瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 ここ2・3日台風や雨にたたられて、徘徊がお預けになっていたような気がする。今朝は、やっと天気が快復したようだ。今日は旧暦八月廿四日、秋分の日である。爺の餓鬼の頃はこの日は秋季皇霊祭といい、歴代の天皇の神霊をお祀りする日だと聞かされていた。
 仏教上では、お彼岸といわれ、お墓参りをする日と聞かされた。彼岸(ひがん)とは、煩悩をを脱した悟りの境地をいうのであって、煩悩や迷いに満ちたこの世をこちら側の岸「此岸」(しがん)と言うのに対して、向う側の岸ということで「彼岸」と名付けられたらしい。
「彼岸会(ひがんえ)」は、雑節の一つで、春分・秋分を中日とし、前後各3日を合わせた7日間のことをいうのじゃ。爺が餓鬼の頃は祖母(ばあ)さまやお袋さんが炊いた糯(もちごめ)をすり鉢に入れて、半殺しにしたものに餡子を塗りたくってご馳走してくれた。仏様の供え物として作るもので、「ぼたもち」または「おはぎ」とよんだ。名前の興りは「牡丹餅」(春)と「お萩餅」(秋)なんだそうじゃ。餡子を塗るかわりに黄粉やすり胡麻を塗りたくったものもある。日蓮が鎌倉幕府によって龍ノ口の刑場に引き立てられて行った時、急を聞いた尼さんがなにか最後の供養と考えたが、餡をつくる時間がなく、黄粉と胡麻をまぶした「半殺し糯」を作り日蓮に献上したのが始まりじゃという。
水神大橋のレリーフ
65534350.jpg太極拳
17f31fa0.jpg瑞光橋とガスタンク
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 東京の日の出は5時29分。桜橋を渡り、足は東白鬚公園へ向かう。水神大橋を渡るとき、橋柱のバルコニーになっている所の欄干に水神をあらわすレリーフがあった。おそらく伊弉諾・伊弉冉をイメージしたものであろう。汐入公園は最近散策する人がとみに増えたようだ。広場では何人かが集まって太極拳をしているグループがあった。太極拳は緩やかで流れるようにゆったりとした動きが特徴であり、健康、長寿にも良いとされ、朝の公園などで集まって練習している姿が見られるようになった。武術が持つ一般的な激しいイメージとは対照的に、コントロールされたゆっくりとした動きを多く含む。 日本国内でも、太極拳の愛好者は年々増えつつあり、自治体単位で太極拳を推進しているところもあると聞く。右手に大きな球上のガスタンクを臨みながら、いつも危険と隣り合わせにある都会であることを感じながら、瑞光橋を渡り、件(くだん)の落書き通りを通って、帰宅した。
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目高 拙痴无
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1932/02/04
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 sechin@nethome.ne.jp です。


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