今日は「建国記念日」です。「建国記念の日」と定められた2月11日は、かつての祝祭日のひとつ、紀元節でした。紀元節は、『日本書紀』が伝える初代天皇である神武天皇即位の日として、1872年(明治5年)に制定されたのだそうです。
爺が小学生の頃にはこの日は祝日でしたが、午前中は紀元節を祝う式があり、「紀元節の歌」を歌わされました。
一、雲に聳(そび)ゆる高千穂の
高根おろしに草も木も
なびきふしけん大御世(おおみよ)を
仰ぐ今日こそたのしけれ
二、海原なせる埴安(はにやす)の
池のおもより猶(なお)ひろき
めぐみの波に浴(あ)みし世を
仰ぐ今日こそたのしけれ
三、天つひつぎの高みくら
千代よろずよに動きなき
もとい定めしそのかみを
仰ぐ今日こそたのしけれ
四、空にかがやく日のもとの
よろずの国にたぐいなき
国のみはしらたてし世を
仰ぐ今日こそたのしけれ
http://www.youtube.com/watch?v=OdM4dK5wrm8
紀元節復活に向けた動きは、1951年(昭和26年)頃から見られ、1957年(昭和32年)2月13日には、自由民主党の衆議院議員らによる議員立法として「建国記念日」制定に関する法案が提出された。しかし、当時野党第1党の日本社会党が保守政党の反動的行為であるとして反対した為、衆議院では可決されたものの、参議院では審議未了廃案となりました。
その後、「建国記念日」の設置を定める法案は、9回の提出と廃案を繰り返すも、成立には至りませんでした。結局、名称に「の」を挿入した「建国記念の日」として“建国されたという事象そのものを記念する日”であるとも解釈できるようにし、具体的な日付の決定に当たっては各界の有識者から組織される審議会に諮問するなどの修正を行い、社会党も妥協。1966年(昭和41年)6月25日、「建国記念の日」を定める祝日法改正案は成立したのです。
憲法第9条の解釈を変えて、集団的自衛権の行使を認めるべきだと主張する政党が人気を博し、マスコミ各社の事前調査でもその政党が支持する候補者の勝利が初めから予想されていたのですから、外国から「右傾化」を指摘されても仕方がありませんわ。
自民、保守票流出を警戒 安倍首相と重なる主張 都知事選 ―― 舛添要一氏を支援した自民党は、田母神俊雄氏が得た60万票余りに、「30万票は出ると思ったが、驚きだ」とショックを隠さない。「ネット保守」だけでなく、安倍晋三首相を支持する保守票も流れたとみて警戒する。/「田母神氏は、自民党の政策に全面的に賛意を示していた。自民党支持者の一部が流れるのは起こりうることだ」。石破茂・自民党幹事長は10日の会見で、選挙結果をこう評した。/だが選挙中、自民党幹部の関心は「脱原発票」に加えて、「田母神票」の行方にも集まっていた。/安倍首相は実は舛添氏ではなく、田母神氏を応援している――。そんなうわさがネット上で盛んに流されていたからだ。田母神氏自身、演説で「安倍さんは本来はわたしを応援したかった」と繰り返した。/2日、東京・銀座の繁華街で首相と山口那津男・公明党代表が舛添氏と並び立った。陣営幹部は、田母神陣営の動きを念頭に「首相は舛添支持としっかりアピールしないといけない」として、首相の応援演説を強く進言したと明かす。/それでも保守票の流出は止められなかった。/こうした思惑が交錯するのは、安倍首相と田母神陣営をつなぐ「線」があるからだ。田母神陣営に加わった国会議員には、安倍首相が会長を務める保守系政策集団「創生日本」のメンバーもいた。憲法改正や靖国神社参拝など保守色の強い主張で共鳴する存在だ。同最高顧問の平沼赳夫・日本維新の会国会議員団代表のほか、安倍政権がNHK経営委員に起用した作家の百田尚樹氏も応援に立った。/こうした奇妙な「線」に、小沢一郎・生活の党代表は10日の会見でこう語った。「世の中が不安定になればなるほど、極端な意見が出てくる。安倍政権がまた、そういう考え方を助長している」 (朝日新聞デジタル 2014年2月11日05時00分)
sechin@nethome.ne.jp です。
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