瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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萩を詠める歌28
15-3691:天地とともにもがもと思ひつつありけむものを.......(長歌)
 (壱岐の島に至りて、雪連宅満のたちまちに鬼病に遇ひて死去にし時に作る歌)
原文:天地等 登毛尓母我毛等 於毛比都々 安里家牟毛能乎 波之家也思 伊敝乎波奈礼弖 奈美能宇倍由 奈豆佐比伎尓弖 安良多麻能 月日毛伎倍奴 可里我祢母 都藝弖伎奈氣婆 多良知祢能 波々母都末良母 安左都由尓 毛能須蘇比都知 由布疑里尓 己呂毛弖奴礼弖 左伎久之毛 安流良牟其登久 伊弖見都追 麻都良牟母能乎 世間能 比登能奈氣伎婆 安比於毛波奴 君尓安礼也母 安伎波疑能 知良敝流野邊乃 波都乎花 可里保尓布疑弖 久毛婆奈礼 等保伎久尓敝能 都由之毛能 佐武伎山邊尓 夜杼里世流良牟
           万葉集 巻15-3691
         作者:葛井子老
よみ:天地と ともにもがもと 思ひつつ ありけむものを はしけやし 家を離(はな)れて 波の上ゆ なづさひ来にて あらたまの 月日も来()()ぬ 雁がねも 継ぎて来鳴けば たらちねの 母も妻らも 朝露に 裳の裾ひづち 夕霧に 衣手(ころもて)濡れて 幸(さき)くしも あるらむごとく 出で見つつ 待つらむものを 世間(よのなか)の 人の嘆きは 相思はぬ 君にあれやも 秋萩の 散らへる野辺の 初尾花(はつをばな)仮廬(かりほ)に葺きて 雲(くも)(はな)れ 遠き国辺(くにへ)の 露霜の 寒き山辺(やまへ)に 宿りせるらむ

意訳:天地と共に一緒にと思っていたのですが、愛しい家を離れて浪の上を、苦しみながらやって来て、月も改まり月日は過ぎ経り、雁も次々と連なり飛び来て鳴くと、乳をくれた母や妻たちも、朝露に衣の裳の裾を濡らし、夕霧に衣の袖を濡らして、旅の貴方に幸があるようにと、門の外に出て貴方を待っているものを、世の中の人の嘆きを思いもよらない貴方なのでしょうか、秋萩の花散る野辺の初尾花の草で仮の小屋を葺いて、雲が流れ去る遠い国辺の露霜の降りる寒い山辺に身を横たえているのか。
左注:右三首、葛井連子老作挽歌
注訓:右の三首は、葛井連子老の作れる挽歌
※葛井連子老(ふぢゐのむらじこおゆ、生没年不詳)
 天平八年六月に派遣された遣新羅使人のひとりです。万葉集には遣新羅使人たちの歌145首の歌群を載せますが、この子老の3首は、壱岐で雪連宅満が鬼病で亡くなったときの挽歌です。
 『続日本紀』養老四年五月の条に、「白猪史の氏を改めて葛井の姓を賜ふ」とあります。葛井氏はもと白猪史でした。葛井連の葛井は、河内国志紀郡藤井に由来します。その白猪史だが、延暦九年七月の津連真道らの上表によれば、渡来した百済の辰孫王(貴須王の孫)の曾孫午定君の三子が分れて白猪史、船史、津史になったとあります。白猪史がのちの葛井連・葛井宿禰、船史がのちの船連・宮原宿禰、津史がのちの津連・菅野朝臣・津宿禰・中科宿禰となりました。延暦十年正月に、葛井連は葛井宿禰を賜姓とあります。
 『新撰姓氏録』右京諸蕃下には、「葛井宿禰  菅野朝臣と同祖、塩君男、味散君之後也」とあり、「菅野朝臣 百済国、都慕王十世孫、貴首王之後也」とあります。
 長崎県の壱岐島には、亡くなった雪連宅満の墓があり、今も地元の村人たちに墓は守られているといいます。近くの万葉公園(石田町城の辻)には、葛井連子老の歌ではありませんが、挽歌の歌碑があります。


