瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 「しょうしなり」という漢語由来の語があります。「笑止」という字が宛てられ、「笑止千万」などと言って、相手の言葉や行動を、「かたはらいたい」と小馬鹿にするときなどに使いますが、この「かたはらいたい」が元は困惑する気持ちを表したように、この「しょうし(せうし)」も、元は、大変困ったことだ、悲しいことだ、という意味で用いられたといいます。

 謡曲の『蟻通(ありとおし)』に、舞台には、紀貫之役のワキが二人の従者とともに現れます。一行は和歌の心を尋ねて玉津島に向かう途中、明神の前を通りがかりますが、何故か馬が地に伏して進むことが出来なくなります。
 ワキ、ワキツレ二人次第「和歌の心を道として。和歌の心を道として。玉津島に参らん。
 ワキ  詞「これは紀の貫之にて候。我和歌の道に交はるといへども。いまだ住吉玉津島に参らず候ふ程に。唯今思ひ立ち紀の路の旅にと志し候。
 道行三人「夢に寝て。現に出づる旅枕。現に出づる旅枕。夜の関戸の明暮に都の空の月影を。さこそと思ひやる方も。雲井は跡に隔たり。   暮れ渡る空に聞ゆるは里近げなる鐘の声。里近げなる鐘の声。
 ワキ  詞「あら笑止や。俄に日暮れ大雨降りて。しかも乗りたち駒さへ伏して。前後をわきまへず候ふは如何に。灯暗うしては数行虞氏か涙の雨の。足をも引かず騅行かず。愚意如何すべき便もなし。あら笑止や候。
とありますが、この場合の笑止は「ああ困ったことだ」の意味になります。

 また、『閑吟集』の
  わが恋は  水に燃えたつほたるほたる  ものいはでせうしの蛍
訳)私の恋は、水辺で燃え立つ蛍のよう。物も言えない哀れな蛍よ
という歌謡の場合は、わがこととして言えば「悲しい、情けない蛍」ということになりますし、蛍のこととしてみれば「あわれな、同情すべき蛍」ということになります。

 人の不幸を慰めるときに、「お気の毒なことに」「ご愁傷さまで」という所を「笑止千万にぞんずる」ということは日葡辞書にも見えています。
 笑止千万 [大] 【しょうしせんばん】 sy^{o}si senban ... ショウシセンバンニゾンズル=非常にあわれに痛ましく思う(日葡辞書)
 現在でも各地の方言でお悔やみをいう際に、「笑止なこと」という言い方が残っているそうです。「笑いが止まる」と書くのも、その意味から来ていると言えそうです。殊に、可笑しくはあるけれども、相手のことを思うと気の毒で、笑うに笑えず、というような気持ちを表すのには、この「笑いが止まる」という字がよく当たるようです。

 「柿山伏」という狂言があります。山伏が柿の木に登って実を盗み食いしているところを持ち主に見つかります。持ち主がひとつなぶってやろうと、「あれは鳥らしい」と言うと、山伏は「カアカア」と鳥の真似をします。そこでまた、「いや、あれは鳶らしい。鳶なら飛ぶはずだが」と言うと、それにつられた山伏は、木から飛んでしたたかに腰を打ちます。それを見た持ち主がいいます。


 「やれやれせうしや、とびかと思うたれば、そなたか。」と言って笑うのですが、この「せうし」は「気の毒」だと言っているようでもあり、「おかしい」と言っているようにも取れます。そういう相手を哀れに感じるようなおかしさをいうのでしょう。今日もちいられる「笑止だ」と言う語は、全く相手を見下したこの相手を見下した笑いの面が強調されるものになっています。
 ところがこの「笑止」というのは宛字で本来は「勝事」という言葉であったようです。「勝事」というのは、人の耳目を引くような事件の意味で、「事」は漢音で「シ」と澄んで読み「ショーシ」と発音したようです。
 鎌倉時代前期に書かれた編年体の歴史物語に「『六代勝事記(ろくだいしょうしき)』というのがありますが、書名の「勝事」とは、人を驚かすような大事件の意で用いられています。

 平家物語「二代后」に、
 后御入内(じゆだい)あるべき由、右大臣家に宣旨を下さる。このこと天下(てんが)において殊ことなる勝事なれば、公卿(くぎやう)僉議(せんぎ)あつて、各々意見を言ふ。


とありますが、「勝事」は読んで字のとおり、本来は素晴らしいことの意味であったのですが、それが大事件の意味になり、特に謀反とか火事とかの異様なこと、不吉な出来事について用いられことが多くなったようです。そこからこの語は「困った、情けない、嫌な」ことを意味するようになり、「笑止」の字が充てられるようになったと言います。

 閑吟集に
 愛(いと)しうもないもの 愛ほしいと言へどなう ああ勝事(しょうし) 欲しや憂(う)や さらば和御寮(わごりょう、あなた) ちと愛ほしいよなう
という歌謡が載っています。これは「好きでもないのに、好きだと言ったけれど、ねえ、ああ困ったわ、やっぱり会いたい、辛い。そんならあんた、やっぱり、ちっとばかり好きなのよ、ね。」というような曲折した女心を詠ったもののようです。ここにある「ああ勝事」は、すでに「残念だ」の意味になっています。


 


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