学名:Brassica Oleracea
英名:Cabbage
仏名:Chou
日本での呼び名:きゃべつ、甘藍。玉菜はは結球する性質に由来します。
植物学的特性:あぶらな科 野生種は1年草ですが、栽培種は2年草。
ヨーロッパの地中海、大西洋の沿岸が原産地です。栽培の歴史は古く、紀元前600年ごろにケルト人によって栽培された野生種のケールがキャベツのルーツで当時のキャベツは球を作らず、約1000年前に現在の葉が巻く形になりました。その後、ヨーロッパ各地に伝わりました。
日本では、江戸時代の末期から作られはじめ、明治時代になって本格的なキャベツの栽培が始まり、大正時代には広く食べられるようになりました。更に、昭和25年ごろから消費が急増し今では食卓に欠かせない野菜になりました。
作付面積、収穫量はだいこん、ばれいしょに次いで、私達にはとても身近な野菜です。
グリーンボールは、その名のとおり丸い形。これまでは扁平形のキャベツがよいものとされていたので、丸いキャベツはとうが立っていると誤解されましたが、グリーンボールの登場で、丸いキャベツも市民権を得ています。
キャベツの親戚には、花を食べるブロッコリーとカリフラワー、茎を食べるコールラビ、わき芽を食べる芽キャベツと色々あります。
また、葉ボタンもキャベツの一種で鑑賞に改良されたものです。
キャベツは種類による分類と作型による分類ができます。
作型による分類は春まき・夏まき・秋・冬まき栽培が基本で、更に細分化しています。
・ 春まき栽培 ・・・ 3~6月に播種し、7~10月に収穫する作型。
・ 夏まき栽培 ・・・ 6~8月に播種し、11~4月に収穫する作型。
・ 秋・冬まき栽培 ・・・ 9~10月に播種し、4~7月に収穫する作型。
幕末の1850年代に伝わり、明治にかけて横浜周辺の根岸、子安、生麦などで居留地の外国人向けとして栽培されましたが、一般の日本人が口にすることはありませんでした。
明治になると殖産興業の一環として栽培が奨励されました。1870年(明治2年)農学者の津田仙が築地外国人居留地の居住者むけに種を取り寄せました。
1872年(明治4年)、北海道開拓使により札幌で試験栽培が行われ、北海道開拓使が発行した『西洋蔬菜栽培法』に「キャベイジ」の名で記載されました。
1874年(明治7年)内務省勧業寮が後の三田育種場で、欧米から取り寄せた種子で栽培試験を行ったのが、本格的な生産の始まりとされます。この後、増えた種子を日本各地42府県に配布と試作を依頼しました。多くの地で栽培に成功し1893年(明治26年)には外国人避暑客のために、長野県北佐久郡軽井沢町でも栽培が始まりました。
また、1945年(昭和20年)頃まで、一般的に「かんらん(甘藍)」と呼ばれていた。大正時代に品種改良が進められ、寒冷地に適することから、栽培は北海道のほか、東北地方や長野県で拡大した。需要は洋食をとる人が限られた太平洋戦争前にはそれほど普及しませんでした。戦後、食料増産と食の洋風化が相まって生産量は急激に増加し、1980年代にはダイコンと並ぶ生産量となりました。
これ以前にも、江戸時代前期にオランダから持ち込まれ、一部で栽培されていたと見られる。貝原益軒が1709年(宝永6年)に出版した『大和本草』にはオランダナ(紅夷菘)として「葉は大きくて艶がなく白っぽい。花はダイコンに似る。おいしい。3年で花が咲き、カブの仲間である」と紹介されています。
しかし食用として広まることはなく、むしろ観賞用としてハボタンを生むこととなった。また、ハボタンがケールの品種であることから、渡来したのはキャベツではなくケールだったと考えられます。
sechin@nethome.ne.jp です。
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