17-3957:天離る鄙治めにと大君の任けのまにまに.......(長歌)
標題:哀傷長逝之弟謌一首(并短謌)
標訓:長逝(ちょうせい)し弟(おと)を哀傷(かな)びたる謌一首(并せて短謌)
原文:安麻射加流 比奈乎佐米尓等 大王能 麻氣乃麻尓末尓 出而許之 和礼乎於久流登 青丹余之 奈良夜麻須疑氏 泉河 伎欲吉可波良尓 馬駐 和可礼之時尓 好去而 安礼可敝里許牟 平久 伊波比氏待登 可多良比氏 許之比乃伎波美 多麻保許能 道乎多騰保美 山河能 敝奈里氏安礼婆 孤悲之家口 氣奈我枳物能乎 見麻久保里 念間尓 多麻豆左能 使乃家礼婆 宇礼之美登 安我麻知刀敷尓 於餘豆礼能 多婆許登等可毛 婆之伎余思 奈弟乃美許等 奈尓之加母 時之婆安良牟乎 婆太須酒吉 穂出秋乃 芽子花 尓保敝流屋戸乎 (言斯人為性好愛花草花樹而多値於寝院之庭 故謂之花薫庭也) 安佐尓波尓 伊泥多知奈良之 暮庭尓 敷美多比良氣受 佐保能宇知乃 里乎徃過 安之比紀乃 山能許奴礼尓 白雲尓 多知多奈妣久等 安礼尓都氣都流  (佐保山火葬 故謂之佐保乃宇知乃佐力乎由吉須疑)
           万葉集 巻17-3957
          作者:大伴家持
よみ:天離る 鄙(ひな)(をさ)めにと 大王(おほきみ)の 任()けのまにまに 出でて来し 吾(われ)を送ると 青丹(あをに)よし 奈良山過ぎて 泉川 清き河原に 馬留め 別れし時に 真幸(まさき)くて 吾(われ)帰り来む 平(たひ)らけく 斎(いは)ひて待てと 語らひて 来()し日の極(きは)み 玉桙の 道をた遠み 山川の 隔(へな)りてあれば 恋しけく 日()長きものを 見まく欲()り 思ふ間(あひだ)に 玉梓の 使の来()れば 嬉しみと 吾()が待ち問ふに 逆言(およづれ)の 狂言(たはこと)とかも 愛()しきよし 汝弟(なおと)の命(みこと) 何しかも 時しはあらむを はだ薄(すすき) 穂に出()る秋の 萩の花 にほへる屋戸(やと) (言ふところは、その人、性、花草・花樹を好愛()でて、多く寝院の庭に植る。故に花(はな)(にほ)へる庭といへり) 朝庭に 出で立ち平(なら)し 夕庭に 踏み平(たいら)げず 佐保の内の 里を行き過ぎ あしひきの 山の木末(こぬれ)に 白雲に 立ち棚引くと 吾(あれ)に告げつる  (佐保山に火葬(ほふむ)れり。 故に佐保の内の里を行き過ぎと謂ふ)

意訳:都から遠く離れた鄙を治めなさいと大王の御任命に従って出発してきた私を送ると、青葉が美しい奈良の山を過ぎて、泉川の清らかな河原に馬を留め、別れた時に「無事に私は帰って来よう、元気で私の無事を祈って待ちなさい」と語らって、この越中国にやって来た日を最後として、立派な鉾を立てる官道をはるか遠く、山川の隔てがあると、恋しく思う日々も長く、会いたいと思っている間に、立派な梓の杖を持つ官の使いがやって来ると、「嬉しい便りでしょう」と私が使いを待って問うと、逆言でしょうか、狂言でしょうか、愛しい私の弟の貴方が、どうしたのでしょうか、そのような時でもないのに、はだ薄の穂が出る秋の、萩の花が咲き誇る家を(語るところは、その人、性格は花草・花樹を愛して、多くを寝院の庭に植える。そのため、花薫る庭と云われた)朝の庭に出て立ち尽くし、夕べの庭に足を踏み立つこともせず、「佐保の内の里を通り過ぎ、葦や檜の生える山の梢に、その人は白雲に立ち、棚引く」と私に告げました。(佐保山に火葬をした。それで「佐保の内の里を行き過ぎ」と云う)
左注:右、天平十八年秋九月廿五日、越中守大伴宿祢家持遥聞弟喪、感傷作之也
注訓:右は、天平十八年秋九月廿五日に、越中守大伴宿祢家持の遥かに弟(おと)の喪()を聞き、感傷(かな)しびて作れり。


