瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 ここのところ、早朝の徘徊は冷え込みがひどいので、朝食後にしています。

 早や今年も2月。11月頃から、隅田川の遊歩道を彩る草木が少ない中、山茶花(さざんか)の艶やかな花が眼を楽しませてくれていましたが、これも終わりに近づいたと見えて花の数もめっきり減ってきたようです。山茶花は、花の無い時期に咲く貴重なツバキ科ツバキ属の耐寒性常緑高木です。 花の色には桃色、赤、白等がありますが、同属同科の椿 (ツバキ)と似ており、見分け方が難しいようです。 山茶花は、葉の縁がギザギザしており、花弁がバラバラに散るので、地面に落ちた花びらで確認するのも一つの方法です。山茶花も、椿と同様に、実がなり、油も採取されます。

 

天保期の俳人成田蒼虬(なりたそうきゅう)の句に、「山茶花を椿ときくも草枕」というのがあります。

冬の旅にでかけた蒼虬宗匠は、とある町を散策していたところ、真っ赤な花を咲かせる垣根の横にさしかかります。通りすがりの人の声が聞こえてきました。「きれいな椿が咲いている。寒椿だな」宗匠が見ると葉は縁がぎざぎざとして、落ちた花びらはバラバラと散っています。「これは椿じゃありませんよ。さざんかですよ」と教えてやりたいのだが、(まぁ、せっかく風情を感じておられるのに、口出しすることもなかろう。これも旅の思い出、黙ってることにするか…) とはいえ、どこか気になって仕様がない。……というような場面が想像できます。

※成田蒼虬〔1761(宝暦11)~1842(天保13)年〕:江戸後期の俳人。通称は彦助。本名は久左衛門利定。加賀藩士で、金沢の人。弓馬術の達人であったといいます。1790(寛政2)に京都の高桑闌更(らんこう、172698年)に師事し,洛東山双林寺中に住みました。師の没後遺志に従い,芭蕉堂2世を継ぎました。のち南無庵と称し,桜井梅室(17691852年)とともに京俳壇を二分する地位につき,田川鳳朗(ほうろう、17621845年)を加えて天保の三大家と言われました。
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