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ウェブニュースより
 
中国の唐の時代の墓誌 日本から渡った吉備真備が書いたものか ―― 中国で発見された唐の時代の官僚の墓石に刻まれた墓誌が、当時、唐に渡っていた吉備真備によって書かれたとみられることが分かりました。専門家は、吉備真備が書いた文字は日本国内でも見つかっていないとして、貴重な発見だと注目しています。
 
25日、北京で公開されたのは、中国の唐の時代の官僚で、遣唐使など外国からの使節の受け入れを担っていた李訓という人物の墓石に刻まれていた328文字の墓誌です。
 
墓誌は、6年前に河南省洛陽で見つかり、李訓の生前の経歴などが記されていて、文章の最後に「日本国朝臣備書」と刻まれていました。墓誌を発見した広東省深圳(しんせん)にある博物館の閻焔館長によりますと、日本の「朝臣備」という人物が書いたことを意味し、文字が書かれた年代から、「朝臣備」は遣唐使とともに留学生として唐に渡っていた吉備真備を指すとみられるということです。
 
吉備真備は、奈良時代に2度にわたって唐に渡り、当時の中国の政治や文化を学び、帰国後、日本の文化の発展に貢献したとされ、右大臣にまで出世しました。
 
 
明治大学東アジア石刻文物研究所の氣賀澤保規所長は、「吉備真備のものと考えていいと思う。これまで本人が書いたものは一切なかったが、これが見つかったことで、研究者が大いに刺激を受けて、これから新しい研究が始まっていくと思う」と話していました。
 
墓誌は広東省深圳にある「望野博物館」に保管されていて、来年、一般公開されるということです。    (NHK WEB NEWS 20191225 1748分)


吉備真備筆?の墓誌、中国で発見 留学中書かれた可能性 ―― 奈良時代の高級官僚で政権中枢で政務を執り、2度も遣唐使として唐に渡った吉備真備(きびのまきび)が筆をとったとみられる墓誌(死者の簡単な伝記)が、中国国内でみつかった。所蔵する博物館などが25日、北京で発表した。8世紀前半に真備が留学生として中国滞在中に書かれた可能性が高く、真備の書とすれば国内外で初めて確認されたことになる。中国人の墓誌の銘文を日本人が書いたことが確認されたのも初めて。これまで真備の留学生活を探る文献史料は乏しく、古代東アジア関係の実像を伝える貴重な史料として注目される。
 
 
墓誌は深圳望野博物館が2013年に入手したもので、長さ35センチ、幅36センチ、厚さ8.9センチの石に計19行、計328字の漢字が刻まれていた。唐王朝で外国使節の接待などをつかさどる「鴻臚寺(こうろじ)」という役所の中級官僚だった李訓(りくん)の墓誌で、開元22734)年6月20日に死去し、同年6月25日に埋葬されたと記される。
 
 
末尾の1行に「秘書丞(ひしょじょう)褚思光(ちょしこう)文」と「日本国朝臣(あそん)備書」とあり、墓誌の文章の作成者が「褚思光」という中国人で、その文章を書いたのが「備」と呼ばれる人物と読み取れる。日本人研究者によれば、遣唐使の場合、現地で中国風に名前を変えるケースがみられ、吉備真備も「真備」と呼ばれていた可能性がある。日中の研究者は、日本の王朝での地位などを示す「朝臣」が記されていることなどから、真備の書いた可能性が高いと判断した。
 
また、唐の時代の墓誌に「日本」という文字が記されているのが確認されたのは4例目。
 
吉備真備は、のちの菅原道真と並ぶ学者政治家で、儒教や兵法などに通じていたとされる。695年に下級官人の家に生まれ、遣唐使の一員として、のちに唐で官僚になった阿倍仲麻呂らと一緒に717年に唐に渡り、34年まで留学した。帰国後は聖武(聖武)天皇(701756)らに重用され、橘諸兄(たちばなのもろえ)(684757)政権に顧問格として参画。九州に左遷され、遣唐副使に任命され、2度目の唐に渡った。帰国後、称徳天皇・道鏡の政権下で右大臣となり、81歳で死去した。
 
氣賀澤(けがさわ)保規(やすのり)・明治大学東アジア石刻文物研究所長(中国史)は「吉備真備が書いた墓誌とみてよいだろう。8世紀の日中交流の歴史を知る上で画期的な史料となる」と話す。
  
(朝日新聞DIGITAL 201912251200分)


仲邑菫初段19年白星締め、勝率7割8厘同期トップ ――囲碁の最年少プロ、仲邑菫(なかむら・すみれ)初段(10)が26日、大阪市の日本棋院関西総本部で打たれた第46期名人戦予選Cで山田和貴雄七段(50)を破り、年内ラスト対局を白星で飾った。プロ1年目の通算成績は177敗。勝率78厘は、同期13人を含む全初段の中で堂々のトップとなった。
 
 
年齢差は40歳。144手までで白番中押し勝ちした仲邑は「終盤になり、勝てそうだなと思った」。鮮やかな逆転勝ちに井山裕太3冠の師匠、石井邦生九段(78)は「相手が魅入られたように打ってはいけない手を打ってしまう。まさに“すみれマジック”です」と称賛した。
 
日本棋院が新設した「英才枠」で4月、史上最年少の100カ月でプロに。プロ9カ月について「けっこう早かった」と振り返り、積み重ねた白星に「今年は思ったよりも勝てた。来年はもっと強くなりたい」と笑顔を見せた。年始は韓国へ修業に行く予定だ。   [日刊スポーツ 20191227939 ]


 

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1932/02/04
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