら)いたし」の意味で、傍(そば)にいて心に苦痛を覚える、つまり辛くていたたまれない気がするという気持ちを述べたものでした。
枕草子にあるように本来は話し手の主観的な感情を吐露する語でした。それが次第に批評的な意味合いを強くして、現代では第三者に関しての客観的評価を述べるような場合が多くなってきているのです。
徒然草 57段
人の語り出でたる歌物語の、歌のわろきこそ、本意なけれ。少しその道知らん人は、いみじと思ひては語らじ。
すべて、いとも知らぬ道の物語したる、かたはらいたく、聞きにくし。
訳) 人が語りはじめた歌物語(歌についての話題ということで、歌の物語ではない)の中で、肝心の和歌ができそこないだとがっかりだ。少しでも和歌に心得がある人ならば、できそこないの和歌を良いものとして語ったりしない。
なにごとにつけ、よく知らない分野のことをべらべらと話すのは、笑止千万で聞き苦しいものだ。
篠山の姪から、メールで「ヒラリー敗北宣言全文&和訳」が送られてきました。曰く、
Concession Speech
Thank you. Thank you all.
Thank you. Thank you all have much.
[Applause]
Thank you. Thank you all very much. Thank you so much. A very rowdy group. Thank you, my friends. Thank you. Thank you.
Thank you so very much for being here. I love you all, too. Last night I congratulated Donald Trump and offered to work with him on behalf of our country.
I hope that he will be a successful president for all Americans. This is not the outcome we wanted or we worked so hard for, and I'm sorry we did not win this election for the values we share and the vision we hold for our country.
But I feel pride and gratitude for this wonderful campaign that we built together. This vast, diverse, creative, unruly, energized campaign. You represent the best of
I know how disappointed you feel, because I feel it too. And so do tens of millions of Americans who invested their hopes and dreams in this effort. This is painful, and it will be for a long time. But I want you to remember this.
Our campaign was never about one person, or even one election. It was about the country we love and building an
We don't just respect that. We cherish it. It also enshrines the rule of law; the principle we are all equal in rights and dignity; freedom of worship and expression. We respect and cherish these values, too, and we must defend them.
[Applause]
Let me add: Our constitutional democracy demands our participation, not just every four years, but all the time. So let's do all we can to keep advancing the causes and values we all hold dear. Making our economy work for everyone, not just those at the top, protecting our country and protecting our planet.
And breaking down all the barriers that hold any American back from achieving their dreams. We spent a year and a half bringing together millions of people from every corner of our country to say with one voice that we believe that the American dream is big enough for everyone.
For people of all races, and religions, for men and women, for immigrants, for LGBT people, and people with disabilities. For everyone.
I am so grateful to stand with all of you. I want to thank Tim Kaine and Anne Holton for being our partners on this journey. [Cheers and applause]
It has been a joy get to go know them better and gives me great hope and comfort to know that Tim will remain on the front lines of our democracy representing
To Barack and Michelle Obama, our country owes you an enormous debt of gratitude.
We thank you for your graceful, determined leadership that has meant so much to so many Americans and people across the world. And to Bill and Chelsea, Mark, Charlotte, Aidan, our brothers and our entire family, my love for you means more than I can ever express.
You crisscrossed this country, even 4-month-old Aidan, who traveled with his mom. I will always be grateful to the talented, dedicated men and women at our headquarters in
You poured your hearts into this campaign. To some of you who are veterans, it was a campaign after you had done other campaigns. Some of you, it was your first campaign. I want each of you to know that you were the best campaign anybody could have ever expected or wanted.
And to the millions of volunteers, community leaders, activists and union organizers who knocked on doors, talked to their neighbors, posted on Facebook — even in secret private Facebook sites.
I want everybody coming out from behind that and make sure your voices are heard going forward. [Cheers and applause]
To anyone that sent contributions, even as small as $5, that kept us going, thank you. To all of us, and to the young people in particular, I hope you will hear this — I have, as Tim said, I have spent my entire life fighting for what I believe in.
I've had successes and setbacks and sometimes painful ones. Many of you are at the beginning of your professional, public, and political careers — you will have successes and setbacks too.
This loss hurts, but please never stop believing that fighting for what's right is worth it.
It is, it is worth it. [Cheers and applause]
And so we need — we need you to keep up these fights now and for the rest of your lives. And to all the women, and especially the young women, who put their faith in this campaign and in me: I want you to know that nothing has made me prouder than to be your champion.
Now, I know we have still not shattered that highest and hardest glass ceiling, but someday someone will — and hopefully sooner than we might think right now. [Cheers and applause]
And to all of the little girls who are watching this, never doubt that you are valuable and powerful and deserving of every chance and opportunity in the world to pursue and achieve your own dreams. [Cheers and applause]
Finally, finally, I am so grateful for our country and for all it has given to me. I count my blessings every single day that I am an American, and I still believe, as deeply as I ever have, that if we stand together and work together with respect for our differences, strengthen our convictions, and love for this nation, our best days are still ahead of us.
Because, you know, I believe we are stronger together and we will go forward together. And you should never, ever regret fighting for that. You know, scripture tells us, let us not grow weary of doing good, for in good season we shall reap. My friends, let us have faith in each other, let us not grow weary and lose heart, for there are more seasons to come and there is more work to do.
I am incredibly honored and grateful to have had this chance to represent all of you in this consequential election. May God bless you and may God bless the
https://youtu.be/Bcck7hr9Su8
【全文和訳】
昨夜、わたしはドナルド・トランプ氏にお祝いを申し上げ、祖国のために働いてくださるようお願いしました。彼がすべてのアメリカ人のためのすばらしい大統領になってくれることを願ってやみません。
今回の選挙結果は、わたしたちが望んでいたものでも、そのために厳しい闘いをくぐり抜けてきたものでもありませんでした。わたしたちが共有する価値観やこの国の未来像をもってしても、今回の選挙戦を勝ち抜けなかったことが残念でなりません。
