瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 江戸語と東京語は大局的に変わりありません。江戸語の二つの面はそのまま東京語に引き継がれます。ただ江戸方言とか江戸訛りといわれる下町コトバは急速にその地位が低くなります。火鉢→バチ・知らない→しらネエ・動く→ゴク――のような音訛は卑しい下品なものと烙印を押されてしまいます。明治7年8月17日の東京日日新聞は「下等な人種 江戸っ児」と見出しを挙げて、いわゆるべら坊メ~ネエを話す人々を非難し、「神田を多しとす」と指摘しています。

 「酒を見かけちゃァにげられねえだろう、しかたがねえからつっぺりこんで一杯やッ付けたが……」(「安愚樂鍋」明治四〈1873〉年)のようなコトバを話す人は埒外(らちがい)になるのです。その代わり「ハイ僕なども矢張因循家のちであまり肉食馳せなんだが……当時は三日用ひねバ口合がわるいやうぢゃから当店から毎度取りよせて常食どうやうにいたすテ」(同上書)という人々が表面に出てきます。

 僕~君の言い方は文明開化を象徴する新しい表現でもありました。ナンダとかジャの用語にまだまだ上方語的色彩は強いのですが…… そしてさらに蘭学以来の伝統を背負った洋学(英学)者が、新しさを固辞して怪しげな横文字を乱用するのです。「江湖機関西洋鑑(うきよからくりせいようめがね)」(岡丈記・明治六〈1873〉年)の一例を示しておきましょう。
   至後(あと)から(はげ)洋学生(なやじゆく)大誇(ほらふき


 
   イヤこれは先生マスタル 英語にて先生又はだんなといふ事なり 君等はまだこの地に御留学かネ ナント久しいもんだ。エーかうと調度僕が道寓したのはおよそ三年前になるテ…… ビールを奢ると、イヤそれは大不経済、ストッブストッブ。アイ、ドント、ウイシ 英語にてのみたくないからやめべしといふなり マアマア僕のために奔走して嚢中を空しくすることなかれ、決して御無用御無用

 おそらく上のような文明開化人は多かったことでしょう。英語――まことに怪しげな――を頻発し、〈大不経済〉などという新造語を乱用して新しさを誇る人々…… それは丁度銀座にガス燈がつき、煉瓦建ての洋館が建て並んだ明治初期の東京を飾るにふさわしい風物でもありました。四民平等の合コトバによって、各自が自由勝手に喋りまくるわけです。
 当時の話コトバの末尾に来る「デアル」の意の表現で初期東京で話されていたコトバの分類表を見ると次のようになります。


 


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目高 拙痴无
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1932/02/04
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くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


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