一昨日は下関在住の次兄が上京して、内儀(かみ)さんの姉上であるK家に滞在していると言うので、小田急線の玉川学園まで出かけました。9時に我が家をでて、地下鉄銀座線で神田でJRに乗り換え、神田から中央線で新宿に出て、小田急で新百合ヶ丘で乗り換え、玉川学園まで、1時間50分かかりました。
まあ、久し振りの対面で、話は弾み、午後3時にK家を辞去し、帰宅したのは午後5時でした。
浅草は一昨日から、三社祭で繁華街は大変にぎわったようです。まあ、祭りと言っても我が家は何時もと余り変わりなく、昨日・今日と早朝徘徊に出かけ、パソコンで婆様の叔母STさんの日記の整理をしました。SDに収納されているものをワードに打ち出すのですが、何回も失敗を繰り返し、やっとのことでどうやらパソコンに収納できそうです。あれやこれやで、昨日は1日が終わってしまいました。
夕刻、町内神輿が家の前を通ったので、写真を撮ろうと玄関に出ると塾友である法被姿のEU女史に声をかけられました。いやぁ、何年振りでしょう、すっかり良妻賢母の様相が読み取れました。
今朝のウェブニュースを見ていると、今朝の東京新聞に塾友で、浅草の芸者さんをやっているKK(芸名は「乃り江」姐さん)女史の記事が出ていたので、紹介します。
花街の粋 魅了 三社祭恒例 芸者衆が「くみ踊り」 ―― 浅草神社(台東区)の三社祭は2日目の17日、氏子44カ町の神輿(みこし)約100基が街中を練る「町内神輿連合渡御(とぎょ)」が行われた。同じころ、神社の北にある東京浅草組合(浅草見番)では、芸者衆による三社祭恒例の「くみ踊り」が披露され、約130人が粋な舞を堪能した。/三社祭にとって、浅草花街は切っても切れない存在だ。第二次世界大戦で途絶えていた三社祭が復活したのは一九四八年。本社神輿が空襲で焼失し、担ぎ手も少なかった当時、「人々の心を奮い立たせよう」と、芸者衆や料亭などでつくる浅草三業組合が協力。大提灯(ちょうちん)を浅草寺に奉納し、祭りにちなんだ振り付けや曲目を取り入れた「くみ踊り」を始めた。/こうして三社祭は復活。原点の「舟祭」から数え、約七百年の歴史をつないできた。/大提灯は七年前、浅草寺二天門が改修工事に入った際に撤去され一つの時代の役目を終えたが、「くみ踊り」は数年前から一般公開され、勇壮な神輿と並ぶ祭りの“華”として人気を呼んでいる。/芸者衆が数人ずつ組になり、毎年振り付けや衣装を新調。てこ舞の芸者衆、幇間(ほうかん)(たいこ持ち)など、三組が出演する。三社祭は十八日午前六時から、クライマックスの本社神輿宮出しが行われる。「くみ踊り」で華麗な舞を披露した浅草っ子の乃(の)り江さんは「宮出し? 当然担ぎます。モチベーションが落ちないよう、今夜は寝ません」と笑った。/「くみ踊り」は十八日も午後一時から開催。会費五千円(飲み物、弁当付き)。午後三時からは浅草神社神楽殿でも舞踊を奉納する。 (東京新聞 5月18日掲載)
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