しかし、わたしたちが共に築き上げてきたこのすばらしい―それは大規模で、多様性にあふれ、創造的で、波乱に満ち、力強い―選挙キャンペーンを、わたしは誇りに思っており、大いなる感謝の念に包まれています。皆さんは最もすばらしいアメリカの姿を体現しており、皆さんの支持を得たことはわたしの生涯を通じて最も名誉なことのひとつとなっています。
いま皆さんは大変な失望を感じていることでしょう。わかります、わたしも想いは同じだからです。そしてそれは今回の選挙戦に希望や夢を持って臨んだ数百万のアメリカ国民も同様でしょう。この「痛み」は長く続きます。しかしどうか思い出してください。わたしたちが訴えてきたことは、決して誰か1人のためでも、あるいは1回の選挙のためのものでもありません。それはわたしたちが愛するこの国のためであり、希望に満ち、大いなる心と寛容さを持つアメリカを築くためのものだったはずです。
わたしたちは、わたしたちの国家が思っているよりもずっと深く分断されていることを目の当たりにしました。しかしそうであってもわたしはアメリカを信じているし、それはこれからも変わりません。もし皆さんもまたそう信じてくれているのなら、どうかこの結果を受け容れて、未来へと目を向けましょう。
ドナルド・トランプ氏は、わたしたちの大統領となります。わたしたちは彼に、開かれた心へと導くチャンスを託しました。
わたしたちの奉じる立憲民主主義は、権力の平和的な移譲を重視しており、わたしたちはそれを尊重し、大切にしています。そしてそれと同じように、法の支配、「誰もが等しい権利と尊厳を持つ」という原則、そして表現と信仰の自由を共有しています。わたしたちはこうしたものを尊重し、護持していかなければならないのです。
もう少し付け加えさせてください。わたしたちが奉じる立憲民主主義は、わたしたちに四年おきの選挙ごとではなく、常に政治へ参加することを定めています。そしてだからこそ、わたしたちが尊重する主張や価値観を推し進めるべく、なすべきことを続けていきましょう。一部の最富裕層のためだけでない、あらゆる人々のための経済活動を。わたしたちの国、わたしたちの星を守り維持し続けることを。そして夢を叶えようと努力し続ける人のために障壁を打ち破ることを、続けてゆくのです。
わたしたちは1年半の時を費やして、この国のあらゆる場所から、ひとつの主張とともに数百万の人々を集めてきました。それは、「アメリカン・ドリーム」とはすべての人−あらゆる人種、あらゆる宗教、男、女、移民、LGBT、障害者−に恩寵をもたらすことができる、という信念なのだと。(だからこそ)わたしたちアメリカ市民は、わたしたちが目指す「公平なるアメリカ」を、よりよく、より力強く、推し進めていく責任があるのです。そしてわたしは皆さんがその責任を全うし続けることを信じているし、そうした皆さんと共にここに立っていることを誇りに思います。
ティム・ケイン、アン・ホールトン、この長い旅路を共に歩んでくれたことにお礼を述べさせてください。ティムを深く知ることができ、その彼が上院でバージニアの代表としてわたしたちが誇る民主主義の最前線に残ってくれることは、わたしにとって大いなる希望と安心をもたらしてくれます。
バラクとミシェル・オバマ夫妻へ。わたしたちの祖国はあなたたちの上品で決然としたリーダーシップに、それはそれは大きな「借り」を作ってしまいましたね。もちろんそれはわたし自身もです。
ビル、チェルシー、マーク、シャーロット、エイダン。わたしの兄弟、家族たち。今あなたたちに感じている愛は、表現する言葉を持たないほどです。
あなたたちはこの国を駆け回って、わたしが必要な時はいつでもわたしを勇気付けてくれましたー生後4ヶ月のエイダンでさえもママと一緒に旅してくれましたね。
ブルックリンの選対本部や全米各地でこの選挙運動のために心血を注いでくれた、創造的で才能豊かで、献身的なスタッフの皆さん、わたしは皆さんへの感謝をいつまでも忘れません。かつての選挙運動を経て駆けつけてくれた歴戦のベテランもいれば、今回が初めての選挙運動だった人もいました。あなたがたにはぜひ知っておいてもらいたい。あなたがたはこれ以上望むべくもないほど最高な選挙キャンペーンを展開してくれました。
家々のドアを叩き、隣人に語りかけ、Facebookに投稿してくれた−たとえそれが鍵付きの人でも−すべてのボランティアたち、地域リーダー、活動員、労働組合員の皆さんへ、ありがとう。
