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近代俳人系譜


 


人間探求派


 虚子を中心とする「ホトトギス派」は「四S」と称された水原秋桜子、山口誓子、阿波野青畝、高野素十らを中心に勢力を拡大しますが、後に「客観的写生」を唱える虚子、素十と、「主観的写生」を唱える秋桜子とが対立。秋桜子はホトトギスを脱退・独立し、主宰する「馬酔木(あしび)」を中心に主観的な叙情俳句を追求しました。野球好きな秋桜子はナイターの句も詠んでいます(東京帝大在学中の野球対抗戦では、秋桜子と素十はバッテリーを組んでいたといいます)。


 その後、「馬酔木」を辞した山口誓子が「天狼」を創刊。また「馬酔木」の中で秋桜子から「難解派」と呼ばれていた中村草田男らが「人間探求派」として独立しました。草田男は子規の「写生」を受け継ぎ深化させつつ、さらに人間の内面心理も詠むことを追求しました。


 


遠山に日の当たりたる枯野かな     高浜虚子


春風や闘志抱きて丘に立つ       高浜虚子


 


  来しかたや馬酔木咲く野の日のひかり  水原秋桜子


  ナイターの光芒大河へだてけり     水原秋桜子


 


  流水や宗谷の門波荒れやまず      山口誓子


  天よりもかがやくものは蝶の翅(はね) 山口誓子


 


  勇気こそ地の塩なれや梅真白      中村草田男


  降る雪や明治は遠くなりにけり     中村草田男


 


自由律派


 碧梧桐は明治三十八年頃から自由律俳句誌『層雲』を主宰する荻原井泉水と共に句作活動を行うようになります。荻原は定型にとらわれない自由な韻律の句作を提唱。門下生には尾崎放哉、種田山頭火らがいます。


 


  力一ぱいに泣く児と啼く鶏との朝    荻原井泉水


  空を歩む朗々と月ひとり        荻原井泉水


 


  咳をしても一人            尾崎放哉


  こんな良い月ひとりで寝て見る     尾崎放哉


 


  分け入つても分け入つても青い山    種田山頭火


  まつすぐな道でさみしい        種田山頭火


 


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目高 拙痴无
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92
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1932/02/04
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くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


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