10月4日(木)午後3時ごろ我が家を出た3人は言問通でタクシーを拾い、子規庵に向かいました。
交通止めの標識のため、タクシーを降りて、路地を行くと、子規庵を見つけました。子規庵に沿うの石塀の先に説明版と子規の句が張り付けられています。
子規庵の建物は、旧前田侯の下屋敷の御家人用二軒長屋といわれています。
明治27年、子規はこの地に移り、故郷松山より母と妹を呼び寄せ、子規庵を病室兼書斎と句会歌会の場として、多くの友人、門弟に支えられながら俳句や短歌の革新に邁進しました。子規没後も、子規庵には母と妹が住み、句会、歌会の世話をつづけましたが老朽化と大正12年の関東大震災の影響により 昭和元年に解体、旧材による重修工事を行いました。昭和2年、母八重(83歳)没。同年7月子規の遺品や遺墨等を保管するため土蔵(子規文庫)建設に着工。 昭和3年、子規門弟を中心とする子規庵維持保存会が財団法人子規庵保存会として認可され、初代理事長には正岡律が就任しました。昭和16年妹律(71歳)没後、同20年4月14日の空襲により子規庵は焼失。幸い土蔵は残り貴重な遺品が後世に残されました。現在の子規庵は昭和25年高弟、寒川鼠骨等の努力で再建され、同27年東京都文化史蹟に指定されて現在に至っています。
子規庵の玄関を入ると係員が出迎えてくれて、パンフを渡されました。
靴を脱いで、8畳の座敷に上がると椅子が3つ用意されていて、前にテレビが置かれ、子規庵に関するビデオが放送されます。
この隣の6畳の間が子規終焉の間となっています。
ビデオを見終わると庭に降りて、3人てんでに見て回りました。
踏み石に乗って庭の奥の方を眺めると手前の立て札に、
”ごてごてと 草花植えし 小庭かな” と子規の俳句があり、さらに奥まったところには寒川鼠骨翁の句碑がありました。
余談になりますが、3人が玄関を入った時、鼠が玄関を横切って走り去り、はたまたこの庭でも駈けていました。ふと、この鼠もしかしたら鼠骨翁の姿もしくはお使いかもしれぬと根も葉もないことを思い浮かべました。
秋風に家兎も駈けだす根岸庵 拙痴无
日頃俳句など作らない私ですが、俳句とも川柳ともつかない1句をひねってみました。
いやはや、子規庵については1日では記しきれません。この続きはまたの日に。
sechin@nethome.ne.jp です。
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