献金してくださったすべての皆さんへ、たとえそれが5ドルだったとしても、そのおかげでわたしたちは前へ進むことができました。ありがとう。
そして特にすべての若者たちに、ぜひ伝えたいことがあります。わたしは生涯にわたり、自らが信じるもののために戦ってきました。時に成功を収め、時に挫折を味わい、手酷い痛手に打ちのめされたこともあります。多くの皆さんが、この先ご自身の人生キャリアを積んでいくでしょうし、その先には成功も、また挫折もあるでしょう。
今回の敗戦は大きな痛手です。けれどどうか、どうか「正しさのために戦うのは、価値があるんだ」ということを、信じ続けてください。そう、それは常に価値があることなのです。そして今も、この先もずっと、わたしたちはあなたがたが人生を通じて戦い続けることを望みます。
すべての女性、とりわけ今回の選挙キャンペーンとわたしに信頼を置いてくださった若い女性の方々へ、ぜひ知っておいていただきたいのは、皆さんの声を代弁できたことは、これ以上ないほどのわたしの誇りです。
わたしたちは、いまだあの最も高い「ガラスの天井」を打ち破るに至っていません。それは認めざるを得ない。しかしいつの日か、誰かがきっと、叶うならばわたしたちが考えるよりも早く、成し遂げてくれるでしょう。
それからこれはすべての少女たちへ。ぜひ聞いてください。あなたたちには価値があり、力強いことを決して疑わないでください。あなたたちはこの世界のどんなチャンスにも、どんな機会にも、挑むことができるのですから。
最後に、わたしに多くの恵みを与えてくれた祖国に感謝いたします。
わたしは自分がアメリカ人であることに、日々感謝の念を噛み締めています。そしてわたしは今も、これまでよりなお、わたしたちが共に立ち、共に働きかけ、互いの違いを尊重しあい、祖国を愛すれば、よりよい明日を築いていけると信じています。
皆さんご承知のとおり、わたしたちが手を取り合い共に歩めば、より強くなれると信じています。そしてそのために戦ったことを決して後悔しないでください。
聖書には、「善行を積むに飽くことなかれ。失意に沈むことなく励めば、いずれ時が来て、実りを刈り取ることができるだろう」とあります。
友よ、どうかお互いを信頼しあってください。どうか飽くことなく、どうか失意に沈むことなく。いずれ来たる新たな時のために。そしていずれ来たるなすべき仕事のために。
この重要な選挙戦で、皆さんの声を代弁する機会を得たことを、このうえなく誇りに思い、感謝しています。どうか皆さんに神の祝福を。そして、アメリカ合衆国に神の祝福を。
今日は一の酉、昨夜来から生憎の雨です。
ハローウィンが終わって、街は12月末のクリスマスに向かって慌ただしく、やや忘れ気味の酉の市ですが、11月には関東地方を中心に昔から行われてきた晩秋の風物詩ともいわれているものです。今年は11日の丁酉(ひのととり)の日と23日の己酉(つちのととり)の日の二の酉までです。
酉の市の由来は、神道と仏教の双方から、それぞれ異なる解説がされています。
神道の解説では、大酉祭の日に立った市を、酉の市の起源としています。大鳥神社(鷲神社)の祭神である日本武尊が、東征の戦勝祈願を鷲宮神社で行い、祝勝を花畑の大鷲神社の地で行いました。これにちなんで、日本武尊が亡くなった日とされる11月の酉の日(鷲宮神社では12月の初酉の日)には大酉祭が行われます。また、浅草・鷲神社の社伝によると、天照大御神が天之岩戸にお隠れになり、天宇受売命(あめのうずめのみこと)が、岩戸の前で舞われた折、弦(げん)という楽器を司った神様がおられ、天手力男命(たぢからおのみこと)が天之岩戸をお開きになった時、その弦の先に鷲がとまったので、神様達は世を明るくする瑞象を現した鳥だとお喜びになり、以後、この神様は鷲の一字を入れて鷲大明神、天日鷲命(あめのひわしのみこと)と称される様になりました。天日鷲命は、諸国の土地を開き、開運、、殖産、商賣繁昌に御神徳の高い神様としてこの地にお祀りされました。後に日本武尊が東夷征討の際、社に立ち寄られ戦勝を祈願し、志を遂げての帰途、社前の松に武具の「熊手」をかけて勝ち戦を祝い、お礼参りをされました。その日が十一月酉の日であったので、この日を鷲神社例祭日と定めたのが酉の祭、「酉の市」です。この故事により日本武尊が併せ祭られ、御祭神の一柱となりました。
江戸時代から鷲神社は、「鳥の社(とりのやしろ)」、また「御鳥(おとり)」といわれており、現在も鷲神社は「おとりさま」と一般に親しまれ崇敬を集めています。十一月の例祭も現在は「酉の市」と広く知られていますが、正しくは「酉の祭(トリノマチ)」と呼ばれた神祭の日です。日本武尊が鷲神社に戦勝のお礼参りをしたのが11月の酉の日であり、その際、社前の松に武具の熊手を立て掛けたことから、大酉祭を行い、熊手を縁起物としたと記されています。
