瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 今朝は降るとも降らぬともはっきりしない天気。出かけようか出かけるのはよそうか爺の気持ちも定まらない。とうとう出そびれて1日中家に篭っていた。
 今朝のウェブニュースより
 焦点:ビンラディン容疑者の殺害、残される適法性の議論 ――  [ニューヨーク 5日 ロイター] 米海軍特殊部隊によるアルカイダ指導者ウサマ・ビンラディン容疑者の殺害について、オバマ政権は適法だったと主張するが、米国の国際法の専門家たちは、法律上の重要な問題が残されていると指摘する。/2001年9月11日の米同時多発攻撃を受け、米議会は大統領に「武力行使容認決議」などテロ対策で幅広い権限を与えたが、一部専門家の間からは、ビンラディン容疑者の殺害作戦は国際法上の適法性が不明確だとの声が出ている。/米政権がブッシュ時代から最重要指名手配者としていたビンラディン容疑者の殺害を受け、米国内ではオバマ大統領の支持率が急上昇したが、国際社会では今回の米国の行動は行き過ぎではないかとの懸念も浮上している。/ミシガン大学ロースクールのスティーブン・ラトナー教授は「法律問題としては難問だ。多くの問題は、ウサマ・ビンラディンが交戦相手の戦闘員なのか、大量殺人の容疑者なのか、どちらと考えるかにかかっている」と述べた。/オバマ政権が主張するように、米政府がアルカイダと戦争状態にあるという理屈なら、ビンラディン容疑者の殺害は合法だと言えるだろう。/ラトナー教授は「ビンラディン容疑者が銃を持っていたかどうかは問題ではない。戦闘員の殺害は法律的に認められている」と語る。
e233a868.JPG <司法長官は合法性を主張>エリック・ホルダー米司法長官は4日の上院公聴会で、「ビンラディン容疑者は9・11の実行組織であるアルカイダの指導者」であり、殺害作戦は合法だったと証言。「戦場で敵司令官を標的にすることは合法だ。第2次世界大戦中に行った山本(五十六の殺害)も同じだ」とも述べた。/カーニー米大統領報道官は3日、米海軍特殊部隊がビンラディン容疑者の邸宅を急襲した際、同容疑者は抵抗したが、武器は持っていなかったことを明らかにしている。/これについてもホルダー長官は、たとえビンラディン容疑者が降伏の意思を見せたとしても、「自衛のためや邸宅内のほかの人の保護のため、海軍特殊部隊の行動には十分な根拠がある」との見解を示した。/アルベルト・ゴンザレス前司法長官も、ロイターの取材に「ビンラディン容疑者は軍事目標だった。われわれは紛争中だったという点に疑問はない。何を議論しているか私には分からない」と述べ、作戦の合法性を訴えている。
 <複雑な構図>さらにゴンザレス前司法長官も、ビンラディン容疑者が武装していたかどうかは問題ではないと一蹴。「ミサイルを発射したとしよう。ターゲットが武装していたかどうか、われわれは問題にするだろうか」と語った。/一方、ラトナー教授は、ビンラディン容疑者が大量殺人の容疑者だとみなされる場合、米軍の作戦に関する法的解釈は違ったストーリーになってくると指摘。「その枠組み内での行動なら、殺害は容疑者が差し迫った脅威を示した場合にのみ許される」としている。/問題を複雑にしているのは、ビンラディン容疑者が1998年、米大使館爆破事件を共謀したとして、マンハッタン連邦地裁に起訴されたこと。こう語るのは、ノースウェスタン大ロースクールの国際人権センターで所長を務めるデビッド・シェファー氏。「通常は起訴されている個人を捕えるのは、裁きを受けさせるため法廷に連れて行くのが目的。起訴中であるなら、文字通り即座に処刑するのは目的ではない」と指摘する。/作戦を実行した海軍特殊部隊にどういった命令が出されていたのか、ビンラディン容疑者が降伏のためどういう行動をとったかなど、作戦には重要な問題が残されているという点でラトナー教授とシェファー所長の意見は一致している。/シェファー所長は、海軍特殊部隊が身柄拘束ではなく殺害を命じられていたのであれば、国際法上は問題ないとしても、米国の理想には反するのではないかとの疑問を提起。「米国社会の特徴として、少なくとも交戦規則に沿って拘束を命じるのが、米国の価値観にはよりふさわしかったのではないか」と語っている。(ロイター日本語ニュース 執筆:Andrew Longstreth記者、翻訳:宮井伸明、編集:野村宏之)      2011年 05月 6日 16:42 JST

2cdfe45b.JPG 宋の葉夢得(しょうぼうとく、1077~1148年)が当時の見聞や旧聞・群籍についての所見を記した「避暑録話」に中に次のような一文がある。
 学問をやるだけで科挙の試験を受けないというのなら話は別であるが、学問をやって科挙を受け、科挙を受けるからには及第を願い、及第して仕官し、仕官して昇進するということは、いやしくも道理と道義に反した行いがなければ、どれも不可はないのである。ところが世間には一種の人間があって、仕官して俸禄を得ると、今度は逆に、宮仕えせぬこそ高邁なれとばかり、昂然となって、まるでその官を捨て去りたいみたいな風を見せる。とても本心とは受け取れない。だから彼らの稼ぎ振りと来たら、本来の仕官志望者の場合よりもえげつないほどで、強引にきっかけを作って割り込んだり、あるいは、ことさらにつまらぬ畏を立てて辞めようとして見せたり、そこで留まるでもなく辞めるでもない態度をとって、そのことでしばしばうまく世間の評判をせしめ、やがていい地位を与えられると辞退もせぬ、といったやりくちである。しかも世間は、とんとそこのところに気付かぬままだ。/こういう話がある。ある貧乏書生、饅頭(マントウ)というものを食ったことがない。しかし手に入れる術もない。或日、町でそれを並べて売っている店を見つけると、大声を挙げてぶっ倒れた。店の親父は吃驚して訳を訪ねると、「饅頭がこわい」という。「そんなことがあるものか」と、親父は饅頭百個ばかりを空き部屋に用意して、その男を閉じ込め、そっと外から様子を窺っていたが、ひっそりとしてものおともせぬ。そこで壁に穴を空けて覗いてみると、両手で掴み食いの最中、もう半分以上も平らげている。急いで戸を開けて、その訳を詰ると、男曰く「これを見た途端怖くなくなったよ」騙されたと知って親父おこりだし、「まだ怖いものでもあるんかい」と怒鳴ると、その男曰く、「まだあるよ、お茶二杯がこわいんだ」/こんなのが、仕官せぬことを願う連中の実態でもあろうか。  (中国古典文学大系55 近世随筆集より)
07b7a152.JPG この話は明の謝肇淛(しゃちょうせい、1567~1624年)著の『五雑俎』や馮 夢竜(ふう むりゅう、1574~ 1646年、墨憨斎と号す)撰の『笑府』631などにも出ていて、少しばかり笑い話としての潤色が加わっている。すでにご存知の通りわが古典落語にも「まんじゅうがこわい」という題で取り入れられている。
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1932/02/04
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