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■芥川の人口に膾炙する句に、


蝶の舌ゼンマイに似る暑さかな


木がらしや目刺にのこる海のいろ


青蛙おのれもペンキぬりたてか


水洟や鼻の先だけ暮れ残る


などがあります。


■「蝶の舌ゼンマイに似る暑さかな」については、“我鬼”が芥川の俳号とは知らなかった飯田蛇笏が「無名の俳人によって力作された逸品」と称賛しています。大正7年(1918)の7月『ホトトギス』雑詠欄に「鐡條〈ぜんまい〉に似て蝶の舌暑さかな」とあり、また「我鬼句抄補遺」には大正7年の作として「ゼンマイに似て蝶の舌暑さかな」の形ででています。


 


■「木がらしや目刺にのこる海のいろ」について、大正11年(19221217日の眞野友二郎宛書簡に「長崎より目刺をおくり来れる人に」と前書きして「凩や目刺にのこる海のいろ」と記していますが、「我鬼句抄」にはすでに「凩や目刺に残る海の色」の形で大正6年(1917)の作とされています。この木枯らしの海の色は、青ではなく代赭色でしょう。それが芥川の原体験の海の色です。


 


■「青蛙おのれもペンキぬりたてか」については、友人から、フランスの作家ジュール・ルナールの『博物誌』に、「とかげ ペンキ塗りたてご用心」があると指摘されると、だから“おのれも”としてあると答えたといいます。


 


■そればかりではありません。芥川は、「飯田蛇笏」の中で、「その内に僕も作句をはじめた。すると或時歳時記の中に『死病得て爪美しき火桶かな』と云ふ蛇笏の句を発見した。この句は蛇笏に対する評価を一変する力を具へてゐた。僕は『ホトトギス』の雑詠に出る蛇笏の名前に注意し出した。勿論その句境も剽竊〈ひょうせつ〉した。『癆咳〈らうがい〉の頰美しや冬帽子』『惣嫁指〈そうかし〉の白きも葱に似たりけり』――僕は蛇笏の影響のもとにさう云ふ句なども製造した」と記しています。


■大正8年(191928日の薄田泣菫宛書簡に「青蛙おのれもペンキぬり立てか」、小島政二郎宛書簡に「青蛙おのれもペンキ塗り立てか」とあり、また同年815日の秦豊吉宛書簡に「青蛙おのれもペンキぬりたてか(この句天下有名なり俗人の為に註す事然り)」と記していますが、「我鬼窟句抄」や「我鬼句抄」には大正7年(1918)の作とされています(大正83月の『ホトトギス』雑詠欄に掲載)。


■「水洟や鼻の先だけ暮れ残る」の原句は、大正9年(1920)頃に作られ、よほど気に入っていたとみえ、たびたび揮毫(きごう)しています。青酸カリを服毒して自殺する夜の午前1時過ぎ、芥川は伯母の枕もとに来て、「これを明日の朝下島さん〈注・医師〉に渡してください」と差し出した短冊に、「自嘲 水洟や鼻の先だけ暮れのこる」とあり、そのため“辞世の句”として有名になったのです。大正14年(1925)の句に「土雛や鼻の先だけ暮れ残る」があります。自嘲的諧謔の句です。芥川の死は、高校生であった太宰治に影響を与えました。ノートに芥川の“辞世の句”を書き写していたといわれています。


 


■芥川の自殺の原因が奈辺にあったのかについては諸説挙げられています。母の血を引く発狂への恐れ、芥川と新原の両家を一身に背負わなければならない重圧、複数の女性問題、文壇の寵児を育てた伯母と養父母との力関係、そして創作の根本的な問題があるようです。


■芥川の小説の特徴は、短編を中心とした、少年の読者にも受け入れられる早熟の少年小説である一方で、研ぎ澄まされた金属的な精緻の文体の上に構築されていることです。それは、博覧強記の芥川が、書物を通して人間や人生の見方を学び、現実の生活からの体験に乏しく、世間的にはむしろ幼稚ともいえる精神構造にあることです。それゆえ、俳句づくりには適していたと思われるのかもしれません。芥川により言葉が継ぎ合わされ、いかにもそれらしい風景描写として、現実よりも本物らしい情景が浮かびあがってきます。


■しかし、芥川と生前よく俳句の話をし、激論を交わした友人の萩原朔太郎は、芥川の俳句を「末梢神経的の凝り性と趣味性とを、文学的ジレッタンチズムの衒気〈げんき〉で露出したようなもの」と評しています。つまり、芥川の俳句は、彼自身の感動のないまま、ただ知識に頼って作られた句から生まれる、本物らしいが、強いて拵えたような句、人工的に作られた、魂の叫びのない、自然の広がりのない情景となっていて、そこに繊細かつ都会的な芥川の俳句の特異性と魅力とともに、限界があったといえるのでしょう。


 


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