瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
[126] [127] [128] [129] [130] [131] [132] [133] [134] [135] [136]

オーストラリア在住のMihoちゃんからメールが入りました。曰く、


節夫おじさん、道子おばさん


お元気ですか?


昨日、家のポストにおじさんとおばさんからの年賀状が届いてました!ありがとうございます!


私達みんな、おじさんとおばさんから毎年届く年賀状をいつも楽しみにしています。


東京は寒いですか?


こちらは少しずつ暑くなってきました。


はるなの小学校は2月から始まります。こちらの冬休み、こちらでは夏休みですが1ヶ月半くらいあって長いです。でもこちらの冬休み、日本の夏休みは2週間です。


 


お正月は何処かへお参りに行きましたか? 私達の年末年始はとくにどこにもいかず、年末年始のシドニーの花火大会を見たくらいです。テニスのオーストラリアオープンがメルボルンで始まるのでマットがとても楽しみにしています。錦織がブリスベンで遂に優勝しましたね。


寒いと思いますがお身体に気をつけてお過ごしください。


マット、美帆、はるな より


 


ウェブニュースより


長寿番組「世界の旅」、兼高かおるさん死去 ―― 長寿テレビ番組「兼高かおる世界の旅」を自ら企画、出演し、まだ海外旅行が一般的ではなかった時代に日本人の目を海外に向けさせた、旅行ジャーナリストの兼高かおる(かねたか・かおる、本名・兼高ローズ)さんが5日午後8時45分、心不全のため東京都内の高齢者施設で亡くなった。90歳だった。


 


告別式は近親者で済ませた。後日、お別れの会を開く予定。   (20190109 1810   読売新聞)


 


 正岡子規は時代を先取りしての合理的な葬式観というのを書いています。曰く、


『吾等なくなり候とも、葬式の広告など無用に候。家も町も狭き故(ゆえ)二、三十人もつめかけ候はば柩(ひつぎ)の動きもとれまじく候(そうろう)。


 何派の葬式をなすとも柩の前にて弔辞伝記の類(たぐい)読み上候事無用に候。


 戒名といふもの用ゐ候事無用に候。曾(かつ)て古人の年表など作り候時、狭き紙面にいろいろ書き並べ候にあたり戒名といふもの長たらしくて書込(かきこみ)に困り申候。戒名などはなくもがなと存候。


 自然石の石碑はいやな事に候。


 柩の前にて通夜すること無用に候。通夜するとも代りあひて可致(いたすべく)候。


 柩の前にて空涙(そらなみだ)は無用に候。談笑平生の如くあるべく候。』


「仰臥漫録」 明治341902)年1015日より


 


 ごく最近では、個人葬が注目されつつあるようですが、私個人の場合は残されたものが実行しうるかどうかは別として、願わくば納棺後すぐに火葬する直葬にして欲しく思います。


 


ウェブニュースより


藤井七段、順位戦で18連勝を達成 歴代1位のタイ記録 ―― 将棋の高校生棋士藤井聡太(そうた)七段(16)が、8日の第77期名人戦・C級1組順位戦(朝日新聞社、毎日新聞社主催)で富岡英作八段(54)に91手で勝った。デビューからの順位戦の連勝記録を18に伸ばし、中原誠十六世名人(71)が1967年度から68年度にかけて達成した歴代1位記録に並んだ。


 


大阪市福島区の関西将棋会館で午前10時に始まり、午後8時3分に終局した。今年最初の公式戦を白星で飾った藤井七段は「順位戦の6時間という長い持ち時間の中で、じっくり考えられていることが結果につながったのかなと思う。今期順位戦はあと2局。非常に大事な戦いになるので、気を引き締めて臨みたい」と話した。


https://www.youtube.com/watch?v=0Q3lAMl_f7I


201610月にプロ四段に昇った藤井七段は、17年度にC級2組で10連勝してC級1組に昇級。18年度の今期C級1組は本局で8連勝とした。C級2組とC級1組をあわせ、デビューしてから順位戦で負けなしの18連勝とし、09年に引退した中原十六世名人が記録した18連勝と並び、歴代1位タイとなった。


