瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
本日は一の酉で、鷲(おおとり)神社には酉の市が立つ。曇り空でやや風が強かったが、朝食後、鷲(おおとり)神社の前から、金美館通りを抜け、金杉通りを南下、かっぱ橋本通りを西に抜けて国際通りに出る。本堂改修中の浅草寺境内からこれも改装工事中の二天門の横を通って東参道を西に抜け、隅田公園を通って帰宅した。9341歩、6.0kmと記録されていた。
ここのところ、九州から故郷の味覚が届く。先日は大分のM氏から大量のカボスが送られてきたばかりであるが、本日は徘徊から帰宅してみると関西のK氏から福岡県は朝倉郡の特産品「志波柿」が送られてきていた。
江戸から三里にある花又村(現在足立区花畑)の鷲大明神(本の酉)は、格好の日帰り行楽地であった。綾瀬川を船で上る者、馬や徒歩で行く者など引きも切らず、11月酉の日には日頃さびしい村が都のようだといわれた。ここでの呼び物は、社前での辻賭博で、川を行く屋根船でも開帳されたという。しかし、安永5年(1776年)に禁止令が出ると、市の賑わいは浅草長國寺の、酉の市へと移ってゆく。市の名物には熊手のほか、笹竹に通した「頭の芋」や、「黄金餅」が人気と見え、数々の錦絵に当時の美人とともに登場している。また一時期、青竹の茶筅に今戸焼の土人形なども土産として存在したようで、随筆と挿し絵が、今に伝わっているという。
町人文化が華ひらいた江戸時代に、この酉の市の盛況ぶりは文芸の格好の主題ともなった。芭蕉の弟子其角(きかく)に「春をまつ 事のはじめや 酉の市」と詠まれたり、辻賭博や新吉原と関連させた川柳なども多数残っている。長國寺の東隣に位置する、その新吉原も市の日に限り、大門以外の門も開放して祭りの賑わいに華を添えた。また、錦絵などにもたびたび描かれ、広重の描いた江戸のガイドブックとも言える『絵本江戸土産』(第六編)には「浅草酉の町」と題して浅草たんぼから眺めた酉の市が紹介されている。
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目高 拙痴无
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誕生日:
1932/02/04
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