瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 昨日は日曜日、朝早くに目覚めたて暫くは布団の中で、漢詩をパラパラとめくった。
373bd0eb.JPG 蘇軾が嘉祐6(1061)年11月鳳翔府(今の陝西省鳳翔県)簽判(せんはん、高級事務官)として赴任する途中の作という詩が目を引いた。澠池(べんち)は洛陽の西方にある地名。5年前に軾・轍兄弟が父の蘇洵(そじゅん)に従って上京の途中ここを通った時のことを思い出した轍が、兄の軾に宛てて贈った詩に応えたものであるという。轍が軾に送った詩に拠れば、5年前のたびのとき、兄弟は澠池の寺に泊まり、奉閑(ほうかん)という老僧の僧坊に記念の詩を書いて去ったという。この旅の時、澠池の手前で乗馬が死んでしまい、やむなく驢馬で旅を続けたという自註がある。
bc7a953c.JPG    子由の「澠池旧懐」に和して
  この人生とはつまるところ どのようなものだろう
  多分雁が雪の上に舞い降りたようなものではあるまいか
  雪の上にたまたま 爪の跡だけは残っても
  飛び立った雁はもう 西へ言ったか東へ去ったか
  老僧は死んでしまって新しい塔となり
  崩れた壁には 嘗て記した詩を見る術もない
  あの時の険しかった旅路 まだ覚えているかね
  道は長く人は疲れ 痩せた驢馬がしきりに鳴いていたのを

281ed50a.jpg 夕刻、爺の甥の長男夫婦が昨年10月末に生まれたばかりの男児Hちゃんを連れて我が家に立ち寄ってくれた。新年度から、福岡の雙葉学園に赴任することになり、来月には埼玉から福岡に引っ越すのでその挨拶も兼ねての訪問であったらしい。


 この爺の甥の長女(H君の伯母さん)は、JICAの所員として、現在スーダンに駐在中である。インタビュー記事があったので、少し長いが掲載してする。
スーダン・内戦の長いトンネルを抜けて(2)
-現れつつある支援の成果-
 JICAは、2005年の南北包括和平合意の締結直後から、南部スーダンの首都機能が置かれたジュバに拠点を構え、さまざまな復興支援事業を行ってきた。これまで多くのJICA職員、関係者がジュバに駐在し事業に携わってきたが、現在、ジュバのJICA南部スーダンフィールドオフィスで、中心となって事業に取り組んでいるのが玉利清隆企画調査員と中村恵理所員だ。1月15日に終了した住民投票により南部スーダンの独立が確実視され、さらに復興支援の加速が予想される中、これまでの支援で直面した困難や獲得されつつある成果について二人に聞いた。(聞き手:JICAスーダン駐在員事務所次長 和田康彦)
→街の変化が物語る地道な復興
-南部スーダンでは和平合意以降、人や物の流入が増えてきていると思います。ジュバに着任にした当初と現在とで、街の様子はどのように変わりましたか。
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7abed7a8.JPG玉利
 私が2008年9月に着任した当初は、市内に舗装道路は3本しかありませんでしたが、今では市内の大きな道路はほぼ舗装されています。車も増え、着任当初にはなかった渋滞も起きるようになってきました。また、市街地も西側に大きく広がっていますし、建設中の建物も多く目にするようになりました。
中村 私が着任してから1年半の間にも、ジュバ市内のホテルや商店の数が増えました。停電もだいぶ少なくなったと思いますし、携帯電話もネットワークが広がったので、農村部でも持つ人が増えました。
玉利 ただ、物が増えているとはいっても、事業に必要な物を調達するには実際、かなり大変なんです。事務所として使用するコンテナやプレハブのオフィス、車両、パソコンなど、あらゆるものを現地で調達していますが、そもそも業者を探すところから困難続きです。何とか業者が見つかったとしても、連絡が取りにくく見積もりを取るのも容易でない、期限が守られないなど、問題を挙げればきりがありません。
d8673015.JPG中村 「平和構築の現場では、安全管理と調達が業務の8割を占める」というのがスーダン駐在員事務所長の口癖ですが、日本にいれば当たり前のことが当たり前にできない世界に身を置いて、私もそれを実感しています。プロジェクトの事務所として使用するプレハブを調達したときには、業者とのやり取りに加え、建設予定地の所有者が明確でなかったために南部スーダン政府省庁間の調整にも時間がかかりました。土地の所有権といった基本的なことがきちんと文書で管理されていない、こういったことも紛争後の国の特徴の一つだと思います。
→彼らの変化が支援の成果
-南部スーダンでは、まだまだ多くの分野での復興支援が必要な状況ですが、事業の実施には相手側の体制や能力不足などの制約もあると思います。実際、これまで事業を担当していていろいろと苦労や困難があったと思いますが、あれは大変だったという体験や、支援の成果が感じられたエピソードを聞かせてください。