順位戦は名人戦の予選にあたり、上からA級、B級1組、B級2組、C級1組、C級2組の計5クラスがある。今期C級1組には39人が参加。18年6月から19年3月まで約10カ月で10局ずつ指し、原則では成績上位2人が一つ上のB級2組に昇級する。昇級を重ね、最上位のA級で優勝すると、挑戦者として名人戦七番勝負に登場できる。


本局の開始前の時点で、今期のC級1組は近藤誠也五段(22)、藤井七段の師匠である杉本昌隆七段(50)、藤井七段の3人が7連勝で昇級争いの先頭を走り、6勝1敗で船江恒平六段(31)が追う展開だった。


8日の対局の結果は、近藤五段負け、杉本七段勝ち、藤井七段勝ち、船江六段勝ち。8連勝の杉本七段と藤井七段を、7勝1敗で近藤五段と船江六段が追う展開となった。杉本七段と藤井七段が師弟そろっての昇級を成し遂げるか、注目される。次のC級1組順位戦の対局は2月5日。近藤五段(7勝1敗)対藤井七段(8勝0敗)、杉本七段(8勝0敗)対船江六段(7勝1敗)という昇級候補同士の直接対決が組まれている。藤井七段と杉本七段がともに勝てば、1敗者がいなくなるため、3月5日の最終戦を待たずに、杉本七段と藤井七段の師弟によるアベック昇級が決まる。


ログイン前の続き藤井七段のデビュー以来の通算成績は122対局、10418敗、18年度の本局までの成績は39対局、33勝6敗となった。公式戦で6連勝中だ。


この日の対局は、プロの間で流行している「角換わり腰掛け銀」という戦型から、早い段階で藤井七段が角、富岡八段が金と桂を手駒にする激しい変化となった。藤井七段は「7九飛と3七銀が結構イレギュラーな関係で、どう判断するかが難しい将棋だった。本譜はタイミング良く(75手目)▲2九飛と回ることが出来たので、もしかしたらその辺りから指しやすくなったのかな、と思いました」と振り返った。敗れた富岡八段は「藤井君と当たるのはめったにないことなので、いろいろ考えてきた。今回は、まだ未知数の変化に踏み込んでみたんですけど。面白いところもあったというふうに感じたんですが、最後の▲2九飛は流石(さすが)だな、と思いました」と述べた。


デビューから順位戦で18連勝という記録達成について、藤井七段は「前期はC級2組で、今期はC級1組。別のステージの戦いなので、通しての記録というのはあまり意識はしていないです」と述べた。


師匠の杉本昌隆七段(50)と師弟そろって昇級争いを演じていることについて聞かれると、「師匠も今のところ全勝ということも知っていますけど、自分がやるべきことは自分自身の昇級を目指して、目の前の一局一局で全力を尽くすこと。自分は自分で順位戦でしっかり全力を尽くしたい」。きっぱりと答えた。


 


 4月に史上最年少の10歳で囲碁のプロ棋士となる大阪市此花区の小学4年、仲邑菫(なかむらすみれ)さん(9)について記者に質問されると、「自分が(将棋のプロ棋士養成機関である)奨励会に入ったのが10歳の時でしたから。10歳でプロ棋士になるというのは、信じられないくらい、すごいこと。これからが楽しみだなと思います」と笑顔で話した。


 


(朝日新聞DIGITAL 2019182113分)


 


■芥川の人口に膾炙する句に、


蝶の舌ゼンマイに似る暑さかな


木がらしや目刺にのこる海のいろ


青蛙おのれもペンキぬりたてか


水洟や鼻の先だけ暮れ残る


などがあります。


■「蝶の舌ゼンマイに似る暑さかな」については、“我鬼”が芥川の俳号とは知らなかった飯田蛇笏が「無名の俳人によって力作された逸品」と称賛しています。大正7年(1918)の7月『ホトトギス』雑詠欄に「鐡條〈ぜんまい〉に似て蝶の舌暑さかな」とあり、また「我鬼句抄補遺」には大正7年の作として「ゼンマイに似て蝶の舌暑さかな」の形ででています。


 


■「木がらしや目刺にのこる海のいろ」について、大正11年(19221217日の眞野友二郎宛書簡に「長崎より目刺をおくり来れる人に」と前書きして「凩や目刺にのこる海のいろ」と記していますが、「我鬼句抄」にはすでに「凩や目刺に残る海の色」の形で大正6年(1917)の作とされています。この木枯らしの海の色は、青ではなく代赭色でしょう。それが芥川の原体験の海の色です。


