梓(あずさ)を詠んだ歌6
巻3-0311: 梓弓引き豊国の鏡山見ず久ならば恋しけむかも
※按作村主益人(くらつくりのすくりますひと、生没年不詳)
奈良時代中期から後期の下級官吏。豊國(福岡県から大分県にまたがる一帯の国)から上京。後に内匠寮(宮中の工事を担当する役所)に着く。その時に「長官佐為王が立ち寄ったので宴席を設けたところ、長官は早々と切り上げてしまった。」と嘆いた一首(第6巻1004番歌)があります。
巻3-0478: かけまくもあやに畏し我が大君皇子の命の.......(長歌)
題詞:十六年甲申春二月安積皇子薨之時内舎人大伴宿祢家持作歌六首)
題訓:天平十六年(744年)春二月、安積皇子が亡くなったときに内舎人大伴宿祢家持が作った歌六首
原文:桂巻毛 文尓恐之 吾王 皇子之命 物乃負能 八十伴男乎 召集聚 率比賜比 朝猟尓 鹿猪踐越 暮猟尓 鶉雉履立 大御馬之 口抑駐 御心乎 見為明米之 活道山 木立之繁尓 咲花毛 移尓家里 世間者 如此耳奈良之 大夫之 心振起 劔刀 腰尓取佩 梓弓 靭取負而 天地与 弥遠長尓 万代尓 如此毛欲得跡 憑有之 皇子乃御門乃 五月蝿成 驟驂舎人者 白栲尓 取著而 常有之 咲比振麻比 弥日異 更經見 悲召可聞
万葉集 巻3-0311
作者:大伴家持
よみ:かけまくも あやに畏(かしこ)し 我(わ)が大君(おほきみ) 皇子の命(みこと) もののふの 八十(やそ)伴(とも)の男(を)を 召(め)し集(つど)へ 率(あとも)ひたまひ 朝(あさ)狩(かり)に 鹿猪(しし)踏み越し 夕狩(ゆふかり)に 鶉雉(とり)踏み立て 大御馬(おほみま)の 口(くち)抑(おさ)へとめ 御心を 見(め)し明(あか)らめし 活道山(いくぢやま) 木立の茂(しげ)に 咲く花も うつろひにけり 世間(よのなか)は かくのみならし ますらをの 心振り起し 剣太刀(つるぎたち) 腰に取り佩き 梓(あずさ)弓(ゆみ) 靫(ゆぎ)取り負(お)ひて 天地と いや遠長に 万代(よろづよ)に かくしもがもと 頼(たの)めりし 皇子の御門(みかど)の 五月蝿(さばへ)なす 騒(さわ)く舎人(とねり)は 白栲に 衣取り着(き)て 常ありし 笑(ゑま)ひ振舞(ふるま)ひ いや日(ひ)に異(け)に 変らふ見れば 悲しきろかも
意味:心にかけて思うのもまことに恐れ多いことだ。わが大君、皇子の命が、たくさんの臣下たちを呼び集め、引き連れられて、朝の狩には鹿や猪を追い立て、夕の狩には鶉や雉を飛び立たせ、そしてまた御馬の手綱をひかえ、あたりを眺めて御心を晴らされた活道の山よ、ああ、皇子亡きままに、その山の木々も伸び放題に伸び、咲き匂うていた花もすっかり散り失せてしまった。世の中というものはこんなにもはかないものでしかないらしい。ますらをの雄々しい心を振り起し、剣太刀を腰に帯び、梓弓を手に靫を背に負って、天地とともにいよいよ遠く久しく、万代までもこうしてお仕えしたいものだと、頼みにしてきたその皇子の御殿の、まるで五月蝿のように賑わしくお仕えしていた舎人たちは、今や白い喪服を身にまとうて、いつもの笑顔や振る舞いが日一日と変わり果てていくのを見ると、悲しくて悲しくてしかたがない。
左注:右三首三月廿四日作歌
注訓:右の三首は、三月二十四日に作れる歌なり
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