瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 昨日の午後、kanami女史が手作りのケーキを持って訪ねてくれました。ペン習字を習っているとかで、漢字の崩しからどのようにひらがなが作られたのかという話になりました。いやはや、何かの弾みにかつてkanami女史がまだ麗しき乙女であった頃、天皇誕生日に、天皇の誕生を祝うつもりで、「ハッピ バースデー 天ちゃん」と歌ったところ、日頃大変可愛がってくれていた明治生まれの大伯母から大目玉を喰らったという話を披露してくれました。爺もついつい調子に乗って、まだ20代の頃に歌っていた「君が代ブギ」なるものを披露してしまいました。不敬罪に相当しますので、ここでは歌詞をそのまま披露することは出来ませぬが、内容は君が代の歌詞をそのまま借用したもので、さざれ石が巌となってごろごろと転がる表現があり、天皇様にも日頃の堅苦しい仕事から離れて、われわれ庶民と同じ様に一緒に歌ったり踊ったりして欲しいという願いをこめたものです。

女史が自宅のマンションの前に自分が植えたマーガレットが今満開なので、朝の徘徊の折にでも見て欲しいとの事であった。

 

 今朝は徘徊の終りに山谷堀公園をぬけて、kanami女史の住まうマンション前を通って、吉野通りを南下して帰宅した。

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つぶやき55
日高先生
 こんにちは。マーガレット、早速見に来て下さったのですね。
写真まで撮って下さり嬉しいです!!
昨日教えて頂いた事、つぶやき55「暗号文」です。

 先生「色はにほへど…もとの漢字書けるかい?」
私「う~ん書いてみます」とチャレンジしてみましたが、
書けたのは14個だけでした。
い(以)・ろ(呂)・は(波)・に(仁)・ほ(保)・へ(部)
と(登)・ち(知)・り(利)・ぬ(奴)・る(留)・を(遠)
わ(和)・か(加)・よ(与)・た(太)・れ(礼)・そ(曽)
つ(川)・ね(祢)・な(奈)・ら(良)・む(武)・う(宇)
ゐ(為)・の(乃)・お(於)・く(久)・や(也)・ま(末)
け(計)・ふ(不)・こ(己)・え(衣)・て(天)・あ(安)
さ(左)・き(幾)・ゆ(由)・め(女)・み(美)・し(之)
ゑ(恵)・ひ(比)・も(毛)・せ(世)・す(寸)・ん(无)

と先生は赤ペンで もとの字→崩し字→平仮名 を書いて下さり、
正解が記載されている本の一ページをコピーして手渡して
下さいました。ありがとうございました。
 帰宅してから「面白かったなぁ」としばらく練習し、今度は
50音順に書けるか試してみました。やはり「つ」が「川」、
「ね」が「祢」が難しかったのですが、とうとう書けるように
なりました。
 現代では「平仮名は昔の女性が漢字を書き易いように変化
させていったものだ」という事実を知らないお若い方も
少なからずいるそうです。
 暗号文もどきを書いてみたくなりました。
以川毛安利加登宇己左以末寸          Kより
K 2014/04/17(Thu) 編集
つぶやき56
日高先生
 こんにちは。つぶやき56「麗しい」です。
 
 ブログを拝読していて思い出した事があります。
先生もご存じの通り、私は跡見学園卒業です。
卒業生はそれぞれ自分たちに「○○会」という名前を付けます。
私達はちょうど第100期卒業だったので「百」の字を入れた名に
しようと皆で知恵を出し合いました。
先生に感謝を込めて「礼」の字を使おうかなど、色々と候補が
上がり、決めた漢字が何だったのかは忘れてしまいましたが、
「百礼会」とかいう事にしました。
すると先生方は「レイ」は「麗じゃないのかい?」と。
私達は「あ!それがいい、百麗会でハクレイカイ、素敵!」
最終的に自画自賛の名前を付けました。
しかし自分たちに「麗」の字を使うとは大それた事をしたな、
と思いつつも気に入っています。
その名に恥じぬよう生活したいものですが…。
 いつもお読み下さりありがとうございます。   Kより
K 2014/04/18(Fri) 編集
つぶやき57
日高先生
 こんにちは。つぶやき57「塾臨」です。

 夏が来るからでしょうか。急に懐かしくなり塾臨の文集を
出し、久しぶりに一日中読みふけっていました。
私が短大2年生の時、日高先生をはじめ多くの先生方にご迷惑を
かけてしまった事を思い出しました。
臨海学校は「先発」から「居残り」まで23日間ほどありましたが
この年、私は11日間しか参加出来なかったのです。
今になって「あああ、もっと責任を持って、数か月先の事を
キチンと考えて行動すれば良かった」とただただ反省するばかり
です。本当に申し訳ありませんでした。
 その年に私が書いた作文の一部にこんな記述がありました。
少々下品な内容ですが、平にご容赦下さい。笑読(消毒)して
下されば幸いです。

 私は2学年上のJ先生と買い物に行きました。
J先生「スーパーあおきに行きたいんだけど」
私「いいよ」 J先生「待たせることになるけど…」
私「何買うの?」 J先生「トイレへちょっと…」
私「大?」 J先生「うん…」
私「もー早く言ってきてよー」と一人、車外で待っていました。
すると何を勘違いしたのか男性が私に声をかけてきました。
男性「ねぇねぇ、どこに泊まってんのぉ?」
私「お寺」 男性「え?そ、そうなんだぁー友達とぉ?」
私「まぁね」 男性「今、何してんのぉー?」
私「宇无知してる人、待ってるの」 男性「……」
そしてそのひとは去って行きました。

 文集を読み返してみると当時の楽しかった事、大変だった事
などが映像として浮かんできます。
肥溜くみをするチャンスを得たからこそ、私に「運」が
ついて来るのだと勝手に信じています。
兼愛塾なしでは現在の私は存在しません。
先生に感謝するばかりです。ありがとうございます。 Kより
K 2014/04/19(Sat) 編集
つぶやき58
日高先生
 こんにちは。つぶやき58「ポッキー」です。

 つぶやき53でも書きましたが、補足します。
1988年(昭和63年)7月23日の夜、長松寺にて孝経の一節を
「寝台白布これを父母に受く 敢て起床せざるは孝の始めなり」
とシャレて教えて下さいました。
翌7月24日、S先生が外出している間に日高先生は、縁の下から
尋常ではない長い長い竿をたくさん出して、物干場に運び終えて
しまわれました。
 私はその情景を帰宿したS先生に「Sちゃん塾長すごいよ。
あれ全部運んだのよ。ここから見ているとアリがポッキーを
運んでいるみたいだった」と発言しました。
この時、私は短大2年生、二十歳の夏でした。
いくら「働き者」の比喩表現だったとはいえ、日高先生を蟻に
例える…。なんて失礼な事を言ったんだろうと今は顔から火が
出そうになりますが、当時の私は恥ずかしながら全てこんな
調子だったのでしょう。25年前の話しです。
 どこかでお菓子のポッキーを見かけるたびに、私は笑顔に
なりそうです。
 いつもお読み下さりありがとうございます。   Kより
K 2014/04/20(Sun) 編集
プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
92
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


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