水門会の朋友(ポンユウ)から、メール・手紙等を頂いた。
9月5日〈木〉11:31受信 横浜のN氏よりメール ―― 原稿添付
日高 節夫 様/今朝は、関東じゅう、すごい雷鳴と豪雨だったが、ご尊家は異常はないか。お見舞い申しあげます。わたしは夢うつつで雷様のお怒りを聞いていた。朝ドラの最後の部分が一瞬、途切れたと思ったら、これが停電。あちこちの我が家の古い電気製品の時計がみんなゼロに戻って、正しい時刻を示さなくなった。バッテリーで動いている電気製品は、電気炊飯器ですら、停電に強いのに、交流電源に繋いでいる古い時計はいの一番に影響を受ける。/さて、きのうは半年待って、ようやく平常の興行形態に戻った新しい歌舞伎座に行ってきました。夜の部を見ました。/歌舞伎では、義太夫の床(ゆか)と長唄、清元、常盤津などの下座音楽がないと、それらしくないのだが、これからの新しい歌舞伎愛好家の層を開拓するつもりとかで夢枕獏に書かせた「陰陽師」全3幕の新作ものを夜の部にかけた。戦後、昭和26年、戦災の鉄骨をそのまま生かして復興させた歌舞伎座で、当時の市川海老蔵(のちの11代目市川団十郎)に光源氏を演じさせた「源氏物語(桐壺から明石まで)」のはとえらい違い。「人肉喰い(カニバリズム)」で人間離れした力を得た平将門が主人公。/それに娘の滝夜叉姫がからむ。滝夜叉姫は歌舞伎の1ジャンルで、おなじみで、杮落しの今年4月以降も、玉三郎が古御所の場をやっていた。/大工事で据え付けた廻り舞台はスピードも自由自在。確かに舞台転換は早くなった。照明も強弱自由自在、生火(かがり火など)は消防庁のお許しが出ないのでいまだに作りものだが、炸裂の照明効果は大きく進歩した。/幕間の食堂はまえの第四期歌舞伎座のほうが、断然よかった。そば、うどん、おでん定食、から吉兆まであったが、第五期の今回は花籠と吉兆のみ。吉兆なんかに行く身分ではないから花籠にいってみたが、3階昭和通りにの面した大部屋、ひとりだと近頃流行りの窓ぎわのカフェみたいな席、向かいの客と相席にはならない工夫。/舞台前の客席の数は1800席。80席ほど少し減らして全部で見よくし、場内の柱を取り払って、舞台を見るのに邪魔になる欠点は全部取り除いている。1階2等席で見るときにはこの2本の柱が邪魔になったことを思い出す。ただ、それだけに2階席が頭上にせり出していて台詞が聞こえにくくなったと感じるのは、当方が聴力減退を来しているからだとあきらめよう。/なんにせよ、3階席のおでん定食とビールの小瓶1本を懐かしがっている古い客は、まもなく死に絶えるから、今ふうに改造するのが「老いては子に従え」という世代間のあきらめかな。/来月は、ぜったいに義太夫と長唄のある芝居を見るぞ。/「八十路の水門」の原稿添付ファイルでお届けします。
9月6日〈金〉封書受領 福岡市在住のHH氏より―― 八十路の原稿添え書き
前略/先日は久々電話して貴兄のお元気そうな様子なによりでした。みなと外誌最後の投稿からはや7年を過ぎ、まるで「光陰矢の如し」の感が強く、この間、何をしていたのか思い出せないくらいの時の過ぎ行く早さです。/われら全員80才を過ぎ80路(イソジ)の晩年に入りました。Sから80路に入る最後の思いを文集にしようと、電話が二度もあり、東京の皆さんもその気になっていると聞いて、貴兄に電話で様子を聞いて確かめた次第です。60才、70才の区切りでも記念文集を出しているのだから、80路は最後の文集となるから、それもいい事だと思い、何か書いてみたいと思った。/私の原稿ですが、以前のように、一人旅・海・島の子とでも書いていれば無難ですが、その様なものを書く気になれず、やはり80才の今の思いを書いた。できるだけ短くしたのですが、なにか雑然とした線香くさいことばかりになりました。/諸兄の皆さんが現在どのような思いで生きられているのか気になり、また楽しみにしております。何分宜しくお願いします。/H25.9.5/HH
9月8日(日)9:28 携帯メール受信 宝塚市在住KS氏より
sechin@nethome.ne.jp です。
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