紫陽花(あじさい)を詠んだ歌
ユキノシタ科アジサイ属の落葉低木です。梅雨時に咲き、雨にとても良く似合う花ですね。
紫陽花の原産は日本で、ガクアジサイと呼ばれる品種です。ガクアジサイを元にヨーロッパで品種改良されて日本に渡って来たものが、現在一般に知られている「手まり咲き」の紫陽花です。
アジサイの花の色が変化するのは、土壌の酸性度によるものとされていますね。酸性土壌では青、アルカリ性土壌では赤ということは良く知られています。また、土壌中の窒素量やカリ量などでも色が変わるようです。
紫陽花はたったの二首にしか登場しません。ちょっと意外な感じですね。
巻4-0773: 言問はぬ木すら紫陽花諸弟らが練りのむらとにあざむかえけり
巻20-4448: 紫陽花の八重咲くごとく八つ代にをいませ我が背子見つつ偲はむ
※橘諸兄(たちばなのもろえ、684~757年)
奈良時代の政治家。皇族の出身で敏達天皇5世の子孫で、父は従四位下美努 (みぬ) 王です。母は県犬養橘三千代 (あがたのいぬかいのたちばなのみちよ)です。室は藤原不比等の娘多比能です。本名は葛城王といいます。和銅3 (710) 年従五位下、以後累進して、天平3(731)年参議、同8年弟の作為王とともに、朝廷に請うて、母の氏姓橘宿禰姓を賜わり、名を諸兄と改めました。同9年大悪疫のため,藤原4卿(武智麻呂、房前、宇合、麻呂) の死没後、大納言、右大臣と躍進し、唐から帰国した玄昉、吉備真備らと結んで政界の新興勢力を形成、全盛期を迎えました。しかし、天平末年以降藤原広嗣の乱、恭仁京経営の失敗、権臣藤原仲麻呂の台頭によって、権勢は影をひそめていきました。玄昉,真備らも左遷され、天平勝宝8(756)年官を辞し、失意のうちに没しました。
ウェブニュースより
阿炎の引退届を受理せず…今後迷惑かけたら即引退 ―― 日本相撲協会は6日、東京・両国国技館で理事会を開き、4日までに引退届を提出していた阿炎(26=錣山)について、引退届を未受理とし、出場停止3場所および5カ月50%の報酬減額の懲戒処分を決定し、本人に通知したことを発表した。
今後、程度を問わず協会に迷惑をかける行為を行った場合には、預かっている引退届を受理することと、またそのことを了承する旨の誓約書を提出すること、住居を錣山部屋に移し、師匠の錣山親方(元関脇寺尾)の監督下に入ることを条件とした。阿炎は当面日常生活に支障のある場合をのぞき、外出禁止とした。
師匠の錣山親方は指導監督に重大な不足があったとして、6カ月20%の報酬減額となった。
阿炎は不要不急の外出自粛が求められている中、7月場所中にキャバクラに出入りしていたことが発覚。師匠の判断で7日目から休場していた。阿炎はさらにコンプライアンス委員会の聴取に対して「場所前と場所中に2回」と報告していたが、実際は場所前から複数回出入りしており、虚偽の報告をしていた。また同席していた幕下以下の力士に、出入りした回数などについて口裏合わせを指示していた。
また、阿炎に同行してキャバクラに出入りした幕下極芯道(錦戸)には出場停止2場所の処分が決定した。極芯道は3日までに協会に進退伺を提出していた。師匠の錦戸親方(元関脇水戸泉)にはけん責の処分が通知された。
◆阿炎の不適切行動と発言 昨年11月に十両若元春の手足をテープで縛った動画を自身のインスタグラムに投稿。“悪ふざけ”動画はSNSで拡散され、ネット上で「暴力を連想させる」など批判を浴びた。協会から口頭で厳重注意を受け、反省文を提出。さらに今年2月の全協会員を対象とした研修会終了後、会場を引き揚げる際に報道陣の取材に対して「爆睡していた」「寝ていたので何も聞いていない」と発言。翌日に師匠と協会を訪れて謝罪し、鏡山コンプライアンス部長から厳重注意を受けた。 [日刊スポーツ 2020年8月6日17時48分]
sechin@nethome.ne.jp です。
10 | 2024/11 | 12 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | |||||
3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 |
17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 |
24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |