瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
昭和20(1945)年12月29日、親父は広島県畠敷(現三次市)の農家から借り受けた木小屋で息を引き取りました。親父は、明治28(1895)年生まれですから、50歳で亡くなったことになります。今日は親父の74回忌に当たります。
門司から、この地に疎開し、農家から借り受けた木小屋を改造し、12畳1部屋に、祖母・親父・お袋・長兄・姉・私の6人が膝を突き合わせて暮らしていました。
戦後間もなく、9月17日~18日の枕崎台風で、私の通学路であった鳥居橋は崩壊し、方々の田畑は大変な被害を被りました。
親父は病弱で私たちより数か月前に三次市の市内に間借り疎開していましたが、お袋・姉・私がそこに加わり、そこへ復員した長兄が加わり、三次市の郊外の畠敷の農家の木小屋を借り受け、改造して暮らすことになったのです。
食料も乏しく、親父は日ごとに弱っていきました。医者に診て貰うことも出来ず、12月28日の夜には大変苦しみ、やっと落ち着いて皆も眠りに就きましたが、29日朝には息を引き取っていました。外はかなりの雪が積もっていました。
やっとのことで、三次市内の医者に来てもらい、死亡診断書を書いてもらうことができました。診断書の病名は「肺結核」ということでした。
29日の夕刻、親父の遺体を大八車に乗せ、三次中学の線路越しにある焼場に運びました。
当時は、列車の切符を手に入れるのもままならず、親父の兄弟である門司の伯母と東京の伯父が駆けつけてくれたのは年が明けてからでした。
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プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
92
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
sechin@nethome.ne.jp です。
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