5724a7c7.JPG玉利 
どの事業をとっても苦労や困難が絶えませんが、一番印象に残っているのは、着任後間もない2009年1月に実施した、教育省関係者を対象にしたケニアでの研修です。JICAは、南部スーダンで理数科教員の養成プロジェクトを実施していますが、初期の段階で、将来、教員養成の中核を担う指導員の候補者を全10州から集め、JICAが長く理数科教育支援を行ってきたケニアへ研修のために送り出しました。計画では各州7人ずつと南部スーダン政府教育省の関係者を含め、総勢90人を派遣することになっていたのですが、当時は携帯電話の通信事情も悪くて各州との連絡が容易ではなく、また、交通事情が良くなかったこともあり、出発前日にジュバに集まったのは60人でした。
 ケニアに同行する私が出発前のオリエンテーションに出席したのですが、各地からジュバまでの交通費や日当を、州政府と南部スーダン政府のどちらが支払うのかでもめてしまい、オリエンテーションどころではありませんでした。揚げ句の果てに、各州からの参加者がストライキを起こし出発当日になっても解決せず、フライトをすべてキャンセルせざるを得ませんでした。翌日になってようやく南部スーダン政府の教育省次官が電話で代表者を説得し、何とか出発することができたのですが、安心したのもつかの間、ナイロビの空港に着いてみたら、事前に何度も説明しておいたにもかかわらず、参加者のおよそ半数がイエローカード(黄熱病予防接種証明書)を持っていなかったのです。空港で予防接種を受けて何とか入国することができたときは本当にホッとしました。
 そんな彼らも、ケニアでの4週間の研修を終えて帰国した時は皆、目が輝いていたのがとても印象的でした。彼らは今、教育省や各州で指導員として活躍していますが、彼らの変化を目の当たりにすることができたのは本当にうれしいことです。ただ、南部スーダン政府と各州政府とのコミュニケーションの難しさといいますか、予算権限を持つ中央に対する州側の不信感のようなものを感じた出来事でもありました。
9ed3fbe0.JPG中村 私が担当しているジュバ近郊の農村での生計向上プロジェクトでは、州の生活改善普及員を育成していますが、プロジェクトを開始した当初、農村を訪問したこともない彼らは、何もせずにずっとおしゃべりばかりしているという状況でした。南部スーダンでは、2005年の包括和平合意後に多くの省庁が中央と州に設置され、このプロジェクトのカウンターパート(協力相手先機関や、その窓口となる担当者)の農村開発省もその一つなのですが、長期にわたる内戦の影響で、農村開発にかかわったことのある人や高等教育を受けた人がそもそも極めて限られていたのです。
 ところが、日本人やケニア人の専門家の方たちと試行錯誤しながら1年ほど研修や訓練を重ねているうちに、少しずつ自分の役割を理解するようになり、今では自ら進んで農村に出かけて村人とコミュニケーションをとり、村人のニーズに応えるための方法を積極的に省の中で協議するようになりました。自分が必要とされていること、自分にできることがあること――。それを発見した彼らは、自ら変化しているのだと思います。プロジェクトの具体的な成果が見られるようになるにはまだ時間がかかりますが、彼らの変化そのものが支援の成果といえるのだと思います。
→JICAの支援の強みを生かして
-玉利さんは、これまでNGOや国際機関でいろいろな国での事業を経験していますが、南部スーダンでJICAの支援に携わった率直な感想を聞かせて下さい。
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59ecf3e7.JPG玉利
 私が一番感じているのは、JICA職員や、JICA事業に携わる専門家、コンサルタントの技術的専門性の高さです。NGO勤務時には、現場のさまざまなニーズに合わせて支援することが多かったのですが、支援内容によっては事業形成・実施の過程において必ずしも十分な技術的知見がなく、苦労した経験があります。JICAで最初に担当した開発調査のレポートの厚さと数の多さには本当に驚きましたが、内容については、カウンターパートだけでなく、ほかの援助機関からも高く評価されています。
それから、政府に対する行政支援を行うという点もJICAならではの強みではないかと思います。NGOは、コミュニティーの能力向上に主眼を置いて成果を出している場合が多いのですが、その一方で、行政の中に入り込んで直接働きかけることがその性質上難しく、行政の能力向上への協力が十分ではない場合があります。JICAは、通常カウンターパートをプロジェクトの責任者にして、日本人はアドバイザーに徹していますが、これが相手側のオーナーシップの醸成につながり、ひいては成果の普及や持続につながるのだと思います。これは、すぐに目に見える変化ではありませんので、カウンターパートにも初めは理解されにくいのですが、少しずつ、しかし確実に、その重要性は理解されていると思います。