 


■「青蛙おのれもペンキぬりたてか」については、友人から、フランスの作家ジュール・ルナールの『博物誌』に、「とかげ ペンキ塗りたてご用心」があると指摘されると、だから“おのれも”としてあると答えたといいます。


 


■そればかりではありません。芥川は、「飯田蛇笏」の中で、「その内に僕も作句をはじめた。すると或時歳時記の中に『死病得て爪美しき火桶かな』と云ふ蛇笏の句を発見した。この句は蛇笏に対する評価を一変する力を具へてゐた。僕は『ホトトギス』の雑詠に出る蛇笏の名前に注意し出した。勿論その句境も剽竊〈ひょうせつ〉した。『癆咳〈らうがい〉の頰美しや冬帽子』『惣嫁指〈そうかし〉の白きも葱に似たりけり』――僕は蛇笏の影響のもとにさう云ふ句なども製造した」と記しています。


■大正8年(191928日の薄田泣菫宛書簡に「青蛙おのれもペンキぬり立てか」、小島政二郎宛書簡に「青蛙おのれもペンキ塗り立てか」とあり、また同年815日の秦豊吉宛書簡に「青蛙おのれもペンキぬりたてか(この句天下有名なり俗人の為に註す事然り)」と記していますが、「我鬼窟句抄」や「我鬼句抄」には大正7年(1918)の作とされています(大正83月の『ホトトギス』雑詠欄に掲載)。


■「水洟や鼻の先だけ暮れ残る」の原句は、大正9年(1920)頃に作られ、よほど気に入っていたとみえ、たびたび揮毫(きごう)しています。青酸カリを服毒して自殺する夜の午前1時過ぎ、芥川は伯母の枕もとに来て、「これを明日の朝下島さん〈注・医師〉に渡してください」と差し出した短冊に、「自嘲 水洟や鼻の先だけ暮れのこる」とあり、そのため“辞世の句”として有名になったのです。大正14年(1925)の句に「土雛や鼻の先だけ暮れ残る」があります。自嘲的諧謔の句です。芥川の死は、高校生であった太宰治に影響を与えました。ノートに芥川の“辞世の句”を書き写していたといわれています。


 


■芥川の自殺の原因が奈辺にあったのかについては諸説挙げられています。母の血を引く発狂への恐れ、芥川と新原の両家を一身に背負わなければならない重圧、複数の女性問題、文壇の寵児を育てた伯母と養父母との力関係、そして創作の根本的な問題があるようです。


■芥川の小説の特徴は、短編を中心とした、少年の読者にも受け入れられる早熟の少年小説である一方で、研ぎ澄まされた金属的な精緻の文体の上に構築されていることです。それは、博覧強記の芥川が、書物を通して人間や人生の見方を学び、現実の生活からの体験に乏しく、世間的にはむしろ幼稚ともいえる精神構造にあることです。それゆえ、俳句づくりには適していたと思われるのかもしれません。芥川により言葉が継ぎ合わされ、いかにもそれらしい風景描写として、現実よりも本物らしい情景が浮かびあがってきます。


■しかし、芥川と生前よく俳句の話をし、激論を交わした友人の萩原朔太郎は、芥川の俳句を「末梢神経的の凝り性と趣味性とを、文学的ジレッタンチズムの衒気〈げんき〉で露出したようなもの」と評しています。つまり、芥川の俳句は、彼自身の感動のないまま、ただ知識に頼って作られた句から生まれる、本物らしいが、強いて拵えたような句、人工的に作られた、魂の叫びのない、自然の広がりのない情景となっていて、そこに繊細かつ都会的な芥川の俳句の特異性と魅力とともに、限界があったといえるのでしょう。


 


 人去つて空しき菊や白き咲く  芥川龍之介


 


■これは夏目漱石の一周忌の折に詠まれた芥川龍之介の俳句です。第四次『新思潮』の創刊号に発表した小説「鼻」が夏目漱石に認められ、芥川が文壇にデビューしたのは、大正5(1916)年2月、東京帝国大学生の時でした。その年の7月に大学を卒業、12月に横須賀の海軍機関学校の嘱託教官となり、鎌倉の野間西洋洗濯店の離れに下宿します。漱石が亡くなったのは同じ年の12月9日のことでした。