仏教(浅草酉の寺・長國寺)の解説では、鷲妙見大菩薩の開帳日に立った市を酉の市の起源とします。1265(文永2)年11月の酉の日、日蓮宗の宗祖・日蓮が、上総国鷲巣(現・千葉県茂原市)の小早川家(現・大本山鷲山寺)に滞在の折、国家平穏を祈ったところ、明星(金星)が明るく輝きだし、鷲妙見大菩薩が鷲の背に乗り現れ出たといいます。これにちなみ、浅草の長國寺では、創建以来、11月の酉の日に鷲山寺から鷲妙見大菩薩の出開帳が行われました。その後1771年(明和8年)長國寺に鷲妙見大菩薩(鷲大明神)が勧請され、11月の酉の日に開帳されるようになったのだといいます。
実際の祭りは、花又(現・東京都足立区 花畑)の鷲大明神の近在農民による収穫祭が発端といわれます。鷲大明神は鶏大明神とも呼ばれ当時氏子は鶏肉を食べる事を忌み、社家は鶏卵さえ食べませんでした。近郷農民は生きた鶏を奉納し祭が終わると浅草寺観音堂前に放ったのです。このように鶏を神とも祀った社は、綾瀬川に面しているため水運による人、物の集合に好適でした。そのため酉の日に立つ市には江戸市中からの参詣者も次第に多くなり、そこでは社前で辻賭博が盛大に開帳されましたが安永年間に出された禁止令により賑わいは衰微します。
かわって、酉の市の盛況ぶりは浅草の鷲大明神へと移り、最も賑わう酉の市として現在に至るのであります。また浅草鷲大明神の東隣に新吉原が控えていたことも浅草酉の市が盛況を誇る大きな要因でした。時代が下るにつれ江戸の各地で酉の市が開かれるようになり、今では関東の多くの寺社で開催されるようになりました。
このように酉の市とは、秋の収穫物や実用の農具が並んだ近郊農村の農業市が江戸市中へと移行するに従い、招福の吉兆を満載した飾り熊手などを市の縁起物とする都市型の祭へと変遷してきたのでした。
大方の予想を裏切ってドナルド・トランプ氏がヒラリー・クリントン氏をやぶって第45代大統領に選ばれました。文字通り共和党の切り札になり得たわけです。
今朝のウェブニュースより
泡沫と思われた放言王 トランプの勝因は反グローバリズム ―― 「史上最低の醜悪」などと言われた米国の大統領選は大接戦の末、共和党のトランプ候補が制した。この結果に、株式市場が大暴落するなど、世界中が騒然としているが、背景を探れば、そこには必然的ともいえる米国の闇がある。
確かにトランプの訴えはむちゃくちゃだった。口を開けば「メキシコとの国境に壁をつくる」「中国が雇用を奪っている」と他国を攻撃し、ワイセツ発言も酷くて「ピー」音をかぶせて伝えるニュース番組も多かった。さすがに、大新聞は一斉にトランプ批判に回り、発行部数上位100紙中、ヒラリー支持を表明したのが55紙だったのに対し、トランプ支持はわずか1紙だけだった。
しかし、それでもトランプ人気は落ちなかった。最後の最後でリードを許していたクリントンを逆転した。どんなに暴言を吐こうが、スキャンダルが飛び出そうが、あきれるほど根強い支持層に支えられたのである。支持率は終始40%台をキープし、最後はフロリダなど激戦州で次々と下馬評をひっくり返した。ツイッターのフォロワー数は、ヒラリーの1005万人に対し1280万人と凌駕、トランプの演説を生中継すると視聴率が跳ね上がるという現象も起こった。
■疲弊したアメリカ国民が喝采、支持
なぜ、他人の悪口しか口にしないトランプのような下品な男が、ここまでアメリカ国民から熱狂的な支持を集めたのか。
トランプの主張は、ハッキリしている。一言でいえば、「排外主義」だが、それは「反グローバリズム」である。市場に任せれば経済はうまく回るとアメリカが30年間にわたり主導してきた「グローバリズム」と「新自由主義」を、真っ向から否定した。その訴えがアメリカ国民の心をとらえたのは間違いない。
外務省OBの天木直人氏(元レバノン大使)がこう言う。
