瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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(くず)を詠める歌1
 
(くず)はマメ科クズ属のつる性の多年草です。茎が非常に丈夫で、他の植物に絡み付いて数メートルにまで成長します。夏から秋にかけて花が咲きます。根は薬用としてや葛粉(くずこ)として使われます。昔は、大和国の国栖(くず)が葛粉の産地としてよく知られていたそうです。
 秋の七草の歌を含めて、万葉集には21首に登場します。その多くは、旺盛な繁殖力やつるがどこまでも伸びていく様を詠んでいます。

巻3-0423:つのさはふ磐余の道を朝さらず行きけむ人の.......(長歌)
標題:同石田王卒之時山前王哀傷作歌一首
標訓:同じき石田王の卒りし時、山前王(やまくまのおほきみ)の哀傷(かなし)みて、作れる歌一首
原文:角障經 石村之道乎 朝不離 将歸人乃 念乍 通計萬<>波 霍公鳥 鳴五月者 菖蒲 花橘乎 玉尓貫 [一云 貫交] 蘰尓将為登 九月能 四具礼能時者 黄葉乎 折挿頭跡 延葛乃 弥遠永 [一云 田葛根乃 弥遠長尓] 萬世尓 不絶等念而 [一云 大舟之 念憑而] 将通 君乎婆明日従 [一云 君乎従明日<>] 外尓可聞見牟
          万葉集 巻3-0423
   作者:山前王(やまくまのおおきみ)或いは柿本人麻呂
よみ:つのさはふ 磐余の道を 朝さらず 行きけむ人の 思ひつつ 通ひけまくは 霍公鳥 鳴く五月には あやめぐさ 花橘を 玉に貫き [一云 貫き交へ] かづらにせむと 九月の しぐれの時は 黄葉を 折りかざさむと 延ふ葛の いや遠長く [一云 葛の根の いや遠長に] 万代に 絶えじと思ひて [一云 大船の 思ひたのみて] 通ひけむ 君をば明日ゆ [一云 君を明日ゆは] 外にかも見む

意訳:岩石の多い磐余の道を毎朝通って行った君が、歩みながら空想したことは、ほととぎすの鳴く五月には菖蒲草や橘の花を玉に連ねて〔一は云はく、貫き交えて〕かずらにしよう。九月の時雨の時期には、黄葉を折って頭にかざそうとのことだっただろう。延びる葛のようにとても遠く長く、〔一は云はく、田葛の根のようにとても遠く長く〕、万の世まで絶えることなくと思って〔一は云はく、大船のように頼りに思って〕通っただろう君を、明日から〔一に云はく、君を明日からは〕他界の人として見るのかなあ。
左注:右一首或云柿本朝臣人麻呂作
注訓:右の歌は、或は云はく、柿本朝臣人麿の作といへり。
◎この歌は山前王(やまくまのおほきみ)が石田王の死を悲しんで詠んだ長歌です。山前王(やまくまのおほきみ)は忍壁親王の子で天武天皇の孫です。
 ただ、左注によると一説には柿本朝臣人麿の作ともあるので山前王自身が詠んだ歌ではなく、人麿の代作であったのかも知れませんね。
あるいは、山前王の長歌を後に人麿が修正した異伝であるのかも知れませんが…
 「磐余(いはれ)の道」は奈良県桜井市や飛鳥を通る古代の主要道路で、石田王の邸宅は磐余にあったことからこの道を通て毎朝、朝廷に出仕していたのでしょう。

 長歌の内容は、そんな磐余道を毎朝通って石田王が想像していたことは、「ほととぎすの鳴く五月には菖蒲草や橘の花を玉に連ねてかずらにしよう。九月の時雨の時期には、黄葉を折って頭にかざそうとのことだっただろう。」と、生前の石田王の心を想像して詠っています。
 そして、「延びる葛のようにとても遠く長く、万の世まで絶えることなくと思って通っただろう君を、明日から他界の人として見るのかなあ。」と、その死を悲しんでいます。
 石田王については詳しいことはわかっていないのですが、一説によると山前王の弟であったともいい、「明日から他界の人として見るのかなあ。」とはそんな石田王を亡くした悲しみをよく表している表現ですよね。
※山前王(やまくまのおおきみ、?724年)
 飛鳥(あすか)~奈良時代、忍壁(おさかべ)親王の王子です。葦原(あしはら)王の父。石田王(いわたのおおきみ)の死をいたむ長歌1首のほか短歌2首が「万葉集」巻3に載っていのす。また「懐風藻」に詩1編が載っています。養老71220日死去。
巻4-0649:夏葛の絶えぬ使のよどめれば事しもあるごと思ひつるかも

