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 今朝の朝日新聞より

 高校生・太宰、左翼の証し 文芸誌「戦旗」購読の記録 プロレタリア文学、創作の足場紙面で読む ―― 作家太宰治「190948、本名津島修治)が旧制弘前高校在学中、伝説的な左翼文芸誌「戦旗」を購読していたことがわかった。大学時代の非合法の左翼活動については本物ではないと見る研究者もいたが、プロレタリア文学にじかに触れたことを示す資料が初めて見つかったことで、高校時代からの傾倒が裏付けられた。/斉藤利彦学習院大教授(教育史)が「官立弘前高等学校資料群」(弘前大付属図書館所蔵)を調べる過程で発見した。太宰の友人らが30年、治安維持法違反で逮捕された時の調書に、リーダー格の生徒らが「戦旗」を「津島」に配り集金したことが明記されていた。同図書館の長谷川成一館長によると、当時「津島」姓の生徒は太宰だけ。逮捕者は放校や退学処分になった。太宰が逮捕されなかったのは、青森県有数の資産家で県会議員の兄の存在が影響したのかもしれないという。調書は特高警察の尋問調書を写し取ったものとみられる。/〔戦旗〕は28年創刊。プロレタリア文学を代表する小林多喜二「蟹工船」や徳永直「太陽のない街」などを掲載。中野重治や大宅壮一らが執筆陣に名を連ねた。31年末まで続いたが、多くが発禁になった。/太宰は高校時代に実父をモデルに地主の腐敗を描いた「無間奈落」などを書いた。斉藤教授は、太宰が29年の「弘高新聞」文芸時評で「太陽のない街」を取り上げていたことも指摘。「危険を冒しても時代とつながろうとしていた。大地主の家に生まれた自己の存在について葛藤、プロレタリア文学を創作活動の足場にしようとした」とみる。/太宰は東京帝大進学後、非合法の左翼活動に参加するが、兄の説得や自殺未遂事件、結婚の破綻(はたん)も原因となりのちに離脱。その挫折と罪悪感は作品にも反映されている。太宰研究の第一人者、山内祥史神戸女学院大名誉教授は「太宰は真剣に左翼思想を持っていたと思われるが、文学的に自分を売り出す手段としただけとみる説もあった。今回の発見は、高校時代に実際に左傾していたと証明される貴重な資料だ」と話す。 (朝日新聞 2013921日)
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