瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 早朝は雨、朝食後は気温が上昇し出掛けるのが厭になった。
 今日は朝から南アフリカで行われているW杯サッカーで日本がパラグワイに惜敗したとの報道ばかり、時たま相も変わらず大相撲の野球賭博汚染の報道ばかり、特別調査委員会というのどういことちゃ? はや方針変更して謹慎の力士や親方衆の名古屋行きを認めたことで、処分ははや骨抜きになったようだ。ギャンブルというのは仲介者が入らない限り、差しの勝負では勝ち負けの確率は1/2、丸裸になることは早々ありえない。賭博でスッテンテンになるのは、中間搾取者が介在しているからに他ならない。
6b001f47.JPG 爺も若い頃はトランプ(ポーカー)、花札(六百間、おいちょかぶ、こいこい)、マージャン、パチンコなど、やるにはやったが、賭けるったって高が知れていた。競馬、競輪、競艇などの公営ギャンブルは中間搾取者がはいるのでやったことはない。宝くじも同じ理由でやらない。爺になってからは殆んど勝負事はやっていない。
 今回の大相撲の野球賭博汚染した、力士や年寄りまだ若く彼ら自身が勝負師であってみれば然(さ)もありなん。まあ、若気の至りともう少し妥当な処分で済まないのだろうか。やれ解任だ、除名だと少々厳しすぎる。どうも相撲協会の意図が理解できない。力士の処分より、暴力団のあぶり出しの方が咲きなのではなかろうか。
ff82d1bf.JPG 確率論の教科書には、確率論の生みの親はギャンブルで、Chevalier De Mere(シュバリエ・ド・メレ)の問題とそれに関連する諸問題について交わした、Pierre de Fermat(ピエール・ド・フェルマー、フランスの数学者、1607or8~1665年)とBlaise Pascal(ブレーズ パスカル、フランスの数学者・哲学者、1623~1662年)の往復書簡が、今日の確率論の出発点であると書かれている。
 Siméon Denis Poisson(シメオン・ドニ・ポアソン、フランスの数学者、1781~1840年) は「賭け事に関する一つの問題が、一人の俗人から厳格なヤンセン教徒に提出されたが、それが確率論の起源であった」と述べている。 この厳格なヤンセン教徒がパスカルであり、俗人はギャンブラーでその名をChevalier De Mereといった。
 俗人ギャンブラー Mereは賭博に関するある疑問を友人であるパスカルに伝えて曰く、「とBとの間である賭けをしていた。その賭けは最終的に買った方が全ての賭け金をもらえるギャンブルである。もしも、このゲームを途中で止めたとき、中間結果を見て賭け金をどのように配分すればよいのだろうか。」
 この疑問を具体的に考えてみよう。「例えば、AとBとの間でコインの裏表にかける賭けをしていたとしましよう。お互いに10万円を出し合って、先に3勝した方が勝ちであるとす。(つまり、20万円が得られる。)勝負が進み、Aが2勝、Bが1勝したところでゲームが中断されるとする。このとき、賭け金であった20万円はAとBにどのような割合で分配したらよいか」というのである。
 一つの考え方として、まだ、勝負はついていないのだから、10万円ずつ、A、Bそれぞれにキャッシュバックするという考え方がある。だがこれでは、2勝しているAの方から不満が出ることは必至であろう。また、Aが2勝、Bが1勝しているので、2:1で分けるという考えも浮かぶ。けれど、これでは、Bが0勝だったとき、Bの分け前が0になってしまうので適切とはいえない。
 そこで、パスカルはこの問題を解くのに確率と期待値の概念を導入し、鮮やかに問題を解決したのである。
 この場合、A、Bが一回毎の試行で勝つ確率はそれぞれ1/2ずつになります。勝負が続行されたとして、次の勝負でAが勝てば3勝1敗でAの勝ちとなる。また、次の勝負でAが負けた場合、AとBとは2勝ずつになるので、この後にAが勝てば、3勝2敗でAの勝ち、Bが勝てば2勝3敗でBの勝ちである。つまり、Aが負けた場合には、その次の勝負で必ず、勝負がつくことになる。
 Aが最初に負けて次の勝負で勝つ確率は1/4であり、Aが最初に負けて次も負ける確率も1/4である。従って、Aが2勝1敗の段階で、Aが最終的に賭けに勝つ確率は、1/2+1/4=3/4であり、Bが最終的に勝つ確率は1/4になる。よって、Aが2勝1敗の段階では、Aが3/4の確率、Bが1/4の確率で勝利することが予想されるため、Aが得られるお金の期待値は
 EA=20×3/4=15万円、EB=20×1/4=5万円になり、Aに15万円、Bに5万円支払うのが、妥当だという結論になるのである。
パスカルはその後、フェルマとの手紙の交換を行い、確率論をさらに発展させる。その議論が現在へと受け継がれ、今日の確率論が築かれたといわれている。

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