 


■夏目漱石の有名な句に、「有る程の菊抛〈な〉げ入れよ棺の中」があります。これは友人の夫人で作家・歌人の大塚楠緒子(くすおこ・なをこ、本名:久寿雄)が明治43年(1910119日に35歳で亡くなった時に、病床にあった漱石が「床の中で楠緒子さんの為に手向の句を作る」の前書きで1115日の日記に記(しる)した句です。対詠の挨拶句で、漱石が生涯忘れることができなかった恋人の死にあたり、病床から、せめてありったけの菊の花を棺に入れてやってほしいと、何のわだかまりもなく、まっすぐに詠っています。


 


■芥川は、大正6年(19171124日の松岡譲宛葉書に「先生没後1年とは早すぎる位早い」として、かなりこの句を意識して、掲句を詠んでいます。ここには、父なるものの漱石への追念とともに、15年前の1128日に発狂して亡くなった実母への永遠の想いが込められていないでしょうか。また、同25日の池崎忠孝(赤木桁平の本名)宛葉書に「序〈ついで〉に名句を披露する」として、「たそがるる菊の白さや遠き人」「白菊や匀〈におい〉にもある影日なた」の2句を記しています。


 


■芥川にとっての大正6年は、第一短編小説集『羅生門』(5月)、第二短編小説集『煙草と悪魔』(11月)を刊行し、また翌年2月に塚本文子との結婚も決まり、一見意気軒昂の時のように思われます。しかし、その一方で漱石という大きな後ろ盾を失って非常に落胆し、また久米正雄と夏目筆子のスキャンダルが持ち上がっている時でもあり、さらには、筆子の第一婿候補に芥川の名が挙がっていたこともあり、前掲の「白菊」の句は、そんな状況を詠んだ句なのです。


 


■芥川は明治25年(189231日に父新原(にいはら)敬三、母フクの長男として、東京都京橋区入舟町(現・中央区明石町)に生まれました。しかし、母のフクが突然発狂、芥川は生後間もなく本所区小泉町(現・墨田区両国)の母の実家で未婚の伯母フキに育てられます。養子となって芥川姓になったのは、母フクが死去した翌々年の明治37年(1904)満12歳のときでした。


 


■芥川の俳句を、飯田蛇笏は、小説よりも高く評価していました。また、岡本かの子も、芥川の俳句を短歌よりも高く評価し、「芭蕉の不易流行の不易を内容的心的境涯とし、流行を表現形式の手段とすれば、流行は既に手に入り、ひたすら不易に於ける幽処の到達に腐心している」と評しています。このように、文人の中でも芥川の俳句は、一、二と称されるほどの名手であり、実力者だったのです。しかし、昭和2年(1927)に香典返しとして編まれた『澄江堂〈ちょうこうどう〉句集』には、生前の自選50句を含む77句しか収録されていません。芥川が生涯に詠んだ俳句は、560句とも1,200句ともいわれています。


 


■芥川は子供時代から早熟で、すでに俳句や短歌に親しみ、江東尋常高等小学校4年生の時の句に、


落葉焚いて葉守りの神を見し夜かな


があります。この句について、大正14年(19256月の『俳壇文芸』に発表された「わが俳諧修業」に、「鏡花の小説など読みゐたれば、その羅曼主義を学びたるなるべし」と記しています。その後、「大学を卒業するまで句作を行わず」(この間、書簡の中に句が散見されます)、海軍機関学校の教官となり、高浜虚子と同じ鎌倉に住んだ折に「ふと句作をして見る気になり」、虚子に10句ばかりの添削をお願いしたところ『ホトトギス』に2句掲載されたのだといいます。それを機に、虚子に就いて本格的に俳句を学んでいます。また、芭蕉に惹かれ「芭蕉雑記」(大正12年)、「続芭蕉雑記」(昭和2年)や小説「枯野抄」(大正7年)を書いています。俳号は我鬼(餓鬼を捻ったものとも、中国語で自我のことともいわれています)。


 


