瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 陶淵明の詩に次のようなのがあります。

人生無根蒂  人生は根蒂(こんたい)無く

飄如陌上塵  飄(ひょう)として陌上(はくじょう)の塵の如し

分散逐風轉  分散し風を追って転じ

此已非常身  此れ已に常の身に非ず

落地爲兄弟  地に落ちて兄弟と為る

何必骨肉親  何ぞ必ずしも骨肉の親のみならん

得歡當作樂  歓を得ては当(まさ)に楽しみを作すべし

斗酒聚比鄰  斗酒 比隣(ひりん)を聚(あつ)む

盛年不重來  盛年 重ねて来たらず

一日難再晨  一日 再び晨(あした)なり難し

及時當勉勵  時に及んで当に勉励すべし

歳月不待人  歳月 人を待たず

 

訳) 人の命は繋ぎとめる根も蔕(へた)もなく

   さっと散る路上の塵(ちり)のようなもの

   ちりぢりに風のまにまに転(まろ)びゆく

   そのときははや変わらぬ姿は保ちえぬ

   生れ落ちれば誰もが兄弟

   肉親の間だけの事ではない

   歓楽の時を得たなら楽しむのが当たり前

   器(うつわ)の酒に近所の人を集めよう

   若い世代は二度とはこない

   一日に二回の朝は訪れまい

   時にのがさず むだに過ごすな

   年月は人を待ってはくれまいぞ

 

※ 爺はこの詩の「時に及んで当に勉励すべし 歳月人を待たず」を、ずっと「過ぎた時間は二度ともどってこないのだから一生懸命勉強せよ」という意味に教わってきました。なんてツマンナイ意味なんでしょう。

 確かにこの部分だけ取れば「勉励すべし=努め励め」と取れるのですが、詩全体の文脈を見ると、「何に努め励むのか?」ハッキリしているじゃありませんか? 酒を飲んで、おおいに楽しむことに「努め励め」と奨めているのじゃありませんか。こんな「断章取義」には騙されないことですね。

 このアホな解釈をした人は、詩全体の意味を読み取っていないか、意図的に解釈を捻(ね」じ枉(ま)げたかのどちらかなのでしょう。

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