瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 夜明け方に雨が降ったらしく、道が濡れている。空は曇り空であるが、今戸橋をわたり、明治通りを横切って、荒川区の隅田川右岸の遊歩道に出る。
0bbaa608.JPG 今戸といえば、広津柳浪(1861~1928年)は「今戸心中」(1896年刊)を著した。吉原の娼婦と小商人のせつない恋の結末の場所である。永井荷風の「すみだ川」でも、ここにあった竹屋の渡しをつかって、俳諧師羅月(らげつ)が小梅から今戸に住む妹のお豊を訪ねて来る。お豊の子長吉は、今戸橋でお糸を待ちわびるのである。今戸橋を越える通りは旧奥州街道で、浅草御門から蔵前、浅草を通り宇都宮までは日光街道と同じ道(現江戸通り)であった。しかし、文禄3(1594)年千住大橋が架設され、道筋は今までの浅草追分(言問橋西詰め交差点)から橋場に至り、橋場の渡しを使って大川を渡り常陸国へ出ていたのが、浅草追分.小塚原.千住と変更になった。
51dd7df9.jpg 遊歩道を北上していると右前方から雨雲を割ってのご来光。朝日が川面を赤く染めて美しい。水神大橋を渡り、東白鬚公園を抜けて墨堤通りを南下して、桜橋を渡ると、野球場の脇を通り、今戸橋に帰り着く。今日も聖天公園に立ちより、ラジオ体操をして帰宅した。ラジオ体操の参加者は子ども連れの家族が多い。

1cc5b170.JPG 爺の小学生時代は日支事変・太平洋戦争と戦時中であったが、軍国教育の一環としてラジオ体操に参加させられた。当時のラジオ体操の歌、不思議に曲も覚えている。


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1932/02/04
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