「もともとグローバリズムは、“勝ち組”の政策です。格差が広がり、希望を持てない人を増やしてしまう。アメリカ国民も疲弊してしまった。一握りの富裕層だけが富み、中産階級が崩壊しつつあります。だから、以前から大衆の不満が充満していた。トランプはその不満を上手にすくい上げた形です。トランプが『中国が雇用を奪っている』『雇用を奪うTPPを止める』と自由貿易を批判すると、聴衆は拍手喝采し、熱狂した。これは“サンダース現象”にも通じる話です。ヒラリーと大統領候補の座を争ったサンダースも、新自由主義を否定し、TPPを『破滅的な協定だ』と批判して支持を集めた。アメリカ大統領選を通じて分かったのは、行き過ぎた新自由主義とグローバリズムが限界に達しつつあるということです。今後アメリカは、大きな転換を迫られると思う。熱心なTPP推進派だったヒラリーが、国民の強い反発を目の当たりにして『今も反対、選挙後も反対、大統領になっても反対』とTPP反対に宗旨変えしたことが、この先のアメリカを物語っています」
実際、新自由主義とグローバリズムによって、アメリカ国民の生活はボロボロになっている。安い労働力を求めて企業が海外に進出したために雇用は減り、その一方、安い商品が海外から流入し、アメリカ製は競争力を失ってしまった。グローバリズムに対するアメリカ国民の怒りと絶望が、トランプを押し上げたのである。大統領選で敗北したのは、新自由主義とグローバリズムだったのではないか。
■TPPに参加したら日本経済は崩壊
グローバリズムへの「反動」は、アメリカだけの現象ではない。世界各国で「保護主義」の動きが強まっている。自由貿易を進めたはいいが、どの国もヘトヘトになっているからだ。
なのに安倍首相は、TPPを筆頭にした新自由主義を推し進めようとしているのだから、時代錯誤もいいところだ。もしTPPに参加したら、日本は決定的な打撃を受けてしまうだろう。筑波大名誉教授の小林弥六氏(経済学)がこう言う。
「例外なき関税撤廃、自由貿易が大前提のTPPに参加したら、日本の産業と雇用が破壊されるのは必至です。たとえば、日本が強い自動車産業だって、とても全メーカーが生き残れるとは思えない。まず農業、林業、漁業は、安い外国産に太刀打ちできないでしょう。第1次産業が壊滅したら、地方経済は成り立たなくなる。今でもシャッター通りだらけなのに、地方は活気を失い、本当に死んでしまう。新自由主義とグローバリズムの本質は、一般国民を犠牲にしてグローバル企業を儲けさせることです。世界的な大企業は潤うが、大衆には恩恵がない。だからアメリカも、産業界はTPPに賛成し、多くの国民が反対している。それでも安倍首相はTPP参加を強行しようとしているのだから、どうかしています。百歩譲って、もしメード・イン・ジャパンが世界市場を席巻している時だったら、TPPに参加するメリットがあったかもしれませんが、国際競争力が低下している今、参加するのは狂気の沙汰です。日本の富と市場を、アメリカのグローバル企業に奪われるのは目に見えています」
■グローバリズムをやめ、日本型を探せ
いずれ世界各国に、「グローバリズム」を見直す動きが広がっていくはずだ。「保護主義」の動きが強まってくるのは間違いない。日本も大急ぎで、行き過ぎたグローバリズムと一線を画すべきだ。
このままグローバルな競争に突入しても、過激なコスト競争に巻き込まれ、デフレ不況を悪化させるだけである。アベノミクスが「異次元の金融緩和」を実施し、経済対策に何十兆円もの税金をつぎ込んでも物価が上昇しないのは、過度なグローバル競争によって、国内にデフレ圧力がかかっているからである。
そもそも、日本のGDPの6割は個人消費なのだから、一部のグローバル企業を強くし、多少輸出を増やしたところで、景気が良くなるはずがないのだ。
「この20年、アメリカのエージェントのような経済学者やエコノミストが、グローバルスタンダードだ、構造改革だと日本式の経済システムをアメリカ型に変えてきたが、果たして日本国民の利益になったのかどうか。大失敗だったのは、この20年の日本経済が証明しています。今からでも日本の状況に合った経済システムを探すべきです。今振り返っても、年功序列、終身雇用、系列といった日本型経営はある意味、合理的なシステムでした。雇用が守られるので、サラリーマンは結婚、子育て、マイホーム取得と人生設計を立てられた。将来不安が少ない分、消費もできた。ところが、グローバルスタンダードに合わせるべきだと雇用を壊し、非正規を増やしたために、将来不安が強まり、消費が増えなくなってしまった。最悪なのは、社内に人材と技術の蓄積がなくなったために、商品開発力まで落ちてしまったことです」(経済評論家・斎藤満氏)
アメリカ大統領選でなぜ、「トランプ現象」や「サンダース現象」が起きたのか、日本はよく考える必要がある。 (日刊ゲンダイ 2016年11月9日)
sechin@nethome.ne.jp です。
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