 昨日のブログにに付いた姪のコメントで10歳で最年プロになったという天才少女について調べてみました。


ウェブニュースより


囲碁の天才少女、10歳で最年少プロに 名人も手腕評価 ――今春、日本囲碁界で史上最年少の10歳のプロ棋士が誕生する。大阪市此花区の小学4年生、仲邑菫(なかむらすみれ)さん(9)で、囲碁先進国の韓国で修業を積み、「世界一になる逸材」として、日本棋院が新設した小学生までの採用制度「英才特別採用推薦棋士」の第1号として迎えられる。


 


 日本棋院が5日に発表した。菫さんは、4月1日付、10歳0カ月で日本棋院関西総本部(大阪市)の所属棋士になる。9年前、11歳6カ月でプロ入りした藤沢里菜女流本因坊(20)を抜く最年少記録となる。


 


 プロ棋士の仲邑信也九段(45)と、囲碁の元インストラクターの幸(みゆき)さん(38)のひとりっ子。幸さんの手ほどきで3歳で碁を覚え、7歳から一家3人で韓国・ソウルに渡って修業。日本での義務教育履修のため日韓の往復生活を続けた。幸さんによると、菫さんはすぐに韓国語を覚え、両親の通訳にもなっているという。一昨年、現地の小学生低学年のチャンピオンに。昨年、韓国棋院のプロ候補生である研究生になった。


 韓国で“囲碁漬け”の日々を送ってきた。平日は名門「韓鐘振(ハンジョンジン)囲碁道場」で、週末は韓国棋院で対局を重ねてきた。現地のプロ志望の子どもたちは朝、学校に顔を出すとすぐに道場に向かい、夕方まで囲碁の勉強をする子が多い。


 「子どもたちの囲碁環境が日本と全く違う。あれを見て、菫が世界を狙うには韓国で勉強させなければと思った」と、父の信也九段が言う。根っからの負けず嫌いで、負けると大泣きする。その勝負魂が道場で高く評価されている。


 道場を主宰する韓鐘振九段は「菫の才能は、現在の女流世界一である韓国の崔精(チェジョン)九段(22)に劣らない。むしろ上達のスピードは崔より速い。このままいけば女流の世界チャンピオンになるのはもちろん、男性のトップ棋士とも対等に戦えると思う」と話す。


 


 先月、一家は日本に帰国。日本棋院は採用にあたって菫さんに張栩(ちょうう)名人(38)と対局させた。あらかじめ下手が盤上に石を置き、圧倒的に有利な状態で打ち始める「置碁(おきご)」ではなく、より互角に近い「黒番逆コミ」の手合で打ち、引き分けに持ち込んだ。「衝撃的でした。うわさには聞いていたが、想像以上にすごい子。小学生時代の井山(裕太五冠)さんと打ったことがあるが、当時の彼より上をいっている」と張名人は言う。


  〔朝日新聞デジタル1/5() 14:38配信〕


 


……新しき時代の浪曼主義者ロマンチシストは三汀久米正雄である。「涙は理智の薄明り、感情の灯し火」とうたえる久米、真白草花の涼しげなるにも、よき人の面影を忘れ得ぬ久米、鮮かに化粧の匂える妓の愛想よく酒を勧むる暇さえ、「招かれざる客」の歎きをする久米、――そう云う多感多情の久米の愛すべきことは誰でも云う。が、私は殊に、如何なる悲しみをもおのずから堪える、あわれにも勇ましい久米正雄をば、こよなく嬉しく思うものである。


 


この久米はもう弱気ではない。そしてその輝かしい微苦笑には、本来の素質に鍛錬を加えた、大いなる才人の強気しか見えない。更に又杯盤狼藉の間に、従容迫らない態度などは何とはなしに心憎いものがある。いつも人生を薔薇色の光りに仄めかそうとする浪曼主義ロマンチシズム。その誘惑を意識しつつ、しかもその誘惑に抵抗しない、たとえば中途まで送って来た妓と、「何事かひそひそ囁き交したる後」莫迦莫迦しさをも承知した上、「わざと取ってつけたように高く左様なら」と云い合いて、別れ別れに一方は大路へ、一方は小路へ、姿を下駄音と共に消すのも、満更厭な気ばかり起させる訳でもない。


私も嘗て、本郷なる何某と云うレストランに、久米とマンハッタン・カクテルに酔いて、その生活の放漫なるを非難したる事ありしが、何時か久米の倨然たる一家の風格を感じたのを見ては、鶏は陸(くが)に米を啄(ついば)み家鴨は水に泥鰌(どじょう)を追うを悟り、寝静まりたる家家の向う「低き夢夢の畳める間に、晩くほの黄色き月の出を見出でて」去り得ない趣さえ感じたことがある。


 


愛すべき三汀、今は蜜月の旅に上りて東京にあらず。…………


 


二日は例年のようにSIIKTKの諸氏とS夫妻が年賀に見え、午後は彼らと雑談で過ごしました。


昨日三日は道子の84歳(亥年)の誕生日でした。正月三が日の生まれとあって誕生日祝いはしてもらったことがないといいます。テレビの箱根駅伝で1日を過ごしました。


ウェブニュースより


東海大が初の箱根総合優勝、青学の5連覇阻む ―― 第95回東京箱根間往復大学駅伝競走(関東学生陸上競技連盟主催、読売新聞社共催)は3日、神奈川県箱根町の芦ノ湖駐車場入り口から東京・大手町の読売新聞社前までの5区間、109.6キロで復路が行われ、往路2位の東海大が8区で東洋大を逆転し、大会新記録の10時間52分9秒で初の総合優勝を果たした。史上3校目の5連覇を狙った青山学院大は復路を制したが、往路6位と振るわなかったのが響き、総合2位だった。


 


東洋大と1分14秒差でスタートした東海大は、8区の小松陽平(3年)が22年ぶりの区間新記録となる1時間3分49秒をマークして先頭に立ち、逃げ切った。最優秀選手(金栗かなくり杯)には小松が輝いた。   (YOMIURI ONLINE 20190103 1923分)


 


ウェブニュースより


藤井聡太七段、“現役最強”豊島将之二冠に快勝! 2019年も大活躍の予感/将棋・新人王戦優勝記念対局 ―― 2019年も新たな“藤井フィーバー”到来を予感させる快勝劇だ。将棋界の最年少棋士・藤井聡太七段(16)が、“現役最強”との呼び声高い豊島将之二冠(28)と、新人王戦優勝記念対局で、89手で勝利した。昨年10月に優勝した新人王戦の優勝者が、トップ棋士と対戦する企画で、藤井七段は8つあるタイトルのうち、唯一複数冠を持つ豊島二冠に対して、相手の得意な戦型に果敢に飛び込むと、新たな工夫を繰り出して快勝。周囲からはタイトル獲得の最年少記録を期待される中、その可能性を大いに感じさせる勝利を挙げた。


 


確実に、天才棋士は将棋界の頂点に近づいている。そのことを証明するには十分な勝ちっぷりだった。非公式戦の記念対局とはいえ、最年少の天才棋士と、昨年初タイトルから一気に複数冠を手にした実力者の対決。AbemaTVで解説を務めた森内俊之九段(48)も、「今、最前線で戦われている2人の対局」と注目していた。その言葉どおり、戦いも現在の将棋界の最先端トレンドを行くものが採用され、その中にお互いの工夫が織り交ぜられた。この状況で、輝く一手を指し続けたのは藤井七段だった。森内九段が「本当に完璧な指し回し。見ていて本当に強いなと思いました。今年の活躍を予感させる対局だったかと思います」と絶賛する、会心譜となった。


https://www.youtube.com/watch?v=Ka-wHv-i_ME


対局後、藤井七段は公式戦、非公式戦で1回ずつ負けていた豊島二冠について「先の(8月の)棋王戦の時は完敗してしまって、豊島先生の強さというのは、普段の棋譜からも非常に感じていました」と語ると、「思い切りぶつかっていこうという気持ちで臨んだんですけど、もしかしたら本局も少し指せる展開になったかなというところで、なかなかそうはならなかったので、やはりそのあたりは、豊島先生の強さを感じました」と、快勝の中にも実力者の強さを肌で感じた。また豊島二冠は「序盤から押されるというか、棋王戦の時は割と自分の方がペースを握っていたと思うんですけども、今回の将棋は難しいような気もしたんですけど、自信がない局面が続きました」と16歳の天才の力を認めた。


今年は屋敷伸之九段(46)が持つ最年少でのタイトル挑戦(1710カ月)、さらには挑戦だけでなくタイトル獲得(186カ月)の記録更新が期待される藤井七段。今年もその右手から放たれる一手に、目が離せない。   (AbemaTIMES 1/1() 17:50配信 )


 