19-4154:あしひきの山坂越えて行きかはる年の緒.......(長歌)
標題:八日、詠白太鷹謌一首并短謌
標訓:八日に、白き太鷹を詠()める謌一首并せて短謌
原文:安志比奇能 山坂越而 去更 年緒奈我久 科坂在 故志尓之須米婆 大王之 敷座國者 京師乎母 此間毛於夜自等 心尓波 念毛能可良 語左氣 見左久流人眼 乏等 於毛比志繁 曽己由恵尓 情奈具也等 秋附婆 芽子開尓保布 石瀬野尓 馬太伎由吉氏 乎知許知尓 鳥布美立 白塗之 小鈴毛由良尓 安波勢也里 布里左氣見都追 伊伎騰保流 許己呂能宇知乎 思延 宇礼之備奈我良 枕附 都麻屋之内尓 鳥座由比 須恵弖曽我飼 真白部乃多可
          万葉集 巻19-4154
         作者:大伴家持
よみ:あしひきの 山坂越えて 行きかはる 年の緒長く しなざかる 越にし住めば 大王(おほきみ)し 敷きます国は 都をも ここも同じと 心には 思ふものから 語り放()け 見放くる人眼 乏(とも)しみと 思ひし繁し そこゆゑに 心なぐやと 秋づけば 萩咲きにほふ 石瀬野に 馬だき行きて をちこちに 鳥踏み立て 白塗りし 小鈴(をすず)もゆらに あはせ遣り 振り放け見つつ いきどほる 心のうちを 思ひ延べ 嬉しびながら 枕付く 妻屋しうちに 鳥座(とくら)()ひ 据えてぞ我が飼ふ 真白斑(ましらふ)の鷹

意訳:葦や檜の生える山や坂を越えて、年が行き変わる、その年月が長く、都の輝きから離れて、越の国に住むと、大王の統治なされる国は、都も、この地も同じと、心には思っているのだが、語り合ったり、出会ったりする人々の顔が少ないと、物思いが頻繁です。そのために、気が休まるだろうと、秋になると、萩が咲きほこり、石瀬野に馬に乗って行き、あちらこちらを鳥を野を踏み飛び立たせて、白塗りの小さな鈴を揺らして、鳥の飛び立ちに合わせて鷹を遣り、その姿を仰ぎ見ながら、鬱積した気持ちの内を慰め楽しみながら、枕を共にする妻の、その妻屋の内に、鳥の止まり木を作って、鷹を留らせ私が飼う、その真っ白な斑を持つ鷹よ。

ウェブニュースより
 甘利幹事長がNHK「日曜討論」で上から目線&根拠不明発言連発! 自民議員は「票が減る!」と悲鳴 ―― 「票が減っていく」と、自民党議員が悲鳴をあげている。17日のNHK「日曜討論」に出演した甘利明幹事長の態度があまりにも酷かったからだ。ただでさえ、大臣室で50万円ものカネを受け取り、しかも国民に説明もしない甘利氏は国民から評判が悪い。毎日新聞と社会調査研究センターの全国世論調査(10月4、5日)では、幹事長に起用した人事を「評価する」はわずか22%、「評価しない」は2倍以上の54%に上っている。
 せめて反省しているポーズを見せればまだしも、この日もエラソーに上から目線だったから、さらに有権者の反発を買っている始末だ。

 ツイッターのトレンドワードに「#日曜討論」や「甘利さん」が、ランキング入りし、批判が殺到。<日曜の朝から、自分の説明責任果たさない甘利さんが出てきて、うだうだ言うこと自体不愉快><今日の#日曜討論でも甘利さんの呼吸をするように嘘を吐くあの態度がどうしても信用できない>などと書き込まれた。
 実際、根拠不明のまま一方的に野党を攻撃したり、自民党の体質は変わっていないと指摘されると「自民党のどこが変わらないのか!」逆ギレしていた。ツイッターでは、すかさず<賄賂を受け取るなど不祥事を起こした人間が、説明責任も果たさないまま要職に起用される腐敗体質です>と反論されている。
■本人に嫌われている自覚なし
 さらに、なにが根拠なのか、自分のスマホを手にしながら「世界を席巻しているスマホも、3Dプリンターも電子コンピューターも全部、日本の発明です」と発言。ネット上で「え、スマホそうだったの?」「そうだっけ?」と突っ込まれている。
 自民党関係者がこう言う。
 「このまま甘利さんがテレビに出演していると100票、200票と票が減っていく。困ったことに、本人には国民に嫌われている自覚がなく、しかも人前で政策を披歴したがっている。よほどナルシシストなのでしょう。自分のツイッターで“イケメン自慢”までしているありさまです。やっぱり幹事長は“選挙の顔”になる人にすべきだった。でも、人気者の小泉、石破、河野の“小石河連合”は、冷や飯を食わされている。せめて、甘利さんは余計なことをしないで欲しい」
 なぜか野党は、テレビ討論では“50万円”について追及しないが、せっかくのチャンスなのだから本人に問いただすべきだ。    (日刊ゲンダイ 公開日:2021/10/18 11:50 更新日:2021/10/18 11:55


 

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