瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 本日は雨。爺婆の52回目の結婚記念日である。わが婆様こそほんに「糟糠の妻」で、若いときから苦労ばかりかけてきて、未だに貧乏そのもの。その上、遣り繰りはみんな婆様任せ、面と向っては言えないが、ほんに御免なさいね。後漢書の「宋弘列伝」を読む。

f4975f7e.JPG 宋弘、字は仲子。京兆(陝西省)長安県の人である。父の宋尚は、前漢成帝の時(BC32~37年)、少府(九卿の一つ、天子の給養を司る)にまでなった。哀帝(BC6~1年、在位)が立つと、董賢(男色で哀帝に寵せられ大臣となる)に諂わなかったため、機嫌を損ね罪に陥った。/宋弘は若い頃から温順であった。哀帝・平帝の間(BC6~AD5年)に侍中(侍従)となり、王莽の時には共工(少府を王莽が改名した)となった。/赤眉が長安に入ると(25年)、使者を派遣して弘を召した。弘は強制されて逃げ切れない。連れられて渭橋(長安城北の橋)にさしかかった時、川へ身を投げた。家の者が救い上げたが、そのまま死んだふりをして赤眉から免れることが出来た。
光武帝が即位すると、召されて太中大夫(宮中顧問官)に任ぜられた。建武二(26)年には、王梁に代わって大司空(三公の一、前漢の御史大夫すなわち副丞相に当たる)となり、栒邑侯に封ぜられた。俸給や所領からの租税のあがりはすべて一族郎党に分け与え、家には何の貯えもない。行いの清潔なことで有名である。宣平侯に国替えになった。
 光武帝は或る時、弘に誰が博学であるかを問うた。弘は答えた、「沛国(江蘇省)の桓譚はあらゆる学問に通暁しており、殆んど楊雄・劉向父子(いずれも前漢末の学者、向の子は歆)に追いつくくらいであります。」/帝はそこで譚を召し、議郎給侍(論議を司り、宮中に詰める、六百石)に任じた。帝は宴会するたび、譚に琴を弾かせる。それも技巧の勝った曲を好む。弘はそれを聞いて不快に思い、譚を推挙したことを後悔した。譚が宮中から退出する時を見計らって、礼服に身を固め、役所に坐り、役人を遣って譚を呼ばせた。譚がやって来る。立たせたまま譚を責めていう、「わしがそちを薦めたのは、道徳でもって天子を補佐させるためである。それを今、たびたび淫らな音楽をお聞かせして、古来の正しい音楽を乱しおる。それでは忠臣といえぬ。改心するか? それとも法によって裁かせようか?」/譚は頭を地にこすり付けて詫びた。暫くしてやっと放免してやった。その後、群臣を集めての大宴会がある。帝は譚に琴を弾けという。譚は宋弘を見て取り乱した。帝は怪しんで理由を問う。宋弘はそこで蓆から滑り降りて、冠を脱ぎ、詫びていった、「私が桓譚を薦めましたのは、正しい誠で主君を善導できようと思ってのことでありました。しかるに譚のために陛下が淫らな音楽にお耽りになる羽目に立ち至りました。これは私の罪でございます」/帝は居住まいを正して詫び、宋弘に冠を被れといった。その後、帝は再び譚を宮中で召し使うことはなかった。宋弘は馮翊(陝西省)の桓梁らすぐれた士を三十人余りも推挙したが、そのうち相次いで公卿になったものがある。
 弘が帝の寛いでいる時に目通りした。御座の背後に新しい屏風があり、歴代のすぐれた女性の肖像が描かれている。帝は何度も振り返ってそれを見る。弘は顔を引き締めて言った、「われいまだ徳を好むこと色を好むが如くなる者を見ず(『論語』子罕の句をそのまま用いた)」/帝は即座に屏風を片付けさせ、笑いながら弘に言った、「『義を聞けば服す』(『管子』弟子職)。これならよかろう?」/弘「陛下が『徳にに進み』(『易』乾卦)給うたこと、私としては喜びに耐えませぬ」
 当時、帝の姉の湖陽公主(公主は内親王の称号)が夫を亡くしたばかりである。帝は公主とともに朝臣を品評した。その意向をそれとなく探るつもりである。/公主「宋さまは風采といい、器といい、ご家来衆で及ぶ者はございませんわ」/帝「それならそのうちあたってみよう」/その後、弘は引見された。帝は公主を屏風の蔭に坐らせておいて、弘に言った、「諺に『貴くなれば交を易え、富めば妻を易える』というが、これが人情というものかな?」/弘「私はかように聞いております。『貧賤の知(知友)は忘るべからず。糟糠の妻は堂より下さず(麬や糠を食べて苦労をともにした妻は座敷から下にも置かず大切にする)』と」/帝は後ろを振り向くと、公主に声を掛けた、「あの話はできぬわい」
 弘は在職五年、上党郡(山西省)太守を告発したのが無実であったため、罷免されて家に帰った。数年で亡くなった。子が無かったため、所領は召し上げられた。
 

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