皆さんおめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。


新聞によると東京の元旦の日の出は6時50分、初日が見られるのは30分ほど遅れます。午前7時に家を出て、隅田川に出てみました。遊歩道沿いの堤防に沿って、初日の出をカメラに収めようと沢山の人が並んでいます。


 


何とか列の中に割り込んで、初日の出を待ちました。7時30分、やっと初日見れました。俳句もどきのものを作ってみました。どうぞお笑いください。


 


 


年賀のメールが入りました。いずれも水門会のメンバーからです。一つに曰く、


あけましておめでとうございます


お健やかで お幸せな一年でありますように


本年もどうぞよろしくお願いいたします。


台風や竜巻など災害が多発し 郷里でも被害を受けましたので


修復は子供にまかせ 隠居することにしました。


平成も終わりますが まだまだこれからですね。


2019年 元旦


NI



 添付の写真は ”近江彦根城 玄宮園から天守閣を望む” です


 


今一つに曰く、


あけましておめでとうございます。


平成も残り少なくなりますね。


お互い87歳を迎えます。


静かにして穏やかに日々を達者で過ごしましょう。


門司の連中ものどかに1日を大事に送っております。


時々メールしましょう。


平成311月正月


MN


 


今日は親父の命日です。


敗戦の年の昭和201945)年、私は13歳であったから、73年も前の事です。私の一家の門司の家は強制疎開にあい広島県の三次町の郊外の農家に借りた木小屋に床上げをして12畳の畳を敷いた粗末な、隙間から風が吹き抜ける部屋に祖母・父・母・長兄・姉・私の人が犇めくようにして暮らしていました。


父はずっと寝たきりの病人でしたが、町から5キロメートルも離れており、十分に医者に診せることも叶いませんでした。遺体になってからの診断によると死因は「肺結核」とありました。


近くの寺のお坊さんに来てもらって、家族5人と2・3の近所の農家の人が来てくれて、それこそ簡単な葬式を済ませました。


近所の大工さんに頼んで、棺桶と骨入れの木箱を作ってもらいました。


柩と農家から買い求めた薪を大八車に乗せ三次中学(現在の三次高校)の裏手にある火葬場まで、長兄が牽く大八車の後を姉と私が押しながら運びました。火葬場とはいっても、遺体を焼く窯が2つだけあり、焼くのに1晩中かかりました。


 


三次に確かに檀家寺があることは判っていたのですが、祖母は半分惚けて判らず、後日九州の伯母からその場所を聞き出すことができ、木箱に入れたお骨を骨壺に移し、日高家の墓に埋葬できました。


 


広島の木小屋で暮らした祖母は勿論、母も長兄も姉ももう逝ってしまい、当時を知るものは私一人だけになりました。


 


ウェブニュースより


将棋の藤井七段、2018年を白星で締める 勝率8割超 ――将棋の高校生棋士、藤井聡太(そうた)七段(16)が28日、大阪市福島区の関西将棋会館での第45期棋王戦(共同通信社主催)の予選で、村田顕弘(あきひろ)六段(32)に84手で勝ち、2018年の年内最終戦を白星で飾った。藤井七段の18年度の成績は38対局、32勝6敗、勝率8割4分2厘となった。


 


対局は午前10時に始まり、午後5時20分に終局した。


https://www.youtube.com/watch?v=esGrld3K4Zo


終局後、藤井七段はこの1年を振り返り、「朝日杯将棋オープン戦と新人王戦、二つの棋戦で優勝できたのは大きな収穫だった。一方、自分の至らないところを改めて認識させられた将棋も何局かあった。来年は、見つかった課題を克服していける1年にしたい」と述べた。   (朝日新聞DIGITAL 201812282040分)


 


プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
92
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


小冊子の紹介
カレンダー
10 2024/11 12
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
最新コメント
[m.m 10/12]
[爺の姪 10/01]
[あは♡ 09/20]
[Mr.サタン 09/20]
[Mr.サタン 09/20]
[ままだいちゅき 09/20]
[ままだいちゅき 09/20]
[ままだいちゅき 09/20]
[爺 09/20]
[ままだいちゅき 09/20]
最新トラックバック
ブログ内検索
カウンター
Powered by ニンジャブログ  Designed by ゆきぱんだ
Copyright © 瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り All Rights Reserved
/