月日の経つのは早いもので今日はマイチの3回忌です。未だに彼が鬼籍にあるとは思えません。明日にでも我が家を訪ねてくれるような気がしています。
早朝の冷え込みもいくらか和らぎ始めたので、目覚めた時の様子で、早朝徘徊に出かけてみることにしています。まあ、ゆっくり歩いて2時間ばかりの散策で、朝のひんやりした空気が1日を引き締めてくれるように思えます。
隅田公園の我が家から、石浜通りを渡ったところに小さな梅園がありますが、徘徊の終りに此処を通ると、甘酸っぱい梅の香りがふわっと漂ってきます。紅梅、白梅、一重、八重、さまざまな種類の梅が、まだ冷たい風の中、がんばって可憐な花を咲かせているのを見ると、ついアップで写真を撮りたくなります。
梅花 高啓
瓊姿只合在瑤臺 瓊姿(けいし)只合(まさ)に瑤臺(ようだい)にあるべきに
誰向江南處處栽 誰ぞ江南に向いて処処に栽(う)うる
雪満山中高士臥 雪満ちて山中高士臥(が)し
月明林下美人来 月明らかにして林下(りんか)美人来たる
寒依疎影蕭蕭竹 寒は依る疎影(そえい)蕭々たるの竹
春掩残香漠漠苔 春は掩(おお)う残香漠々たるの苔
自去何郎無好詠 何郎去りて自(よ)り好詠無し
東風愁寂幾回開 東風愁寂(しゅうせき)幾回か開く
玉のような美しい姿をした梅花は月の仙宮にあるべきなのに、誰がこの梅の木を江南の処処に栽えたのだろう。
梅花が咲くと雪が山を真っ白にしたように見え、袁安の故事から高士が梅花の雪中に臥しているように思われる。
月明らかな時には趙師雄が樹下に芳香の美人と共に酒を酌み,醒めれば梅花の大樹下に横たわっていたという故事を思って梅花を見る。
寒中に竹は蕭蕭として梅枝の疎影により添い、春 吊残の香が一面の苔を被っている。
梅花を賞賛した何孫が去って以来、梅に就いての好い歌は生まれない。
ただ東風は年ごとに愁いを帯びて吹くばかり、梅の花は何回咲き、また散ったであろう。
※高啓(こう けい、1336~1374年):中国・明代初期の詩人。字は季廸(きてき)、号は青邱(せいきゅう)。江蘇省蘇州の出身。明の詩人では最も才能に恵まれ、この世のあらゆる対象を約2000首の詩に表した。詩の意味は平明、表現は淡泊であるが、夭折のため独自の風格を示していない。日本では江戸時代と明治時代を通じて愛唱された。著に『高太史大全集』18巻、『高太史鳧藻(ふそう)集』5巻、『扣舷集(こうげんしゅう)』1巻がある。「青丘子歌」には自己の文学論が述べられており、森鴎外に文語調の訳詩がある。
※何郎: 何遜(かそん、518没)のこと 南朝梁の鄙(たん)の人で梅を好んだ 「郎」は男子 青年 わかもの
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