4月1日午前11時40分すぎ、菅官房長官が平成に代わる次の元号を「令和」と発表しました。
その直後、日本語学者の金田一秀穂氏は、新しい元号「令和」の第一印象を次のように語りました。
金田一秀穂氏:「令」というのは、古い意味では“神様のお告げ”という意味。そして、“皆が仲良く“ということなんだろうと思います。いい言葉なのではないでしょうか。悪くないですよ。ただ、「和」は昭和の「和」だったから、そういうのは選ばれないのかなと思っていましたけれど。
新元号の「令和」は、8世紀に完成し、さまざまな身分の人が詠んだ4500首以上を収録している日本最古の和歌集『万葉集』(巻5・815~846)の梅花の歌を出典としています。
この和歌を書いたのは大伴旅人とも山上憶良ともいわれていますが、他の人ともいわれており、歴史上作者不明となっています。しかしながら、この歌が発想された場は判明しており、天平2年(730年)正月13日に大宰府の長官ともいえる大宰帥の大伴旅人の家に集まり、梅を楽しんだ際に生まれたとされています。
梅花謌卅二首并序
標訓 梅花の歌三十二首、并せて序
天平二年正月十三日、萃于帥老之宅、申宴會也。于時、初春令月、氣淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香。加以、曙嶺移雲、松掛羅而傾盖、夕岫結霧、鳥封穀而迷林。庭舞新蝶、空歸故鴈。於是盖天坐地、促膝飛觴。忘言一室之裏、開衿煙霞之外。淡然自放、快然自足。若非翰苑、何以濾情。詩紀落梅之篇。古今夫何異矣。宜賦園梅聊成短詠。
訓読 天平二年正月十三日に、帥
の老の宅に萃まりて、宴會を申ぶるなり。時、初春の令き月にして、氣淑く風和み、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫す。加以、曙の嶺に雲移り、松は羅を掛けて盖を傾け、夕の岫に霧結び、鳥は穀に封められて林に迷ふ。庭には新しき蝶舞ひ、空には故つ鴈歸る。於是、天を盖とし地を坐とし、膝を促け觴を飛ばす。言を一室の裏に忘れ、衿を煙霞の外に開く。淡然と自ら放にし、快然と自ら足る。若し翰苑に非ずは、何を以ちて情を濾べむ。詩に落梅の篇を紀す。古と今とそれ何そ異ならむ。宜しく園の梅を賦みて聊かに短詠を成すべし。
現代語訳 天平二年正月十三日に、大宰の帥の旅人の宅に集まって、宴会を開いた。時期は、初春のよき月夜で、空気は澄んで風は和ぎ、梅は美女が鏡の前で白粉で装うように花を開き、蘭の香りは身を飾った衣に香を薫ませたような匂いを漂わせている。それだけでなく、曙に染まる嶺に雲が移り行き、松はその枝に羅を掛け、またその枝葉を笠のように傾け、夕べの谷あいには霧が立ち込め、鳥は薄霧に遮られて林の中で迷い鳴く。庭には新蝶が舞ひ、空には故鴈が北に帰る。ここに、天を立派な覆いとし大地を座敷とし、お互いの膝を近づけ酒を酌み交わす。心を通わせて、他人行儀の声を掛け合う言葉を部屋の片隅に忘れ、正しく整えた衿を大自然に向かってくつろげて広げる。淡々と心の趣くままに振る舞い、快くおのおのが満ち足りている。これを書に表すことが出来ないのなら、どのようにこの感情を表すことが出来るだろう。漢詩に落梅の詩篇がある。感情を表すのに漢詩が作られた昔と和歌の今とで何が違うだろう。よろしく庭の梅を詠んで、いささかの大和歌を作ろうではないか。
隣接した水城小学校との境に、旅人が妻を亡くしたときに詠んだ歌に出てくる楝(センダン)の木があったくらいで、今は昔を忍ぶよすがもない有り様です。
でも、懐かしい場所が再発見されたようで嬉しいです。安倍さんに感謝すべきかなぁ。
σ(^_^;
一つだけ、「蘭薫珮後之香」の訳がおかしいのでは。NHKの7時のニュースでもごまかしていたけど、ここは梅と蘭を対比させていて、蘭が薫っているのではないかと。あくまでも文学的修辞でしょうが。
万葉集久しぶりに開くかなぁ…みんな同じ事考えてるでしょうね。
平成が無事終わり、令和が幸多いことを祈ります。
sechin@nethome.ne.jp です。
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