瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 昨日は1日中雨。N兄に頼んでいた、みなと外誌のゲラ校正が届いたので、1日中プリンターのかけっぱなし。
 今朝は朝から良い天気で、日当たりに出るとポカポカの小春日和。昼食後、浅草寺の羽子板市に行った。江戸時代から現代に至るまで浅草寺では12月17~19日までの3日間「羽子板市」が開催されており、毎年大勢の客が訪れることで有名である。押絵羽子板の産地としては埼玉県春日部市とさいたま市岩槻区(旧岩槻市)が有名。
まずは、浅草寺にお参り
a891f13f.jpg豪華絢爛羽子板市
44f57464.jpgミニチュア飾り羽子板を購入
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 羽子板がお正月の遊戯や贈り物に用いられたのは室町時代という。当時の「看聞御記(看聞日記、伏見宮貞成親王の日記、1416~1449年の33年間にわたる日記、54巻)という書物には、永亨4年(1432年)に宮中で、「こぎの子勝負」という羽根突きが催されたことが記録されている。公卿や女官が羽根つきをし、負けた組が酒を振舞ったという。中国の14世紀頃に硬貨をつけ錘とした羽根を蹴る遊びがあり、室町時代にこれが日本へ伝来、これが羽根つきの起源であろうとされているのじゃ。戦国時代から羽根つきに厄払いの想いがあり、江戸時代は年末に邪気よけとして羽子板を贈ったということじゃ。
凧を専門に売っている店もある
36ae61a3.jpgミニチュア羽子板専門の店
23d219ff.jpgガサ市
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 羽子板(はごいた)は、長方形で柄のある板で、羽根突きに用いる競技用の羽子板と、飾り羽子板に分別(分  別)できる。当初は羽根突きの道具として用いられたが、徐々に厄払いとしても使われるようになり、魔除けとして正月に女性に贈る習慣も出来たとされている。江戸時代に入ると、歌舞伎役者などをかたどった教え羽子板が流行し、現代では東京の伝統工芸品に指定されているという。また、羽子板市では株式会社久月が、その年に話題となった有名人を素材にした変わり羽子板を作成、出展している。
 奥山風景も、平成中村座も取り払われ、この跡地で12月15~27日にはガサ市が開かれている。業者はこのガサ市で品物を取りそろえ、 大晦日が近づくと町角に店を出して一般の人に売り出す。品物にワラなどが多く、箱からの出し入れに「ガサガサ」と音を立てるところからこの名がついたという。
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