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 2月3日のブログ蘇軾と王安石の詩を取り上げましたが、この2人の関係について調べてみました。

 

蘇軾の生きた時代の官界は、新法派と旧法派の対立で明け暮れていました。旧法派の蘇軾は新法派が有力なときには、難を逃れて地方勤務を希望し、旧法派が有力になると中央に召しだされて重要な官職についたりしました。/しかし両者の対立はそのうちに、政策をめぐるものよりは、単なる勢力争いに堕していったようです。蘇軾は新法派から迫害されるばかりでなく、旧法派からもひどい目にあったりしたといいます。/それ故蘇軾の生涯は、短い期間の順調な日々を除けば、追放と左遷の連続だったようです。最後には海南島という当時の中国にとっては最果ての島に流され、流謫のうちに死を迎えることとなるのです。

 それにも拘わらず、蘇軾の生涯は、常に楽天的であったともいえるのです。人生を肯定的に生きようとする姿勢に貫かれていたようです。王安石に対する態度も、これを個人的な次元で見れば、政敵に対するものではなかったようです。政治的な立場を異にし、それがもとで時には迫害を受けた相手ではありましたが、蘇軾は常に王安石を人生の先輩として、また芸術上の素晴らしいパートナーとして接していたようです。

 そんな二人にとって、象徴的なやり取りがありました。元豊七(1084)年黄州に流罪されていた蘇軾は流罪先が汝州に変更になります。汝州は黄州よりは都に近いから、減刑という見方もありますがいずれにしても流罪のままだったのです。

 その汝州へ向かう途中、蘇軾は金陵(南京)に隠棲していた王安石を訪ねました。その時の王安石は病床にありましたが、蘇軾の訪問を喜んで詩を贈ったといいます。

 

  北山  王安石

北山輸緑漲横陂  北山緑を輸(いたし)横陂漲る

直塹回塘艶艶時  直塹 回塘 艶艶たる時

細數落花因坐久  細かに落花を數ふるは坐すること久しきに因る

緩尋芳草得歸遲  緩やかに芳草を尋ねて歸ること遲きを得たり

  北山は緑豊かに田んぼには水が漲っている、

  まっすぐな堀、丸い池がつややかな季節、

  落花をひとつひとつ数えたのも君と長く一緒にいたおかげ、

  ともに遅くまで芳草を訪ねて歩いたものですね

 

 これに対して蘇軾は、王安石の詩に次韻して答えました。

次荊公韻, 蘇軾

騎驢渺渺入荒陂  驢に騎り渺渺として荒陂に入る

想見先生未病時  想見す先生未だ病ざりし時を

勸我試求三畝宅  我に勸めて試みに三畝の宅を求めしむ

從公已覺十年遲  公に從ふこと已に十年の遲きを覺ゆ

ロバに乗ってゆったりと田圃道を尋ねましたね、

思い出すのは先生がまだ若かったころのこと、

私に三畝の宅を求めなさいと勧めてくれましたね、

あなたと合うのが10年遅かったのが悔やまれます。

 

蘇軾には、どんな逆境にあっても、与えられた日々を前向きに生きようとする気概のようなものがあったのでしょうね。
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