 他方で、スピードや柔軟性という点では改善の余地があるようにも思います。特に南部スーダンのように多くの援助機関がひしめき合い、政府の政策といった環境も変わりやすい状況の中では、ほかの援助機関のスピードに負けないような、目に見える動きを早く出していくことがとても重要だと思います。また、相手側の体制が極めて弱く、能力も非常に低いからこそ、継続的な支援がより必要なわけですから、協力期間中にさまざまな手続きのために間が空いてしまうのは好ましくないと思います。
-中村さんは、JICAに入って初めての海外勤務がジュバということですが、どのような点にやりがいを感じていますか。
中村
 私は、もともと「紛争後の国づくり」にかかわることを希望していて、ジュバに配属されました。紛争後のため信頼できるデータやレポートがない中で、現場のカウンターパートや、ほかの援助機関から得られる情報を基に、先方政府と一緒にこれからの国づくりの鍵となるようなプロジェクトを発掘・実施していきたいと考えています。思い通りに進まないことも多いですが、このダイナミックなプロセスに身を置くことをとても面白いと感じています。これからも、除隊兵士の社会復帰や北部スーダンから戻ってくる帰還民の定着への支援、南部スーダン政府に緊急に必要な機能強化への支援といった、現場にいるからこそ発掘できる案件を提案し、実現していきたいですね。
-最後に、今後の南部スーダンでの支援に賭ける意気込みを聞かせてください。
玉利
 ジュバでは、JICAの名前が本当に広く知られていますが、これは2005年の包括和平合意以降、支援に携わってきた多くの先人の苦労と努力のたまものだと思います。これからますます重要な時期になりますので、自分が担当する事業や分野について、今後のあるべき姿を考えながら業務に取り組むとともに、いずれ次の人にきちんとバトンタッチできるようにしたいと思います。
中村 南部スーダンは今回の住民投票を経て平和裏に独立を達成しようとしていますが、今後の平和の定着のためには、中央と地方の格差を少なくしていくことが重要だと思います。これまでJICAの支援はジュバに集中していましたが、今後は、地方でも平和の配当を実感できるような支援をJICAも実施していく段階にきていると思います。
<プロフィール>
玉利 清隆(たまり・きよたか)
スーダン駐在員事務所企画調査員(平和構築)。民間企業、青年海外協力隊、国際機関、NGO勤務を経て、2008年9月にスーダンに赴任。同年12月から南部スーダン勤務となる。過去にはカンボジア、アフガニスタン、イラン、スリランカなどで主に緊急・復興支援を担当。三重県出身。
中村 恵理(なかむら・えり)
スーダン駐在員事務所員。2006 年国際協力銀行(当時)入行。円借款業務の案件形成(インドの上下水道分野)、海外投融資業務の案件監理(バングラデシュの肥料プロジェクトやサウジアラビアの石油化学プロジェクトなどを担当)を経て、 2009 年 6 月にスーダンに赴任、南部スーダン勤務となる。主に技術協力の案件監理(教育、農村開発分野)を担当。福岡県出身。
和田 康彦(わだ・やすひこ)
スーダン駐在員事務所次長(南部スーダン勤務)。1990年国際協力事業団(当時)入団。本部、サウジアラビア事務所勤務を経て1999年から2年間、海外経済協力基金ならびに国際協力銀行(いずれも当時)に出向。その後、エジプト事務所次長、安全管理室副室長、公共政策部平和構築・貧困削減課長などを経て、2010年12月より現職。長野県出身。
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唐詩宋詞
唐宋八大家の一人である蘇軾といえば、彼の有名の詞(「詩」ではなく)が想起されます。『念奴嬌・赤壁懐古』における「乱石穿空、驚濤拍岸、巻起千堆雪」は、李白に負けないぐらいの雄大さを持ち、現在でもはっきりと覚えております。日高さんには、この名句の日本語訳をお願いできるかな?^^。
シン 2011/02/14(Mon) 編集
Re:唐詩宋詞
コメントありがとうございます。今丁度蘇軾の「赤壁の賦」について色々と調べています。そのうち、ブログでも取上げることでしょう。
 【2011/02/15】
キャンパス内は融雪の泥道
 昨夜から東京・横浜は久しぶりの積雪を見せてくれました。なんとなく蘇軾の「巻起千堆雪」を口ずさんでしまいました。さきほどキャンパス内も融雪の泥道でかなり歩きづらかったです^^。
シン 2011/02/15(Tue) 編集
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