◎この歌は大伴坂上郎女が詠んだ相聞歌です。大伴宿禰駿河麿(おほとものすくねするがまろ)が贈った先の巻4‐0648の歌への返歌であり、「夏葛のように長く絶えなかったあなたの使者がとどこおっていたので、何事かでもあったかと心配していました。」と、こちらも恋の戯れ歌だった巻4-0647の歌から一転して真面目に近況の挨拶に答えています。
 左注によると駿河麿は坂上郎女の甥(従甥?)であり、また坂上郎女の娘の二嬢(おとをとめ)を妻にしたとも云われていますが、これらの歌からもこの二人は以前からずいぶん親しい関係であったようです。
巻6-0948:ま葛延ふ春日の山はうち靡く春さりゆくと山の上に.......(長歌)
標題:〈神亀四年(727)〉四年丁卯春正月勅諸王諸臣子等散禁於授刀寮時作歌一首[并短歌]
標訓:四年丁卯春正月、諸王諸臣子等に勅して、授刀寮に散禁せしめし時、作れる歌一首幷に短歌
原文:真葛延 春日之山者 打靡 春去徃跡 山上丹 霞田名引 高圓尓 鴬鳴沼 物部乃 八十友能牡者 折不四哭之 来継皆石 如此續 常丹有脊者 友名目而 遊物尾 馬名目而 徃益里乎 待難丹 吾為春乎 决巻毛 綾尓恐 言巻毛 湯々敷有跡 豫 兼而知者 千鳥鳴 其佐保川丹 石二生 菅根取而 之努布草 解除而益乎 徃水丹 潔而益乎 天皇之 御命恐 百礒城之 大宮人之 玉桙之 道毛不出 戀比日
           万葉集 巻6-0948
         作者:不明
よみ:真葛(まふぢ)()ふ 春日し山は うち靡く 春さりゆくと 山し上()に 霞たなびく 高円(たかまと)に 鴬鳴きぬ 物部(もののふ)の 八十伴の牡()は 折り伏し哭きし 来継ぎ看做し かく継ぎて 常にありせば 友並()めて 遊ばむものを 馬並()めて 往()かまし里を 待ちかてに 吾がする春を かけまくも あやに恐(かしこ)し 云()はまくも ゆゆしくあらむと あらかじめ かねて知りせば 千鳥鳴く その佐保川(さほかは)に 石(いは)に生()ふる 菅し根採りて 偲(しの)ふ草 祓(いは)へてましを 往()く水に 潔身(みそき)てましを 天皇(すめろき)し 御命(みこと)(かしこ)み ももしきし 大宮人し 玉桙(たまほこ)し 道にも出でず 恋ふるこの頃

意訳:美しい藤の這う春日山は、草葉が打ち靡く春めいて行くと山の上に霞が棚引き高円山に鶯が鳴く。朝廷に奉仕する多くの男たちは、折り伏して泣いて、鶯は飛び来て鳴くだろうと、このように引き続いて、このまま謹慎であったなら、友と連れ立って風景を楽しむだろうに、馬を並べて往くべき里の春の訪れを待ちかねて私が楽しむ春を、口に出すのも恐れ多く、言葉にするのも憚られるようなことになると最初から分かっていたなら、千鳥が鳴くその佐保川の岩に生える菅の根を採って、それを憂さを忘れると云う偲ぶ草としてお祓いをしておくものを、流れる水に禊をしておくものを、天皇のご命令を謹んで承って、沢山の岩を積みて作る大宮に勤める宮人たちは、御門の玉鉾を掲げる官道にも出ずに、春山を恋しがるこの頃よ。
注意:原文の「折不四哭之」は、標準解釈では「折木四哭之」と校訂し「雁(かり)が音()の」と訓じます。折木四を「カリ」と訓じるのは、博打の出目の呼び名に因ります。また、「来継皆石」は「来継比日」と校訂し「来継ぐこの頃」と訓じます。
左注:右、神龜四年正月、數王子及諸臣子等集於春日野、而作打毬之樂。其日、忽天陰雨雷電。此時、宮中無侍従及侍衛。勅行刑罰、皆散禁於授刀寮、而妄不得出道路。于時悒憤即作斯謌。作者未詳。
注訓:右は、神亀四年の正月に数(あまた)の王子及び諸(もろもろ)の臣子等の春日野(かすがの)に集い、打毬(うちまり)の楽(たのしみ)を作()す。その日、忽(たちまち)に天は陰り雨ふりて雷電す。この時に、宮中に侍従及び侍衛無し。勅(みことのり)して刑罰を行ひ、皆を授刀寮(じゅたうりょう)に散ずるを禁じ、妄(みだ)りに道路に出るを得ず。時に悒憤(おぼほ)しく、即ちこの歌を作れり。作者は未だ詳(つばび)らかならず。

ウェブニュースより
 国内感染1万5812人、過去最多 9府県で更新、東京4200人―新型コロナ ―― 国内の新型コロナウイルス感染者は11日、新たに47都道府県と空港検疫で1万5812人が確認され、7日(1万5750人)を上回って過去最多となった。大阪(1490人)をはじめ、静岡、三重、滋賀、京都、奈良、愛媛、熊本、鹿児島の9府県で最多を更新。首都圏だけでなく、地方でも感染拡大が鮮明となっている。
 厚生労働省によると、全国の重症者は前日比102人増の1332人。死者は20人。
 東京都では4200人の感染が確認された。1週間前の水曜日より34人多い。都基準の重症者は最多だった前日から21人増え、197人になった。

 都内では基礎疾患のない30代男性の死亡が確認された。都によると、男性は微熱のため保健所が軽症と判断し、自宅療養中だったという。
 都内の新規感染者を年代別に見ると、20代が1262人で最多。30867人、40727人と続いた。65歳以上は162人。    (JIJI.COM 202108112122分)


 

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