瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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  本日は新暦ではあるが、9月9日。重陽の節句である。
4a27d7bc.JPG 陰陽思想では奇数は陽の数であり、陽数の極である9が重なる日であることから「重陽」と呼ばれる。奇数  本日は新暦ではあるが、9月9日。重陽の節句である。
 陰陽思想では奇数は陽の数であり、陽数の極である9が重なる日であることから「重陽」と呼ばれる。奇数の重なる月日は陽の気が強すぎるため不吉とされ、それを払う行事として節句が行なわれていたが、九は一桁の数のうち最大の「陽」であり、特に負担の大きい節句と考えられていた。後、陽の重なりを吉祥とする考えに転じ、祝い事となったものである。邪気を払い長寿を願って、菊の花を飾ったり、菊の花びらを浮かべた酒を酌み交わして祝ったりしていた。また前夜、菊に綿をおいて、露を染ませ、身体をぬぐうなどの習慣があった。さらに、茱萸(グミではなくカワハジカミ)の実を入れた袋を肘に下げたり、郊外の丘など高い場所へピクニックに出掛け遠くを見る(これを登高と呼ぶ)ことが行われた。中国で重陽が正式な節句として認められたのは漢代であるというが、現在では、他の節句と比べてあまり実施されていないようである。
 
  九日藍田崔氏荘       九日 藍田の崔氏の荘
         杜甫
  老去悲愁強自寛  老い去(ゆ)きて悲愁(ひしゅう)に強(し)いて自ら寛(ゆる)うし
  興来今日尽君歓  興(きょう)来たりて今日(こんにち)ぞ君の歓(よろこ)びを尽くす
  羞将短髪環吹帽  羞(は)ずらくは短髪を将(もっ)て環(な)お帽(ぼう)を吹かるるを
  笑倩旁人為正冠  笑いて旁人(ぼうじん)を倩(やと)いて為に冠(かんむり)を正さしむ
  藍水遠従千澗落  藍水(らんすい)は遠く 千澗(せんかん)従(よ)り落ち
  玉山高並両峰寒  玉山(ぎょくざん)は高く 両峰(りょうほう)を並べて寒し
  明年此会知誰健  明年(みょうねん) 此の会 知んぬ 誰か健(けん)なるを
  酔把茱萸子細看  酔うて茱萸(しゅゆ)を把(と)りて子細(しさい)に看(み)る
 
〈訳〉年は取っても私は 悲しい秋に、無理にでも気持ちをゆったりもちたい
   面白い。今日はあなたのもてなしをじっくり受けるとしよう
   短くなった髪 風が帽子を吹き飛ばしりしたら恥ずかしい
   そばの人に頼んで冠をしっかりつけてもらうのもご愛嬌
   藍水は遠く千々の谷間の水を集めて流れ落ちてくる
   玉山は高く二つの峰と竝んで寒々とそびえている
   明年のこの日の集まりには誰がはたして達者でいるのやら
   私は酔い 茱萸を手にしてつくづくそれを見つめる
 
九月九日憶山東兄弟 九月九日山東の兄弟を憶う
          王維
 獨在異鄕爲異客  独り異郷に在って異客と為り
 毎逢佳節倍思親  佳節に逢う毎に倍(ます)ます親を思う
 遙知兄弟登高處  遥かに知る兄弟高きに登る処
 徧插茱萸少一人  遍(あまね)く茱萸(しゅゆ   
414d871b.JPG 作者王維が17歳で長安に留学した時の作。山東は函谷関以東の地で、作者王維の故郷を指す。9月9日の重陽の節句は重要な行事の一つで、人々は山や岡、または楼に登り菊花を浮かべた酒を飲み、茱萸の実の付いた枝を髪に挿して、厄除けをするのが例であった。
 

 「日本書紀」に、菊理媛という神名を通してキクの名が表れる。しかし、万葉集に菊は一首も詠まれていない。万葉集には166種類の植物が歌われ、インドの古典「ベーダ」や中国の「詩経」に載る植物数よりも多いという。重陽の節会の初見は日本書紀にある「(天武天皇14年)九月の甲辰の朔壬子(みずのえねのひ、九日)に天皇、舊宮の安殿の庭に宴(とよのあかりきこしめ)す」であるが、万葉集に菊が詠まれていないというのは大いに謎である。菊は詠まれていなくても、柿本人麻呂の「うはぎ」や「防人の歌」の百代草は野菊のことではないかと思われる。
 
418151d1.JPG 妻毛有者 採而多宜麻之作美乃山 野上乃宇波疑 過去計良受也
                                柿本人麻呂
 妻もあらば、摘みて食(た)げまし、沙弥(さみ)の山、野の上(へ)の、うはぎ過ぎにけらずや
 
〈訳〉もし妻といっしょだったらうはぎを摘んで食べただろうに。沙弥(さみ)の野にうはぎが空しく伸びてしまっています。
 
2e30ad8e.JPG 父母我 等能ゝ志利弊乃 母ゝ余具佐 母ゝ与伊弖麻勢 和我伎流麻弖
   右一首、同郡の生玉部足國    万葉集 巻20 4326
 
 父母が 殿の後方の 百代草 百代いでませ わが来るまで
 右の一首は、同じ郡の生玉部足国のなり
 
〈訳〉今日まで私のことを大事に育てて下さったお父さんお母さん、これから先どうか百代の後の世までも健やかに長生きして下さい。私が無事に生きて帰って来るその日まで。
 
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旧暦の重陽節
 中国は旧暦のほうを過ごすということで、今年は10月5日になるそうです^^。
シン 2011/09/11(Sun) 編集
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